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刹那  作者: 七月梅
6/13

06 千春の日記

 魔法陣の光に包まれた千春は眩しさに目を瞑り、気が付くと見知らぬ場所に立っていた。

 見渡す限りの真っ白な空間にポツンとゆりかごが二つ並んでいた。

 千春の目の前にはそのゆりかごを優しく揺らす年老いた老婆がいる。



──いらっしゃい、千春ちゃん



 音なき声が頭に響き、千春は身体を強ばらせる。目の前の老婆がこちらを見ている。



──怖がらせてしまったかしら?ごめんなさいね



 音なき声はこの老婆から生じていると分かった。老婆は街にいるような普通のおばあさんのようで、笑うと口元や目尻に形のいい皺ができる。白髪をお団子に結び、青い瞳は優しさに溢れていた。

 木製の簡素な椅子に座った老婆はゆりかごを揺らす手を止め、ゆっくりと立ち上がる。

 そして千春に一冊の分厚い本を手渡した。



──これを読みに来たのよね?座ってゆっくりお読みなさい。お茶も用意するわね



 いつの間にか千春の傍には老婆が座っていたような簡素な椅子と小さなテーブルがあり、小さなテーブルの上には温かな紅茶が置かれていた。

 千春は老婆に手渡された本に目を向ける。



『木原 千春の日記』



 本の表紙には千春のフルネームが載っていた。これが殿下の言っていた日記…と手が震える。

 流れ星の早さで記憶を遡るなんて嘘じゃないか、と苦笑いする。

 千春は用意された椅子に座り、上質な革の表紙をゆっくり開く。

 いつの間にかゆりかごも老婆も消え、BGMのように川のせせらぎが聞こえる。



 ―――――――――――――――――――


 ○月×日


 きもちいいなぁ

 ずっとここでねていたいなぁ

 だれかのこえがわたしのねどこにひびいてくる

 うるさいなぁ

 でもやさしいこえだなぁ


 ねむい

 おやすみ


 ―――――――――――――――――――



 このような日記を書いた覚えは千春にない。理解できないまま日記のページをめくると稚拙な文章が続く。

 少し進むと文量も増え、言葉遣いもマシな文章になってきた。



 ―――――――――――――――――――


 △月○日


 お母さんがねぼうした!

 きょうは千春の入学式なのに!

 じかんをまちがえたってあやまってたけどそんなの千春知らない!

 お母さんなんてきらい!

 お父さんがいればお母さんねてても入学式行けたのに…!


 ―――――――――――――――――――



 思い出した。いや、覚えてる。これは私の想いだ、と千春は震えた。

 千春の小学校の入学式の時、働き詰めだった母親が寝坊して入学式に遅れそうになったことがあった。

 幸い入学式には間に合ったが母親には随分と酷い言葉を投げつけてしまったと学校帰りに千春は母親に泣いて謝った思い出がある。


 母子家庭で千春を育てるために働き詰めだった母親に子供の千春ができることは限られていた。

 母親が千春に新しい服を買ってくるたびに私は要らないからお母さんの服を買いなよ、と言うことしかできなかった。

 それでも母親は笑顔で千春に喜んでもらいたいの、とお金に余裕ができると新しい服を千春に買ってきた。

 千春達親子は支え合って過ごしていた。


 日記を読み進めていくたびに思い出が蘇る。

 失われていた記憶を一気に取り戻すのではなく、こんなことあったなぁと思い出のようにゆっくり取り戻す。


 ページをめくる。

 日記には楽しかったこと辛かったこと当時の千春の様々な感情が素直に書かれており、恥ずかしく思いながらも千春は懐かしく笑った。


 日記は小学生の時代が終わり、中学生の千春へと移り変わる。

 ページをめくる千春の手が僅かに震えてくる。


 千春が成長するにつれて養育費はかさみ、高校には進学せずに当時中学生だった千春は就職しようと考えていた。

 その矢先、悲劇が起こる。


 千春は震える手でページをめくる。

 


 ―――――――――――――――――――


 ×月□日


 お母さんが事故に遭った


 どうして神様?お母さん何も悪いことしてないのにどうして?

 お医者さんは即死だったって、なんで

 なんで

 なんで

 なんでお母さんなの


 いやだ


 お母さんを連れていかないで


 独りはいやだ


 まだ親孝行できてない


 お母さんと美味しいご飯食べに行く予定なのに

 お母さんと遊びに行く予定なのに

 お母さんと旅行に行く予定なのに

 お母さんに恋人を紹介する予定なのに

 お母さんを私の結婚式で感動させて泣かせる予定なのに

 お母さんに孫を抱かせる予定なのに

 お母さんに、

 お母さんを


 お母さんを幸せにする予定だったのに!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 ―――――――――――――――――――



 耐えられずに千春は音を立て本を強く閉じる。母親が亡くなった事故は、千春が中学三年で卒業間近の出来事だった。



「お母さん…」



 呟く千春の目には涙が浮かぶ。母親の死に際にすら立ち会うことすらできず、突然肉親と死に別れた千春に頼れる親戚もいないかった。

 母親の残してくれた僅かなお金で生活し、ようやく中学卒業を迎えた千春はその後異世界へと落ちた。


 深呼吸をし、千春は再び日記を開く。母親の死を乗り越えきれず惰性に過ごしていたページを読み進めていくとあの日の日記に辿り着いた。



 文の始まりは異世界に落ちた、だった。



 瞬間、千春に突風が吹いたかのような衝撃が身体を通り抜ける。

 大切な相手がいたことを千春は思い出す。


 川のせせらぎのBGMがまるで森の中にいるかのように変化する。

 小鳥のさえずり、虫の鳴く声、猪の唸り声、馬が駆ける足音、熊が爪を研ぐ音

 風で揺れる葉の音、果物が熟れて木から落ちる音、巨大な樹木が揺れる音、雨を弾く石の音、そして



 そして──鈴のように美しい貴方の笑い声



「…さ、ざな…み…」



 思い出が、蘇る。



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