史川転声
午前十二時
京城北岳山山頂、中国紅巾軍陣内
急報が齎された。
「何、北洋水師と鄭和が死んだだと?」
「何?」
陣の中に激震が奔った。
極東最強の艦隊、北洋水師の撃滅。これは、単純に中国全体が一気にレッドゾーンへと踏み込んだ事を意味する。残る艦隊では、とてもではないが、温存し続けている日本の艦隊に立ち向かえない。唯一望があった北洋水師が潰された今、これ以上進軍しても対馬海峡に阻まれる。勿論、日本側が徹底抗戦の構えを見せている以上、損害も只ならぬものになるだろう。そして、今度こそクロマイト作戦が実行されるに違いない。
「どうする……」
撤退か。
戦闘続行か。
朱元璋は難しい決断を迫られた。
同時刻
京城南山山頂、日本軍陣地
此方も仁川での一件が急報として届いていた。
「良し!」
「これで、こちらも動けます!」
輝元は報を受けるとすぐに指示を下し始めた。
此方は最初から、あらゆる場面を想定している。
例え、仁川での北洋水師鹵獲作戦が叶わなかったとしても、作戦終了の報を聞きつけ次第、漢江南岸までの撤退が織り込まれていた。
「撤退する!」
すぐに南山に居た日本軍は野戦陣地を撤収し、山の南側から一目散に駆け下りた。そして最も近い、漢南橋の南側に新しい陣を敷き始めた。
前線に居た全員が渡り終えたところで、橋を爆破、落とした。
午後一時二十分
京城景福宮前
景福宮の守備に付いていた権慄に下された命令は、日本軍の追撃であった。
もう既に朝鮮の兵はあまりの両軍の強さに押され、一人また一人と命を散らしていく。
既に勝ち目など、どこにも無い事は明白だった。だが、それでも熱病に冒されたかのように王である世宗は、徹底抗戦を吼え続けている。無駄に将兵の命を散らすのは、軍人として有るまじき事だが、上官の命令に反するのも軍人として有るまじき事である。
大田と仁川は落とされた。
他の都市も既に風前の灯の状態である。
ここで講和に持ち込み、多少有利な状態で約定を結べば、命くらいは。
そんな思いが、権慄にはあった。
だが、命令が下った以上仕方ない。すぐに兵たちをまとめ、南山の山麓を掠めるようにして、日本を攻撃していた一団を拾い上げる。側面から中国の分派軍が迫ってきたが、何とか切り抜けた。
だが、こればかりは、どうしようもない。
市内を流れる大河の橋。
それが黒い煙を上げて、瓦礫に変わっていた。
勿論、犯人は対岸で旗をはためかせている日本軍に間違いない。意外に水深の深い漢江を渡るのは至難の業である。オマケに後ろからは、巻いた筈の中国軍の左右軍が迫る。
背水の陣とは、まさにこのことである。
日本はどうやら高みの見物を決め込むようだ。
「そんな事はさせん!」
半数に川を渡らせ、残るは全力で中国の迎撃に当る。
「徹底的に戦うぞ!」
「おおお!」
千人ほどの声は、朝よりも小さくなっていた。
午後一時三十分
京城北岳山山頂、中国陣地
撤退か否かを思案していた中国側、朱元璋の陣。
ここでは新しい問題が持ち上がっていた。海軍戦勝の報を聞いて活気付くはずの日本軍が川の南へと避難したという事。同時に、捕まえた日本兵から情報を抜き出していると、遊撃隊が市内へ入り込んでいるという。
その別働隊の目的までは兵は知らなかったが、凡そ判断は付く。
狙撃による一撃必殺。
それで両軍の首脳を討ち果すこと。
確かに策としては、最高だろう。
だが、ここは山の山頂。山の中腹にいるならば、幾らか攻撃も届いたかもしれないが、この場所からなら接近してくる敵は全て眼中に入る。
「小ざかしい真似を……」
敵が少数精鋭で迫るならば、絶対的に敵わない力の差を教えてやればいい。
