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第八話 勇者

 御覧いただきありがとうございます。

 誤字脱字一時下げミスその他不備感想評価ブクマ等,お待ちしております。一件につき逐一大感謝祭を開催しております。

 第八話は約1万9千字です。

 王国軍の南西討伐軍団指揮官は歯噛みした。

「軍団長、付近の村々は食いつくしてしまいました。この遠方では王国からの補給も受けられません。もう移動して新しい補給地を確保しなければ兵が飢えてしまいます」

「分かっておるわ! ヤツらが使う新兵器、あれが強力なのは分かる。しかし……ええい何故だ! 組織として我々王国軍より劣るはずのヤツらが何故我々よりも遥かに長く同じ戦場を維持できるのだ! ヤツら、どれだけ戦っても勢いが落ちぬではないか……」

 西の住民対王国軍の戦いにおいて西の優勢に寄与したものが銃の他に、実はもう一つあった。補給方法の違いである。

 王国軍は現地調達。対する西の住民は根拠地からの輸送。戦場へのより長く安定した補給が可能なのはどちらか、一目瞭然である。

 軍団長が渋々撤退を決意した時、彼を呼ぶ声があった。

「待ってよ。補給ってまたアレをやるの?」

「おお君か。――まあそうなるな。我々にはもう飯もかいばもない。先頭は不可能だ。どこか栄えた村でも見つけるか、若しくは一度王国領内に戻って――」

「ふざけるな!」

 王国軍の狭い天幕の中で怒号が響いた。

「補給だって? あんなのただの略奪じゃないか! この戦場にくるまでいくつの村をダメにした? 自分たちの無能が招いたツケを他人に押し付けるなよ!」

 軍団長もその部下も何も言えなかった。

「もういい、僕がやる」

 そう言って天幕から出ようとするが、軍団長に呼び止められる。

「待ちたまえどうするというのだ! まさか君一人で――」

 瞬間、軍団長の首元に目にもとまらぬ早業で剣の切っ先が突き付けられた。その場の誰も反応できなかった。

「僕の部隊でやるよ、君たちは指をくわえて見てればいい」

「む、無茶だ……!」

「無茶でもやるよだって僕は――」

 剣を収めて天幕から立ち去りながら後ろ手を上げて言った。

「だって僕は勇者だからね」

 天幕内にはしばらくの静寂が訪れたのち、軍団長がそれを破った。

「な、なんなのだ、アイツは……」


    ○


「オッ――ェロロロロロロろろろおろお」

 ぼちゃ! ぼちゃあ!

 吐いた。呑み過ぎた。もう二度と呑むもんか。


    ●


 ピルゲル村長の言葉は真実だった。

 村長宅に現れたエンナはすぐに私を連れ出し、村の酒場に突入。店内はだだっ広いホールに長いカウンターとテーブル十数台。すべて木製。いかにも西部劇或いはファンタジーの酒場と言った様子である。そこでやはり酒場が似つかわしい厳つい男や派手に着飾った女たちが思い思いに酒を呑んだり呑まなかったり呑まされたりしている。商会の人間だけでなく西の人間も客として出入りしているようである。村が豊かになってきたとは聞いていたが、この酒場も例に漏れず大盛況らしい。騒ぎ声の中に時折注文を取る声や店員同士の業務連絡が聞こえる。酒も料理も次々と運ばれていく。

「にぎやかなもんだろう? アンタも偶にはこーゆーのに交じってもいいんじゃないかい?」

「い、いえ私はこういうところはちょっと……」

 酒が飲めないと言った女を酒場に連れてくるやつがあるかこの莫迦、と内心叫びながら精いっぱいの難色を示す。しかしエンナは依然得意げに笑みを浮かべていた。

「か、会長おおおおお~⁉」

 突然酒場のどこからか声が上がった。ホールが一瞬で静まり返り、客も店員も皆出入り口の前に立つ私とエンナの方を見た。私は気おされて固まってしまった。

「ほらほらアンタら何してんだい! ゲシュタルト商会のフロイト会長、お出ましだよ! 酒! 酒持ってきな!」

 ちょっと何を言って――と思った次の瞬間には歓声と共に酒場の人間に取り囲まれてしまった。いつの間にかグラスを持たされ強そうな酒を注がれそこからはもう乾杯に次ぐ乾杯である。

「会長!」かちん。「かいちょー!」カチャン。「こんなところでお目に掛かれるとは」カン。「先ほどはご無礼を……」ごっ。「アンタがフロイトさんか! ささ、呑んで!」カラン。「アンタのおかげでここは毎晩大宴会よ! ささ、もう一杯!」ガチッ。「商会の武器のおかげで家族が命拾いをしました!」コッ。「食べ物にも困らなくなりました!」キン。「薬を売ってもらったおかげで病が治りましたわい」カーン。「俺は肩こりがなおったぜ」チンッ。「新しい金脈も見つかって大助かりなんです~」コツン。「人生が楽しくなりました!」ガチャッ。

 などなど、様々なお喜びの声を頂いてはグラスを空にし、また注がれ、乾杯、グラスが空。この繰り返しで熱烈な歓迎を受けたのだった。この時点でもうだいぶ酔った。

「な? いいだろフロイト?」

「ふぇ? なにがです?」

「昼間の礼だと思って付き合えっつってんだよ。いいだろ?」

「ま、まあ……いいです」

「よっしゃあ野郎ども! 今日は商会の奢りだ、じゃんじゃんやりな!!」

「よっ! 会長!」

「女傑エンナが戻って来たぞ!」

 野太い歓声に酒場が揺れた。

 それ以降は記憶が断片的だ。呑んで食って歌ってモヒカンを燃やして、みたいな。西の綺麗なお姉さんのおっぱいを揉んだ気もする。おっぱいを揉まれた気もする。エンナがブチギレたり口から火を噴くかくし芸を披露したりしてたような……よく分からない。

 その結果、私は胃の中をすっかり吐き出す羽目になったのだ。

 ぅおえっ……。こんなに飲むつもりじゃなかったのに。

 しかし、まあ、少しは楽になった。

 だからこれで良かったんだ。これで、よかった。


 口を漱いでさっぱりさせた。燃料で生き急ぐ臓器が煩い。窓を空けて冷やす。水より空冷がよい。硬いベッドの上で。明日は村を散策して回ろうなどと思いながら、回転数が落ちるのを待たず、眠りに堕ちる。おちたところで燃料切れにはなるまい。


