4.どうしよう!!
翌日、カリンは三番街をうろついていた。
シルビアに言われた宿屋、レシア亭前。とりあえず例の男の姿を確認しようと思ったのだ。
ちなみにパン屋は臨時休業。
不本意ながらの結果であった。
『乗り掛かった船』っていうのよね、これ。
カリンはついお節介をやいてしまった自分に言い聞かせる。
もちろん後悔はしていない。アルノーの手に指輪を戻してあげたいと思っているのは本心だった。
指輪が単なる落し物だったら早かった。
シルビアに場所を聞いて、そっとアルノーの手元に戻すだけで済んだのだから。
いつもと勝手の違う状況に、カリンは頭を悩ませていた。
相手の姿を確認した後はどうするべきか、まだ、決めていなかったからだ。
「――あれ、カリンじゃないか」
不意に名前を呼ばれ、慌てて振り返る。
そこには常連客の一人、グレンが不思議そうにこちらを見ていた。
「いらっしゃ……じゃなくて、おはようございます。グレンさん」
「今は店員と客じゃないんだから、崩せばいいのに」
俺達同じ年だぜ? と、グレンはうながす。
カリンもそれもそうねと思い、「おはよう、グレン」と、挨拶し直した。
「こんな時間に外にいるなんて珍しいな。店は?」
「今日は臨時休業なの」
「うわ、マジか。今日の昼飯どうしよう」
今日も来てくれるつもりだったらしいグレンに、カリンはごめんなさいと謝った。すると彼は「いや、こっちこそ、悪い。カリンだって休みたいよな」と、自分の都合を口にした事を詫びた。
「それで、どうしてここに?」
「え? ええっと……」
「――あ、言いにくい話なら言わなくて大丈夫」
グレンの気遣いにカリンはホッとして、「さ、散歩なの」と言った。何とも微妙な言い訳である。
「散歩? ……ふーん、まあ、歩くなら早い時間の方が涼しいしな」
「そ、そうなのよ! 最近運動不足で……」
必要もない言い訳を口にしながら、カリンは冷や汗が流れるのを感じた。
基本、カリンは作り話が苦手だ。
「妖精とウチは無関係」という話に関しては、ずっと言い続けていた事だからもう大丈夫だけど、それ以外の話は上手くできる気がしなかった。
グレンはカリンを追及する事無く、彼女の話に乗ってくれた。
「まあ、朝だから大丈夫だろうけど。祭りの準備期間は何かとトラブルも起きやすいから。周りには気を付けてな」
「ええ。ありがとう、グレン」
「ん。どういたしまして。――ちなみに、明日は店を開けるよな?」
「もちろん! 二日も休んだりしないわ!」
それは良かったとグレンは笑い、「じゃあ、俺、巡回の途中だから」と、片手を上げて去って行った。ニコニコと笑いながらカリンも手を振り。小さくなった後ろ姿を見て、ほっと息をつく。
◆◇◆◇
カリンは喫茶店に移動した。
人が疎らのカウンター席。その窓側の席は、細長い木のテーブルが窓から飛び出るように設置されており、違和感なく外を眺める事が出来る。
目の前にはもちろんレシア亭。二階の一番隅の部屋が見える。絶好の場所だった。
外をうろつくより、全然怪しくない!
