<第十二話・見えない青空>
黒髪黒目だから、それだけで酷い目に遭う。ジョシュアからすれば、けして珍しくもなんともない事件だった。
黒髪の人間も、黒目の人間も、けして珍しいものではない。貴族の中にだっているだろう。しかし何故か、この二つが揃った時点でその人間は宗教上の理由から“悪魔の子供”と蔑まれ、差別されるようになる。勿論、無宗教の人間ならば、本来そんなものは関係のないはずなのだが。誰かが差別しているのを見て感化される人間はいるし、何より下層階級にも魔王にも黒髪黒目が多いともなれば――無宗教であっても、そういう差別意識を持つのは至極当然のことではあったのだろう。
外見上の偏見がない人間であっても、階級への差別意識が少なくない人間は多い。
何より、“魔王”という存在はいつの時代もこの世界を脅かし、人々に恐怖を与えてきた存在である。ある日突然、大いなる怒りに満ちた魔王に街を襲われ、愛する人を奪われ、それまでの生活の全てを失うことになる。戦争のない今のこの時代において、天災以上に恐れられるのが魔王という存在だった。むしろ、唯一の恐怖であると言っても過言ではないかもしれない。それゆえに、魔法学校と勇者という存在に特別な望みを託す者も少なくないのだ。その魔王になるかもしれない存在だと判断された人間が、どれほど偏見に晒され畏怖されることになるかなど言うまでもないことだろう。
そう、誰も気づいていない。
その状況こそが――何よりの、この国の意思であるということに。
『盗みなんて、するもんじゃない』
アレスタウンにも浮浪者はいる。下層階級の人間も、王都に比べたら少ないとはいえ住んでいる。
ジョシュアが偶然見つけたのは、万引きをした結果追われている小さな兄弟だった。兄も弟もガリガリにやせ細っている。兄でさえ七歳くらい、弟に至っては三歳にもなっているかどうかという年だっただろう。どちらも黒髪黒目の子供だった。なんとなく他人事とは思えず、ジョシュアは子供達を助けたのである。自分の持ち金を使って万引きされた商品に加え、さらにチップ代を上乗せして払えば。嫌な顔こそしたものの、八百屋の男性はそれ以上の追求はしてこなかった。少々武器の予算が減ってしまったが、まあこれくらいは仕方のないことだろう。
『どうしてもするっていうなら、もっとバレないようにやらないといけない。あんな店の正面に置いてある大きなメロンなんて盗むもんじゃないぞ。すぐにバレるに決まってる』
『……僕達を、憲兵さんとか警察さんとかに突き出さないの?』
『突き出して欲しいのか?』
ジョシュアが尋ねると、兄の方は泣き出しそうな顔をして首を振った。
『……友達がいるんだ。みんなに、会えなくなっちゃうのは嫌だ……』
まだ、警察に捕まって刑務所に行った方がマシ。そうすれば最低限のごはんが食べられる、と犯罪に走る者もいる。しかし、彼らはそうではなかったのだろう。
盗みなんかいけない、二度とやるな――年長者として、本来そう言うべきであるのはわかっていた。犯罪は、犯罪だ。しかし過去、自分も法律に触れる真似をしてやっと生きてきた身である以上、彼らにどうこう言う資格などジョシュアにはないのである。
子供を保護する施設が足りていない。あったところで、時には金目当てに劣悪な環境で運営をしているところも少なくないと聴く。アレスタウンの施設がどうであったのかわからないが、何人いるかもわからない彼らの仲間まで収容してくれるほどの大きな施設があったのかは怪しい。
家族がいないであろう子供達にとって、仲間こそがそれに代わる唯一の宝物なのかもしれなかった。そんな人間と、彼らを引き離すような行為など出来るはずもない。