    ●


 また昔の夢を見た。

 高校生の頃の話だ。学校が無駄に見栄を張って、エベレスト登山なんて馬鹿げた修学旅行が実施された。当然費用も馬鹿にならない。

 うちはただでさえ生活に余裕がないんだから修学旅行なんていかなくていい。お金は出さなくていい。その金で中古車でも買う方がマシだ、と母に告げた。


「いいじゃない。エベレスト。行ってきなさいな。きっと中古車の小さな窓からは見えない景色があるはずですよ。そうじゃなくても、今のウチには中古車は必要ないわね、維持費だってかかるし。母さん、パートに行くときは自転車で十分だもの」

 我が偉大なる母は何の気なしにそう言ってのけた。

 結局修学旅行はエベレストの山頂を眺めるプランに変更された。

 頂きから見る景色はどんなものだっただろうか。今となっては知る由もない。


    ●


 翌朝、マルタに叩き起こされた。仰向けに寝ている私の原に馬乗りになって、幼女は告げるのだった。

「あそぶぞ」


 そんなわけで、朝食もほどほどに二日酔い気味の体を引きずって私とマルタは家を出た。明るくよく晴れているが日差しは時折雲が和らげる。乾いた風が冷たく、なんとも清々しい朝である。

 村の中心、最初にこの村を訪れたときに焚火でどんちゃん騒ぎをしていたあの広場。村の景観も随分と様変わりしているがどことなく面影がある。各戸がこの広場に玄関を向けて佇み、またここから放射状に道が伸びている。結果的に円っぽい場所になっていて子供が遊ぶには十分な広さがある。周りの家々からもきっとよく見えるだろうから遊び場としては申し分ない。

 褐色白髪の幼女に手を引かれてそんな広場へやって来ると、子供が十人ほど集まっていた。見ると、西の子供だけでなく帝国人の子供もいるようである。一家そろって出稼ぎにきた家の子供たちといったところだろう。背格好はバラバラだが大体マルタと近しい年齢の子供たちであることは間違いないだろう。

「つれてきた~」

 マルタがそう言うと談笑したりじゃれ合ったりしていた子供たちが一斉に黙ってこちらを向いた。

 あ、これがデジャブか。

 そう思った次の瞬間には、やはり子供たちに取り囲まれてしまっていた。

「お姉ちゃんがかいちょー? かいちょーがお姉ちゃん?」「名前! 名前は⁉」「フロイトです」「フロイト!」「フロイト~」「フロイトォッ!」ベッシ! ドスッ! 「いたいいたい蹴らないでください」「フロイト髪ながーい」「くろーい」「はだしろーい」「おっぱいでかい……」わしっ……。「ほんとだヨっちゃんよりでかい」「ヨっちゃん泣いちゃうかな?」「ヨッちゃん……」わっしわし。

 こら。掴むな。初対面の人間のおっぱいを鷲掴みするな。そして揉むな。私の胸を揉みながらヨっちゃんのことを考えるな。こんな時に他の女の名前出すとかサイテー!

 とかなんとか、ひとしきり無邪気さの洗礼を受けた後ようやく解放された。

 手痛い歓迎だった。しかしヨっちゃんとは何者なのか。私の乳はそんなにデカいわけじゃないがまあ子供よりは当然ふくよかだ。でもそれで泣くってどういうことだ?

「ヨっちゃんはね、おっぱいが大きいんだよ」

「わたしたちの中でいちばん大きい」

「魔力をぜんぶおっぱいに注ぎ込んだんだよ」

「巨乳のヨっちゃんなの!」

「「「「ねー!」」」

 何してんだ巨乳のヨっちゃん。

「フロイトはおっぱい好き?」

 ふとマルタがそんなことを言い出した。

「別に好きとか嫌いとかありませんよ、おっぱいに」

「でもヨっちゃんのこと考えてるね」

「まあ気にはなりますね」

 ふ~んといつになく含みを持たせたように答えて自分の胸をぺたぺたと触る褐色幼女。よく見ると口をとがらせている。可愛い。

「そんなことより何して遊ぶ?」

 ヨっちゃんのことをそんなこと呼ばわりして、子供たちは遊びの相談を始めてしまった。ヨっちゃん、強く生きてほしい。

「マジョやりた~い」「オレもまじょやりたい!」「僕も!」「え~私スライムごっこがいい」「どっち?」

「マジョやる人~!」

 は~いと合唱。

「スライムごっこの人~」

 はーいと声が上がる。どうやらマジョ派とスライムごっこ派が拮抗している。

「フロイトはどっちがいい?」

 ではマジョで、と私が何の気なしに答えたことでマジョ派が多数となった。今回の遊びにはマジョが採択された。子供の社でも多数決は有効なようだ。

「じゃあ誰がマジョ~?」

「ん~フロイトがマジョじゃない?」

「わたしもそう思った!」

「フロイトがマジョだと思う!」

「マジョだマジョだ!」

「フロイトがマジョでいい? マジョだよね?」

「え? まあ構いませんけど。マルタ、マジョってなんです?」

「しらな~い」

 そういって彼女はとことこと歩いて私から離れて行ってしまった。

 どうしたんだろう、急にそっけない態度になって。まあいつもの事か。

 適当に納得していると子供たちの内二人がやってきて私の手を引き、広場の中心に立たせた。すると五メートルほど離れて子供たちが私の周囲をぐるっと取り囲む。私を引っ張ってきた二人もその輪に加わる。これがマジョという遊びの所定のスタート位置なのだろう。どうせ鬼ごっこの鬼とかそんな役割だろうなどと考えながら、私は立ちん坊をしていた。そして度肝を抜かれることになるのだ。

「マジョだ!」

 一人の子供がそう叫ぶ。それに呼応して周りの子供もマジョだマジョだと声を上げる。

「どいつがマジョだ⁉」

「アイツか? アイツだ!」

「マジョめ! うすぎたない邪悪なる者め!」

「石だ!」

「石を投げろ~!」

 こうしてありったけのいわれのない罵声と小石と砂が私に飛んできた。

痛い。ちょっと。こんなのきいてないなんだこの遊びは! これが子供のすることか⁉

 衣服越しに当たる小石は言うほど痛くもないがたまに手や顔や頭に命中する石が地味に痛い。腕で頭部を守って痛みに耐えていると「悪魔め」「いんばいめ」と罵詈雑言を投げつけられる。

 こら! そんな言葉どこで覚えた!

