第4話:天使
太陽が沈み、辺りが真っ暗になった。月明かりのみを頼りに魔王たちは夜の山を歩く。
夜の山は危険なのは承知だが、魔王たちには歩みを止めない理由があった。
まずは休める場所が確保できないこと。慣れない地理のせいで地図を眺めても全く分からない。荒れた道なき道を通っているため、中々野宿できる場所が見つからない。そしてもう一つの理由は、歩みを止めて顔を合わせるのが気まずかったからだ。
昼間のことを思い出し、羞恥だけで死ねるのではないか、と魔王は苦悶する。
「(セシリー。寝る場所を確保した後、クリスティーナとどう対話するべきだ?)」
この事態を解決するため、セシリーの助力を求める。
『普通に話せば良いかと』
だが、返ってきたのは、何を言っているんだと言わんばかりの言葉だった。
「(気まずくて顔を合わせ辛い)」
『それなら、気まずさを忘れるような話題を提供して距離感を戻しましょう』
「(小粋なジョークか?)」
『それは止めた方が良いかと・・・・・・』
そんなやり取りをしている内に、今まで歩いてきた荒道が嘘のような平地に出た。
明らかに開拓された形跡のある場所で、切り倒された木々の一部が端に積まれていた。馬車など道幅を多く必要とするものが余裕で通れる程広い。そういう切り開かれ方をされていることから、ここで新しい道の開発を行っていたのかもしれない。
しかし、直進するように作られた平地は雑草などで生い茂っていた。人工的なものでなく自然に生えた草だ。積まれた木々も暗くて判り難いが、よく見ると朽ちている。放棄されてから長い時が経っている証拠だ。
『こんな場所に開拓地・・・・・・? この辺りに何かあったでしょうか』
「(何もない。自然の広がった場所が続いているだけだ。最近の地図を購入したから間違いない)」
『だとしたら一体・・・・・・』
「(分からん。しかし最近まで人が手を加えた様子がないなら、一晩ここで野営しても問題はないだろう)」
魔王は、まだそれ程朽ちていない木に腰掛ける。そのままクリスティーナに向き直る。
「今日はここで休もう。ベットで寝ることはできないが今回は我慢してくれ」
「うん。わかった」
クリスティーナは何事もなく魔王の横に座る。
その様子に魔王は困惑する。
「(何故クリスティーナは普通にいられるんだ)」
『何故と言われましても、気にしているのは魔王様だけです』
「(ふむ・・・・・・)」
そうなのか、とやや納得しかねながらも受け入れる。
魔王は肩を揉む。重いリュックを背負っていたせいで肩が痛い。隣のクリスティーナは伸びをして身体をほぐしている。お互いに疲れが溜まっていた。
「今日はもう寝よう」
「早いわね」
「いつもと違って軟らかい布団で寝れるわけではない。野宿で休息するのも限界がある。だからその分睡眠を取っておく」
「ベットで寝れないのもそうだけれど、シャワーがないのも辛いわね」
「そこは次の町まで辛抱してくれ。今の我々に水は貴重だ」
立ち寄った池で水は十分に確保したが、温存しておくに越したことはない。例え余裕があったとしても、見知らぬ地で旅をする以上身体を洗うために使うのは危険だ。女としては男より汗の臭いなど気になるだろうが、ここは耐えてもらうしかあるまい。
魔王とクリスティーナは早速野営の準備を始める。
すると、クリスティーナがいきなり剣に手を伸ばす。
「クルス!」
『魔王様!』
二人の叫ぶ声と共に、魔王はクリスティーナに蹴り飛ばされる。同時に魔王がさっきまでいた場所が吹き飛んだ。
「攻撃!? どこから?」
「あそこ!」
クリスティーナが指した場所を見る。そこには魔王たちから十メートル程離れた場所に剣を携えた者が一人いた。
一人、と表現するのは間違いかもしれない。その者は明らかに人でない威光を放っていた。
大きく広げられた翼は月明かりを受けて白く輝き、見る者を圧倒する。闇夜でも判る紅い鎧は頭から足まで余すことなく包まれている。頭上に浮いた光の輪はその者の純粋さを示す。そんな姿をした存在を、魔王は一つしか知らなかった。
「――天使」
「え!?」
魔王の呟きにクリスティーナも驚きを隠せない。
天使とは、世界で唯一神の僕として認められた存在である。神の傍に仕え、神のためだけに生きる種族。例外もあるが、本来なら堕天でもしない限り『ディオ・リナ』に出現する筈がない。
しかしそれが目の前にいる。それ故に魔王は歯噛みする。
――どうして気づけなかった。
天使は見れば解るが、それなりに強大な存在である。気配なら例え隠していても、本来の魔王であればすぐに看破しただろう。それだけで魔王が奪った人間の身体が魔術師に向いていないのか解る。使い魔であるセシリーでも察知できたのだから明白だ。
悔しい気持ちを抑えながら魔王は敵を分析する。
穢れの無さを表した天使の輪に、純白の翼。神の従属を示す汚れのない鎧。そして、その鎧の色が意味するのは――
「第五位天使――力天使か」
「分かるのですか」