そして、少年院に行ったら本当に衣食住が保証されるかといえば、そんなこともないのは知っている。特に黒髪黒目の下層階級の子供など、ろくな扱いを受けないだろうことは想像に難くなかった。酷い場所では、虐待が当たり前のように横行しているという話も聴く。特に小さな子供は、例えそれが男の子であったとしても――性的搾取の対象にされるということは少なくないのだそうだ。刑務所というのは基本同性だけで構成される空間であるから、余計そういう認識と行為が横行しやすいのだろう。
彼らに、そんな目に遭って欲しいとはとても思えなかった。ゆえに、自分が言えることは一つだ。次からは、捕まらないように隠れて盗め、そして出来る限り犯罪に頼らなくても生きていけるような手段を見つけろ――と。
『その友達を、一番悲しませるのは何だ。お前達が捕まったり、傷ついたり、殺されたりすることだろう?違うか』
ジョシュアがそう諭すと。小さな少年二人は、目にいっぱい涙を貯めて頷いた。
『うん。……わかる。次から、気をつける』
『そうしろ。そして、出来る限り早く、犯罪なんかしなくても食って行ける技術を身につけろ。スラムであろうと下層階級だろうと、学べる事はゼロじゃない。まずはどうにかして、文字を覚えることから始めるんだな。ゴミ捨て場によく古雑誌が落ちている。絵柄付きだからわかりやすいし、ああいうものを利用して言葉を学ぶといい』
『ありがとう、お兄ちゃん』
その兄弟を、彼らの住処まで送っていくために路地裏に入った――その後のことである。あの連中に絡まれることになったのは。
普段から暴力的な者達、ではないのかもしれなかった。しかし酒に酔っ払っているからといって、やっていいことといけないことはあるだろう。明らかに一部は未成年者の飲酒であったから尚更そうである。
見つかった場所は、子供達のアジトからさほど離れていない場所だった。正直運がなかったとしか言い様がない。ジョシュアの技は、大味なものが多いのだ。狭い場所で使うのにはあまり向いていない。おまけに、新しい武器を買いに行く最中であり、魔導書も杖もあと数回使えば壊れるかもしれないような状態だった。それが、ジョシュアから“逃げる”以外の選択肢を奪い、同時に少々の焦りをもたらしたのも事実である。
不意を突かれて捕まった時、ジョシュアはその“逃げる”をも諦めた。
力ずくで押さえ込まれてしまえば、自分の腕力では殆ど抵抗することができない。大きな魔法を使えば倒すこともできるだろうが、狭い場所でそれをやると周囲の建物にまで被害が及ぶことは免れられないだろうし、そもそも連中を殺してしまうだろうことも想像に難くなかった。さすがに、勇者が過剰防衛で人を殺したとなれば、どんな騒ぎになるかわかったものではないのである。
何より。騒ぎを大きくして、先ほどの兄弟が巻き込まれたり心配をかけることの方が問題だった。――赤の他人だが、せっかく助けた相手がより不幸になるところを見るのは、さすがに寝覚めが悪すぎるというものである。
『先生が言ってたわよねー。黒髪黒目の人間は何しても許されるって!むしろ悪魔の子だから、積極的に討伐したっていいくらいだってー!』
きゃははは、と女が甲高い声で笑った。
『つか、悪魔の子が平然と道歩いてんじゃねーよ。マジで怖すぎじゃん。こいつも将来魔王になるかもしれないでしょ?だったら殺した方がよくね?』
『それな』
『けど法律上は、悪魔の子だから殺していいってことになってないだろー?めんどくせーけど。コイツ殺して俺らが犯罪者になるとか馬鹿らしくね?』
『だよなー。あーックソ、あのクズ親父どもの言うこととかなんで聞かなきゃいけねーんだよ、俺らだってやることやって、退屈な授業もちゃんと受けてるんだっつーのにうっぜええ!』
彼らは何か、イライラすることでもあったのかもしれない。それを発散するために、何かストレスをぶつけられる対象を捜していたということだったのかもしれなかった。