「マ、マルタタスケテ!」

 半分冗談半分本気で幼女に助けを求めてみたが何故かマルタの姿が見当たらない。

 私は――見捨てられてしまったのか。

「ちょっと何してるの! はやくにげて!」

 絶望に打ちひしがれていると子供たちの一人が、ココを通って逃げろと言わんばかりに包囲網の輪から少しずれた位置に立って叫んでいるのが見えた。

「はやく! にげて! えい!」

 言いながら、石を投げてくる。

 私は訳が分からなくなって、五里霧中のまま駆け出した。

「逃げた! 逃げたぞ!」

「追え、逃がすな!」

 私を捕らえようとする者達の声が聞える。捕まる訳にはいかなかった。

 私は逃げた。暗い路地に入り、家と家の間を抜け、地を這い、野を駆けて追手から逃れる事だけを考えた。

 畜生! どうしてこんな目に遭わなければいけないんだ! こんなことならスライムごっこを選ぶんだった!

 そんな後悔は気休めにしかならない。それでもないよりはマシだった。逃げる。こんな訳の分からない状況で、その一手に思考を集中させるためにはそれしかなかった。感情の占める部分に恐怖や不安をのさばらせておくよりは後悔を念の方が都合がよかった。

 そうしてようやくある民家の陰に身を隠すことが出来た。

「見失ったぞ! どこだ? どこに行った⁉」

「探せぇ! 草の根分けてでも探し出すんだ!」

 およそ子供とは思えない統率と連携でじりじりと追い詰められているのが分かる。彼らは将来きっと優秀な治安維持部隊になるだろう。そう思った。

 建物の陰から恐る恐る顔を出して周囲の様子をうかがう。すると通りに一人、女の子がフラフラと歩いてる。

 追手の中には見なかった顔だ。なんだか様子がおかしい。

 パタリ、と。その女の子が倒れた。吊っていたいたが切れたように倒れた。私は反射的にその子に駆け寄ろうと足を踏み出したが、すんでのところで留まった。

 罠かもしれない。

 その考えが頭を過ったからである。しかし罠ではなかったら、本当に今あの子が危機に瀕しているとしたら助けないわけにはいかない。その結果私はどうなってもいい。捕らえられ、マジョだなんだとののしられても構わない。万が一にもあの子の危機を見逃すことになってはならないのだ。その一心で私は再度足を踏み出し、その子の元に駆けつけた。抱き起し、名も知らぬ少女に呼びかける。

「む……むねが……ぃ……ぁい……」

 呻くようなその声に、私は事態が尋常ならざることを察した。救援を求めなければならない。

「誰か、誰かいませんか! しっかりしてください。今人を呼びますから」

 尚も助けを求める私の腕の中で、少女は息も絶え絶えに、消え入りそうな声で訴えた。

 

「わたしのむねが……おっぱいが――――ない……!」


 ヨっちゃんだ。

「あーマルタがほんとにヨっちゃんのおっぱいとった~」

「でもフロイトみつかったね。マルタの言ったとおり。すご~い」

 振り向くとそこには数人の子供たちと不満げな顔をした不自然に胸の大きなマルタがいた。やっぱり罠だった。

 ヨっちゃんにおっぱい返しなさい、と言うとマルタは納得いかないといった態度でヨっちゃんの手を握った。マルタの胸がさくなっていつも通りの大きさになる。ヨっちゃんのおっぱいはすこし大きくなった。

「おっぱい!」

 ヨっちゃんはそう叫んで生き返り、走り回って他の子におっぱいを自慢し始めた。

 背が高いとか、足が速いとか。あのくらいの歳の子にとってはおっぱいが大きいという自覚もそういうものの1つに過ぎないのかもしれない。そんな童心忘れていた。本当に無邪気なものだ。

 なのに、マルタときたら。やっぱり同じ子供とは思えない。

 私はさっきの子供たちが言った言葉を聞き逃してはいなかった。――マルタの言った通り。という言葉を。

「マルタ、友達を餌にするような真似は感心しませんよ」

「してないもん」

「したでしょう」

 拗ねているみたいだ。往生際の悪いことを言う。こんなマルタは珍しい。

 でも。そんな顔もするんだな。怒った顔も可愛い。なんて思う。

「そろそろお昼にしましょう。おなかが空いたでしょう」

 私が彼女の頭に手を置いてそういうと、その女の子はぷいっとそっぽを向いて呟いた。

「フロイトのばか」


 実はちょっとドキッとしたが、その理由については気のせいだと思うことにした。


    ●


 そんな感じで数日間村で過ごした。まあまあ楽しい日々だった。村の人は優しいしよくしてくれる。商会の人間への信頼も厚い。毎日食べて仕事して遊んで寝る。平和そのもの。何の心配もない。穏やかな穏やかな日々。未だに戦争中だなんて信じられない。

 そして四日目の昼下がり。いつもなら日が照っている時間だが今日はなんだか薄暗い。天気が悪いのだ。

 基本的に乾燥した西の地ではこういう天気は珍しい。帝国の南方には海があり雨が降るだけの水分には事欠かない。実際、帝都やアルべダリアでも雨はたまに降っていた。しかし海からの湿った空気は西まで届かない。例の山脈によって阻まれているからだ。

 空はどんよりと重い。垂れて落ちてきそうな程に。

 物思い委にはいい曇り空だが雨が降りそうなまである。今日は早めに戻るとしよう。

 私は煙草の火を消した。

 村の中心の広場、そこにあるベンチ。実は私が頼んで設置してもらったものだ。ここ数日この広場で子供たちと遊ぶことが多かったので休憩用に用意してもらった。すっかりお気に入りの場所だ。今日は昼食のあと、再び子供たちが集まるまでこのベンチに座って長い事待っていた。その間考え事をしたりして。しかし今この場にいるのは私と、隣に座っているマルタ、それに帝国人の男の子が一人と西の女の子が一人。午前中はもっと大人数で遊んでいたのに、どうにも集まりが悪い。やはり天気のせいだろうか。

 まあこういう日もある。

「みんな、今日は帰りましょうか」

「え~やだ~。今日こそスライムごっこでフロイトに勝つんだから~」

 男の子が言う。

「君じゃ私には勝てませんよ」

 男の子はそんなことないもん、と息巻く。しかしそれでも私には自身がある。スライムごっこなら絶対に負けない、という自信が。それに。

「それに、どのみちこの人数じゃできないでしょう、スライムごっこ」

「そうだけど……あ~あ。せめてあとふたりいればな……」

 男の子がそう言った矢先、遠くからおーいと呼ぶ声がした。女の子の声だ。

「ヨっちゃん! ヨっちゃんだあ!」

 巨乳のヨっちゃんが自慢の巨乳をわざと揺らすように走ってくる。巨乳のヨっちゃんとは言うものの本当に大人サイズで巨乳という訳ではないので実際は揺らしたところで揺れる程の胸はない。

