表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刹那  作者: 七月梅
4/13

04 106号室の旅人

 106号室へとやって来た千春は扉を二、三回叩く。

 すると少しして扉が開き、中からフードを深く被った男が姿を見せる。



「お届け物をお持ち致しました!」

「ああ、ありがとう。助かります」



 少し素っ気なく荷物を受け取る男の手は旅人の手にしては綺麗で青白かった。

 旅人とは三日前に宿を借りに訪れてから何度か言葉を交わす間柄だった。薄汚れたローブを着ているが所作や言葉には品があり旅人には見えない。顔を見たことはないがフードから覗く顎筋はスラリと整っている。


 不思議な旅人が魔術の道具を頼んだことが気になった千春は好奇心に駆られつい口を開いてしまった。



「ヴェイクさんヴェイクさん」

「なんでしょうか?」

「ヴェイクさんは本当に旅人さんですか?」



 旅人──ヴェイクという男は千春の問いかけに沈黙した。

 本来ならば客の事情を探る店員は叱咤ものだが、そんな暗黙の了解を知らぬ千春。答える気はないが教えねばと、目の前の店員の顔を見ようとフードをずらしたヴェイクは千春の容貌に驚く。


 黒髪に黒目の十五、六の女性


 報告通りだ、と心の中でヴェイクは呟く。

 数週間前に記憶喪失で街の入口で倒れていた女性が目の前にいる。

 人とはあまり顔を合わさぬように努めていたせいで何度か言葉を交わしていたにも関わらず、今の今まで気付かなかった。

 まさかこんな日に出会うとはヴェイクも考えつかなかっただろう。よりによってこんな日に。

 異世界の住人で守護者に愛された女性が守護される街で平和そうに暮らしている。こちらは死の恐怖に耐えていると言うのに。



 なんて、なんて憎らしい──!



 憎悪の思いが湧き上がると同時に荷物を持つ手が震える。

 ヴェイクの様子がおかしいと感じたのか、千春は一歩後ろへ下がる。



「あ、あの、すみません。ちょっと気になっただけで、その、失礼しました!」



 その場を立ち去ろうとした千春をヴェイクは腕を掴み呼び止める。



「あの…ヴェイクさん…?」

「僕が本当に旅人か気になるんでしょう?貴女の疑問にお答えしますよ。この道具の使い道を見せてあげます」



 そんなに知りたいなら知らしめてやろう、と薄暗い考えをヴェイクは優しい笑顔で隠す。

 夜遅い時間に、ましてや客の部屋に入るなど真面目な千春は躊躇うが有無を言わせぬようなヴェイクに最終的に了承する。



「不埒な真似なんて絶対にしないので安心してください。それにそんな勇気なんて僕は持ち合わせていません」



 部屋はオイルランプの光で明るい。旅人と称しているためかヴェイクの荷物は少なく、ベッドの隅に置いてある。

 部屋の中央にはテーブルが置いてあるはずだが今は部屋の隅に寄せられており、部屋の中央はぽっかりと空いている。



「僕の一族は代々魔術を学び、世界の節目に場を守護する魔術を構築する役割を担っているんです」



 ヴェイクは深く被っていたフードを外し、コートを脱ぐ。露になったヴェイクの容貌は美しい金髪の細身の好青年だった。

 銀色の瞳がオイルランプの火を映し出す。

 服装は簡素な旅人風だったが明らかに身分が高いと分かる物腰だった。


 驚き反応できない千春に構うことなく言葉を続けるヴェイクは受け取った荷物から道具を取り出す。



「魔術は王族にしか使えないとされていますが魔術を扱えるのは役割を持っているからであって、役割があれば誰でも魔術が扱えます。かと言って誰にでも役割が与えられるわけじゃない。それこそ神のみぞ知るところです」



