05 漣の想い
千春をオーレスの街へと届けてから数週間経つ。静まる夜の森の中、漣は広くなった祠で静かに終わりを待っていた。
西の沼の主が死んでからもうすぐ一ヶ月になり、オーレスの街のはずれでは中央軍が野営を始めた。
オーレスの街の方角からは『守護と癒しの星日記』の術式の気配を感じる。発動するまであと一時間もかからないだろう。
漣はもうすぐ終わる長き生涯をゆっくり思い返していた。
この世界に生まれ落ち数百年経つ。
神から与えられた役割を果たしながら静かな森で穏やかに過ごしていた。
主達の中で漣は一番の古株で西の沼の主は一番若かった。若いと言っても三百年は経っているだろう。
先代の沼の主は人間の男を愛し、男が天寿を全うすると同じくして自ら命を落とした。
漣は当時の先代の沼の主の行動を全く理解できなかったが千春と出会いようやく理解することができた。
漣にとって千春はただの人間の一人だった。
異世界に落とされ心細かろうと慈しめば、漣の姿を怖がらなくなり笑顔を絶やすことなく過ごすようになった。
ころころと変わる愛らしい表情に、森で自由に過ごす姿、「見て見て!」と好奇心に輝かせる瞳、そんな千春から目が離せなくなったのはいつからだったのか。
漣は何度か千春に街への移住を提案するがその都度首を振って拒否される。「漣は私がいると迷惑…?」と右に首を傾げ窺う千春の姿を見た時、いつだったか体験した雷が身体に落ちたかのような衝撃を受けた。
愛しい、と思った。
動物達や人間に感じる愛しさとは違う。私以外に触れさせたくない、独占したい愛しさが漣に湧き上がる。
その日から漣は千春に街への移住の話をしなくなった。千春はここにいていいと喜んでいたが、漣の心は独占欲で締めつけられていた。
千春のためを思えば街への移住を勧めなければならないと漣は思いながらも言い出すことができなかった。
漣の知らないところで誰かが千春の心を射止めることなど想像もしたくなかった。
それほどまでに漣は千春に惹かれていた。
言葉が通じずとも漣はきっと千春に惹かれていただろう。
漣から与えられる愛情をくすぐったそうに受け取る千春。
枯れ木の己の身体で安心したように眠る千春。
美しいと言ってくれた瞳をいつまでも見つめる千春。
千春を知るたびに千春に惹かれている自分がいると漣は苦笑する。
数百年生きた私が今更人間に初恋とは、先代の沼の主が聞いたら手を叩いて笑っていただろう。
ずっとこのままと漣が願うのに時間はかからなかった。しかし、
『手放すことを惜しんでチハルとの日々に癒され、身の程知らずにも幸福を得ようとした私への罰か』
転換が始まる、と神から伝えられた。
その数日後、西の沼の主が死んだ。
主達も人間で唯一事情を知る王族もいつ転換が始まるのか分からない。王族は転換があると言われて育ち、転換が起きないまま亡くなることもある。
このまま転換が起こらず、千春が死ぬまで共に過ごしていけないものかと漣は願ったが叶えられることはなかった。
神から転換の始まりを受け、漣は愕然とした。
千春よりも先に己が死ぬ。
未練などなかったはずなのに漣の心に占める感情は未練に満ちていた。
千春と共にいたい
数百年生きてきた森の主が唯一願った最初で最後の我儘だった。
しかしその唯一の我儘が叶えられないことを漣は十分に理解していた。ならばせめて千春だけは幸せに、と漣はオーレスの街へ千春を移すことを決めた。千春から伝わる真っ直ぐな好意を漣は嬉しく思いながらも受け流していた。
自分と一緒にいては取り残されるだけだ、と
己が消えても千春が幸せであれば漣は構わなかった。
我儘を押し通すより役割を優先させたのは、森の主として生き過ぎたせいか漣には未だに分からない。
不意に魔術の力が増加した。『守護と癒しの星日記』が発動したようだった。
オーレスの街に近い南の森が僅かに揺れる。
オーレスの街は一瞬銀色の光に覆われ、そして霧散した。発動した魔術が完成したのだった。
オーレスの街以外の北、東、西の各守護領域に近い街は加護領域としてすでに同じ魔術が発動されている。
南の加護領域であるオーレスの街が最後である。
──ああ、やっと終わる
これでオーレスの街にいれば千春は転換の影響を受けない。
生まれ変わった国で幸せに過ごしてほしいと漣は思う。
街では千春が星日記の効果を受けているとは漣は知るよしもなかった。
魔術の発動が終わり、森の外にいた中央軍が動き始める気配を漣は感じた。
森は広い。森の最深部まで来るにも時間がかかるだろう。
早々に事を終わらせるために漣は身体を起こし、森の入口へと進み出す。
*
実際に雷に撃たれたことがある漣
木ですからね、彼