 強く生きて、ヨっちゃん。まだまだこれからだよ。しかし困ったぞ、これであと一人頭数が揃えばスライムごっこが出来る人数になってしまう。帰りづらくなったぞ。

 そう思ったところで私はヨっちゃんの後ろに別の人影を認識して、いよいよ本気で困ってしまった。というより、身構えてしまった。人数が揃ったから、ではない。その人影は子供ではなかった。よく見ると馬に乗った二人と小型の馬車。馬に乗るのは見知った顔だ。馬車の中身もだいたい想像がつく。厄介ごとになりそうだ。

 鉛の空は一層影を濃くし、どことなく湿った匂いが漂ってきた。

 騎乗の貴族二人と馬車の御一行が広場にやってきて、私の目の前に止まった。

「ここにおったか、フロイト。まったく手を煩わせおって!」

「貴女は貴族に対する礼儀というものがなっていないようですなあ」

 アルベーダシルベーダ兄弟。ということは馬車に乗っているのは勿論。

「まあなんです泥の子供ばかり引き連れて。おや帝国の子供もいるようですが……はっ、下民ですわね。どおりでみすぼらしいこと」

 馬車の中からブモモと汚い笑いが聞える。女貴族のサタリアだ。

「これはこれは。どうされましたか? お三方そろい踏みで」

 できるだけ穏便に済ませたい。ここは慎重に、低く出よう。

 私は跪いて俯き、努めて神妙にしていた。

「どうもこうもない! 貴様いつまでこんなところで油を売っているつもりか! 視察はもう十分であろう! とっとと帝国へ戻るぞ!」

 そういうことか。そろそろだとは思っていたが、まさか直接出向いてくるとはな。

「それでしたらちょうど明日の朝ここを経つ予定が決まったところです。お急ぎでしたら今夜出発の部隊に同行することも出来ますがいかがしましょう。寝心地は保証できかねますが」

「むっ……ならば明日でよい! クソッ!」

「まあまあ兄上、ようやく帰れるのですぞ。それはそれとしてフロイトよ。今回の視察で何か成果はありましたかな? 本来の目的があったはずでは? よもや遊んでいただけで何もないとは言いますまい?」

 兄に比べてシルベーダはいくらか頭が回るようである。しかもこの口ぶりから察するに銃工場の工場長失踪を知っているらしい。しかし私はその辺もぬかりない。

「もちろん本来の目的についても粛々とことに当たっておりました。結果から申しますと、特に異常は見当たりませんでした。例えば、そうですね、亡命者であるとか密輸であるとか、そういったものはその痕跡をふくめて何も、です」

「……ふん。まあいいでしょう」

「皆さまこそどうされたのです。これしきの事、直接お出ましにならずとも使をおよこしになれば済みましたものを」

「私たち、宿でアルベーダ卿の自慢話をずっと聞かされていましたの。たいそうご立派な話をされるもんですから、ご自慢のゲシュタルト商会の働きっぷりがどのようなものかこの目で確かめてみたくなったのですわ。でなければこんな薄汚いところ、御免なのですけど。ここにきたのはそのついでですわ。まあおかげでアルベーダ卿の話も商会の事もよーく分かったのですけどねぇ。ブフフ」

 相変わらず馬車から顔も出さず話すサタリア。その妙に含んだ言い方とシルベーダのにやけ顔、アルベーダの決まりの悪そうな顔から察するに、うちの領主さまのメッキがはがれた、ということらしい。昨今のアルベーダの躍進ぶりは実力などではなく偶さか舞い込んだ幸運によるものだとバレた。商会そのものが、ひいては私がその鍵だということがバレた。無能領主のみじめな表情、いい気味だ。

「ところでフロイトさん? 貴女、私のところの領民になるつもりはなくて? 戦争が終わるのを待たずに、なんなら今すぐにでも――」

 私はその言葉にふと顔を上げる。上げて、呆気にとられる。ヨっちゃんが馬車のドアに手をかけていた。

「ヨっちゃん、何して――」

 そう言うより早く、馬車の扉が内側から勢いよく開き、ヨっちゃんの顔面を強か打ちつけて突き飛ばした。

「はあまったく、汚らわしいこと」

 地面に横たわるヨっちゃんを慌てて抱き起す。痛みに泣き叫ばず、呻いている。鼻血がでている。馬車からは太い足が伸びていたがすぐに引っ込んでドアが閉じてしまった。

 扉をこじ開けて馬車の中にいるクソ女の顔面を蹴りつけて踏みしだくことをかなり具体的にイメージして、やろうと思えば今すぐやれると確信まで得た。しかし思いとどまる。

 今はヨっちゃんの手当てが先だ。脳が揺れてしまっているかもしれない。

 他の子たちも怯えながらヨっちゃんを心配している。私は怒りを必死に抑え、この場をはやく切り抜けることだけを考えた。

「えっと、それでフロイトさん。話の続きなのですけれど――」


 ――パァン。


 湿度の高い大気を乾いた音が抜けてきた。聞き覚えのある音だった。同時に、ここで聞こえるはずの音ではなかった。

 パァン。パァン、と。また乾いた音が遠くから聞こえる。

 初発は、できれば聞き間違いであって欲しいと思ったが今ので確信した。

 これは銃声だ。

 おかしい。何故だ。何故銃声が聞こえる。確かに銃は商会が運んでいる。だから銃事態の存在は驚くことではないというか寧ろ当たり前だ。しかし発砲となると話は別だ。ここは飽くまで物資の中継地点。前線でもなければ後方基地でもない。戦闘は愚か訓練の類も行ってはいない。人為的なミス、事故、誤射か? 三発も? 不自然過ぎる。

 では、何故? 