川向こうに批難した本隊は、橋を落としてしまったという。つまり、此方から追撃は出来ないが、逆に言えば、相手も救援に駆けつけられないということを示している。
ならば、虎の子の遊撃部隊を燻り出す。
それで、この戦は終りだ。
簡単なことだ。人海戦術を効率的に駆使すれば、すぐにでも炙りだすことが可能である。
「市内に火を放て」
すぐに伝令は最も市内に近い位置に居る両翼の二将軍へと総大将の命令を伝えるべく、山を駆け下りていった。
午後二時十三分
京城、奉元寺境内
さして広くもない、中国式の仏閣に男たちは居た。
「街全部が戦場じゃぁ……」
クタリと伽藍の柱に背を預け、雑賀孫一は呟いた。
現在、二十五人。これが今、市内に残っている日本軍の全てであり、孫一直轄の軍隊であった。あくまでも彼は忍者軍団の首領であり、武士ではない。大軍を率いての野戦は不得手であった。
戦いの前に、総大将である輝元と話した事を思い出す。毛利元就の孫として、坊ちゃんっぽく育てられたかと思ったら、意外に利発な青年であった。決して、親や祖父の七光りでもって、総大将に任じられたのではない。
確かな実力と、耐えうるだけの根気。
その二つを兼ね備えた有能な大将であった。
「なら、俺も期待に応えなならんの……」
南山を降りてから、ここまで四キロ程度。
何時もならすぐにでもたどり着ける距離だというのに、戦場の四キロというのは、普段の三倍にも四倍にも感じる。オマケに寡兵だ。見つかった瞬間全滅で、作戦失敗である。移動は慎重に慎重を期した。
懐から地図を取り出す。
横合いから部下の蛍が覗き込んできた。自分の年齢の半分ほどの、まだ小さい女の子である。だが、夜目が利くので、孫一は副官に選んだ。
「まだ日は高いの……」
寡兵で、尚且つ、暗殺任務となると夜、若しくは雨天が望ましい。
だが、空は雲ひとつない五月晴れの天気である。降雨をこの天に期待するのは、猫が戯曲を書き上げるよりも期待できないだろう。
「これじゃ……」
午後二時四十五分
京城西大門
意外に城壁に囲まれた西の門は固く、未だに突破されないでいた。
そもそも細い路地に五万もの軍勢を並べる事が失敗なのだ。数がいても一度に掛かれる人数は限定される。果断無く攻められるといえば聞こえはいいが、待っている兵は退屈で仕方がないに違いない。
「おのれ、東夷の癖に小ざかしい真似を……」
李善長は苦々しい気持ちを、肺一杯に浸してから声と一緒に吐き出した。感情の毒は、周囲へと広まり、戦場の空気と一緒に攪拌される。
「閣下」
「何だ?」
「総大将からの命令です」
李善長は伝令の顔を見つめて、青ざめた。
朝から攻略を続けて、未だに落せていない。東大門は既に崩れて、市内に突入しているというのに、此方に兵が集中していたようである。もしかしたら、業を煮やして大将の変更を命じに来たのかもしれない。
「西門は焼いてしまえと」
「了解した」
李善長は下卑た笑いを浮かべて、部下に矢の変更を命じた。
午後三時三十分
京城景福宮内
ここに上がってくる報告は、軍の敗退報告ばかりである。
何とか南山は撤退して、碌な兵を残していなかった日本軍から取り返したが、市内各地に毒のように侵入してくる中国軍になす術もなく撤退を韓国軍は繰り返していた。
「東大門を突破した中国軍、昌慶宮に到着!」
「南山を下りた日本軍、漢江の南岸にて動かず!」
「おのれ、神である王に逆らいよってからに……」
ギリギリと世宗は、爪を噛みながら作戦を考えていた。
だが、最早ろくな戦術はない。朝に居た三万五千の兵は、今や一万まで数を減らし、兵装もぼろぼろのまま、最後の拠り所である王の居る景福宮へと殺到しているのだ。
「陛下、降伏を……」
「ええい、ならん! ならん!」
