2.パン騎士様
早朝、カリンは眠い目をこする。
肩より少し長い小麦色の髪を一つに束ね、頭にバンダナを巻く。
服にゴミや髪の毛がついていないかを鏡で確認し、頬をパチンと叩いた。
無事、シルビアの仕事を終えたカリンは、いつものようにパンを焼く。
失せ物を届けた翌日は一番眠かった。普段はとっても早く眠るカリンにとって、真夜中の活動は身体にこたえる。自然と、頬を叩く回数も増えた。
シルビアは「休みにしたら~」なんていうけれど、それはパン屋として反対だ。
だって、お客様にしたらなんの理由もなく休みなのと同じだから。
焼き時間、カリンはイスの上で船をこぐ。夢の中でも彼女はパンを作っていた。
おいしくなあれと、生地をこね。発酵をさせてからオーブンへ。
パンが焼き上がったら、両手にミトンをつけて。えいやと、アツアツの扉を開け放つ。
ふわりと香る幸せの香り。カリンの大好きな香り。
笑顔で鉄板を取り出して。綺麗な焼き色、パンたちとご対面。
あんぱん・クリームパン・テーブルロールに食パンも。
みんなふっくらツヤツヤだ。
カリンは笑う。
今日もおいしく焼けたよと、まだ見ぬお客様へと想いを馳せた。
――ひと時の休憩を経て、ぼんやりと目覚めるカリン。
現実の厨房も焼き立ての香りで満たされていた。
カリンは天井に向かって伸びをする。
同時に吸いこんだおいしい香りに自然と笑顔になった。
「もう一度顔洗ってこよ」
ぴょんとカリンは席を立った。
眠気覚ましだともう一度伸びをして、ご機嫌のまま後ろを振り返る。――そして。
「のわっ!?」
驚き、後ろにのけぞる。
厨房にある一つの窓。たまに近所の子供が覗きに来る、その窓に。
「グ、グレン??」
目をキラキラとさせたパン騎士様が張り付いていたのだった。
◆◇◆◇
「いやあ。悪いな、カリン」
「いいけど。心臓に悪いわ、アレ」
ごめん、ごめんと、後頭部をさするグレン。
彼は仕事終わりにサンドイッチのお礼をと思って、立ち寄ってくれたらしい。
この時間なら店は開いていなくても、厨房にはいるだろうと考えて。
ちなみに窓に張り付いていた理由は、いい匂いにつられてだそうだ。
「分かってたけど、朝早いのな」
「うん、二時間前にはもうパンこねてたよ」
「うわー大変だ。そして、さっそく食っちゃってごめん」
「いいよ。代金はもらうけど」
守銭奴いうなかれ。
夜勤明けのグレンは、まあ、食べる食べる食べる。
育ち盛りの男の子の食欲はすごかったのだ。とても「サービスね」とはいえないぐらい。
「焼きたて、マジうまい」
「そお? あんまり焼き立てすぎると、味がふわふわしてるでしょ?」
「そのふわふわも焼き立てのうまさ。いずれにしろうまい」
「それはどーも」
うまいと言われれば、もちろんいい気分である。
カリンの店は持ち帰り専門店。目の前で食べてもらえる事は珍しい。だから、こうやってすぐ笑顔が見られるのは、とても贅沢な体験だった。
「夜勤明けでむちゃくちゃ眠いけど。こうやって出来たてのパンが食べられるなら、悪くねえな」
「食べに来ても良いけど、種類は少ないよ?」
「どれもうまいから問題なし」
うれしい話である。
その後。二人は雑談をした。
カリンはもっぱらパンの話でグレンは騎士たちの話。
お互い知らない世界の話なので感心したり、不思議に思ったりと様々。その中でも騎士たちの鍛練模様には驚いた。え? 腹筋が何回だって? ありえない……。カリンは聞いただけでお腹が痛くなりそうだった。
「そうえば昨日、夜勤だったじゃん俺」
カリンは「うん」と返事をし、先をうながす。
「昨日の担当は四番街と三番街だったから、四番の大通りへ向かって歩いていたわけ」
「うんうん」
「したら、ちょうど三番街の宿屋の角を曲がったあたりで、物音がしてさ」
「うん?」
「そんで、誰かいるのかって声かけたら……」
「……う、うん」
「残念!! 猫だったんだよね」
「いや、不謹慎だとは思うけど、手柄、ほしいじゃん?」と、笑うグレンに、カリンは「そ、そうだったんだ」と、顔を引きつらせた。
たぶんそれ、わたしです。
なんて、言えるわけもなく。
カリンは「あはは」と乾いた笑いが出てしまった。
きょとんと、グレンが不思議そうな顔をする。
しまったと思った時はすでに遅く、彼は頬をかきながら、「悪い。夜に物音の話なんて、気持ち悪いだけだった」と謝ってくれる。カリンは思わず立ち上がった。
「違うの! そうじゃなくって!」
「?」
グレンがまた不思議そうな顔つきになる。墓穴掘りのカリン。
しかし机に手をつき身を乗り出した手前、後に引けなかった。
「だ、だから……ね、猫、ネコが心配で! ウチ鳥飼ってるから!!」
「……ああ。あの入り口にいる黒いのと黄色いの?」
「そうそう! アンとクリームって言うの」
看板鳥ですと紹介すれば、グレンは「アンとクリームねえ」と、うちのおススメである、あんぱんとクリームパンを見る。
「なるほど」
「……なにニヤけてるの?」
ネーミング? ネーミングセンスを笑ってる?