初めて天使が口を開く。兜から無表情な顔が覗けた。その顔は男にも女にも見えるが、声から察するに男性だろう。
天使が纏う鎧には意味がある。自分の身を守るための防具であると同時に、階級を色で見分けられるために使われる。そのため今回現れた天使の鎧の色から魔王はすぐに力天使だと判った。
「現代では『ディオ・リナ』で天使について知る者は時が経つにつれて減ってきているというのに・・・・・・感心しました」
「私にとっては常識に等しい」
「ほう――ならば、『ウィルフレド・イマ』での力天使の立場をご存知ですか?」
『ウィルフレド・イマ』とは、『ディオ・リナ』を管理する神々と天使が住まう世界だ。たった三柱の神とそれに従う天使のみが暮らすその世界は、『ディオ・リナ』で生活する魔王には未知の場所だ。
だが、魔王は悩むことなく問い掛けに答える。
「天使の階級としては五位に数えられるが、神に仕える天使としては二番手の扱いとなっている」
「何故?」
「第一位から第三位の上級天使が神ですら力を持て余す存在だからだ。力が有り過ぎる故に実体も理性を持たず、力の塊と化している」
「付け足すなら、実体と理性を持てば神をも凌駕する存在となり兼ねないからです」
「だから今でも上級天使は『ウィルフレド・イマ』で幽閉されている。もっとも、奴らには幽閉されている自覚すらないだろうがな」
「その通りです」
天使の情報はある程度なら魔王は熟知している。
だからこそ解らなかった。何故神に仕えている筈の天使が目の前にいるのか。魔王は一つの結論を口にする。
「お前はローレンツェルの天使なのか?」
ローレンツェルの天使。
それはローレンツェルと呼ばれる人間によって放置された大聖堂を拠点としている堕天使の集団だ。『ウィルフレド・イマ』から追い出された堕天使たちは『ディオ・リナ』に移り住み、ローレンツェルに篭っているという。魔王でも詳しく知っているわけではないが、この天使たちの大きな特徴として、彼らには仕える神がいない。それ故に自由に行動が出来る。
「違います。彼らと勘違いされるのは不快です」
天使は首を振って否定する。魔王も解っていただけに嫌な気持ちを隠せない。
天使が堕天すれば、頭の輪と翼が黒く染まる。中には容姿すら変わる者もいるという。しかし目の前の天使にはどれも当てはまらない。それがどういう意味か魔王は理解しているが、信じたくない気持ちが強い。
「だったら何しに来た? 神学でもご教授してくれるのか?」
「それも違います。・・・・・・いや、そうであったなら良かったのですが」
「?」
「私をお気になさるのは当然のこと。しかしお連れ様の方にも気を使うべきだと忠告します。・・・・・・もう、遅いかもしれませんが」
「何・・・・・・?」
天使に言われるがままにクリスティーナの方へ顔を向ける。
クリスティーナはどこか怯えたような表情で魔王を見ていた。心配になって一歩近づくとクリスティーナも一歩下がった。どう見てもいつもと様子がおかしい。
魔王が何が起こったのか理解できないままでいると、セシリーから心話で声を掛けられる。
『・・・・・・魔王様』
「(クリスティーナに何があった?)」
『喋り過ぎです』
「(何をだ?)」
『お忘れですか。天使については、魔王様だから知り得たことなのです。・・・・・・“人間クルス”には決して知り得ないことなのです』
「(・・・・・・)」
魔王は絶句する。
当たり前のように天使と会話していたが、その内容は普通なら知ることすら難しいことだ。『ディオ・リナ』と『ウィルフレド・イマ』の二つの世界に交流がない以上、その情報を得るには先祖より語り継がれるか、専門の学者でもない限り決して知ることが出来ない。
魔王は、“魔王”だったからこそ識っていたのだ。
魔王が奪った身体の主は平民の出身だ。古くから先人より何か受け継がれているわけでも、専門の学者に知人がいるわけでもない。それは、身体を奪った魔王が一番良く知っていることだった。
「ねぇ、何でクルスがそんなに天使について詳しいの・・・・・・?」
クリスティーナの疑問は尤もだった。当然ながら今口にした情報は、シフィアの王であるクリスティーナですら分からない内容だ。それを一騎士が日常会話のように話していれば不審に思うのも無理はない。
「答えは簡単ですよ。クリスティーナ様」
十メートル以上もある距離を、一瞬に近い速さで詰めた天使が手にした剣を魔王に振り下ろす。
「クルス!」
魔王はクリスティーナの声に関係なく反射的に剣を抜いていた。辛うじて防いだものの、たった一撃で腕を痺れる感覚が襲う。反撃することも出来ず、鍔迫り合いになる。徐々に押され、主導権を相手に持っていかれる。
「二刀流ですか。使いこなすには相当の修練が必要だったでしょう。・・・・・・あなたが本物なら」
「うるさい!」
魔王はごり押しで天使の剣を弾く。そのまま天使に斬り掛かる。
魔王の今の剣術は奪った身体の主が習得した技だ。それを魔王が人間クルスの記憶から学び、元々身体が憶えていた感覚を利用して戦っている。しかし知識として二刀流を熟知していても、体を動かす以上それだけでは意味がない。