そんな風に膝を付く事を進めた臣下に怒鳴り散らす。
「降伏だと、この七万の積み得た叡智を持つ我らがか?」
ギロリと冷たい独裁者の目を向けた。
「ふざけるな!」
首を掴んで、思いっきり睨み付けた。
「二度と、口にするな。我らは負けん」
「陛下。大変です」
「何?」
「市内一円から火の手が!」
午後三時四十七分
京城全域
本隊から離れていた中国軍は、市内各地の建築物に火をつけ始めた。
殆どが木造の建物だ。燃え広がるのは早い。あっと言う間に燃え広がり、市内を夕日にも似た赤い炎が弄り始めていた。別に、通常の行為である。いつ、どこから敵がやってくるか解らない中で、敵が隠れられそうな場所を残してやる義理も義務も無い。
京城は盆地にあり、そして城壁で囲んでいる。
一度、どこかから燃え始めると、誰も外へ逃げる事が出来ない。加えて山を駆け上った風が四六時中吹き込んでくるものだから、火勢は加速度的に増し続け、京城の街並みを灰へと変えていく。
ましてや今は戦時中。この場所を舞台に龍が二匹猛り狂っている。どこにも逃げ場は無かった。そして、南山にいる部隊と連絡が取れなくなってしまった。
無辜の民が燃えていく。
呆気なく、何でもない人間達が現世に現れた火炎の地獄によって、消えていく。
午後四時
京城仁旺山山麓北部
雑賀隊は激戦区となりつつある北岳山南部と景福宮の付近から大きく迂回して、この道を通っていた。目立たないように、遭わないように、隠密に進んできた。
市内が赤くなっている事にも気が付いている。
だが、それで心を痛ませている場合ではない。
「さて、もう少々、辛抱じゃな」
彼らには彼らの成すべき事がある。
「じゃが、この状況、伊勢長島を思い出すな……」
「不吉な事言わないで下さい。兄上」
思わず呟いた一言を、孫六に窘められた。
午後五時
京城景福宮
玄関前の吹き抜けはけが人で溢れかえっていた。
流れ出る血の匂い、焼けた鉄の匂い、吹き抜ける硝煙の匂い。
戦場に流れ、掻き混ぜられていく雑多な匂いが、この部屋には充満していた。
徹底抗戦を決定した韓国軍が取った策は、完全なる篭城だった。全ての兵員を景福宮に収容し、最後まで戦い抜くという覚悟の表れ。
ここで耐え忍べば、他の都市から応援が来てくれるかもしれない。
ここで耐え忍べば、諦めて両軍とも引き上げてくれるかもしれない。
そんな淡い希望を持って、生き残った兵も民間人も全員が宮殿の中に入っていく。元々が宮殿だ。王様の住まう場所以上の価値は全くないと言ってよい。
日本式、西洋式、中国式、何れの様式にも当てはまらない脆く、弱弱しい楯である。そもそも国内に於いて、碌な戦乱を経験した事のない朝鮮では「防御」が圧倒的に掛けていた。いつ敵に攻められても篭城できるように造られた三式の城とは、比べるべくもない。
だが、それでも。
市内は燃える。
橋脚は落ちる。
そんな絶望的な状況の中で、確かにこの楯は安心できる楯だった。
午後五時十二分
京城北岳山山頂、中国陣営
「何、韓国は篭城戦を始めただと?」
報告を聞いた朱元璋は驚いた。同時に、作戦の失敗を悟った。
元々、この焼き討ちは市内に潜伏しているだろう日本の遊撃隊を燻り出すための作戦だったのだ。韓国軍はあくまでも、ついで、である。それが完全に景福宮に篭城したとなると、今度はこの陣の本隊が動きにくくなってしまう。
「失敗だな……」
この作戦は却って、此方の動きを制限してしまった。
ならば採るべき方策は一つだ。
何処にいるかが解らない日本よりも、解る相手を潰す。
「全軍に伝令」
「は」
報告を上げた小姓に、再び伝令役として走らせる。
「隊を纏め、景福宮を囲め」
それは無慈悲な指示。
