後編
「それはそれは。私なんぞは、ただ忙しいだけの色気も何もない無粋な商いをするだけですよ。」
素敵な男性は皆そうなのですが、やすやすと懐に入れていただけません。この男には既に美しい奥方とか、目に入れても痛くないほどの可愛いお子がいるとか。まあ、ともかく順風満帆な生活を既に手に入れているか、商いに精を出しすぎて女に目を向ける暇がないか。といったところでしょうか。
いずれにせよ、何かで満たされている男性は大変魅力的に映るものです。
「忙しいということは良いことですわね。私たちは貴族でも後ろ盾があるわけでもございませんので、二人で自由に生きられるようにと、幼少の頃から母に習い、和歌に舞踏、歌と芸能に精進してまいりました。おかげさまで、ご覧の通り、双子の姉妹ということもあり、恋する間もなく諸国を旅しておりますのよ。楽しゅうございます」
歌うようにヤヨイ姉様は口上を滑らかにお話になると、男の顔は大きく頷きながら感心されているようです。互いの生業について質問しあったり、反対にこちらから男の商いに提案をしてみたり。
色気のない会話ではありましたが、双方、有意義な会話になったと思います。
「少し失礼いたします」
「お姉様、どちらへ?」
ヤヨイ姉様はにっこりとお笑いになり、縁台からそっと立ち上がったかと思えば、今度は近くの桜の木の方へ歩き出しましたの。そう、風に吹かれては散る花びらを愛でておいででした。
「ヤヨイ殿は聡明な上に美しい方ですね。あ、もちろん、あなたもですよ」
「ふふ。お姉様は美しいだけではありませんことよ。とても強い方なのです」
「ほう。確かに芯のある方とお見受けする。しかし、あのように可憐な姿を見れば、男は皆、お守りしたい、そう思うでしょうよ」
私は桜の木の下にいるヤヨイ姉様をつい目で追ってしまう男の横顔にほくそ笑みました。
「男の方に守って頂いたことなんて・・・。あの時も無用心だった私のせいで、お姉様は身代わりに野党の手にかかり。あ、ごめんなさい。このような話は茶屋でするものではありませんね。どうかヤヨイ姉様には内緒に」
とんでもないことを話してしまったと、私は俯きました。隣に座る男の膝に置かれていた握り拳が小刻みに震えておりました。この男を心から愛おしいと思えた瞬間でもありました。
何も知らぬヤヨイ姉様はお花見を堪能した様子で、私どもの元へ楽しげに戻ってまいりました。やり場のない憤りに震え、苦しんでいる男の泣きそうな顔を覗き込むように、ヤヨイ姉様は心配そうに膝を折ると、子供にしてやるように男の震える拳にそっと手を重ねたのでございます。
「どうされたのです?何か悲しいことでも?」
「いえ、何でもありません・・・」
重ねられたお姉様の手を避けることなく、男はヤヨイ姉様から伝わる体温を感じていたに違いありません。清らかで花のように微笑む美しい笑顔の背後には、妹を救うために野党にその身を差し出した勇気、健気さ、そして、そんな痛ましい過去があることを知ってしまった男の心にはどのような模様が描かれていたのでしょう。
「本当に?顔色が良くありませんわ」
「そうだわ、ヤヨイ姉様。この峠の先にある、私たちの家にご案内しては?」
「それがいいわ。お礼もしたいですし。あばら家ですけど、ぜひお立ち寄りくださいませ」
男は急な申し出に驚いているようでしたが、私は自分の役目を果たすように、男の耳元で囁いたのです。
「お姉様は久しぶりのお客人が嬉しいのです。どうかここは」
可哀想な身の上のお姉様を思い、その喜びを消すようなことはすまいと覚悟したのか、男は喜んで、とヤヨイ姉様に快諾してくださいました。お優しい方でしょう?
お姉様はいつの間にやら勘定を終わらせており、恐縮する男を急かすように、私たちは嬉々として茶屋を出たのであります。ヤヨイ姉様もなんだかはしゃいでいるようで笑えます。
男は急展開に追いつけず、ふわふわとした足取り。この先が思いやられますわ。
私は久しぶりにありつく甘いお菓子に、それはもう胸が踊っておりました。まだ若い、お姉様の隣を照れながら歩く男の後ろ姿をうっとりと見つめながら、私たち三人は峠の奥へ、奥へと進んでいきました。
そこから先はここでは語りますまい。
おしまい。
読んでいただきありがとうございます。
普段は三人称で書いていますが、一人称で書くのも楽しいですね。