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刹那  作者: 七月梅
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03 オーレスの街にて

「おじさんおはよう!」

「おはよう!チハルちゃん!今日も元気だねぇ!寄ってきな!今日は粒ぞろいだよ!」

「うわぁ!おっきいトマトですね!美味しそう!」



 オーレスの街は朝から活気に満ち、大通りでは多くの人が両手に荷物を抱えて忙しそうに往来している。

 南の森に一番近いオーレスの街は、王都ほどではないが程よく栄えており、王国の中でも豊かで大きな街である。

 街並みはヨーロッパのようで地面に広がる石畳はなだらかに整っていた。


 千春はオーレスの街の暮らしに慣れ始め、お隣の八百屋のおじさんと仲良く言葉を交わす。


 二週間前に街の入口付近で倒れている千春が発見され、保護された。

 街の人に保護された時、千春は己の名前しか覚えていなかった。逆に一般な知識は博識と思えるほど千春は持っていてチグハグな千春に街の人々は首を傾げた。

 しかし、千春が何者なのかどこから来たのかオーレスの街の人々は問い質したりせず、記憶喪失の千春を快く迎え入れた。


 千春は今、宿屋で住み込みで働いている。宿屋は大通りに面し、街の中心にあるため商人や旅人など様々な人間が宿泊し忙しい。

 掃除、洗濯、料理に給仕、と千春の仕事は多く、いつも忙しくも楽しく働いていた。仕事仲間も同じ年頃で和気あいあいと過ごしている。

 宿屋の女将も時に厳しく時に優しく、まるで実の娘のように千春を可愛がってくれている。


 豊かな街、優しい街人、美味しいご飯。

 幸せな生活を千春は送っているが心の中心にぽっかりと穴が空いている感覚を覚える。



「なんだろうね」



 こんなに幸せなのに



 *



 夏の暑さも鎮まってきたある日、街がザワザワと騒がしく千春は挨拶がてら隣の八百屋のおじさんへ何があったのかと尋ねる。

 物知りな八百屋のおじさんは神妙な顔つきで答える。

 いつもはうるさいほど元気なおじさんが珍しく肩を下げ足元に視線を移す。



「南の森へ軍が侵攻するんだよ。一昨日から街外れに王国の中央軍が野営しているからチハルちゃんは近付いちゃいかんよ」



 チハルちゃんみたいな可愛い子はすぐ手を出されちゃうからなぁ!と先程の静かさが嘘のように豪快に笑うおじさんはサービスだと言って別れ際に果物を千春に手渡した。


 宿屋に帰って働きながらも千春は中央軍が野営していることが気になり、皿を片付けている宿屋の女将に尋ねる。



「なんで軍は南の森へ進軍するんですか?いるのは動物達ぐらいですよね?」



 不思議そうにする千春に女将は手を止め、ひとつため息をついて答える。



「記憶喪失ってのは難儀なもんだねぇ。森には主様がいるのさ。森を守護する主様がいるうちは土地を開拓することはできないんだとよ」

「あるじさま…?」

「ずっとずぅっと南の森を守護する神様の遣いみたいなものさ」

「軍の兵士さん達はその森の主様を殺すためにオーレスの街に…?」

「そうさ、西の沼の開拓が順調だから次は南の森なんだとよ」



 飲み屋で旦那が聞きかじったことだけどね、主様を殺すとは恐ろしい恐ろしいと女将は嘆く。

 森の主様

 脳裏がチリチリとし、草木が生い茂る森が思い浮かぶ。千春は不思議に思いながらこめかみを押さえる。



「え、と…森の主様は強いの?軍より?」

「どうだろうねぇ…主様達が強いとは聞いたことがないよ。ただお優しいと、常に私達を見守っていると伝えられているよ」

「見守ってくれてる優しい主様なのに殺そうなんておかしいですね」



 そんなの分かってるさ、と女将は苦笑いして手元に視線を戻し夕食の片付けを再開した。



「国王様は土地欲しさに主様達を軽く見ているさ。そりゃ主様の姿を見たっていう人間は1人もいないさ。でも、森で迷っても必ず帰って来られる、猛毒の実を拾ったのに森を出た頃にゃ手元にない、お見舞いの花を摘もうと森へ行くと見たこともない美しい花畑を発見した奴もいた。きっと主様の御業さ」



 アタシも迷子になったがいつの間にか街の入口に着いたさ、と懐かしそうに目を細める。



「こんなこと言っちゃ反逆罪だ!と兵が飛んでくるかもしれないが、街の連中はみんな主様を殺すのに反対で逃げてくれ逃げてくれと中央軍が来るまで森の入口で嘆願してたさ」



 まぁもう間に合わなかったがね、と軍が野営する方向に視線をやる女将の表情は苦しげで、森の主様を救おうとしていたことに千春は何故かとても嬉しく思った。



「土地が必要なのは分かっているさ。この街だって人で溢れかえって宿屋はいつも満室だ。家を新しく建てようとしても、これ以上王国内の木々を伐採して土地を広げるのは危険だと禁止された」

「だから西の沼や南の森を…?」

「罰当たりなことだろう?きっと人はいつか報いを受ける…──祟りが起これば人間の業だと思って受け入れるさ」



 悟ったように笑う女将は何もできなくて主様には申し訳ないよと言う。

 森の主様は祟ったりしないよ、と瞬間的に思ったがまるで森の主様に会ったかのような口振りに千春自身おかしく感じた。



「ねぇ、女将さん。誰も森の主様を見たことはないんだよね?」

「ん?そうさ。…ああ、そういや御伽では主様と心を通わせた学者がいたねぇ。本当かどうかは分からんが」



 じゃあ私も見たことないはずだよね…?と眉を寄せ千春は考え込む。

 そんな千春に女将が空気を切り替えるように明るく声を上げる。



「ほらほら手が止まってるよチハル!片付けはそのくらいでいいから106号室の旅人さんに届け物をしておくれ!」

「あ、はい!」

「届け物したら後はあがっていいよ。残りはアタシがやっておくからね」

「え!そんな女将さん!最後まで手伝います!」

「いいからいいから!夜更かしは成長に響くよ!子供は早く寝な!」

「また女将さんったら!私を子供扱いして!」



 千春は女将と手伝ういやいや休めと問答してから渋々106号室へ届け物を運ぶ。

 届け物は塩や水、それから魔術に使用される鉱物の粉末だった。

 旅人が欲しがるにはおかしな品揃えだったが仕事は仕事と足早に宿の階段を上る。年季の入った宿屋の床がミシミシと鳴る。


 千春は先程聞いた森の主様のことが頭から離れなかった。



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