「午後九時より一斉攻撃を掛ける」
四時間後、韓国は死ぬ。
午後五時三十分
京城景福宮内
中国軍から文が届いた。
煌々と燈る巨大な篝火の中、午後九時からの一斉攻撃の伝令だった。
逃げ場のない中で下された一斉攻撃宣言。それは篭城している人間達の、危機感と恐怖感を煽るには十分な材料であった。宮殿の外で燃え盛る炎のように、宮殿の中でも不安と恐怖の炎が、ゆっくりとアルコールに灯したように青い火を上げながら、燃え始めた。
勿論、その青い火に焼かれているのは、篭城戦の総指揮を執る世宗も例外ではない。
敵は二十万の大軍。
この玉室の窓から外を覗いても解る。
迫る大軍が大地を轟かせ、空を裂くほどの大声を上げている。
小さく弱い楯が、ビリビリと痺れたように震えている。
午後六時二分
京城景福宮外苑
三方向を中国軍は囲んだ。
勝利の間違いない中国軍は、残り少ない糧食を盛大に使ってしまおうと酒盛りが始まっていた。呑気なのではない。勝利の前祝、景気付けであると同時に、糧食を断ってしまうことで、不退転の覚悟を示すのだ。
末端の兵から、下士官、上士官に到るまで皆が大騒ぎしている。彼らは傭兵のようなものだ。普段は兵隊という職業には就いていない。田畑を耕している者もいる。漁業に勤しんでいる者もいる。そんな勝手知ったる人間達を繋ぎとめるには、やはり食と金なのだ。
炊煙は、煌々と昇り始めた月に白く際立っていた。
午後八時
京城北岳山山頂
中国軍は、この山頂に一日築いていた陣を引き払った。
本来なら、対面しているばすの日本の撃滅が目的であったが、彼らは川向こうまで逃げ去ってしまった。いまさら、えっちらおっちらと船を用意して、追う事は叶わないので、この際、贅沢は言わず京城陥落でも問題ないだろう。
首都を落せば韓国は負ける。韓国との交渉で南部の港湾の租借を認可させ、その港を基点にして日本へと集中攻撃をかければ良い。
張家口から、満州から、敦煌を越えて遥か彼方長安を目指してきている部隊もいる。
三カ国連合の総数は、二百万。
何時までも、韓国如きにかかずらっている場合ではない。
全速力で山を駆け下り始めた。
午後八時五分
京城北岳山北方中腹
山林の中に、二十五人は身を潜めていた。
夜を迎えて、月明かりが煌々と木々の間から漏れている。
意外と明るい夜である。誰か一人でも声を上げれば、途端に人間の奔流に流され、意識も命もどこかへ消えてしまうに違いない。だが、それでも作戦のためには仕方が無い。犠牲が出ることなど承知の上の作戦だ。出なければ、最高に運が付いていたと思えばいい。
「作戦開始じゃ」
孫一は、そう部下達に告げた。
全ての信頼を自分へと預けるという、指揮官としては愚の骨頂ともいえる作戦である。部下に「死ね」と命令しなければならない上官が、どれだけ辛いか。孫一は笑えなかった。
「スマンの、ワシはお前らに死ねと命じなならん」
「何を言いますか」
孫六は笑いながら、言う。
「兄上の実力は、ここの皆が知っています」
笑いながら、弟は話を続ける。
「生きて雑賀に帰りましょう」
生きて帰る。そのためには、勝つしかない。
「ちゃんと成功させて、大手を振って帰って、皆に自慢してやりましょう」
「そうじゃな」
孫一は膝を打ち、力強く立ち上がった。
「ここの二十五人、皆、生きて雑賀へ帰るぞ!」
午後八時六分
京城北岳山南方中腹
雑賀衆は展開を迅速に終えた。
運命の一瞬まで、あと四分。
午後八時七分
京城北岳南方中腹
最後の余力を持って景福宮に立て篭もる韓国軍を撃滅すべく、山を下りていた中国軍。
彼ら全員の耳が銃声を捉えた。
一発。
二発。
三発。
続けざまに三回。
「負傷者は?」
