DAY1(想像上の檸檬風味)
初めてのキスは、檸檬の味。それは、リモネンに似た成分が体内で生成されて、利用されているからである。でも、僕はまだ実際の味を確かめた事は無かった。大学2年生なのに……
そんな瑣末な事を考えていると、実験終了の合図が大学教授の先生より告げられる。
「おつかれ。」
「おつかれ。」
いつもと変わらない学生間の挨拶。それを契機に電池から電子が放出されるように一斉に実験室から学生があふれ出す。いつものように僕はポケットから音楽プレーヤーを取り出す。後は、帰るだけだ。いつもより長くかかってしまった。早く帰って食事の準備をしないといけない。これだから、一人暮らしは辛いのだ。帰り道は自転車で坂道を下る。頬に涼しい風が当たり、夏真っ盛りだが自転車に乗っている間は、クーラーは必要なさそうだ。明りの付いているはずの無い自分の部屋に向かう。予想通り、明りは付いていない。でも、いつもと違って部屋の前にお客さんがいるみたいだった。自転車のライトで照らしてみる。訪問者は、同じアパートに住む後輩のようだ。
「すいません。多分、鍵を学校に落としてしまったみたいで」
これで3回目だ。年頃の女の子なのに気を付けて欲しい。
「学生サポートセンターには行ってみた?」
もう慣れたやりとりだった。
「もうすでに開いてなかったみたいで……」
やっぱり。そうだと思った。もし、学内で落としたらサポートセンターに届けられるはずだ。また、この後の展開ももう読めていた。
「だから、いつも通り部屋に泊めて下さい。なんでも料理作ってあげますから」
ですよね。そうだと思っていた。かばんに鴉のストラップを付けている目の前にいる後輩は言う。年頃の女の子が男の子の部屋に宿泊をお願いするとはどういう事か分かっているのだろうか。いっその事、招き入れた後に押し倒してみようか。妄想を膨らませながらも自分にそんな勇気がない事は自分が一番良く知っているはずだった。
「はいよ」
汚部屋に入れて毎度の事罵られるのは辛い事だが、女の子の手料理が食べられる事を想像し自分を無理やり納得させる。
「相変わらず汚い部屋ですね。どうしたら、こんなにも汚くなるんですか」
変わらない入室前の挨拶を頂きました。その後は、慣れた様子で冷蔵庫に真っすぐ向かうみたいだ。
「了解です。ちょっと座っていて下さいね」
冷蔵庫の中身と相談して、レシピを決められるスキルは本当に凄いと思う。そんな事を考えると共に僕は恐れている質問を彼女にぶつける。
「今日は金曜日で、明日と明後日は学校開かないけど、もしかして……」
「だめですか?」
やっぱり。ですよね。そうですよね。この子は3日間も家に泊まるつもりなのだ。後輩はテーブルの上に2人分の料理を運びつつ、5文字で3日分の宿泊権を獲得しようとしていた。
「だめじゃないけど……」
「じゃあ、良かった。宜しくお願いします」
断られないように間髪を開けずに返答される。あっさり、権利を手渡してしまった。この肝の据わり具合は、自分より年上であるかと錯覚させられる。
僕は、自分の事を一言で表すと「益体無し」だと思う。だけど、せっかくならこの3日の間は精一杯もてなして文句ばかり言う後輩から感謝の言葉を引き出してみたかった。そして、あわよくば……。
彼女が作った料理は肉じゃがと野菜炒めだ。そして、とても美味。隠し味に調味料の檸檬エキスを入れたのだろうか?肉じゃがからはふんわりと檸檬エキスの味がする。その味は何かが変われるかもしれない。僕に勇気をくれる味だった。
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いままでに書いたのは短編4作です。
長編は初めてです。