まあ、そんなこと――ジョシュアには全く関係のないことだったのだけど。
『ていうかさ。全然声上げないからわかんないんだけど、こいつ男?女?ケツの形は結構いいかんじだけどー』
『おまやべ、やっべー!』
『じゃあ裸に剥いちまえば?なんか良さげなローブとか着てるしさあ。ちょっと破れてっけど、いい布ならそれなりの値段で売れるんじゃね?適当に裸にして遊んでほっとけばいいだろ、俺らがやったとバレなきゃいーんだしさあ』
『え、まじで?男かもしんないのにヤんのー?趣味ワルー』
ああ、またこういう方向に行くのか。ジョシュアは諦めて――自分の中のスイッチを切ることにしたのである。腕を折られても身体を殴られても、声一つ上げないことが唯一の抵抗だった。どうせ、このあと数時間は甚振られることが目に見えている。悲鳴など上げて、あの兄弟が様子を見に来てしまっても困るのだ。
――いつもこうだな、俺は。
スラムに居た頃、珍しくもなんともなかったことだ。初めて遭遇したことは恐怖と激痛で泣き叫んだものだが、今はそれにも慣れたというものである。多少痛くても、怪我をしても、後で回復魔法をかければちゃんと治る。下手に抵抗して機嫌を損ねて、それでうっかり致命傷を与えられる方が面倒だ。
どれほど苦しくても、我慢していればいつか終わる。まさか十八歳にもなってまた遭遇するとは思わなかったが、それだけのことだ。
――この場所からじゃ。殆ど空も見えないな。狭すぎる。
男にのしかかられながら、ぼんやりと狭い夕焼け空を見つめていたのだ。出来る限り、早く連中が終わりにしてくれることを願って。
だから。
『何をしてるんですか!』
全く期待していなかったのである。
助けが来るかもしれないなんて、そんなことは。アシュリーのことさえ、半ば忘れかけていたほどなのだから。
「……ジョシュア。とにかく、これを羽織ってください」
ジョシュアを悪ガキ達から助けた後、アシュリーは自分のローブを脱ぐとジョシュアに着せようとした。別にいいのに、と言えば。良くないです!と眉を跳ね上げられる。
確かに、自分達はローブの下に全員シャツとズボンを身につけているので、暑い日などには普通に脱ぐこともあるが。この季節は、まだ夕方にもなると相当肌寒いことも多い。いくらここから宿まで遠くないと言っても、アシュリーが相当寒い思いをするのは免れられないはずだった。なんせ、良いとこ育ちのお嬢様だ。着たい時に着たいものがない、なんて寒さに震える経験などないはずである。
「施しを受ける気はないんだが」
なんだか気分が悪いから嫌だ、と告げれば。アシュリーは有無を言わさず、ジョシュアのビリビリのローブの上から自分のローブを強引に被せてきた。
「私が嫌だと言っているんです。素直に従ったらどうですか」
何で嫌なんだろう。――ぼんやり考えて、ジョシュアは思う。確かに酷い目に遭わされたが、最後までやられたわけでもない。結局未遂で終わっている。それでも、連中の言動から何が始まろうとしていたのかを察するには十分だったのだろう。
被害者も加害者も同様に、嫌悪の対象になってもおかしくない。貴族の家では、そういう行為が最大最悪の唾棄すべきものとして教えられているということも十分にありえるだろう。
「お前のローブも汚れるぞ。俺になんか触りたくもないんじゃないのか」
「どうしてそうなるんですか!貴方は何も悪くないでしょう!!」
「?」
「言葉通じないんですか。馬鹿なんですか。汚れるってなんなんですか、ほんと意味が……意味がわかりませんから!」
何故、彼女に怒鳴られるんだろう。
怒鳴りながら、どうしてアシュリーはわんわんと泣き出しているんだろう。
ジョシュアは混乱するしかなかった。――こんな人間は、今までの人生で一度も見たことがなかったものだから。