先頭を走っていた徐達がすぐさま後続へと伝令を下した。
「居ません!」
「恐らくは日本の遊撃部隊だろう。探せ!」
「は」
淡い月明かりを焼いて、松明を持った探索の兵が木々の中へと分け入って行く。こんな風に人海戦術で敵を探せば、どこへ逃げようとも簡単に見つけられる。
闇の中においても尚、熱を発する銃が白煙を上げている。
このような戦場から離れた場所で、銃を単発射撃するのは命取りでしかない。立ち昇る硝煙で簡単に敵は見つかるはずだ。
午後八時八分
北岳山北方中腹の三箇所
「見つけたぞ!」
中国軍は、白煙の昇る場所を見つけた。
大きく散開して進軍していた為に、非常に発見する事は容易かった。此方へ発砲した部隊がいるはず。全員を捕まえて、引きずり出してと、そこまで考えて兵は動きを止めた。
あるのは、白煙を上げる一丁の銃。
触ってみれば、まだ銃身は、仄かに熱い。火傷しそうな熱を持って、山林の中に放置されていた。まるで、敢えて白煙が昇るように仕向けたかのような、銃である。
「まさか……」
兵は直感で、敵がどこにいるのかが、解ってしまった。
だが、それを伝える術は無く、また存在していたとしても、きっと総大将には届かない。
午後八時九分
京城北岳山山頂
中国軍が破棄した陣に、その男は現れた。
「確か、中国じゃ北斗七星の揺光を破軍星と言うんじゃったかの?」
雑賀孫一。
狙うのは、敵に攻められる心配のない後方。最も後ろを進む部隊。
つまり総大将のいる部隊。一人馬上にいる一際派手な服装をした男。背後からの攻撃など全く予期していないのか、ゆるゆると馬に乗って、なだらかな坂を下っている。
茂みの中から飛び出した瞬間、彼の頭に狙いを定めた。彼は破軍の星を背にして戦おうとしている。確かに、背にして戦えば、常勝が齎されるという恒星。
星影はさやかに、月明かりに掻き消されそうなほどに小さい。
「残念じゃが、その加護はワシが貰うとしよう!」
放ったのは、一発。
たった一発の銃声が、夜空を裂く。
たった一発の弾丸が、空気を穿つ。
その弾丸が放たれた瞬間、両国の運命は決した。
午後八時十分
北岳山南方中腹
四発目の銃声は、山を下っていた最後尾の陣にも聞こえた。夜の闇を引き裂いて響いた銃声はどこから飛んでくるのか。こんな風に暗くては、確かめようもない。
「どこだ?」
朱元璋は松明の向こうの闇を見つめた。
「探せ!」
―――歴史は、歯車のようなものだと誰かは言った。
人の営みによって何時までも回転を続ける歯車なのだと。
総大将の命令を受けて、配下の兵達が狙撃手を探す。だが、こう暗くては狙撃手を見つけるのは難しい。進軍する自軍にとって狙撃手というのは一番厄介な敵なのだ。
此方は反撃が出来ない。だが、相手は行軍の列に打ち込めば、それでいい。死傷が出なくとも、十分に行軍を遅らせ、兵の脚を押し留めるだけの力がある。
―――だが、時として。
放たれた、たった一発の弾丸が。
何気ない、たった一言の流言が。
その歯車を大きく狂わせ、世界に変革を齎す事もある。
指示を出し終えた太祖は、弾丸を見つけて、その両の目に焼き付けていた。
自分の脳天を目掛けて、真っ直ぐに迫ってきている一発の弾丸を。
そして、山の山頂で呵呵大笑している男と、嬉しそうに笑っている少女。
この場所から山頂が見えるはずはない。もしかしたら永い、永い、永久にも感じられるような彼の戦い抜いてきた人生が見せた、一瞬の幻だったのかもしれない。
(まさか、山頂から……!)
撃たれたのだと悟った。
悟って。
解って。
それで納得してしまった。
この弾丸が、戦いの終りを告げる鐘なのだと。
そして、彼は馬から落ちた。落ちたときには、既に彼は息絶えていた。




