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勇者も魔王も要らない世界  作者: はじめアキラ
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<第二十二話・本当のヒーロー>

 やっと――やっと、なのだろう。

 アシュリーは理解できたような気がするのである。いつも皆と距離を取り、差別される視線でさえろくに反論する様子もなかったジョシュアが。本当は、その心の内に何を溜め込んできたのか、ということを。

 自分はまだ、ジョシュアの過去の全てを知ったわけではない。

 きっとまだ、彼はアシュリーに話していないことがたくさんあるのだろう。確かなのは――彼はアシュリーが思っていたよりずっと、普通の人間であったということである。

 皆に、魔王予備軍なのではないかとひそひそと言われ。それに傷ついていないフリをして。

 そういう環境をいいことに、皆から距離を取ってばかりで一人になって、誰かの厚意も何もかもをあえて無下にしてきたのは。ただただ、階級が違う人間達への不信感があったからだけではないのだろう。

 誰だって、愛するものを失うのは怖い。

 大切なものが増えれば増えるほど、守らなければならないものは当然増える。己の腕の長さなどたかが知れているものと知りながら、それでも守ろうとして腕がちぎれてしまう人はきっとこの世界にたくさんいることだろう。

 きっと。ジョシュアも何かを、必死で守ろうとしていたのだ。

 それでも守れなくて――守れなかったことが、何より心に突き刺さったままになっていて。その大きな大きな刺を、抜く術すら知らず今日まで生きてきたのである。

 ちっぽけな彼に出来たことはただ一つ。もう二度と失わないために、何も得ようとはしないこと。

 大切なものが何もなければ、怖いことなど何もない。守るべきものが何もない人間は、ある意味できっと最強なのだろう。己以外何も捨てるものがないというのなら、誰の迷惑も誰の心も考えずただただ突き進むこともきっとできるのだろうから。ジョシュアはきっと、そうなりたかったのだ。そうなるべきだと、己に言い聞かせて生きてきたのだ。

 そうでなければ――もう、耐えられないと知っていたから。

 どんなに虐げられても、傷つけられても、犯されても壊されても殴られても潰されても苦しめられてもただ、ただ、ただ――我慢することだけで己の心を守ってきた彼が。それだけは、どうあっても耐え切れないと知っていたから。


――ああ、そうか。そうなのか。


 何かがすとん、と胸の内に落ちた。ある可能性が胸の中に浮上して、ぴたりとパズルのピースのようにハマったのである。


――だから。だから勇者は……勇者という存在は……。


 ああ、そして。彼女は――彼は。


「ジョシュア」


 一気に叫びすぎて、肩で息をしているジョシュアに。アシュリーはそっと、手を伸ばした。

 今の自分に出来ることは、何か。拙い頭で必死に考えた結論がそれだったのだ。


「貴方は、とても優しい人なのですね」

「はっ……!?」

「どれだけ虐げられても、自分のことならばいくらでも我慢してしまう。敵を倒すためには、己の身を切り刻むことさ厭わないのに。……誰かのことだけは。誰かを失うことだけは、貴方にとって耐え難いことだった。それは貴方が優しいから。……誰かを思いやる、温かい心を持っているからです。それこそが、貴方の光。光の心。でも……今、私にもはっきりとわかりました。その光の心は、闇がなければきっと育たないものであったのだ、と」


 そっと、その手を両手でしっかりと握って、語りかける。その傷だらけの心に、少しでもアシュリーの真実が届くようにと祈って。


「私はずっと思い込んでいました。この世界に、闇は必要ない。人の悪意があるから、憎悪や怒りや嫉妬や悪意……そういうものがあるから人は傷つき、争い、この世界に平和が訪れることがないのだと。それも間違いではないでしょう。でも、光の心だけであったなら、人は本当の意味で人の痛みを理解することなどきっとできはしない。人の本当の苦しみを理解できるのは、同じだけ苦しみを味わってきた人間だけです。……貴方は、己が苦しかったからこそ。傷ついたからこそ。本当は誰よりも、誰かの痛みが分かる人間だった。それは、貴方の傷だらけの過去や悲劇なくして育たなかったものあったはずです」


 人の性格を形作るのは、遺伝子と環境だ。

 環境次第で、どんな人間であっても容易くその姿は変わっていくことができるのだろう。勿論環境だけではないが、環境で変わることがたくさんあるのも間違いなく一つの真実に違いない。

 ジョシュアがもし、貴族として甘やかされるばかりの生活を送ってきたとしたら。今の、誰かのために必死になれる彼は存在していただろうか。

 きっと答えは否、だ。

 どれほどその過去が彼の傷であったとしても。その過去も、彼の一部に違いない。それも全てひっくるめて、ジョシュアという一人の人間を作っていることに間違いはないのである。


「そんな貴方を、私は守りたい。……でも、私は英雄でもなければ、救世主でも聖女でもないのです。ただの人間であるからこそ、知っています。愛する人を失うことは、私にだって耐え難いこと。……愛する人を守っても、そのために命を落としたら……それは、その人の心まで守ったことにはならないということを」


