第7話:魔王国
魔王はでかい廊下を闊歩していた。
でかい、とは仰々しい言い方かもしれないが、魔王城ではこれが当たり前だった。
何せ、地面から天井まで約六メートルあり、壁と壁の間は五メートル程の幅で作られている。その理由は魔王の身体の大きさにある。魔王は普通の魔族よりも三倍近くある巨体ため、城の中全てにおいて大きめに作らなければ生活も儘ならない。
それでも魔王にとっては窮屈な場所に変わりない。だからといって、魔王の全ての要望を叶えてしまうと、魔王城だけでとんでもない大きさと広さを必要としてしまう。領土に限りがある以上、贅沢はできない。
目的地に着くと魔王は屈んだ姿勢で扉を開けた。面倒だと感じながら魔王は部屋へ入ろうとする。
何故屈む必要があるのかというと、自室と出入口を除いた扉は全て広大な廊下に合わせて設計されていないからだ。これもまた魔王に合わせてしまえば、扉の開け閉めだけで一苦労することになる。そのため、魔王が屈んでやっと入れる大きさで統一されたのだ。魔王に不満は勿論あるが、城を利用する全ての者のことを考えれば、そんな我が儘はできなかった。
入室してから最初に魔王の目に映ったのは、上半身を開けた女性の背中だ。その背中が扉の音の気づいてこちらに振り返る――開けた上半身ごと。今の自分の状況を忘れているのか、魔王を見ても自然と話しかけてくる。
「あら、速かったのね。・・・・・・どうしたの?」
「いや、まあ・・・・・・」
おそらく顔を真っ赤にしているであろう魔王に女性は首を傾げる。女性の向かい側にいる老婆がニタニタしながら、からかうように「まあまあ」と呟いている。
腰の中程まで届くさらりとした薄い青色の髪に、丸みを帯びつつもほっそりとした小顔。腰は括れ、四肢はすらりと伸びている。外見こそ二十歳前後の若者に見えるが、実年齢は向かい側の老婆より何倍も上だ。
そして、この少女のような容姿の女性が魔王国建国の立役者だ。立場上、魔王が魔王国を建国したと謳っているが、その経緯はこの女性から始まった。何も無かった魔王にきっかけを作り、今日という日まで傍で支え、導いてくれた女性。
故に、この上半身裸の女性は魔王にとってとても大切な存在だ。
魔王は女性の名を呼ぶ。
「・・・・・・フェルミア」
「何?」
年齢に合わない幼さを感じさせるつぶらな瞳を向けられ、魔王は言い淀む。だが、頭を掻きながら決意する。
「服が脱げているぞ」
「へ・・・・・・?」
フェルミアは視線を真下に向けると、自分の現在の状況は把握する。すると、見る見る内に顔が羞恥で真っ赤になり、慌てて両腕で胸を隠す。そして、羞恥から怒りへと顔を染めていく。
「き、気づいてたならさっさといえぇえええええええええっ!」
「ぐうおっ」
叫びながら魔王の顔面にきつい蹴りを入れられる。魔王は中途半端な入室のせいで後頭部を扉の角にぶつけた。ぶつけたところを押さえながら魔王は蹲る。
その隙にフェルミアは服装を整えると顔を赤くしたまま魔王を睨みつける。
「ありえないありえない! 人が着替えてるところに部屋に入ってくるとか信じらんない!」
「・・・・・・知らなかったのだ」
「ノックくらいしなさいよ! 常識でしょ、常識!」
「貴方様も普通に対応していたではありませんか」
フェルミアの罵詈雑言から助け船を出したのは一緒にいた老婆だ。何やら呆れた様子で老婆は魔王とフェルミアを見ている。
「それに、今更裸を見られたところで恥ずかしがるような関係でもありますまい」
「それとこれは別よ」
「まだまだ初心ということでしょうか」
「もう。からかわないでよ」
「ほっほっほ」
陽気に笑う老婆に対してフェルミアは照れた表情で壁に立て掛けてあった剣を担ぐ。それを見た老婆は慌てて剣をフェルミアから引っ手繰る。しかし重さに耐えられずに剣を床に落としてしまう。
「ちょ、何するのよ」
「いけません、フェルミア様。こんな重たいものを背負って生活していてはお身体に障ります」
「これくらい平気よ。いつも持ち歩いてるんだし」
「医師として許可できません。魔王様からも何か仰ってください」
話に付いていけず、魔王は回答に困る。
魔王が訪れたのは医務室だ。そして、目の前の老婆は魔王国屈指の医師である。フェルミアに呼ばれてすぐに来たのだが、まさか診察中だとは思い寄らなかったのだ。
――診察?
