2.「ウチはただのパン屋です」
プロローグも合わせて、本日三話目!
「ウチはただのパン屋です」
いらっしゃいませ、の次に多い言葉をカリンは言い、不服顔のお客様を見た。
うちを通せば失せモノが見つかると思っている人への対応である。
だから隣にあるだけなのっ! と、叫んでやりたいと思った事はもう数えきれないほどで。こういうお客様は今でもやってくる。
そんな人達のほとんどはうわさを聞きつけた外からのお客様。
シルビアを大量に買おうとしたりするので、大体見当がつくのだった。
「隣にあるのに無関係とは、言い逃れにしか聞こえんな」
「言い逃れって……」
まるでこっちが悪いみたいじゃない。
カリンはほとほと嫌気がさしていた。自分はただおいしいパンを焼いて、みんなに食べてもらいたいだけだというのに、店に来て、パンを無視されるのは本当に不本意だった。
「何度も言いますが、ここはただのパン屋です。泉は隣にあるだけです」
「泉の奥にある森へは、この店を通らないと行けないそうじゃないか。それでも無関係と言い張るのか?」
「森に行けるようになっているのは、パンを作る時に使う湧水を汲みに行く為だと先代から聞いています。お噂の、泉の妖精とは無関係です」
「祈り用のパンを作っておきながら?」
「祈り用じゃなくて、おやつ用です」
暗に人間用ですと、強気にカリンが言うと、不機嫌なお客様はシルビアを一個つまみ上げた。しかも、素手で。
「ちょ!! 素手で商品に……」
口に入れる。
止める間もなかった。
「心配するな、代金は支払う」
「だったら先に払って下さいよ」
もこもこと口を動かす垂れ目の男をジト目で睨み、カリンは溜息をつく。
もうやだ。理不尽すぎる。普通のパン屋なら起こり得ない事態に頭を悩ませるのは、正直こりごりだった。
「――お客様、妖精様はわたし達の事を見ているんですよ」
「ん? 見ている、とは?」
「失せ物が見つかる人――シルビアを投げ入れて、返礼品を受け取った人達はみんな良い人ばっかりでした」
少なくても無銭飲食はしないとカリンは続ける。
「代金は払うといっているじゃないか」
「うちは先払いです」
「細かい娘だな」
「お褒め頂きありがとうございます」
褒めてない。と、男は口をへの字にした。
「――だが、うまいな。祈り用だけではもったいない」
「ありがとうございます、おやつ用です」
うまいと言われれば、自然と顔が緩む。ただし、訂正は忘れない。
男は「あくまで無関係っていうのは納得できないが、パンはうまい。この店のおススメをもらおう」と、腰にぶら下げた袋から硬貨を取り出した。
カリンはニッコリと笑った。
パンの話になるのなら、出会いが悪かろうと素敵なお客様だ。
甘い物は食べられますか、とたずね、いける口だと返事をもらうと、カリンは棚の目立つところにある、あんパンとクリームパンを手に取る。この二つが店一番のおススメ品だ。
「まだ召し上がれるなら、お惣菜パンとシンプルパンもお選びしますけど?」
「頼む、全然足りない」
パンはいくらでも食べられる。というのは、パン好きの常連さんの口癖だ。
それにはカリンも同感である。
カリンは食べ応えのある、グラハムサンドとピザパン、そしてロールパンとシルビアを一つずつトレイに乗せた。
「これで出して頂いた硬貨ピッタリです」
「商売上手だな。ちゃんとさっき食ったパンも入ってるのか?」
「まあ、あれはサービスしときます」
「前言撤回。しっかり商売しないと、店潰れるぞ」
「シルビア一個サービスしたぐらいで潰れませんよ」
この人、失礼なところもあるけれど、多分いい人だ。
直感的にそう思ったカリンはつい、「何か無くされたんですか?」と、聞いてしまっていた。
男の顔が情けないほどにしゅんとなる。
実は……と、語られてしまったカリンは、男の運の無さに天を仰いだ。
「……恋人に贈る指輪をなくすって、それはちょっと……」
「俺自身もそう思う。冒険者も名折れの展開だ」
冒険者とはどこの国にも属していない、旅人の事をいう。
基本、腕っ節が強い事が多く、指名手配犯の捕縛、大会、臨時雇いなど様々な方法で資金を稼ぎ、あてのない旅を続けている。
話によると男は旅先で運命の出会いをした。
紆余曲折を経て、彼女と恋人同士になり、そして彼女に贈る指輪をこの街で用意したところまでは良かった。しかしその後は聞いたとおり。無くしたのは三日前の事だった。
「どこに落としたか見当はついてるんですか?」
「いや……。すでに怪しい所は見て回ったんだ。それでも見つからなくて……」
男はこの三日間、臨時雇いの仕事をしていたという。
ちょうど祭りの準備で忙しく、不慣れな街中を歩きまわったそうだ。
つまり、探す範囲は街中全体という事になる。途方もない話だった。
ただ、その中で幸いな事は、街の外には出ていない。という事がハッキリしている事。
「そんな中、失せ物を探してくれる妖精の話を聞いたんだ。だから俺は……」
「無関係なパン屋に詰め寄った、ってわけですね」
「無関係って……パン売ってるじゃねえか」
「パン屋ですからね」
わかってるよ、と男はくしゃりと前髪をつかむ。そして心底困った、というように目を閉じ、ふうと長く息をついた。
カリンは男を気の毒に思った。
大切な物をなくし、藁をもすがる思いでこのパン屋にやってきた事が分かったからだ。
――この人は、本当に困っている人だ。
恋人に贈る指輪なのだ、単に買い直せばいいという話ではない。
きっと想いの詰まった素敵な指輪だったのだろう。
カリンはちらりとシルビアを見る。
小さな羽根の形をしたおやつパン、シルビア。
妖精への貢物のパン、シルビア。
人々はパンの名前が先で、そのパンのお礼に失せ物を探してくれるから、妖精を『シルビア』と呼んでいるけれど。
――だけど、本当は。
「……泉に、祈ってみます?」
「あ、ああ。そうだな。折角だし」
「それならもう一つおまけしときますね」
「おい。ホントに店潰れるぞ、アンタ」
「大丈夫ですよ。ちなみにアンタではなくて、カリンです」
男は目をパチクリさせたかと思うと、ニッと笑い「――ありがとうカリン。ちなみに俺はアルノーだ」と、身の上話を聞いた割に遅い自己紹介を終える。
「じゃあ、アルノーさん。健闘を祈ります」
「ホントに神頼み……いや、妖精頼みだからな。丁寧にお願いしてくるさ」
アルノーはパンの包みを持って店を出る。
カランコロンと小気味の良い音が聞こえて、店内は静けさを取り戻した。
カリンは店内のパンの在庫を確認し、あとどれぐらい追加を焼くか考える。
時計はお昼すぎを指しており、ピークは過ぎていた。
沢山焼いて、ダメにしてしまうのはいけない。
カリンはまだ来ていない常連さんを思い浮かべて、彼らの好きな物を少しだけ焼こうと考える。
ふと顔を上げると、窓越しにアルノーの姿が見えた。
パンの包みを抱えたまま、シルビアを取り出したところだった。
カリンはその様子を黙って見守る。
アルノーはシルビアを両手に、少し、長いぐらいに祈っている。
ありったけの想いを心の中で唱えているのだろうと思うと、自分の見立ては間違っていないとカリンは一人頷く。
窓から視線を外し、カリンは厨房に下がった。
その後、外で歓喜の声が上がるのを、カリンは見ずとも知っていた。
お読みいただきましてありがとうございました!!(*^_^*)