<第二十三話・迫る、その時>
古城に到達するまでに、出てきたモンスターはファーラットが三匹だけだった。しかもファーラットはその名の通り、太っていて大きいだけのネズミのモンスターである。多少耐久が高いがそれだけで、さほど脅威になるほどでもない。先ほどのような油断がなければ、アシュリーもジョシュアも一撃で倒して歩ける程度の敵だった。
「ファーラットは、この森に普通に生息するモンスターですよね。なら、あれは多分罠とかじゃなく、ふつーに出てきてふつーにエンカウントしただけなんでしょう」
周囲を警戒しつつ、古城を見上げるアシュリーである。あちこち蔦が這う外壁は、今にもボロボロで崩れそうな有様である。ナスカの森は、大昔は小さな神殿をそれを囲む街が存在する場所であったそうだ。しかし、洪水か竜巻か台風か――なんらかの自然災害の結果、町そのものが壊滅。人々がいなくなった土地は荒れ果て、最終的には驚異的な自然の力に飲み込まれていったということらしい。
何百年以上も昔のことである。それでも、古城の名残が残ったままになっている、というのは凄い話ではあると思う。この城には、宗教的に重要な意味があったということらしい。ゆえに、他の建物より少し頑丈に作ってあったのではないか、という説が挙がっているようだ。あるいは、素材そのものが違う可能性があるのだという。
アシュリーはそろそろと城に近づき、壁に触れて見ることにする。砂だらけで汚れているが、眼を凝らすと複雑な装飾が彫り込まれていることがわかった。まるで、なんらかの儀式的な意味でも持っているかのような。
「問題はイビルバットが、誰の罠だったということですが……って、この石凄い。この硬さに、どうやってこのお花みたいな模様彫ってあるんだろ……」
「ミラノフラワーだ」
「え?」
「ミラノフラワー。ミラノスイート教という宗教において、神が守った花として神聖視されていたものだ。花びらが八枚あり、花びらの先が二股に分かれているだろう。ミラノフラワーの特徴なんだよ」
言われてみれば、確かに。アシュリーはまじまじと花の彫り物を見つめる。草花に関しては生物の授業でも多く学ぶが、花びらの先が二股に分かれているこの形状は初めて見るかもしれない。
同時に。学校の授業で特にやることもないほど、珍しい草花ということなのだろうか。
「絶滅種なんだよ。もしかしたら、未踏の土地に少しだけ現存しているかもしれないが、殆どこの世界には残っていないと呼ばれる花なんだ。ミラノスイート教では、死んだ人間は埋葬された後、行いが良く信心深い人間は天国に招かれることができるとされているが。その天国というのが、ミラノフラワーが咲き乱れる、この世のどこよりも美しい土地なんだそうだ」
花の彫り物を指で触れながら、ジョシュアは語る。
「何故この花が絶滅したかといえば。この土地がまだナスカタウンという一つの町であった頃、この近隣がミラノフラワーの原産地として有名であったからだな。程ほどに暖かく、雨が多くて四季がはっきりしている土地に適していたらしい。だが花は、戦争で町が滅ぼされると共に失われる結果となった」
「え?戦争……ですか?確か歴史の授業では、自然災害で滅んだと聞いていますが」
「教科書ではそう教えているが、実際は違う。……召喚魔法で呼び出された大地の龍が起こした土砂災害で、町ごと押しつぶしたというのが正しい。この町は、ミラノスイート教を中心に回り、魔導師として優秀な人間が揃っていたんだそうだ。そういう存在は邪魔だったんだろうさ……一つの神の存在だけを信じ、異教徒を排除して動くどこぞの宗教の信者達にとってはな。だから、自然災害に見せかけて、町ごと人も花も全てを皆殺しにしたってわけだ」
まさか、とアシュリーは眉を潜める。
「ルナシルド信教のこと、言ってます?」
この森にあった町が滅んだのは、数百年は前のことではなかったのか。確かにルナシルド信教の歴史は千年単位と相当古いという話は聞いていたけれども。
「宗教を信じること、そのものは悪いとは思わない。俺は神の存在なんぞ信じちゃいないが、誰かが神様を信じて崇めてようとご自由にどうぞとしか思わねぇよ。……でも、そうじゃない奴らもいる。自分達の神がただ一柱の神だと信じる奴は、他の神の存在は断じて許せない。向こうは向こうでこっちはこっち、って考え方が出来ない奴がそれなりの数存在している。聖地が被ったりするともうそれだけで血みどろの戦争になりかねないんだよな。だからこそ、ルナシルド王国はルナシルド信教の存在以外を認めてないんだよ。戦争の原因になるから、って理由で他の宗教を徹底的に排除している。そしてそれは、大昔から変わってないってことだ」
「そういえば、ナスカの森の付近も、ルナシルド王国の元々の土地に含まれてましたっけ……」
「そうだ。他の宗教だって寛容なものと過激なものがあるし、同じ宗教を信じていても“信じ方”は人それぞれなんだろうけどな。特にルナシルド信教は、そのへん過激な奴が多かったってことだ。ルナシルド王国の王に従うように教え込むのには、丁度いい宗教だったってのもあるんだろうが。あの宗教では、ルナシルドの国王は神の眷属ってことになっている。神に従え、イコール神の眷属であるルナシルド国王に従え、ってことだからな」
自分もかなり勉強してきたつもりだったが、それでも足りない事が多かったのだと痛感させられる。そもそもアシュリーは、勇者に選ばれるまではこの世界を実質支配しているルナシルド信教に関しても殆ど知識がなかった人間だ。確かに、国教であるルナシルド信教以外の宗教を信じることを、頑なに違法として禁じているのがルナシルド王国である。そんなこと、宗教を持たないアシュリーには無関係なことだとばかり思っていたが。