 最も可能性が高く、同時に最悪の予想が、嫌な予感が的中した。


「敵襲ううぅぅ! 敵襲だあぁぁ!」


 カンカンカンと、見張り台に設置された警鐘を打つ音が、曇天の村に響いた。

「なんです! 何が起こっているのです! 敵襲とはど――」

 パァンという音に僅かに重なって肉と骨の砕ける音が聞えた気がした。力なく、馬上から肉体が崩れ落ちる。大の大人一人分の質量が受け身もなく地面に当たる音がした。シルベーダはもう動かない。やがて頭のあたりから血だまりが生じる。

 その場の全員、声も出なかった。

「構え!」

 知らない声が聞えた。

 ひぃ! と短い悲鳴を上げたアルベーダは跨る馬に鞭打ち、声と逆の方に走り出した。

「何事ですか⁉」

 サタリアは馬車から出てこない。

「みんな隠れて!」

 ヨっちゃんを抱いたままの私は馬車の陰に入る。そこへマルタも飛び込んでくる。残り二人の子供は何が起こっているか分からないという様子で立ち尽くしている。

「早く! こっちへ!」

 私は手を伸ばし、ギリギリ届いた男の子の腕を掴み強引に引き寄せた。同時に。

「撃てぇ!」

 号令。間髪入れずにまばらな銃声が襲った。先ほどのように乾いた銃声ではない。もっと近く、低域の効いた爆発音らしい銃声。一発や二発ではなく、たくさん。硬いものが砕ける音も聞こえた。私には銃声の詳しい数を把握する余裕はなかった。確かなことは目の前の女の子、さっきまで一緒に遊んでいた女の子、馬車の陰に入りそびれたその女の子の体が、三度ほど激しく揺れたということである。

 通常の人体ではありえない挙動で、痙攣するように揺られたその体はやがて棒のように倒れた。僅かに弾んだその体は地面に伏して動かなくなった。そしてすぐに煙のようなものがあがり始める。硝煙と、嗅いだことのあるなにか嫌な匂いがした。


 一瞬の出来事。人間が一瞬で死体になった。


 声を上げて男の子が泣いた。私はその音でやっと我に返る。

「まだ生きてるぞ! 次射用意!」

 また来る。次の銃撃が来る。

 見ると、盾にしていた馬車も被弾してところどころ弾が貫通しているようである。t

 他所に隠れる時間もない。どうするか考えている時間もない。次に銃声が聞こえたら、もう、死んでいるかもしれない。逃げられない。ここで、死ぬのか。

 この上なく純粋な絶望が銃弾より先に私を襲った。こうなってはもう、間もなく死が訪れるのみである。そこに抵抗も受諾もなく、ただその現象が起こる。そして私もマルタもこの男の子も、目の前に転がっているのと同じモノになるのだ。さっきまで人間の女の子だった物体と同じモノに。ヒトではなくなるのだ。そう直感した。


 ――けれど、銃声はならなかった。


 代わりにまばゆい光と熱と、噴射音にまっじた悲鳴が届いた。

 広場から放射状に伸びる道のうち一つ、その入り口に展開している銃を持った人間たち。彼らを燃やしているのはエンナだ。私たちが身を隠している馬車に背を向けて立ち、両の手から真っすぐ敵に向かって火柱を立てている。身じろぎ一つせず、眉一つ動かすこともなく人を燃やすその様子は死体とはまた違った方向に人間離れして見える。火炎放射機。そう思った。

「乗りな! 早く!」

 私は言われるままに馬車の扉を開けた。中には醜い女貴族だった死体が居座っていた。体のあちこちに空いた穴から赤い体液が漏れ出している。醜さは相変わらずだが、もう喋って動いたりはしない。私はそれをやっとの思いで席から引きずりおろし、足で蹴り押し出して馬車の外へ打ち捨てた。マルタは既にヨっちゃんを引きずって馬車に乗り込んでいる。私はいったん外に出て男の子を拾い上げて馬車に飛び乗る。それを見たエンナが火炎放射を切り上げてひょいと御者席に飛び乗って馬車を走らせた。


    ●


 馬車は走る。村のあちこちから銃声が聞こえていた。

「エンナ! これは、アイツらは一体何なんですか!」

「見りゃ分かるだろ! 敵だよ! 王国軍だ!」

「そんなの――ここは前線じゃありませんよ! それに奴ら銃を――!」

「分かってるよそんなこと! でも奴らいきなり現れたんだ! 四の五の言ってたって死ぬだけだよ!」

 エンナは脇目もふらずに四人がすし詰めになっている馬車を走らせる。男の子は泣き、マルタは朦朧としているヨっちゃんの頬を叩いて起こしている。

「どうするんですか」

「三十六計、逃げるしかないさ。ここはもうダメだ」

 声は低いトーンで、自らに言い聞かせていように聞こえた。

 その矢先である。馬車が大きく傾いたかと思うとすぐ上が横になってけたたましい音を立てて止まった。馬の嘶きが聞こえる。上になってしまった扉をあけて外に出る。馬車は車輪を砕かれ、完全に横転してしまっていた。

 道の横に並ぶ家々、その屋根の上を見上げたままエンナは不吉なことを言った。

「よお、無事かい? フロイト。悪いね、お客さんだ」

「あ、中の人も生きてましたか? まあいいや。馬を撃ってもよかったんですけどね、でも馬に罪はありませんからね。いつだって罪深いのは人間ですよ」

 私は馬車の中から子供たちを引き上げながら聞きなれないその声を聞いていた。

「フロイト、走れ。そいつら連れて商会の基地へ行きな。コイツはアタシが相手する」

「ええ? 逃げるんですか? 逃がしませんよ、人間は」

 屋根の上の女が両手に持った銃の片方をこちらに向ける。するとボゥッと音がして、エンナ右の掌に火が灯った。

「よそ見してていいのかい?」

「……しかたないなあ。勇者が来る前に手柄は全部私の物にしようと思ったのに」

 女は銃を二丁とも目の前の脅威に向ける。火を見るよりも明らかな脅威に。

「行きな、フロイト。アタシも後でそっちへ行く」

「何言ってるの、そっちへ行くのは私です。そっちの人間もあとでちゃんと殺してあげますからね」

 エンナとは対照的に、その透き通った声を弾ませている女。深い緑色の長髪を三つ編みにして大きめの丸メガネをかけている。大人しそうな顔立ちと恐らく王国軍の軍服であろう装いがアンバランスだ。

「あ、今私の事、図書委員みたいとか思いましたぁ? 王国だってね、未開の文明じゃないんですからそりゃあ眼鏡くらいありますよ。あるんですからね。……ゆるさねえ、絶対ブッ殺す」

 コイツはヤバい。そう直感した私はエンナが再度「行け!」と叫ぶのを待たなかった。マルタは無事だ。ヨっちゃんも目を覚ましている。力なく弱っていた男の子を負ぶって私は走り出した。間もなく、後ろからは銃声と火炎放射の音が聞こえた。