魔王に嫌な予感が過ぎる。
「フェルミアの身体に何かあったのか?」
「それはですね――」
「重い病気か? それとも怪我でもしたのか!?」
魔王は焦燥に駆られる。
診察室に呼ばれたこと。診察を受けているフェルミア。
この二つからフェルミアが何らかの治療を必要とする状態であることは明白だ。しかも、態々魔王を呼び出すくらいだからただの怪我や病気などではない。
「お、落ち着いてください魔王様!」
「これが落ち着いていられるか! 何があった!?」
「逆ですよ。逆! 病気などではありません」
「逆だと・・・・・・?」
言っている意味が解らず魔王は困惑した顔でフェルミアを見る。
フェルミアは、はにかんで頬を赤らめ、お腹を擦る。その動作の意味を流石の魔王も知らない筈はなかった。
「まさか・・・・・・」
「はい、魔王様。おめでとうございます」
魔王はフェルミアの傍に寄り、お腹に――手が大きすぎるため――指を当てる。魔王の大きい指を抱き締めるように上からフェルミアは腕を置く。
「ここに、いるのか?」
「うん。あたしたちの最初の子供・・・・・・出来ちゃった」
形ある幸せの誕生を魔王とフェルミアは心から喜んだ。
魔王と王妃であるフェルミアの間に子供が出来た。
その朗報は瞬く間に国中に伝わった。
それから祝福の言葉を綴った手紙や妊婦向けの食料など、魔王城に多くの贈り物が送られてきた。一度街へ行った時は大勢の魔族に囲まれ、魔王とフェルミアが子を授かったことを、まるで自分たちのことのように喜んでくれた。そんな民たちの様子に魔王とフェルミアは照れながらも心から嬉しく思う。
そして、フェルミアが魔王の子を宿したことが分かった日から三ヶ月経った現在。
「今日もこれだけの贈り物が届きました」
セシリーが魔王とフェルミアの部屋に抱えなければ運べない程の荷物を持ってきた。部屋の中は既に多くの進物で埋まり、置く場所もなくなってきている。最初の頃と比べれば減った方だが、毎日のようにこうして何らかの物が贈られてくる。それだけで魔王とフェルミアが国中から慕われているのかが判る。
「ありがとう。でもこんなに沢山一人で運ばなくても・・・・・・言ってくれれば手伝ったのに」
「産休中のフェルミア様の手を煩わせるわけにはいけませんから。それに、これはわたくし自身が好きでやっていることですので」
「産休は大袈裟よ。まだ全然お腹大きくなってないんだからそれぐらい大したことないわよ」
フェルミアのお腹は本人が言う通り産休する程大きくはない。しかし服越しに見ただけでは気づかないが、触ってみると少しだが膨らんでいるのが判る。まだその程度なのだが、セシリーは相変わらず心配性のようだ。寧ろお腹の子に対して過保護と言った方がいいかもしれない。
セシリーは空いているスペースに荷物を丁寧に置く。
「それでもお身体に気を使わなければならないのは事実です。何かがあってからでは遅いのです」
「はいはい。わかりました。・・・・・・ったく、セシリーは相変わらず石頭ね」
「わかっていただけたのならわたしくは満足です」
フェルミアの冗談を軽く受け流したセシリーは魔王へと向き直る。
「魔王様。こちらの準備も整いましたのでいつでも出発できます」
「わかった。すぐ行く」
セシリーは一礼して部屋を退室する。
それを見送ったフェルミアは魔王を見上げる。
「今回はどこへ向かうの?」
「北のセリアンスロープの集落を訪れようと思っている」
魔王は魔王国建国に至り、多くの魔族を勧誘した。いくら国を築いても、そこに暮らす者がいなくては意味がないからだ。そして、それは建国後の現在でも続いている。誘う相手にも本気になってもらうため、王である魔王が直接交渉に向かう。
「今回はいつもより長く国を空ける。留守を頼む」
「任せておいて」
「本当なら少しでも多くの時間一緒にいたいのだが・・・・・・」
「もう。あなたもセシリーみたいなこといって。・・・・・・どうせ産まれたら産まれたで子供から離れたくないって言い出すんだから今の内にやれることやっておきなさいよ」
「あっははははは! 違いない!」
図星を指され、魔王は豪快に笑う。
セリアンスロープの集落は魔王国とは距離があるため、交渉する期間を考えれば往復で最低三週間は掛かる。それだけの期間でも離れるのが惜しいのだ。実際に子供が産まれれば、きっと今以上に気持ちが抑えられないだろう。
フェルミアを優しく抱き締める。それは魔王が国を出る度の習慣だった。
名残惜しみながら離すと、はにかむフェルミアの顔が魔王を見つめる。
「では、行って来る」
「いってらっしゃい、あなた」
魔王は平和に近づくため、国を出た。
魔王が国を出てから二週間程経った頃。
フェルミアは夜中に目を覚ました。
嫌な汗が流れ、体が重い。妊娠している内は珍しくない症状だが、やはり慣れることはない。汗を冷たいタオルで拭き、背中を擦って欲しいと思った。こういう時のために常に隣の部屋に誰かを待機させている。しかしたったそれだけのために起こすのは申し訳なく、とても呼ぶ気になれなかった。
水でも飲もうとベットから降りる。すると、不意に人の気配が部屋の隅から発せられた。
その方向へ体を向ける。
窓から差す月明かりが侵入者を照らす。影で顔が見えない。性別も不明。ただ、人間とも魔族とも言い難い気配をした人物が一人そこに佇んでいた。
「誰・・・・・・?」
回答は攻撃によって齎された。
フェルミアは正体不明の攻撃を受けて床を転がる。斬られた傷から血が溢れる。しかしフェルミアは動かない。
そして、フェルミアが背を向けていた壁には太陽と月を合わせた紋章が刻まれていた。