我ながらナイスアイデアと自分を褒め称えるカリン。パンにしか興味のない十七歳にしては上々の判断であった。
カリンの作戦はこうだ。
まずこの喫茶店から男の姿を確認する。
次に様子を見つつ、指輪をどうするつもりなのかをうかがう。
男が詰所へ持って行くなら良し。
もちろんアルノーへ直接渡しに行くのもよい。
自然と指輪がアルノーの元へ戻るという結末が、カリンにとって一番都合が良かった。妖精と失せ物のうわさは、大きくならない方がいいから。
しかし男が指輪を換金、もしくは逃亡をするような素振りを見せれば、なんとしてでも止める必要がある。
もし、換金されてしまった場合、質屋から商品を盗む事になる。
それはカリンとしては絶対に避けたい事柄。かといって買い戻すには金銭的に無理があるし、そもそもカリンが質屋からアルノーの指輪を買う所を見られてしまっては、シルビアとカリンの関係がばれてしまう可能性だってあった。どう考えても困る展開といえよう。
さらにクラエスの外へ逃げられてしまえば、探しに行く事が格段と難しくなる。
それはたとえ指輪の場所がわかっていても、実際に動くのがカリンだからという理由。カリンはクラエスを出た事がなかった。それに加えて、期日的な問題もある。
アルノーがこの街を出発するのは、明日の朝。
チャンスは今夜一度きり。昨晩は結局動けなかったのだ。
カリンは外を眺める。窓辺のカーテンは全く動かず、中の様子は分からなかった。
紅茶の香りが鼻孔をくすぐり、食事の到着を知らせる。
久しぶりに他の人が作ったパンを食べた。素直においしいなあと味わい、自分のパンとの違いを考える。良い所は是非吸収したい。
ゆったりと食事をし、温かい紅茶を飲めば。自然を緊張は緩んでくる。ふわぁとあくびが出た。
完全に寝不足だ。早く仮眠しなくっちゃ。カリンは眠い目をこすった。
不意にカーテンが揺れた。場所は二階の隅。
カリンが動きを止めて見つめる先には、強面の男。部屋の空気の入れ替えという、至極真っ当な事が似合わないその姿はシルビアから聞いていた特徴によく似ている。
うひゃあ……怖そうな人。
悪人面とまでは言わないが、修羅場をいくつもくぐってきたような凄味のある見た目。
体も大きく、髪の毛は角刈り。まるで武道家のような男だと思った。
こんな人に押し入られたらひとたまりもないや……。
カリンは想像する。強盗にパンと小麦粉を差し出す自分の姿。しかもへっぴり腰だ。
……いやいや、ないな。
戦争中じゃあるまいし。
しょうもない想像を追い払い、カリンは二階の部屋を眺める。
すでに男の姿はなくなっていた。目覚めたのなら、きっと外出も近いはず。
カリンは残りの朝食を手早くお腹に収め、すぐに動けるように準備した。
男がそれから十分もしないうちに宿屋を出て来る。尾行開始であった。
男が向かったのは市場だった。
活気溢れる人ごみの中、男は鋭い視線を品物に送っていた。
見ている物は日持ちのする食料や、夏、快適に過ごす事が出来るお香。途中立ち寄った店主とは知り合いなのか、笑顔で語りかけてくる店主に「うむ」と頷いている姿が見えた。
近々、街を離れるのだろう。
おそらく、ここ二、三日中だと予想する。
男の様子を見る限り、慌てて準備をしているようには見えなかった。
きっと男にとって指輪の有無はこの出立と無関係。ならどうして指輪を持ち続けている?
それとも、あんな怖そうな顔して、腹芸も得意なの?
カリンはますますどうしたらよいか分からなくなっていた。
男が買い物を終え、三番街へと歩いて行く。
指輪を詰所へ持って行く気配なし。同時に売る気配もなし。
男の次の行動が分からないカリンは、少し、考え込みすぎていた。
角を曲がった男を追いかけ、同じように曲がる。
本来なら男の後ろ姿があるはずなのに、何故か前方には誰もいなかった。
カリンは立ち止まり、左右を見回す。
三番街へ向かう細い道。辺りは背の高い建物が多く、少し薄暗い。
この道を使えば大通りを抜けるより早く三番街に出られる。けれど死角も多いため――……
「!!」
カリンが意図を読み取るのと、背中に気配を感じたのは同時だった。
大きな手で掴まれる手首。
首を押さえつける太い腕。
背後を取られたカリンは息をのんだ。
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