第6話:神
天使の言葉に魔王は困惑する。
天使とは神の僕。即ち、天使の主とは神に他ならない。
――神がここに来る? 私の目の前に?
『ディオ・リナ』を管理する三柱の神。
これは魔王だけでなく、『ディオ・リナ』に住む全ての生物が例外なく知っていることだ。だが、強いて言うならば、それだけしか知らない。
神の存在は最早常識となっている。それなのに詳しいことは意外に伝わっていないのだ。神はいつから『ディオ・リナ』を管理しているのか、一体人々に何を求めているのか、何故存在しているのか――疑問に思うことは多くあれど、事実は不明。それでも神の存在は認知され、それらの信仰も沢山ある。
魔王でさえ、神は強大な力を持った存在としか知らない。天使を従えている時点でそこは考えるまでもないだろう。そして――
「神は傍観者だ」
「傍観者・・・・・・?」
魔王と向かい側に拘束されたクリスティーナは首を傾げる。
魔王を見下ろす力天使を強く睨む。それでも天使は無表情を貫く。
「傍観者がどうしてこんなところに来る? そんなことは――」
「そりゃあ、傍観するからに決まってんじゃん」
魔王の言葉は割って入った声に遮られる。
聞き覚えのない声。声の発生源を探して首を動かすと、いつからそこにいたのかこれまた見覚えのない少女が力天使近くの木の枝に腰掛けていた。
場違いな少女だ。
歳は精々十四、五ほど。身体の膨らみが全体的に乏しいのにも拘らず、踊り子が纏うような露出が無駄に多い格好をしている。そのせいか、子供が無理に大人ぶっているようにしか見えない。
腰まで伸びた所々癖のある金髪から、整った顔立ちが覗いている。それは面白いものを見つけた子供のような笑顔だった。
「楽しいことが起こるって分かってたら近くまで見に行くのが普通っしょ」
「誰だ?」
「ご指名の神ですが?」
目の前の少女の一言に魔王の思考が一時停止する。
「・・・・・・お前が?」
「その通り!」
少女は肯定を示して勢いよく木から飛び降りる。そして、魔王を指し、何やらポーズを決める。
「『ウィルフレド・イマ』を統べる神が一柱、エストレイアとは私のことだー!」
「・・・・・・」
「気軽にエストって呼んでくれていいよ♪」
「・・・・・・、・・・・・・」
「あれ。反応が薄い? もしかして魔王くん声届いてない? 意外に耳が遠いお年頃だったとか?」
「お前のどこが神だ」
魔王には突然現れた少女が神などと思えなかった。
現在魔力ゼロの人間の身体を使っている魔王だが、全く察知できないわけではない。以前よりかなり鈍くなったことは否めないが、目の前にいる者の魔力が読めない程落ちぶれていない。セシリーによって影で魔力補助されている今なら尚更だ。
エストレイアの魔力はゼロに等しい。現在の魔王と良い勝負だ。天使たちでも隠すことが出来ない魔力を、それ以上の莫大な力を持つ神が偽れるわけがない。
魔王の呟きに自称神のエストレイアは、うーん、とわざとらしく唸る。
「んなこと言われてもなー。それっぽい格好して『跪け愚民共! おほほほほほほ!』って見下すように言えば信じてもらえる?」
「どこの女王だそれは」
「・・・・・・何でわたしの方見て言うのよ」
「仲良いなー二人はー」
「話を戻せ!」
妙な話の流れになってきたので魔王は修正を試みる。それでも態度を改めようとしないエストレイアに若干憤る。
「お前から魔力を感じられない。天使でさえ感じる魔力を神であるお前から感じられないのはおかしいだろう」
「ぶーぶー! 偏見反対!」
「真面目に答えろ!」
「真面目にって言われてもねー。巧妙に察知されないように隠してあるからに決まってるじゃん? だってほら、でなきゃあてが現れる度に有名人よろしくとばかりに囲まれちゃうぜ」
「そんな筈がないだろう」
「随分と自信があるようだけど、やっぱりそれは偏見だよ」
おどけた調子から一変して、エストレイアは窘めるように言う。
「魔王くんが本調子ならきっと一発で見破れたかもしれないけどさ・・・・・・神ってのは強大な力を持ってるからといって、強大な魔力を持ってるとは限らないんだよ」
「何だと?」