 ジョシュアの眼が見開かれる。アシュリーは、にこりと微笑んだ。


「約束が信じられないというのなら、信じなくても構いません。ただ私が、他ならぬ貴方と私自身に誓うというだけです。……私は貴方を守って、自分も生きる。けして、貴方のために死んだりなんかしません。私は貴方の心まで、きっと守ってみせると誓います。ですから。……信じなくてもいいから。怖くなったらその時はいつでも、その気持ちを吐き出しては頂けませんか」

「あ、アシュリー……」

「ふふ。最近、呼んでくれるようになりましたね。最初は私の顔を見るだけで嫌そうな顔をしてくれたくせに!」


 わざと躍けて言うと、ジョシュアはとたんムスっとした顔になった。お互い様だろう、と言いたげだ。しかしそれでいいのである。

 毒だろうと悪口だろうと愚痴だろうと、何だってぶつけてこればいいのである。自分もその分きっちりお返ししてやるだけなのだから。

 本音の全てを口にできなくても構わない。相手の気持ちの何もかもを理解できなくたって全然それでいい。それでも、こうしてぶつかって、相手を知ろうとするだけでそこに意味はある。理解してくれようとしてくれる人がいるだけで、少しずつでもきっと人は救われていくのだ。

 誰か一人でいい。誰か一人でも、心をぶつけて受け止めてくれる人がいるのなら。それだけできっと、世界は何より美しい筈なのである。


――その一人に、私がなれたら。……貴方がそう、少しでも心をぶつけてくれるのなら。


 それは、アシュリーにとっても――間違いなく、大きな喜びに変わるのだろう。

 いつの間にか、ジョシュアから眼を離せなくなっている己がいる。この不器用で、自罰的で、暗くて、それでも誰より優しい彼の傍にいたいと願っている自分がいるのだ。

 まだはっきりと分かることではないけれど。その気持ちは、きっと。


「大切なものが増えるのが怖い、そう思うのは。少しでも、私が貴方にとって、少しでもそういう存在に近づけていると……そう思ってもいいのでしょうか?」


 少し誂うような口調で言ってやれば、彼はわかりやすく顔を背けてきた。その頬が少しだけ染まっているように見えるのは気のせいだろうか。


「……ふざけるなよ。思い上がりも甚だしいぞ」

「それが本心ならちゃんと眼を見てお話しましょう?ほらほら、こっち見てくださいよ、せっかく可愛い顔してるんですからーねー?」

「か、可愛いとか言うな!俺は男だぞ、いい加減にしろよ!?」


 わーわー騒ぐジョシュアが面白くて、ついついふざけてしまうアシュリーである。――最初に話した時と比べると随分な進歩だ。いつもムスっとして、ろくに表情を変えることさえしなかったというのに。今はわかりやすく怒るし、赤面するし、声がひっくり返ったり慌てたりと忙しい。そういう顔を見せてくれるのは、それだけ気を許してもらえている結果だと思ってもいいのだろうか。

 きっとジョシュアには、ずっとそういう相手が欲しかったのだ。

 マチルダはそれも期待して、彼をこの旅のアシュリーのパートナーに選んだのだろうか。残念ながら自分にも、あの老獪な恩師の考えていることは読みきれないのだけれど。


「こ、こんなことしている場合じゃないだろう!それよりも考えるべきことがあるって気づけ!」


 相変わらずキョドった声でジョシュアは叫んだ。その途端、彼の手がするりとアシュリーの掌から抜けていってしまう。なんだか名残惜しいな、と思ってしまう自分も末期だろうか。彼の手はどこかひんやりしていて気持ちが良かった。――手が冷たい人は、心が温かいと聞いたことがある。案外それも、真実なのかもしれない。


「イビルバットは普通こんな場所に出現しない!あいつらは基本的に暗い、湿度の高い洞窟に生息しているはずだ、お前も学校の授業でやっただろう!?」

「あー……そういえば、そうでしたね」


 倒すのに必死だったのと、その後のイベントがイベントだったのですっかり状況を忘れていた。再び自分が切り刻んだイビルバットの死骸を見回すアシュリーである。

 そういえば、蝙蝠達は木上に突然現れたような印象だった。こんなに近くで囲まれるまで気配に気づかないなんて、それもそれでおかしなことだとは思っていたが。


「……ナスカの森に住んでいるモンスターでもない。とすると、誰かが飼っていて離したか……あるいは呼び出したってことになりますよね?」


 木の上を見上げる。もし自分の予想が正しいのなら、何処かに“アレ”があるはずなのだが。


「あった!」


 アシュリーはその一本の木をしっかり見据えて、ずりずりと後ろに下がった。木の葉の影に隠れて見づらいが、あれは魔法陣である。木の幹に、何者かの魔法陣が刻まれているのだ。

 恐らくイビルバットの群れは、あの魔法陣をいくつか使うことによって結界を作り出し、それによって召喚されたということなのだろう。

 つまりこの襲撃は、何者かの罠。仕組まれたものであったということだ。そして仕掛けた者がいるとしたら、その心当たりは一人しかいない。


「魔王ファウストは、もう俺達が近づいてきていることに気づいているかもな」


 苦い表情で魔法陣を睨んで、ジョシュアが告げる。


「急いだ方がいいだろう。……向こうもきっと、それが望みなんだろうからな」


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