 とんでもない独白をされてしまったと驚く千春。魔術は王族しか使えないことにも驚いたが、目の前のヴェイクは魔術を使おうとしている。

 つまり、



「…ヴェイクさんはもしかして…」

「はい、王族ですよ。──私は第二王子のヴェイグルクス。父は国王、母は正妃、バジリティス第一王子の実弟」



 それが私だ、と威厳のある口調に変わったヴェイク──ヴェイグルクスに千春は魂が抜けるほど驚く。

 驚きすぎて目の前で千春の様子を破顔して笑うヴェグルクスに何も言えなくなる。

 笑いの収まったヴェイグルクスは鉱物の粉末で床に複雑な魔法陣を描いていく。



「あの、私は殿下のお仕事のお邪魔を…」

「別に邪魔なんて思っていないから大丈夫ですよ。見学して行きませんか。初めて見るんでしょう?魔術を」



 ヴェイグルクスは千春の方に一切目を向けず、踊るように素早く優美に綿密な魔法陣を描いていく。

 千春は好奇心に勝てなかったのか恐る恐るとヴェイグルクスに近寄り、描かれる魔法陣を興味津々に見つめる。

 そんな千春をヴェイグルクスはほくそ笑み、魔術の説明を始める。



「この魔術は『守護と癒しの星日記』と言われ、この宿屋を中心にオーレスの街を囲うように展開されています。僕の優秀な部下の下準備も完璧だ。後は魔術を扱える僕が発動するだけです」

「どのような効果があるのですか?」

「……簡単に言うと転換の影響からオーレスの街を守ります」



 この魔術を発動すればこの街だけは転換の影響を受けない、と泣きそうな顔になるのを押し止めたヴェイグルクスはその言葉を飲む。

 受け取った道具や用意していた魔道具を駆使し綿密で美しい荘厳な魔法陣をヴェイグルクスは完成させた。ヴェイグルクスは状況はあまり理解できていないが目の前の魔法陣に感動している千春の方へ向かい合う。

 好奇心旺盛な千春はヴェイグルクスの方を見て疑問を投げかける。



「あの、殿下!『転換』というのは一体…」

「ふふっ…何のことだか分からないですよね?」

「は、はい。分かり、ません…」



 物知りな八百屋のおじさんや噂好きの女将の口からも聞いたことがない言葉だった。本当に分からない千春に対してヴェイグルクスは黒い笑顔を浮かべる。

 腕を引き、ヴェイグルクス自身は魔法陣の外に身体を残したまま千春を魔法陣の中心へ誘導する。



「殿下…?この中に入ってはまずいのでは…?」

「大丈夫ですよ。しばらくここに立っていてください。王族命令です」



 軽い口調の王族命令を受け、千春は戸惑いながらも魔法陣の中心へ立つ。千春を掴む手はまだ離れない。



「この魔法陣はね、二つの効果があると言われています。一つは守護、どんな攻撃や変化にも耐えうる障壁を生み出す。二つ目は癒し、傷を癒し心を癒す慈愛の灯火を灯す」



 でも、とヴェイグルクスは言葉を続ける。

 千春の腕を掴む手はビクともせず、千春は身体を動かすことすらできない。

 ヴェイグルクスの異様な雰囲気に千春は背筋が凍る。



「三つ目の効果があるんです。僕も偶然発見したんですがね。それは魔法陣の中心にいることで効果が現れる。…『遡る』ことができるんです。時間を」



『守護と癒しの星日記』は魔術を扱える王族に伝わる三大防衛魔術の一つである。転換期に備えられた魔術であり、効果は二つ。


 一つは、『守護』


 二つは、『癒し』


 鍵となる中央魔法陣と範囲を定める補助魔法陣を複数描くことで効果範囲が決まり、その中でのみ魔術の力が及ぶ。

 転換期が訪れると伝えられた王族はこの魔法陣を決められた各加護領域へと展開し、転換の影響を受けないようにする役割を担う。


 第二王子ヴェイグルクスは幼い頃から魔術を学び、転換期に備えていた。良き王子、良き息子、良き弟として民を慈しみ、国を愛し、家族を支えた。


 例え自分が守護から外れていたとしても


 選ばれた街の他、王と正妃、そして第一王子のみの王族が守護を受ける。ヴェイグルクスは幼い頃に王族の役割を聞き、己が死ぬ運命だと分かると何のために自分は生まれたのかと激しく苦悩した。