「これが『ディオ・リナ』と『ウィルフレド・イマ』の力の価値観の違いだろうね。思い出して。魔王くんは神がどんな存在だと思ってた?」
「傍観者・・・・・・」
「そう、傍観者。傍観者が態々管理している世界の住人よりも強くなる必要はないよね?」
まさに青天の霹靂。
衝撃の事実に魔王は驚きを隠せない。
「し、しかしそれではおかしいではないか!」
「おかしくないよ。神が強大な存在って考え自体がそもそも偏見なんだよ。神なんて所詮役職みたいなもんだからね。だから崇められても人々を導かない。神の仕事は『ディオ・リナ』という世界の管理であって、その中の住人は含まれていない。ただ、見守るだけ。そう――傍観するだけだよ」
「天使は? 強大な存在だから従っているのではないのか?」
「王様や貴族みたいな偉い人が護衛を雇ってるは自分の身を守るためだよ。今のあてもそれと同じ」
「そんな・・・・・・」
「まあ、神と天使の関係はもっと複雑なんだけど説明はだるいから却下」
これでこの話は終わり、とエストレイアは態度を戻す。
魔王は分からなくなった。
神とは絶対的な存在。だから象徴的な存在であっても、何も出来ない時に誰もが一番に頼る。魔王とて幼少の頃は、目の前にいない神に縋った黒歴史がある。人間なら特に絶望的なことがあれが誰もが縋るだろう――神様助けて、と。
神とは傍観者。それは魔王の中で確立した定義だ。『ディオ・リナ』を管理する存在が戦争で人や魔族がどれだけ死んでも助けようとしない。国でいう王のような立場のくせに、常に見ているだけという体たらく。解っていたはずなのに、実際に会ってみると改めて落胆せざるおえない。
そんな魔王の様子にエストレイアはニタニタと不快な笑みを浮かべる。
「納得できないって顔だね」
「・・・・・・」
「信じるのは魔王くん次第さ。神は所詮、人が最後の最後に縋るに値しない存在だってね。神も一個の生物。人や魔族と一緒さ」
魔王の心を見透かすような発言に押し黙る。
エストレイアの言っていることに嘘はない。直感でしかないが、魔王はそう信じる。
だが、それならば何故神は人々に崇められる存在となったのか。どうでもいい筈なのに、魔王にはそれを無視してはいけない気がしてならない。
こちらの思考を打ち切るようにエストレイアが手を叩く。
「神に関する質問はこれ以上却下ね。第一、こんな堅苦しい話をしに来たんじゃないし」
「・・・・・・では、一体何のために私たちの前に現れた」
「君たちと立場とか抜きで仲良くなりたくてねー」
冗談としか思えない答えに魔王は苦笑する。
「どの口がほざく。これだけ掻き乱しておいて仲良くも何もないだろう」
「ホントにねー。シャイなあてのために仲介を頼んだのにぐっだぐだじゃん」
そういって傍らに浮く力天使を見上げるエストレイア。
力天使はエストレイアの横に降りる。その表情は相変わらず無表情だ。
「申し訳ありません。お戯れが過ぎました」
「ホントにねー。クリスちゃんに魔王くんの正体バラすとか超クライマックスじゃん。・・・・・・しかも正体隠して一週間と経たないとかショボすぎでしょ」
「全くですね」
「ねー」
「ふざけるにも程々にしろ」
魔王は殺意を向けた目でエストレイアを睨む。自分の身体を取り戻すために手に入れた僅かな可能性を、こんな奴らに潰されたのかと思うと、魔王は悔しくて仕方がない。
魔王の睨みも意味なく、エストレイアは口を押さえて笑う。
「そんな両手に花持ってる状態で言われてもねー」
魔王を左右から押さえているのは女性の天使だ。
表情を変えない力天使と違い、権天使たちはエストレイアのセリフに恥らう様子を見せる。しかし拘束を緩めるようなミスはしない。
「迫力に欠けます。寧ろ、ふざけているのはそちらでは、と問いたくなるくらいです」
「わかるわかる! それあても思った」
「もういい!」
魔王は目の前の二人のやり取りにうんざりする。
「お前たちは本当に何が目的で現れたんだ?」
「二人と友達になりたくて会いに来た」
「その二人を殺し合いまで追い込んでおいてか?」
「それはそれ。だからあてはまず二人の仲から戻してしんぜよう!」
エストレイアは高らかに宣言した。
