第3話:旅立ち(3)
朝食を済ませ、泊まった宿を発ってから五時間ほど経過した。
全く変わらぬ景色にクリスティーナは溜息をついた。思いのほか大きかったのかクルスが振り向いてくる。
「もう疲れたのか?」
「ううん。そんなことないよ」
「そうか」
軽く言ってからクルスは手にした紙に向き直る。クルスが見ているのは、昨日泊まった町で購入したルーニス王国の地図だ。
二人は現在、ルーニスの国境内の山地にいる。人目を避けながら通るには最高の場所で、山に生えた木々がルーニス本来の道から二人を覆い隠してくれる。しかし当然ながら人が通るための道ではないため、自然のままの大地を木々の間を縫うようにして進まざる得ない状況だ。そのせいで体力は平地を歩くより多く必要とする。それでもクリスティーナが未だに音を上げずに歩き続けことが出来るのは、クルスに買って貰った服と靴のお陰だ。体力が付いてきたのも事実だが、それ以上に体が動かし易い。服は基より、靴が荒道でも足を取られることがなく、山道という環境でも普通に対応してくれる。
本当なら喜ぶべきことだがクリスティーナの表情は暗い。心が晴れないのは昨晩のクルスの行動にあった。
昨晩の出来事は正直頭にきたが、一晩経てば流石に気持ちが落ち着いてきた。王族として身に纏っていた装束は、背負っている剣を除いて唯一のシフィアでの持ち物だ。金銭面で当てのないクリスティーナとしてはいつか資金にする覚悟はあったが、シャワー中にこっそり売られることになるとは予想できなかった。突然の“彼”らしくない行動にクリスティーナは疑念を抱く。思えば、城を一緒に出てからおかしな点はいくつもあった。状況が状況なだけに気のせいと感じていたが、それも限界がきていた。
――これがクルスの本当の姿なのかな。それともわたしが我が儘なのかな・・・・・・。
王城で過ごしたクルスとの思い出は楽しいことばかりだった。性格から意見が食い違うこともあったが、今回のような気持ちは初めてだ。
現在の状況にクリスティーナは本音を言うと、嬉しかった。リブラークによってシフィアは無くなったが、そこで暮らす民は変わらず平和のままだ。逃走の際に立ち寄った村の様子からも、自分たちが無事なら王が誰でも構わないのが解る。平和なら、民が幸せに暮らせるなら――それで良い、とクリスティーナは思う。王として民を守るために幼少から政治の勉強は勿論、剣や魔法の腕を磨いてきた。そのことに疑問を抱いたことはないし、それが正しく自分の目指すものだと必死に頑張ってきた。
しかし、一人の女の子としては耐えられないことだった。王である以上、好きな男性と結婚できる可能性は低く、相手が特別な家柄の出でないなら尚更だ。それではクルスと結ばれることなど出来ない。そのことがクリスティーナの――王としての心残りだった。当時は、クルスと幸せになりたい気持ちが強くなる一方、どこか諦めた感じになる自分に嫌気が差していた。そして、シフィアが失われた今、クルスと共にこうして旅をしている。旅の目的が違えど、夢が叶ったと言っても過言ではない。
二人の距離は三歩程しかない。最初は並んで歩いていたが、現在はクルスが少し先行している形となっている。クリスティーナの歩く速度が遅いのが原因だが、恋人の距離としては遠過ぎる。追い着きたくてもこれ以上足がいうことをきかない。今の距離を維持するだけで精一杯だ。クルスはそんなクリスティーナの心境に気づくことなく歩き続ける。地図に目を向けるばかりでこちらに気にかけようともしない。
――わたしは夢を見てるのかしら。現実の恋って結局こんなものなのかな・・・・・・?