    ●


 この村はさほど広くはない。馬車に乗っていばすぐにでも商会の拠点についていたはずだ。帝国側の中継拠点から竜の関所を抜けて届いた物資をいったん保管しておくための場所。当然そこから西の前線に向けて補給部隊が出発するので馬車や武装した人員が常に配備されている。敵襲の混乱に陥った村の中でどこが一番安全かといえば武力が集中しているそこ以外にはない。逃げるにしても先ずはどこへ向かうべきかといえば足が確実に手に入るそこ以外にはない。距離もそんなにないはずだ。しかし、そこら中にはびこる敵から身を隠しながら進むのは容易ではなかった。

 奴らは、王国軍は見境がない。王国兵でないと見るや否や即射殺。戦闘員も非戦闘要員も関係ない。一度獲物を見つけた彼らは盲目的に執着した。きっとそんな必要もないだろうに、人を見つけては喜んで殺していた。まるで新しい玩具を手に入れた子供のように、楽しそうに殺していた。

 私たちはそのおかげで何度か命拾いをしたようなものである。例えば目の前の十字路。私たちがそこへ差し掛かった時、偶然西の人間が四、五人横切った。すると銃声がなって彼らは次々と倒れる。家族連れだった。私たちはすぐ、後ずさりで引き返した。残った最後の一人、小さな子供の泣く声が消えて倒れるまで執拗に銃声が響く。すぐに銃声の主たちがやってきてまだ動いている体に止めを刺す。私たちはその間に物陰に身を隠したのだった。

 そしてある民家の陰に隠れて彼らをやり過ごそうとしている今、今度は帝国人の男があろうことかその民家の中から飛び出してきた。当然、敵に捕捉され、銃撃を受ける。男の鈍い悲鳴と流れ弾が土をえぐる音が聞こえる。地面をはいずる音がしている。足音が近づいてくる。やめろ、助けてくれと懇願する男の声の近さから、私は彼が同じ家のすぐ横の壁に追い詰められていることを悟った。――バンッと無慈悲な爆発音がして彼の声は聞こえなくなった。

 震えていた私の体は心臓まで止まりかけた心地だった。王国兵が少しでも冷静だったら、きっとすぐ横に隠れていた私たちにも気付いただろう。それぐらいの距離だった。

 足音が遠ざかっていく。彼らが去ったのを確認して、私たちは家の陰から出てまた走り始めた。そしてすぐ。

「フロイト、ヨっちゃんが」

 走りながら、不意にマルタが私に話しかける。見るとヨっちゃんは頭を押さえている。

「頭が……いた、い」

 眼の焦点が合っていない。もともとヨっちゃんはサタリアに突き飛ばされた時に頭を打っていた。先ほどの馬車の横転で目を覚ましたはいいもののまた気を失いかけているようだ。ひょっとしたら横転の時にこそ大きなダメージを負ったのかもしれない。とにかく、ヨっちゃんはもう走れない。

 どうしよう。私は男の子を一人背負っている。流石に二人を背負って走ることはできない。この子だって走れないんだ、馬車の中であんなに泣いていたのに、さっきからどういう訳か動けなくなっている。ちっとも動けない。すこしも――動かない。――動かない。

 そこでようやく気付いた。男の子を背負って、足を支えている私の手が血で真っ赤に濡れていることに。男の子の太ももに銃創があることに

 私の背中で物言わず、呼吸も止めたソレはもうすでになんだか冷たいような気がした。

「フロイト……その子、もう死んでるよ」

 マルタの声に私は立ち止まる。

 背中の子はもう死んでいる。死んでいるのだ。

「ええ、そうですね」

 それしか言えず、私は近くの路地に入り、背中のソレを降ろした。壁にもたれるように座らせたところで私の手に水滴の落ちた感覚があった。

 涙――ではない。雨だ。

 今日、この地に雨が降った。突然という訳ではない。振るかもしれないと分かっていた。分かっていた筈だ。

 予想どおり、雨は降った。雨脚はすぐに強まり、確かに肌を打った。目の前の男の子の死体もまた雨に濡れていく。

 当然だ。当然分かっていたのだ。――なのに私は。

「フロイト、行こう」

 マルタの声に、はいと短く答えた。死体を背負った背中に今度はヨっちゃんを乗せて雨の中を走った。


    ●


 本当に、本当に運がよかったのだと思う。でなければ村中の敵の眼をかいくぐって目的地にたどり着くことはできなかった。目的地、この村のゲシュタルト商会の拠点。そこには同じく運のよかった人たちが身を寄せ合っていた。

 帝国から運ばれてきた物資を前線に届けるまでの間一時保管しておく倉庫。だだっ広い木造の倉庫で、中には前線へ補給されるのを待つ物資と補給部隊用の馬車とがある。無論馬小屋も倉庫に併設されている。村の各地から避難してきた人々はそこに集まっている。

「会長! よくぞご無事で!」

「フロイト会長!」

 私を見るなり、すぐに商会の職員たちが駆け寄って安堵交じりに私の無事を確認してくれた。その中には嬉しいことに、よく見知った男勝りな女もいた。

「無事だったかい、フロイト」

「貴女こそ、エンナ」

 気丈に振る舞ったつもりだったが、その瞬間、実は私が一番安堵していたことがバレていないかと気をもんだ。しかしそれもつかの間であった。私の連れている子供、マルタとヨっちゃんをみてエンナはすぐに表情を曇らせた。私は俯く。

「……二人、死にまし、た――」

 絞り出すように言い切った私の肩を、ああとだけ言って彼女は抱いた。温かかった。

「マルタ!」

 不意に叫ぶ声が聞えた。私を囲む人をかき分けてマルタの母、シグが前へ出てきて跪き娘の体をひしと抱きしめた。

 マルタは、嬉しそうに笑っていた。

 死地を潜り抜けての母親との再会で笑顔を見せる幼女。それを見て私は、やはりこの子は特別なのだと思わずにはいられなかった。特別で、危なっかしい。

 あることに気付く。村長の、マルタの父の姿が見えない。

「ピルゲル村長は?」

「――夫は、私を、庇って」

 シグさんがマルタを抱きしめたまま涙交じりの声で答えた。

「そんな…………」

 そう声を漏らしてまた気付く。周りを見渡すと商会の職員たちが、西の住民たちが私たちを見ていることに気付く。とても不安そうに、見ているのに気づく。会長、と一人の男が私を呼びかける。その声に背中を押されて私は私がなすべきことに思い至った。

