157話 後遺症とDGファイト
本日2話目
ナディアのインフェルノモードを経験してからというもの、俺にはある異常が出るようになった。
ナディアを前にしただけで、足がすくむ。前に動かない。
筋肉の硬化に手の痙攣といった諸症状が現れるようになった。
それもそのはず。
これまで俺は絶対強者からの明確な殺意などを受けたことが無かったからだ。
『目が合っただけで殺される』
そう感じる経験など初めての事。
怯えと恐怖の余り、その夜は同じ人化アラクネであるアデリーまで怖くなってしまい、ふわふわぽよぽよのソフィリアを呼んでもらってソフィリアにしがみつく程だった。
もちろん俺がソフィリアにべったりくっつく事で、アデリーがソフィリア対してキレるので、さらに俺がアデリーを怖がりソフィリアに滅茶苦茶抱き着くという悪循環が生まれる。
しばらくそんなことを繰り返していると、アデリーがとても悲しそうに消沈してしまい、俺はそんなアデリーの姿を見て、ハっとしてアデリーに恐る恐るながら声をかけるとアデリーが嬉しそうに俺を抱きしめた。
何度なく抱きしめられていた感触を味わい、アデリーの存在を思い出した俺はようやく安心し、自分を取り戻す事が出来た。
別にアデリーのふにょんが素晴らしくて自分を取り戻したというわけではない。
アデリーの俺に対する愛情、そして俺のアデリーに対する愛情ゆえである。
ふにょんだけじゃないよ? ふにょんは最高だけど。
少し時間はかかってしまったが人化アラクネでもアデリーは平気になったとはいえ、ふわふわぽよぽよはとても良いものだったので退行時よろしくアデリーに『ぼくちんコワイの』的に甘える事で、ふにょんぽよぽよに挟まれるという幸せな眠りの時を過ごす事ができた。
……だが、ナディアはダメだ。
どうしてもダメだ。
もう既に恐怖の対象として刷り込まれてしまった。
改めて対峙すると、それだけで冷や汗が出て体が動かなくなる。
流石の色魔ドカも
「あらら……ちょっとやりすぎちゃったかな? はは……」
と、反省したのか反省してないのかわからない雰囲気で頬を掻いていた。
尚、ナディアはツヤッツヤな顔で
「だらしないわねぇ……」
と嘆息している。
が、もうナディアの声すら怖い俺は、その日は上級レベルでのナディアの相手はもちろん、初級まで戻ってもまったく対応すらできないという状態に陥るのだった。
色魔ドカがナディアを下がらせた瞬間に、俺は膝から崩れ落ちる。
「これは重傷だね……」
と、色魔ドカの当惑の言葉が響き渡る。
その日は、色魔ドカからムトゥに渡すように手紙を預かって帰るだけで修業は終わりになった。
俺は、ナディアが心的外傷となってしまった事に対する憤りと、アデリーにすらそれが波及してしまったことの情けなさにストレスが溜まり、そのどうしようもない憂さを『DGファイト』で晴らすようになり、そして今日も『DGファイト』の幕が開ける――
「本っ日のぉースペシャルマッチィぃーっ!」
司会の声に舞台がまばゆい光に照らされる。
「青っコーナー! これまでの負けっぷりはどこに行った! 破竹、昇竜の如き勢いっ! 連戦連勝でランキングを駆け昇るぅっ! 正体不明のその男っ! マスク・ドっ! ワーンッ!!」
表情も目線すらもわからないようになっている派手な覆面。
ニアワールドでは誰も見たことがないだろう。
そう。プロレスの覆面である。
体には、カーボンファーバーとアラクネの糸で仕立てた、体にぴったりフィットするインナーのような戦闘服に身を包んでいる。
その戦闘服は、全体はカーボンファイバーの黒、間接等の柔軟性の求められる箇所にはアデリーの糸の白色。部分部分に愛情のこもった金色の糸の三色で作られ、ある種の禍々しさと煌びやかさを演出している。
この戦闘服は徐々にランクを上がっていった自分へのご褒美にアデリーに頼んで材料を渡して作ってもらったものだ。
その際に頭部分も作ってもらっているが、覆面ははじめに使っていた物がDGファイトでは馴染んでしまっている為、変えていない。
特徴的な装備で花道を歩き、闘技場へ向かう。
DGファイトの闘技場は石造りの10m四方のリングで、その周りは3m程の堀にマットが引かれ、そこからは観客席が広がっている。
もちろん3mの堀の一番外側には、魔法飛来を防止する為の仕組みや観客に攻撃が及ばないようにする為の結界が張ってある。
これは色魔の張った結界で、おおよそニアワールドに存在する生命にどうにかできるような代物ではない。
「うぉぉおおっ! マスクドワーン! 頑張れよー!」
「這いあがったヤツの力を見せてやれ~!」
「今日も賭けてるんだから負けるんじゃねーぞっ!」
花道を渡りきり、野太い歓声を背に受ける。
だが、俺の腹はもうすでに自分の不甲斐なさを相手にぶつけて思いきりストレスを解消する事にしか向いていない。
「今日も相手には悪いが、ストレス解消させてもらうぜ。」
まだ見ぬ対戦相手に対して小さく謝罪を口にする。
正直なところニアワールドの冒険者程度であれば、5人程が同時に襲ってきても余裕で駆逐できる程の力は得ていると理解している。
なんせナディア程怖くない。コレ、重要。
ショー的な盛り上がりや、アデリーへの実力隠しの為に苦戦したフリをしたりするが、ここ最近はランキングが上の人間と当たっても実際のところは楽勝ばかりと感じているのだ。
腕を組み、相手の花道を見据えて少し見下した気分で入場を待つ。
「赤っコーナーっ! ランキング上位の常連! 大力無双の金剛力! 今日も必殺の右が火を噴く!