クルスへの疑問から今度は自分の常識を疑い始める。もう自分が何を考えているか解らなくなり、頭の中がぼうっとする。そして、そのまま体がぐらっと傾く。
「あれ・・・・・・」
情けない声を漏らしながらクリスティーナは体のバランスを崩す。同時に、誰かに支えられる。
「大丈夫か?」
支えたのは当然ながらクルスだ。クリスティーナの肩を抱きながら、もう一方の腕で額に触れる。
「軽い熱中症だな。少し休もう。丁度良いところを見つけたところだ」
「気にしなくていいから・・・・・・わたしなら大丈夫よ」
「私が休みたいんだ。悪いが付き合ってくれ」
抵抗を試みたクリスティーナだが、クルスに軽く流される。それが彼なりの優しさだと知っているクリスティーナは微妙な気持ちで頷く。
やや強引にクリスティーナはクルスに引っ張られ山の奥へと進む。すると、木々で生い茂っていた場所の一角が切り開かれているのが見える。正確には自然によって広がった空間がそこにあった。
「池?」
「ああ。丁度日陰もあって休むには絶好の場所だ」
木々に囲まれるように池があった。
クリスティーナは近くの木に凭れながら腰を掛ける。日陰に入り、ぼうっとした頭が徐々に落ち着くの解る。風も流れてきて更に涼しくなる。その涼しさを感じながら目を閉じていると、頬に冷たいものが当たる。「ひゃあ」と恥ずかしい声を上げると、目の前に水筒が差し出される。
「水だ。汲んだばかりだから良く冷えているぞ」
「あ、ありがとう」
お礼を言って水筒に口をつける。クルスの言う通りよく冷えていて喉が潤う。飲み終えて水筒をクルスに渡すと、そのままクリスティーナの口にしたところで水を飲む。
「あ・・・・・・」
たったそれだけで何だか不思議な気持ちになる。クルスはそれに気づくことなくお腹を擦る。
「少し小腹が空いてきたな。これなら町で何か買っておけば良かった」
「それなら良いのがあるわよ」
クリスティーナはリュックから包みを取り出す。包みを広げると、中には沢山のイチゴがあった。包み一杯に納まったイチゴをクルスは物欲しそうに凝視する。クルスの好物なのだ。
クリスティーナはその内の一つをクルスに差し出す。
「またそんな無駄なものを買って・・・・・・」
「いらないの?」
「捨てるのは勿体からな」
言い訳するように言いながら、クルスはクリスティーナからイチゴを受け取って口に放り込む。そして包みから一つ、また一つとイチゴを取っていく。頬が緩んだ顔で幸せそうに食べる姿は子供っぽくて可愛い、とクリスティーナはこっそり思いながら自分もイチゴを食べる。甘くてうまい。
沢山あったイチゴはあっという間になくなり、クリスティーナは包みをリュックに仕舞った。お腹も膨れて少し眠くなる。このままここで昼寝でもしてしまいたいという衝動に駆られる。
ふと、クルスの方を見ると難しそうな顔をしていた。
「どうかしたの?」
「いや、今後のことを考えていた」
「何か気になることでもあった?」
「気にするな。クリスティーナの心配することではない」
そう言ってクルスは荷造りを始める。クルスが気にするなと言うなら本当にそうなのだろう。しかしクリスティーナにとっては良い機会だと思った。そして思い切って訊ねる。
「クルスは、さ。今後のことをどうしたいと思ってるの?」
「そういうクリスティーナはどうしたいと思ってるんだ」
質問に質問で返される。
軽く流された気持ちだが、こちらの意見を伝えるのも重要なので、敢えて気にしないことにした。
「わたしとしてはシフィアは正直どうでもいい。国を取り戻したいとか、リブラークに復讐したいとか・・・・・・が普通なんだろうけど、どうもそういう考えはわたしには無理みたい」
「それなら一体どういう――」
「わたしはみんなが平和ならそれでいいの。まあ、リブラークのやり方は気に食わないけどさ。最終的にそこで暮らす人たちが幸せなら、わたしが頑張る意味なんてないな、ってね」
「・・・・・・」
「気掛かりなのは魔王だけ。あれはわたしがやらないといけないから。ただ、それだけ!」