真実の多くは、学校で教えることのできる教科書だけではわからないことも多いということらしい。そういうこと真実は、もっと限られた書籍を読みあさり、実際に真実を知る人と言葉を交わすことでしか得られないことも多いのだろう。
――この古城は、そんな……ルナシルド信教に排斥された異教徒達の象徴でもあった場所……。
そう思って見れば、この蔦だらけの崩れかけた城が、まるで違ったものに見えてくるというものである。
正面の重そうな鋼の扉。左右の塔に繋がる木の扉が二つ。さて、どこから入るべきなのだろう。いや、そもそも扉から入るのではなく、外壁を登って上から攻めた方がいいのだろうか。もしイビルバットの罠を仕掛けたのがファウストであるというのなら、この城の中にも数多くの罠が仕掛けられていそうだ。
――それと、気になることはもう一つ……。
アシュリーは視線を送らないように気をつけながら、自分達が歩いてきた道の方へと意識を傾ける。
一人二人、なんていう人数ではない。間違いなく、二桁以上の人数が自分達の後を追ってきている。
「二十三人ってところだな。気づいていないと思われてるなら、俺達もナメられたものだ」
アシュリーの傍に寄り、小声で告げるジョシュア。――ただでさえハンパない美形の彼である。顔が近くなると、それだけでドキドキしてしまうのはどうしようもないのだが、向こうはそんなアシュリーに気づいているのかいないのか。
「敵意はない。……少なくとも、今のところは」
「私達を援護してくれるつもりなんでしょうか。だったら、どうして堂々と出てこないんでしょう」
「援護というより、監視の意味が強いからだろうさ。……お前もそろそろ気づいてるんじゃないのか。どうして勇者という存在が、基本一人しか選ばれないのか。そしてその基準が、能力とは別にいくつも設けられているのか」
彼が言いたいことがなんなのか――薄々、察しつつあったのは事実である。小さく頷くと、アシュリーは唇を噛み締めた。
これではまるで。勇者という名の生贄ではないか――そんなことを、思いながら。
***
この古城に入って、一体どれだけの月日が過ぎたことだろう。数日なのか、数ヶ月なのか。段々と時間の感覚は薄れつつあった。ベッドに殆ど寝てばかりで、最近は部屋の中を歩くことさえしんどくなりつつある状況である。
自分はもう、長くはないのだろう。魔王ファウストは――己の死期を、悟りつつあった。
――私の選択は、果たしてどこまで正しく、どこまで間違いであったのだろうか。
思い返すのは――妻の言葉だ。辛うじて屋根があるばかりの廃墟の床、ボロボロの布切れを敷いただけのベッドに横たわり。指を失った包帯だらけの手で、俯くファウストの頭を何度も撫でてくれたのである。
『お願い、泣かないで……ファウ』
工場の劣悪な環境で指を切り落とされて、その激痛で転げまわっても。何をやっているんだと叱られるばかりで、治療の一つも受けさせて貰えなかった妻。
階級が下であるというだけで。お金がないというだけで。彼女はあらゆる痛みを、苦しみを、歯を食いしばって耐える以外の選択肢を持たなかったのである。
きっと一人だけならとっくに諦めてしまっていたわ、と彼女は微笑んだ。それができたのはきっと、守りたいものができたからなのだ、と。
『ごめんなさいね……こんな醜い姿など、貴方達に見せたくはなかったのに』
『何処が醜いものか!君は綺麗だ、どんな姿になっても……!』
傷口から入ったアクダイトの成分が血管を巡り、どんどん身体を腐敗させていってしまうという恐ろしい病。治療法ならばあるはずだった。病を治す薬も存在しているはずだった。しかし、金もなければ知識もない自分達は――日に日に生きたまま腐っていく彼女に何もすることができず、ただただ嘆き悲しむしかなかったのである。
指がなくなってしまった手は、鈍い痛みを持ちながらも神経はまだ死んでいなかった。辛うじて動かすことができ、それでも腕から肩、首から顔とどんどん病巣は広がっていったのである。腐敗した皮と肉からはどろどろと膿が漏れ出し、包帯越しでも凄まじい悪臭を放っていた。やがて顔を多い尽くした病巣によって彼女は眼球さえも腐り果てて見えなくなり、横たわったまま死期を待つばかりの身となってしまったのである。
恐ろしい姿と酷い臭いは、同じスラムの住人達でさえ彼女を遠ざけるに十分だった。それでもファウストは、必死で彼女の看病を続けた。身売りして得た僅かな金と、彼女がかろうじて残してくれた工場の給金を使って。
『悲しいわ……貴方の綺麗な姿も、あの子の姿も、私はもう見ることができない……。綺麗な貴方に、あんなことをさせなければ生きていくこともできないなんて……。でも……でもね、ファウ』
彼女は既に見えない眼から涙を流しつつ、ファウストに告げたのである。
『お願い。……世界を憎まないで。私はどれほど不遇であっても……貴方と、あの子と出会えただけで、それだけで幸せだったのだから』
彼女の最期の記憶。思い出すたびに、情けなくも視界が滲んでくる。
――ああ、やっと来たか……。
気配を感じて――ファウストは怠い身体をどうにか起こした。彼女を呼び戻さなければならない。もうすぐ、全てが終わりになる筈なのだから。
自分も決意しなければならないことを、ファウストは知っていた。
諦めてはいけないのである。守りたいものならば、自分にも確かに存在しているのだから。