小さな巨人――……はっ?」
慌てて走ってきた小間使いが司会を止め、何事かを耳打ちして紙を渡しそして去っていった。
司会は紙を広げ、そして驚いたように声を上げる。
「なっ!!? なんという事だっ!! 申し訳ありませんお客様! 急遽対戦者が変更となりましたっ!」
予想外の司会の言葉に驚きを隠せない。
「なんと勇者マドカの友人が急遽参戦が決定したとの事です! 賭け率が大きく狂いますが、なんと今試合の賭けに関しては、勝敗関係なく、既に販売された分に関しては、倍額の返金が決定っ! 全員にボーナス確定の特別試合となりますっ!」
観客から一際大きな歓声が上がる。
賭けの勝ちが決定したのだから当然だろう。
だがそれは問題じゃない。問題は『勇者の友人が参戦』という聞き捨てならないセリフの方だ。
「改めてご紹介しましょう! 赤っコーナーっ!
皆様ご存じ! 勇者マドカの軌跡に名を連ねるこの方っ! 期待されれば応えてみせようっ! クールそうに見えて熱き魂を持つ男っ! 剣士ー! 『ラザル』っ!!」
司会が名前を告げると会場は水を打ったように静まりかえった。
赤コーナーの花道の先に、かつて栄育院で会った事のある勇者のメンバー『ラザル』の姿があり、ラザルは上半身裸で、その姿は正しく歴戦の戦士が伊達ではないことを物語っていた。
ゆっくりと闘技場に向けて歩み始め、やがて怒涛のような歓声が巻き起こる。
「うぉおおーー!!」
「きゃあっ!! ラザルさまぁー!」
「なんてこった! なんてこった! こんなところ勇士が見れるなんて!」
「とんでもねぇ試合が見れるぞぉっ! 燃えるぅぅっ!」
「ラ・ザ・ル! ラ・ザ・ル!」
会場がラザルコールに染まる。
俺はまったく微動だにしてはいない。
大観衆のコールをその身に受けているにも関わらず、まるで柳が風を受け流すように、まったく重荷にも感じていないように軽々と闘技場に立つラザル。
にこやかに近づいてきて俺に声をかけてくる。
「ふふふ。突然すまないね。
なにせマドカからの連絡……というか命令や脅しに近い物が突然届くものだから、仕方なく参加させてもらっているのだよ。」
俺は何も答えない。
ラザルはいつかの栄育院で見たような紳士的な振る舞いを見せている。
「でもまぁ……流石に『いい勝負ができそうな相手がいる』なんて言われちゃあ血が疼いて仕方がないんだけどなぁ。」
ラザルの目がまるで狙いを定めたオオカミの如く凶悪な印象に取って代わる。
ラザルという人間は、根が熱血の口より先に手が出る系の人間なのだ。
穏やかな生活をしていたとは言え、その性格はそうそう変わる物ではなかったらしい。
後方支援に回っていたとはいえど、勇者パーティメンバーである力量に疑いの余地は無い。
だがそんなラザルを前にしても、俺は動かない。
「ふっ……いい勝負をさせてもらえそうだな。期待しているぞ。」
ラザルが踵を返し、開始位置に立ち、軽く首を左右に傾けストレッチをする。
俺はそんなラザルを前に、未だ全く動いていない。
俺が思う事はただ一つ。
『どどど、どうしよう』
だけだった。
単に事態についていけず、ずっと固まっていただけなのである。