クリスティーナは何とも言えない気持ちで薄暗い山道を歩いていた。
同行者は神のエストレイアと魔王の使い魔セシリーの二人?だ。その周囲は緑色の鎧を纏った天使が一定の距離を保って固めている。逃げることは不可能だ。
そもそも、どうしてこうなったのかクリスティーナにはいまいち分からない。気づいたらこうなった、といった状況だ。
エストレイアの提案はこうだ。
「お風呂に入りましょう」
「はぁ?」
「だから、裸の付き合い! これが仲直りの一番の道!」
そう言われ、平地から離れて山を下っている今に至る。
仲直り、と言われてクリスティーナは複雑な気分になる。クリスティーナと魔王の問題はそれだけで済む話ではない。魔王の方も言い分はあるだろうが、きっとお互いに譲れない。お互いに赦せないことをしたのだ。
やがて広く切り開かれた場所に出た。以前に見た池のような所だ。違いがあるとすれば、水が光っていることと水面から湯気が出ていることだ。
近くまで寄って手で掬い上げる。
「これは?」
「温泉だよ」
「天然もの?」
「そうだよ。あ、光ってるのは暗いと入りづらいから魔術で明るくしてるってだけね」
エストレイアの言葉に疑問を感じる。
温泉の周りは不自然に整えてあり、端の方には掘削した形跡が見られる。天然では有り得ない状態だった。
クリスティーナの様子を察したのかエストレイアは付け足すように言う。
「天然ものってのは間違いないけど、それをルーニス王国が偶然見つけて観光用に温泉を広げようとしたんだよね」
「ああ・・・・・・それで」
「でも工事の途中でそれは無理だって分かって計画はオジャン。だから中途半端に弄ったまま放置ってわけ」
「どうして無理なの? 今もこうして沸いてるじゃない」
「正確には沸いてないよ。ただ溜まってるだけ。火山活動とかで偶然流れた水脈がここに溜まったんだろうね。んでもって、吸い上げればいつか限界がくるのが分かったから放棄したのさ」
成程ね、とクリスティーナは納得する。
最初に訪れた平地は明らかに人の手が加えられた跡があった。どうやらそれはルーニス王国による工事跡らしい。中途半端な開拓と、放置されていた理由に合点がいく。
「それでもまだ温かいままなのね」
不思議と掬った温泉は熱くも冷たくもない、心地良い温かさを保っていた。
「うん。自然の力って偉大だよね」
エストレイアも感心するような目で温泉を見る。
そして、前触れもなく服を脱ぎ出した。いきなりの行動に流石のクリスティーナも戸惑う。
「な、何してるの?」
「何って。温泉入るなら服は脱ぐでしょ?」
「それはそうだけど・・・・・・」
――この子には羞恥はないのかしら。
以前の宿の出来事を棚に上げてクリスティーナは思う。同性とはいえ、誰かと一緒に風呂に入る習慣のないクリスティーナには裸を見せるのに抵抗があった。
こっちのことはお構い無しにエストレイアは温泉の奥へと入っていく。
「早く入りなよ。良い湯加減だよ」
「そうは言っても・・・・・・」
「大丈夫だよ。周りにいる天使は全員女だから恥ずかしがることなんてないよ」
このままどこかに逃げてしまいたい――そんな衝動に駆られる。
しかし天使の包囲網を突破することは無理だ。クリスティーナは取り上げられた剣の代わりに渡されたタオルを頼りなく掴む。そしてもう一人、さっきから黙っている同行者に助けを求める。
「ねえ、あんたからも何か言いなさいよ」
「わたくしは魔王様と一緒ならどこへでも行く覚悟です」
やや拗ねた声でセシリーは言う。
仲直りの名目で連れて来られたのに肝心の魔王はここにはいない。エストレイアの命令で、魔王は力天使によって湯浴みを覗かれないように隔離されているとのこと。それがこの使い魔は不満らしい。クリスティーナとしても話し合うのに隔離するのはおかしいと感じずにはいられなかった。
そんな二人にエストレイアは容姿に不釣合いな妖艶な笑みを浮かべる。
「知りたいでしょう? 魔王のこと」
エストレイアは歌うように口ずさむ。
「知って欲しいでしょう? 自分の主のこと」
戸惑う二人に手が差し伸ばされる。
そして、神は誘う。
「教えてあげるよ。お互いが知りたくて堪らない大戦のことを――」