むぅとグレンを見れば、彼は降参と言わんばかりに両手を上げ「ごめんごめん」と非礼を詫びる。
この軽い雰囲気がカリンを落ち着かせた。
カリンは「仕方ない、許してあげよう」と尊大に頷く。
グレンは楽しそうに微笑み、話を続けた。
「あいつら賢いよな。鎖ついてないのに逃げねぇし、店ン中にも入ってこねぇし」
「あそこで日向ぼっこしたり、そのまま二階へ行ったりして遊んでるみたいよ」
「そうなんだ。二階はカリンの部屋?」
「うん。厨房が近くて大助かり」
ふーんと、グレンが天井を見上げる。
カリンもつられて視線を上げた。もちろん見えるのは木目の天井だけ。
だけど不思議なもので、カリンにはその上にある自分の部屋が浮かんでくる。
――そうだ、パジャマ脱ぎっぱなしだった。洗濯しなきゃ。
部屋の掃除もしないと。昨日シルビアが来てお菓子こぼしてたしなあ――
やらなきゃいけない事を思い出し、一人げっそりするカリン。
家事全般と店番。そしてシルビアのお手伝いと、我ながら忙しすぎる。
多少げんなりしつつ隣を見やれば、相変わらず天井を見上げているグレン。
そんなに見つめて何が楽しいのだろうと思っていたら、何故か彼の顔がじわじわと赤くなる。カリンは首をかしげた。
「? どうしたの?」
「っ!?」
「??」
「な、なんでもない!!」
訊ねるカリンにグレンの視線は泳ぐ。
「グレン?」
沈黙。
カリンの頭にハテナマークが舞い踊った。
だけど彼女がその疑問を口にする前に、グレンは急に立ち上がる。
「か、開店前だったのに、パンありがとう!!」
「え? うん。こちらこそ、いつも買ってくれてありがとう」
「サンドイッチもうまかった、ご馳走様!!」
「ええっと。お粗末さまでした?」
ようやくこちらを見たグレンが笑う。その顔はやっぱり少しだけ赤い。
「また、買いに来る」
「うん。新作も考えてるから、是非来てね」
グレンがお金を取り出した。その硬貨を見てカリンがレジに向かおうと立ち上がれば、彼は「おつりはいらない! 飯食べさせてもらったから!」と気前の良い事を言う。
出された硬貨は彼が食べたパンの約二倍の金額だった。
「多すぎる、って思うんだけど?」
「早朝料金って事にしといて」
それでも多いと思ったカリンは、出来たてのお惣菜パンをいくつか袋に入れた。
「封を閉じずに持って帰って」
「悪い。ありがとう」
「昨日の夜食からパン続きで飽きちゃうかもだけど」
「大丈夫。全く飽きないから」
俺のパン好きは知っているだろう? と笑うグレンに、コクリと頷くカリン。
そうして彼は寄宿舎へと戻り、カリンは開店準備を進める。
なんだか騒がしくて、楽しい朝だった。
お読みいただきましてありがとうございました!(*^_^*)