 とにかく、今は、こうしてはいられない。

 私は背中でほとんど動かないヨっちゃんをその男に預けて手当てをするように言いつけた。

「どうするんだい? フロイト、いや会長さんよ」

 エンナまでもが私を会長、とそう呼ぶ。その思いに応えなければならない。

「現刻を以てここを破棄します。可能な限り馬車に人を乗せてください。準備が出来次第、ここを発ち、竜の関所を超えます。急いで」

 外の雨音だけが聞こえていた倉庫に私の声が静かに、けれど通る。一瞬の静寂の後、職員たちの威勢のいい返事が響き、皆あわただしく動き始めた。


 私は倉庫の隅に腰を下ろし、俯いて頭を抱えた。この村を放棄して帝国へ敗走する。これがどういう決断なのか、その意味を噛みしめて、重く頭を垂れた。顔をあげ、辺りを見る。次々と馬車に乗り込む人々。それを見て思う。

 確かに、確かにこの人たちは助かるかもしれない。我々はうまく逃げおおせるかもしれない。しかしそれは、私たちがここを手放すと言うことは前線への補給が絶たれるということだ。それはとりもなおさず、前線で戦っている西の兵士たちを見殺しにするということに等しい。

 背中がにまだ残る冷たい質量の感触を思い出す。

 今、私のこの背に幾名もの死が、再び積もり始めた。


 ――バン。

 今日何度目か分からない銃声が、倉庫に響いた。そしてまた悲鳴が上がる。なにが起きたのかは訊くまでもなく理解した。

「開いて、早く!」

 私の指示に応えて倉庫の扉が開く。馬車の出入り口をふさぐ大きな扉が開き、灰色の自然光が中に差し込んだ。私は三台あるうち一番近くの馬車に飛び乗った。大量の物資を運ぶための大型の馬車。その荷台いっぱいに人を乗せている。しかし全員ではない。

 私はこの馬車の中にマルタの姿が見えないという事実に何より肝を冷やした。

まだ大勢が取り残されている。荷台には詰めればまだ人が乗れる。でもその時間はない。他の馬車も同じだ。

 囲まれるぞ、急げと声がする。身を乗り出して前方を確認すると王国兵が展開し始めていた。やむを得ない。

「出して!」

 私の号令で三台の馬車は動き始めた。進みだした馬車にはまだ人が飛び込んでくる。

 マルタは他の馬車に乗っているかもしれないと、そう思いつつ、馬車を追う人の中に必死で彼女の姿を探した。


 そして――見つけた。見つけてしまった。


 馬車は加速する。マルタはまだ馬車に乗っていないのに。マルタと、その後ろにシグさんが馬車を追って走っている。

 今ならまだ間に合う。

 私は精一杯身を乗り出して手を伸ばした。マルタも手を伸ばす。走る親子の後ろには倉庫の中に押し入ってきた王国兵たちが銃を構える様子が見えた。互いに伸ばした私とマルタの手は馬車の加速に伴って次第に、離れていく。ゆっくりと離れていく。離れて、離れて。

 唐突に重なった。彼女の母が後ろから突き飛ばしたことで、手が届いた。

 私の手はしっかりと彼女の手を掴み、荷台へと引き上げる。シグにはもう手が届かない。ただ、一瞬その貌が見えて、マルタの母親は私たちからどんどん遠ざかっていった。当たり前のように、である。

 そしてダンという音と共に、馬車の荷台の後端に現れたソイツが視界を遮った。荷台の淵に足をかけ、片手で天井を掴んでこちらを見ているのは、緑の髪の丸メガネの王国兵だった。

「逃がさないって……」

 女は、ニヤニヤと口角だけあげて呟き、しかし次の瞬間には怒りの形相で声を荒げて叫び散らした。

「だから! 逃がさないって言ったじゃないですか! にんげ――」

 視界の端で淡く光を捕らえたかと思うと、目の前の狂戦士は炎に包まれた。

「あああああああああああああ!」

 絶叫しながら荷台から転げ落ちる火だるま。私は反射的にマルタを抱き寄せたが、私もマルタも見ているものは同じだった。王国のバーサーカーを襲った火炎が晴れたあと、彼女のいた場所には入れ替わるようにしてエンナが飛び移ってくる。

 その瞬間、その向こう。

 倉庫と私たちの馬車の間でマルタの母が血しぶきを上げて倒れる。雨でぬかるんだ轍に伏したその姿を私たちは確かに見たのだ。

 これも、一瞬の出来事である。

 馬車は加速する。

 道に転がった王国の女が雨に晒され、その身を焦がす炎が消される。その姿もみるみる遠ざかる。そいつの慟哭がマルタの小さな悲鳴と重なってかき消してしまいそうだった。


    ●


 その後、私たちは竜の関所を超えて帝国領へ至った。帝国の空模様は大荒れであった。バケツを返したような雨の音はいくらでも回る思考をうやむやにするのにうってつけで、稲妻は惨状を直視しうる程度に目を眩ませた。

 悪天候は敗走の道のりを長くする。幾日もかけて我々はようやく帝都へ落ち延びた。道中立ち寄ったいくつかの街や村については何も覚えていない。

 帝都の関をくぐるなり私は帝国憲兵によって身柄を拘束された。委細は以下の通りである。

「ゲシュタルト商会会長による西方視察に同行したサタリア卿及びシルベーダ卿の名誉ある戦死についてはゲシュタルト商会に責ありと認める。同商会は要人の警護を怠っただけでなく、敵国に我が軍の重要機密である銃の奪取を許し、あまつさえ戦略上重要な拠点を許可なく放棄した。これらは帝国の国益を著しく損なう行為であり、これを機として帝国を敵国の脅威に晒すことにもなりかねない重大で看過できない過失である。

 よって軍法に則り、次の通り処分を下す。


 ゲシュタルト商会 会長 フロイト

――禁固刑

    同     会長補佐 アマリオール・テットラト・テストライト・ジーグント

――斬首刑

                               以上    」




 牢に入るのは二度目だ。一度目と違う点は僅かに文明のにおいがする独房であることと、お向かいさんがいることだ。四畳半ほどの石造りの部屋に簡素な寝台と便所。灯りはなく、壁上部に一か所だけ設けられた鉄格子付きの小窓から差す光だけが中を仄かに照らす。それも夜となっては気休めにもならない程の光量だ。入り口の扉は重く冷たい鉄製。給仕兼監視用の格子つきの窓が設けられている。そのため暗く狭い通路一本程度を挟んだ向かいの独房の住人とはかろうじて会話ができるのであった。