クリスティーナは自分の思うままの言葉で言い切った。この気持ちに嘘はない。クリスティーナの心から望むことだ。魔王の件が終わった後のことはまだ考えていない。クルスと二人でずっと暮らせたら――と夢は見るが今は魔王を優先している。
話を聞いていたクルスの表情はやや暗い。
「王として失格よね」
「・・・・・・そうだな。しかしその考えは個人的に悪くない」
「そ、そう?」
クルスに言われると何だかこそばゆい。少しだが、クリスティーナは自分の考えに自信が持てた。
「だが私には賛同しかねる部分もある」
「え?」
認められたと思った矢先のことにクリスティーナは困惑する。
クルスの表情も険しくなりクリスティーナは動揺を隠せない。
「やはり私は憎いよ。油断すればすぐにでも復讐したい衝動に駆られてしまう」
「クルス・・・・・・」
「仲間が大勢死んだんだ」
クルスが搾り出すように呟く。
「助けられる命が沢山あった。それも目の前で! しかし私が未熟だったばかりに誰も助からなかった。次々に仲間は私のすぐ隣で死に、生き残っている者も容赦なく刃を向けられ殺された。・・・・・・最後は、自分自身すら守ることも出来なかった」
クリスティーナは思い出す。
クルスはクリスティーナが駆けつけた時には既に一人でリブラーク兵たちと戦っていた。それは仲間が死んで孤立したからに他ならない。クリスティーナが偶然その場に遭遇しなければ、今ここにクルスはいないだろう。
仲間が死に、自分だけが助かったことにクルスは負い目に感じている。ショックだったに違いない。目の前で何人も仲間が死に逝く中、自分だけに救いの手が差し伸べられたのだ。いくら平気を装っていても、何も感じていない筈がない。
それをクリスティーナは今更ながら気づく。そんなこと、少し考えれば分かることなのに・・・・・・。
――クルスがそんな風に思ってるなんて・・・・・・考えもしなかった。
クリスティーナは城を出てからずっと自分ことばかり考えていた。クルスがいつものように相手にしてくれないことを怒ったり、冷たい態度に不審を抱いたり、と自分勝手にも程がある。それをクリスティーナは痛感していた。
あの日から、クルスは苦しんでいた。それでもクリスティーナに気づかれないようにしながらずっと近くで支えてくれた。いつものクルスらしくない行動は、そんな彼の精神的な疲労からのものだろう。
クルスの目から涙が零れる。
「何故私を助けたんだ。殺してくれれば――放って置いてくれれば楽になれただろうに・・・・・・」
それは城を抜け出してから始めての愚痴だった。
そしてクルスの苦悩そのものだった。
クリスティーナはクルスに手を伸ばす。殆んど無意識に伸ばした両手でクルスを自分の胸元に抱き寄せる。
「・・・・・・ごめん。無神経なこと言って」
自然とクリスティーナの涙腺もゆるくなる。それでも泣かないように今の想いを伝える。
「ずっと苦しんでるのに気づけなくてごめん。わたし、自分のことばかり考えてた」
「そんなことはない。クリスティーナだって苦しんでいただろう」
「ううん。クルスはわたしを支えてくれた。でもわたしは何もしてあげられなかった」
「イチゴはうまかった」
「あはは・・・・・・たったそれだけしか出来なかったけどね」
クルスの髪を擦りながらクリスティーナは言う。
「今度はわたしが支える。だから、これだけは言わせて」
「なんだ?」
「これはわたしの我が儘。でも本心からの願いよ。――もう、自分で自分を殺すようなことは言わないで」
「・・・・・・っ」
「どんな形でも良いから生きていて」
微かにクルスの体が震える。嗚咽が漏れる。それを必死に隠そうとするのが解る。
十秒程待ってクルスから出た返事はたった一言。
「――もう少しだけ、こうさせてくれ」
「ええ」
返事になってない答えだが、クリスティーナはそれを受け入れた。子供をあやすようにクルスの頭を胸で抱きながらついに自分も涙を零す。
暫く、二人は静かに泣いた。