剣姫
「ひい、ひい、ふう、ふう・・・」
南の大門を過ぎて外壁沿いの道路を走っていたが、さすがにきつくなってきた。
今までの領主の館往復に比べれば、すでに同じ距離は過ぎているはずだ。
先ほどまでのタッタッタッタッという軽快な足音は消え、ザ、ザ、ザ、ザ、と引き摺るような足音へと変化してしまっている。
南の大門までは、商業施設や木材商などが両脇に広がっている。
大門のそばには兵士の駐屯所もあり、朝のマラソンをしている人も多く見かけられた。
「坊主、つらそうだな。足元じゃなく、もっと遠くを見て走りな。下向いてたら危ないぞ。」
「あ、あり・・・がと・・・ご・・・」
息が苦しくて、お礼も満足に言えない状況だった。
果てしなく感じる行程を前に、コースを延長したことを初日にして後悔しているライルだった。
◆◇◆
「あ!ライルく~ん!もう少しだよ、がんばって!」
住宅の並ぶ外壁沿いの道路を走り続けると、やっと領主の館の壁が見えてくる。
南大門から向かうとラクアには言ってあるため、わざわざ門から南側の道路沿いまで出てきてくれていたようだ。
「ちょっとライル君、大丈夫?顔が白いよ?」
そういって差し出してくれたレモネードを、挨拶もせずにごくごく飲み込む。
甘すぎず濃すぎず、体の隅々にまで染み渡るような甘みと冷たさに、体に力が戻ってくるようだった。
「ぷはああああ、うまい!生き返ったー!」
一気に飲んでやっと、ラクアに向き直ったライルは、ありがとうといいながらコップを返す。
「あ~、よかった、死にそうな顔してたよ?」
「うん、最初飛ばしすぎちゃった。明日は、もう少しゆっくりと走り始めるよ。」
「無理しないでね、ライル君になにかあったら、私泣いちゃうからね。」
朝日に輝く銀髪を揺らしながら、地べたに座り込んだライルを心配そうに覗き込むラクアを見ていると、なんだかどきどきしてくる。
それにラクアは近すぎるのだ。今だって両手でライルの顔を・・・
「ラ、ラクアちゃん!ありがとね、学校の時間になっちゃうから、家まで走るね。また学校で!」
なんだか気恥ずかしくなったライルは、慌てて立ち上がり、レモネードの礼を言いながら家に向かって走り出した。
◆◇◆
教壇に立ったデガン先生は、ワーズワースの大迷宮とロンドベル自治領の関係を簡単な図に書いて説明してくれている。
南北の大門と東にある領主の館、西にある迷宮を描いた後、自治領の外郭を大きく正方形に書いた。
4つの辺は丸くなっており、今朝ライルが走った場所も大きく孤を描いていたことを思い出す。
「ロンドベルの地図はおおまかに4つの区画に分けられる。東西南北を分ける大通りは、ボリーバル公園を中心にして四方に貫いているのはみんな知っているな?」
はーいという声を聞いて、先生は続きを話す。
「ワーズワースの大迷宮は、この大陸に点在する迷宮の中でも有数の大きさと踏破の困難さを誇っている。恐らく深さは50層を超えて、今も成長しているのではないかとも言われている。
しかし、古くから知られていることと、低層ではそんなに強くはない魔物が多いため、初心者でも挑みやすい迷宮とも言える。
通常40層を越えていける冒険者はそんなに多くはいない。LVが平均40を超えるパーティーで、なんとか40層に到達できるくらいだ。
そんな中でも、このロンドベル自治領の冒険者学校出身者だけで組まれた、剣姫率いる『金色の太陽』と呼ばれるパーティーは、40層を突破し、冒険者学校の名前を大陸全土に広めてくれた。」
ライルはその話を聞くと、昨夜聞いたばかりのママの武勇伝が本当だったことに嬉しくなってしまう。
さらにデガン先生の話は続く。
「先生は駆け出しの冒険者だった頃に、剣姫に引率されて迷宮探索を訓練してもらったことがあるんだ。今はこうやって落ち着いているが、その頃は粋がって迷宮なんか楽勝だ!って思っていたんだよ。
確かに9階までの動物に毛が生えたような魔獣には負ける気がしなかったくらいだが、10階のスコーピオンキングに出会ったところで、完全に萎縮してしまった。
先生と同じくらいのサソリだったが、上半身が人型でな、二振りの剣を振りかざして突進してくるんだよ。その人型の目が真っ赤に燃えるような4つの目でな、睨まれると体が痺れるように感じたもんだ。
そいつが振るう剣の動きが先生には捉えきれなくて、もう逃げるしかないと思ったんだ。」
先生は話しているうちに興が乗ってきたのか、口の端に泡を吹きながら、身振り手振りさらには体を捻らせたりしながら、熱弁を振るい始めた。
前に座っている子達は、机を引いて先生から離れようとしている。
