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カーテンの隙間から射し込む陽射しが部屋の中をモノクロから色彩のあるものに変える朝方の話。惠介は眠気眼をこすりながら洗面台に向かう。時刻は五時半。高校生が起きるにはまだ早い。惠介も早いと感じるがもう五年以上前からの日課だ。変えろと言われても難しいのはたしかだ。
じじじ。
惠介が顔を洗っているとリビングの方から聞きなれた音と嗅ぎなれた焦げ臭いにおいが。
惠介は溜息をはきながら洗面所を後にする。
「父さん、おはよう」
「ああ惠介おはよう。・・・ってそんな場合じゃない。やっちゃったやっちゃった」
目の前でまる焦げになった目玉焼きらしき何かが入ったフライパンを持って右往左往する無精ひげを生やす男は小野町三郎。惠介の父親だ。
「もう、父さんはいつも言ってるだろ。朝飯は俺が用意するって」
「でも、申し訳なくてでね」
「卵を無駄にしてることを申し訳なく感じて」
「すみません」
惠介は真黒な墨と化した卵をゴミ箱にシュート。それから慣れた手つきでフライパンにこびりついた汚れを洗い落とし、ナプキンで水気を取ると調理をスタートする。 その手際の良さにリビングで丸くなる三郎が余計に肩を落とす。そんな姿をキッチンから眺めている惠介は苦笑いをついついこぼしてしまう。
「父さん父さん」
「なんだい、この無能なゴミに何ようだい」
「俺、父さんの珈琲が欲しいな」
「ふっ、こんな何もできない男のコーヒーなんて飲めるもんじゃない」
「なに言ってるの。父さんのいれたコーヒーは俺が淹れた奴より全然うまいじゃない」
「そ、そうか?」
「だから、みんな俺の飯がなくてもコーヒーをのみにくるじゃないか」
「そうなのか?」
「そうだよ」
「そうか!」
まるで得物を見つけたサーバルキャットなみに飛びあがる三郎。そして嬉々としてコーヒーの豆を挽き始める。行動が褒められたあとにそれを何回も繰り返す幼稚園児の様だ。
惠介がスクランブルエッグと昨日から準備してた筑前煮、あとは簡単なサラダとトーストを皿に盛り付け。それを運ぶと丁度三郎がコーヒーを運んでくる。
三郎は目の前の食事に目を輝かせて飛びつく。
まったく、どちらが親かどうかわからない状態だ。そんな感じの小野町家の賑やかないつも通りの朝食ははじまった。
「で、今日はどうすんの」
三郎が新聞を片手に疑問を飛ばす。主語が抜けていて何のことだか解りづらい質問だが、惠介はばつが悪そうに視線を落とした。
「今日は店に出るよ。午前中行きたいとこあるし」
ぼそりとそう呟くと、言い訳をするようにコーヒーを飲み干す。三郎は何も言わず残り半分くらいになったトーストを口に放り込んだ。それから数分は二人の間に流れる会話はテレビから聞こえる女子アナウンサーのドジっ子を思わせる小粋なトークだけだった。
しばらくして食事は終わり、惠介はフードつきのパーカーを羽織る。そして、自前の自転車の鍵をもつと不意に三郎へ視線を向ける。
「父さん、今日の予定は?」
「ん、んん~」
なんとも歯切れのわるい答えだった。こういったときは大抵面倒事を抱え込んでいることを惠介は経験でしっている。だからこそ無視をする。
「女とザーヤクのお節介にはならないでね」
「お、お前!親を何だと思ってる」
「こんな俺を面倒見てくれる最高の親だと思ってるよ。じゃあ、行ってきます」
そう言って惠介は家を出る。そのあとすぐに家から『父さんがんばるぞー!』と奇声の咆哮があがったが無視する。ご近所さんがくすくすと笑うが無視だ。自然と熱くなる顔に何ともむずがゆい思いをしつつ惠介は自転車に跨った。少し、坂道になっている家の前の道をペダルを漕がずに下っていく。風がすこし火照った顔を撫でるのが何とも言えない心地よさを感じさせる。坂を下ってから、少しだけ自転車のタイヤを回すと目的地の前に着いた。幸咲神社だ。昨日訪れた神社になぜか意気込む惠介。まるで鳥居が待ち構えていた門番のようにこちらを見下ろしているように感じる。
(昨日のあれは夢だったのか)
昨日のあれ。
それは惠介が見た春先の幻想。
綺麗な銀髪の巫女服ケモミミしっぽつきのコスプレ女子が自分を待っていたと言っていた。惠介は突拍子もない状況にその場を逃げ出した。きっと疲れていたんだ。で、なければ自分はおかしくなってしまったんだ。そう必死に考えながら自転車を走らせていたのを覚えている。
「でも・・・」
惠介の頭の中には変な予感のようなものがもやもやと漂っていた。それがなんなのか確認してみたくなった。その好奇心が足を神社へと向かわせた。その気持を否定する想いと未知へのはやる気持ちで変な足取りになりつつも惠介は鳥居の前の石段を上がっていく。