 私は鉄扉に背を預け、膝を抱えて隣人に語り掛ける。

「すみません……こんな、こんなことに、なって」

「いいっすよ。姐さんさえ無事なら」

 よくない。こんな理不尽があってたまるものか。

「あの貴族たちが死んだのは自業自得です。何故私たちがその責を負わされなければならないんです」

「世の中ってのはそういうもんっすよ。姐さんだってわかってたでしょう」

 一企業であった商会が軍属となり、私がそのまま指揮権を与えられていた。しかしそれは体の良い首切り要員の役割も兼ねていた。確かに、それは分かっていた。王侯貴族二人分の死にあてがうのに一庶民の首ではむしろ足りない程だ。

「敵襲だって突然だったんです。しかも銃を、商会(うち)の銃を持っていました。工場長が王国へ渡った事実は確認できなかったにもかかわらずです。これも私たちのせいだと言うんですか」

 王国兵が手にしていた銃。製法が漏れたにしても早すぎる実戦配備だ。しかもあれは紛れもなくゲシュタルト商会製。本来王国軍が持っていていいものじゃない。それにそもそも、あそこは前線じゃなかった。王国軍がいていい場所じゃなかった。なのに何故。

「噂じゃ、馬鹿みたいに強いやつが一人、王国の精鋭を引き連れて暴れまわってるって聞いたっすけど。もしかしたらそいつの仕業化もっすね。でもそんなの台風みたいなもんっすよ。災害っす」

「だとしても! あの場は逃げるしかなかった! あの拠点が堕ちるのは時間の問題だったんです! でも逃げたせいでこんなことになった……そうと分かっていれば……」

「助かった人だっているじゃないっすか。姐さんが連れ帰った人たちは助かったっすよ」

「それでも……こんなことになるくらいなら……」

「西でみんな死んでればよかったって言うんすか?」

 西の重要拠点を死守すべく最後まで奮闘したが敢え無く敗れ去った。その方がよかったかもしれないと思った。だってその体裁があれば、

「……少なくともあなたが死ぬことはなかったでしょう」

 私を含めて助かった人間の命と彼の意持ちを秤にかけても、彼には死んでほしくない。今はそう思う。認めよう、これが特別な感情だと言うことを。

「死んでたっすよ、きっと」

 なのに、向かいの独房の男は当たり前のようにそう言った。

 やがて夜が明けるようである。空が俄かに白みだした。

「なんで……なんで私じゃなくてあなたが死刑なんですか――アマリオ」

 本来なら会長である私が処刑されるところだった。しかしこの件については視察のそもそもの発案者である自分にこそ責任があると、私を庇う形でアマリオが名乗り出たのだ。そんな詭弁が通じる訳がないと思っていたが、軍法会議はあろうことかこの言い分を認めた。結果、彼の命と引き換えに私は処刑を免れたのである。

「言ったでしょう、姐さんさえ生きてれば、俺はそれでいいんすよ」

 遠くで扉の開く音がした。硬い靴底が冷たい廊下を打つ音がゆっくり近づいてくる。

「そろそろ時間みたいっす」

 処刑は早朝に行われる。

「やっぱりこういうのって、執行前にキリストに祈りを捧げたりするんすかねえ?」

 こんな時だと言うのに、軽口をたたくアマリオ。彼はこれから死刑になる。こんな扉を隔てた今、私にはどうすることも出来ない。ただ、彼の最期の言葉をこんな軽口にはしたくなかった。足音が近づいてくる。

「この世界にキリスト教はありませんよ」

 足音だけがゆっくり四回響く。

「参ったな、隠しとくつもりだったのに。いつから気づいていたんすか?」

「割と最初からです。あなたは私と話が合い過ぎた」

 そう、最初から違和感があった。この世界には両親が海外出張なんてラブコメのお約束もないし、魔法使いは箒で空を飛ばないし、プリンなんてお菓子も存在しない。だから私は気づいた。彼もまた、この世界に迷い込んだ一人、この異世界に転生した人間だと。

 アマリオは決まりの悪さをごまかすように笑いながら続けた。

「私はね、元の世界で死ぬとき、最後に一目でいいから会いたいと、心からそう思った人がいたんですよ。でも、会えなかった。働いてばっかりの人でね。小さいときから苦労ばっかりさせてたからその報いだと思いました。

 そして死んだ私はこの世界で目覚めた。驚きましたよ、赤ちゃんになってるんだから。しかも元気な男の子。でもこれが異世界転生だってことはすぐに分かりました。よく知ってたんですよ、その単語。それから、昔のことは忘れてこの不思議な世界で第二の人生を生きてきました。でもたまに、国の境にある山脈を見る度に思い出しちゃうんですよ。死ぬ間際に会いたかった人の事を。

 そうやって長いこと生きて、いつしかその人の事も忘れようとしていたんです。きっともう会えないんだから、忘れてしまった方がいいって思ってたんです。

 でも、そしたら、あなたに出会ったんですよ」

 おかしい。

「姿形は変わってしまっていたけど、すぐに分かりましたよ。なんせ名前と喋り方はちっとも変ってなかったんですもの」

 何を言っているか分からない。

 ガチャガチャと、向かいの独房の扉が開く音がした。

「嬉しかったなあ……」

 鉄扉一枚隔てた声は、近いのに何よりも遠い。

「それに今回はこうして最後に会えた。話も出来た。あなたはまだ、生きている。それだけで私は十分なんですよ」

 声はこの上なく穏やかで、冷たい牢に温かく響く。私はようやく立ち上がり、扉に空いた窓の鉄格子越しにその声の主を見た。

 優しい貌をしていた。同じ貌を見たことがある。

 マルタを庇って死んだ彼女の母と同じ貌。

「待って……!」

 呼び止める私の声は虚しく響くばかりで、その人が死刑台へ歩み始めるのを止めるには至らない。


「小さな窓からじゃ見えない景色がきっとあるはずですよ、フロウ」


 優しい貌のまま、そう言って遠ざかっていく。

 私が扉を叩いても叫んでも、もう何も起こらない。この鉄の扉が何よりも厚い隔たりである。

 また。また死んでしまうのか。

 ――母さん。


 ここまでご覧くださった方,ありがとうございました。

 次回もよろしくお願いいたします。

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