「そんなときだよ!後方で俺達の戦いをこれまで黙って見ていた剣姫が、俺達の前に飛び出してきたんだ。スコーピオンキングの縦横に振るわれる剣戟をくるくると回転しながら弾き返し、そのまま押し込んでいくと、スコーピオンキングは持っていた剣を振り下ろすこともできなくなって、バンザイの格好をしていたよ。
俺達がそれに見とれていたらな、剣姫は俺達のほうにすたすた歩いてきて、なんと言ったと思う?」
みんな話しに引き込まれて目が輝いている。だって冒険者になりたいという夢を持っているんだから、怖いという思いよりもわくわくしてきたって感じているに決まっている。
「剣姫はな、スコーピオンキングを見もしないで、俺達一人一人を見て、授業を始めたんだ。
『やり直し。前衛は盾で突進をしっかり止めないとだめでしょう。
弓のあなたはあいつの上半身の胴体をしっかり狙って撃ち続けるの。頭になんか当たらないんだから。
魔法は、迅速と腕力強化を前衛にかけなさい。もし魔力が余ったら、足にウインドカッターを連発して移動できないようにして。』
と一気に言いやがった。なんでこの人は、あんな強い魔獣を無視して、俺達に攻略方法を伝えているんだ?とか、なんで一気に倒さないんだ?とか思ったよ。
でもな、思い出したんだよ。引率者は、俺達を強くするために一緒にいてくれるんだってな。守るために引率してるんじゃないって、気づいたんだよ。」
「先生、それでどうなったの!?」
「やっつけたの?」
みんな身を乗り出して続きを待っている。みんなをゆっくりと見渡したデガン先生は、どっかりと椅子に腰を下ろし、教壇に手を組んで続きを話し始めた。
「先生は大きな盾を体の前に持ち、もう一人の前衛と一緒にしっかりと腰を下ろして壁を作ったんだ。剣姫が引いたことで、拘束が解けたようにスコーピオンキングは前進してきた。
すると味方から身体強化の魔法が飛んできてな、絶対に受け止めてやる!って気持ちになった。
事実、あんなに恐ろしく思えていたスコーピオンキングの打ち下ろしが、しっかり見えてたんだ。仲間の弓が何度も弾かれながらも、敵の胴体に刺さると、スコーピオンキングは一旦俺達から距離を取った。
そこにウインドカッターの呪文が飛んで、右の後ろ足を切断した。
隣の前衛と頷き合い、駆け出した俺は、持っていた剣を右下からスコーピオンキングの右わき腹に突き上げた。」
みんな息をするのも忘れたように、先生の突き上げた腕を見ている。
みんなの頭の中には、そのときの先生とスコーピオンキングが見えていることだろう。
「左から行った仲間の剣先も、きっちりと左わき腹に刺さって、そのままスコーピオンキングは崩れ落ちた。俺達は、初めてボスモンスターを討伐できたってんで浮かれたもんさ。仲間のところに駆け寄って、肩を叩き合ったんだ。剣姫にも褒められて、嬉しかったなあ。」
みんなすごい!とか、やったあ!とか、先生の武勇伝に興奮している。僕も一緒になって拍手したが、聞きたいこともあったので質問することにした。
「先生、そのときのドロップってなんだったんですか?」
みんなも興味があったようで、騒ぎは収まって、また先生に注目する。
先生は、発言した僕を見ると、懐かしいものを見るように目を細め、笑顔を作る。
「おお、ライルか。お前は戦闘よりお宝の方に興味がありそうだな。
初めてのボスのドロップということで、今も大切に身に着けているんだよ。ほら、これだ。」
そう言って先生が見せてくれたのは、革のネックレスにぶら下がった、真っ赤な宝石のような石だった。
「スコーピオンキングの魔眼だよ。恐怖や、萎縮なんかの状態異常に耐性を持っているんだ。」
みんなは一様にポカーンと口を開けて、その魔眼に見とれていた。
◆◇◆
「ママ、今も身に着けたりしているドロップとかあるの?」
家に帰ると早速、剣姫に質問を投げかける。
「ドロップ?ああ、魔獣から出る素材ね。今身に着けているのはこれだけよ。」
そう言ってママは左手の指輪を見せてくれた。大粒の透明できらきらした宝石を中央にはめた白銀にきらめく高そうな指輪だ。デザインも細かい模様が精巧に彫られたもので、一目で上等なものとわかる。
「指輪?どんな効果があるの?」
「好きな人と結婚できる指輪よ!すごいでしょ!」
「すっげええ!・・・え?」
それってただの結婚指輪なんじゃないの?しかもパパの指輪とおそろいだったよね?
「ライル、あなたもこんな指輪を好きな人に贈れるように、今日から鍛えましょうか?」
なんかはぐらかされたような気がしないでもないけど、剣姫の指導をマンツーマンで受けられるとなって、浮かれてしまった。
浮かれたのは、その指導が始まるまでだったけどね・・・。
指輪の効果は、対になった指輪の持ち主のところに飛んでいけるというものですが、ライルには秘密のようです。
絶対に浮気はできそうにありません。