本来、剣すら触れることのなかった魔王が、慣れない剣術をこなしているのは単なる勘に過ぎない。知識の中から学んだ剣術と“なんとなく馴染みのある”動きで剣を振るっている。そのため、必ずと言っていいくらい抜け目がある。そこを魔王の影に入ったセシリーに、クリスティーナに分からない程度の魔術で補助してもらっている。
魔王の本来の戦闘スタイルとしては、魔術を行使することを前提として戦うものだ。だが現在の魔王には魔術が使えない。それは、魔王が奪った身体に、魔力が全く備わっていなかったからだ。
魔術師の強弱は習得した魔術の数と魔力の高さで決まる。魔術は剣術と違い、修練すれば誰にでも扱える技というわけではない。確実に才能が必要なものだ。突然魔術の才が開花する者もいれば、古くからの血筋によって受け継がれる者と二つのパターンがある。前者は魔王で、後者はクリスティーナに当たる。
そして、魔王は魔術に長けた者の中でも最たる者だ。莫大な魔力を体内に保持し、あらゆる魔術を知る魔王は魔術師に置いて最強と言っても過言はない。それも昔の話で、強大な魔力の備わった身体は封印されてしまったため、魔術の行使方法を知っていても発動させることが出来ない。
今ではセシリーのサポートでやっと天使の動きについていけるのが限界だ。
使い手と同じく汚れのない白い剣が魔王を襲う。
「良い動きです。それを失うことになるとは・・・・・・とても残念です」
「思う通りに行くと思うなよ」
「その通りよ!」
魔王が戦っている横からクリスティーナが天使に斬り掛かる。それを回避して天使は飛翔する。
「出来ればクリスティーナ様とは剣を交えたくはないのですが」
「ふん。そう思うならさっさとやられなさい」
クリスティーナは左手を天使に向けて掲げる。
掌から月と太陽を示すシフィアの魔法陣が浮かび上がる。そこから光の矢を無数に出現させ、天使に放つ。
「小賢しいことを!」
天使はその攻撃を回避し、避けきれない矢を剣で叩き落す。それを追いかけるようにクリスティーナは魔術で空を駆ける。
その姿を見た天使は初めて表情を崩す。
「空を飛べるのはあんただけじゃないのよ!」
「くっ」
クリスティーナに重い一撃を貰って空中でよろめく。クリスティーナの手は休まない。体勢を整えようとする天使に容赦なく攻撃を加える。落下中にも拘らずうまくそれを受け止めた天使は、流石空で戦い慣れているといったところだ。
天使はクリスティーナに言う。
「何故あの者を助けるのです。先程のやり取りを見て疑問を感じなかったのですか!?」
「気になることはあった。でも悩んでても仕方ない。それに、それがあんたにクルスを斬らせる理由にはならない」
「その疑問が今後のあなたの人生を左右する問題だとしてもですか?」
「だとしたら尚更あんたは関係ないでしょうが!」
空中に見えない地面があるようにクリスティーナと天使は斬り合う。
剣撃が速過ぎてお互いの剣がぶつかった時の火花しか見えない。高速の斬り合いでも天使の方が押されているのが魔王でも解った。人間が、天使を――それも力天使を圧倒している。魔王を倒した時もそうだったが、クリスティーナの潜在能力は最早人間を超えている。
「気になることがあったら聞けばいい! 話す気がないなら無理にでも聞き出せばいい!」
クリスティーナの剣に天使がついにバランスを崩す。そこへ間を空けず踏み込む。
「私はあなたのためを思って――」
「関係ない! わたしたちの問題に後からしゃしゃり出たあんたにつべこべ言われる筋合いはない!」
天使が地面に叩き落される。勢いよく吹き飛ばされた天使は魔王に向かって落下してくる。
「クルス、そっち行ったわよ!」
「おう!」
魔王は落下物を一閃する。しかし天使は空中で回転してそれを受け流し、魔王の背後に回る。
「何て身のこなし――」
「言っても無駄なら、見てもらう他ありません」
天使の剣が魔王を――魔王の影を刺す。刺した剣は地面でなく影だけを正確に貫いている。それが魔王には解る。その事実に魔王は驚愕を隠せない。
「まさか!?」
「その、まさかです」
剣が発光する。
発光した部分から影が引き剥がされる。その影が人の姿で突然出現する。
「きゃっ」
「セシリー!?」
紅いドレス風の女性がよろめきながら魔王に近づく。いきなりのことでセシリーは動揺するもすぐに天使に向けて構える。
しかし魔王には天使のことなど気にならなかった。魔王は真っ直ぐに地面に降りてきたクリスティーナを見る。
「なん、で・・・・・・魔王の使い魔がクルスから・・・・・・」
震える声でクリスティーナは状況を理解しようとする。
クリスティーナは大戦時にセシリーを目撃している。魔王の使い魔であることも知っている。そして、使い魔は主に絶対的な忠義を持っていることも、常に傍にいる存在であるということも知っている。
「どういうことなのよ! 説明してよ!」
夜の山にクリスティーナの絶叫に近い声が木霊した。