 年月を経て成長すると、全てを知りながら運命を傍観する父を憎く思った。何も知らず優しく微笑む母を憎く思った。知りながらも運命を変えられなかった無力な兄を憎く思った。何も知らされず育つ幼い腹違いの弟妹達を羨ましく思った。


 それでも今日の魔術発動まで暴虐に走らず王子を続けられたのは王族としてのプライドだった。

 自分を慕う国民、古き良き文明を持つ王国、なによりも憎悪の感情を抱いた自分を愛してくれた父と母、そして兄がいたから憎悪に呑まれず、第二王子として一人の人間ヴェイグルクスとして後悔のない人生を歩んできた。



「反抗期なんてなかったはずなんですがね…最後の最後に生まれて初めて我儘に行動します」



 ヴェイグルクスはこの二十年間我慢してきた涙を溢れさせ千春に話しかける。千春を捕らえる力は強く、千春の震える足では反撃する事もできないだろう。

 なによりも涙を流すヴェイグルクスの哀愁の表情を見てから、千春は身じろぐこともできなかった。


 ヴェイグルクスが千春は聞き取れない古語の呪文を唱えると足元の魔法陣が光を帯びた。

 オイルランプよりも明るく美しい光が足元からのびる。

 どこからともなく風が発生し、二人の足を撫でる。



「全てを思い出だせ、守護を受ける娘よ。三つ目の効果『星日記』はこれまでの自分の記憶を遡ることができる。自分の人生だけじゃない、前世もそのまた前世も日記のように遡り知ることができる。夜空を流れる星のように一瞬で分かる」



 報告でヴェイグルクスに伝えられたのは千春が記憶喪失でオーレスの街で倒れていたこと。

 しかし、ヴェイグルクスは知っていた。異世界人の千春が森の主に愛され、幸せになってほしいと記憶を消され転換が及ばないオーレスの街へ移されたこと。


 それを、神から伝えられた。



「失われた記憶を取り戻せ。ずるいじゃないか、何も知らないまま僕より幸せになるなんて……──己がどれほどの愛を受け、幸福であるか知った上で行動しろ」



 一瞬素の言葉遣いが現れるがヴェイグルクスはすぐに口調を戻す。

 まるで自分に言い聞かせるように言葉を紡いだヴェイグルクスに千春は頷く。



「殿下、」

「…」

「殿下のお話、記憶がないからなのかよく分かりません。でも、分かる部分もあります。私は、記憶を取り戻さなければならないのですね」



 真剣な顔で千春はヴェイグルクスを見つめる。

 魔法陣の光は徐々に強くなり、風も吹き荒れ発動の瞬間が近付いている。



「すみません、殿下。貴方の苦しみが分からない私を許してください。私、記憶を取り戻して考えます。自分の役割を。私は何がしたいのか。貴方の、殿下の心が晴れるように行動できるか分からないけれど、それでも


 ──後悔しないように走ります」



 どこに、とはヴェイグルクスは聞かなかった。

 私の心が晴らすなど小娘が調子に乗るなとヴェイグルクスは思った。

 それでも心のつっかえていたものがスッと消える感覚があった。

 後悔しないように走る、か…そういえばここに来る前に兄と喧嘩してしまったな。僕も後悔しないように走ろうか、とヴェイグルクスは笑う。


 千春が言い終わると同時に部屋全体に銀色の光が満ちる。豪風が発生し、窓が揺れ部屋のあらゆるものを吹き飛ばす。



 魔術が発動した。



 *

ヴェイグルクスは相手によって三種類くらいの顔を使い分けますがどれも彼の素です。ヴェイグルクス自身は猫を被ってるつもりはありません。切り替えが顕著なだけ

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