第1話:旅立ち
シフィア王城が陥落してから三日が経った。
城はもう瓦礫の山としか言いようがない有り様で、代わりにリブラークの国旗が遠目でもはっきり確認できる程高々に掲げられていた。城が焼失する攻撃を受けたのに拘らず、その周辺都市の被害は微々たるものだ。そこがリブラークの腕の良さであり、シフィアがあっさり敵国の思うままに敗北した結果でもある。
そんなシフィア領内では、ある噂で持ち切りだった。
「クリスティーナ様が殺されたって本当かな・・・・・・?」
「城があんな状態だから有り得るかもな・・・・・・」
「そんな・・・・・・じゃあ、魔王はどうなるんだよ。クリスティーナ様のお力でやっと封印できたっていうじゃないか」
「分からんよ。我々には何も・・・・・・」
駐在しているリブラーク兵に聞こえないように村人がヒソヒソと話している。
その内容は、シフィアの若き女王の安否と現在の魔王の脅威。
自分たちよりも、女王の心配をするあたりこの国での人望の高さがはっきりと解る。というよりは、シフィアの民はそこまで自分たちの身に危険を感じていなかった。
理由は、リブラーク帝国の過去の戦歴にある。リブラーク帝国という国は、過去に敵国を宣戦布告無しで攻め落とした経歴が何度もある。宣戦布告無しの戦争はただの略奪行為でしかない。しかし、リブラークはそうやって占領した国の民を絶対に故意に傷つけないのを信条にしていた。その証拠に、今回の戦いでも城以外の死者は無い。過去数回の占領を経験をしていても民からの不満は意外にも少ない。寧ろ生活が豊かになったというところも存在するくらいだ。現在のリブラーク兵の対応の良さにそれが真実であると民は実感する。それ故に、自身よりも姫の安否を気にするのだ。治安の悪い国なら未だしも、信頼ある王たちの元で暮らしてきた民としては複雑な気持ちなのだ。
滞在している村の様子に魔王は呟く。
「腰抜け共が・・・・・・」
村人の話し声を聞いて魔王は苛立ちを隠せない。
『魔王様?』
心話でセシリーが声を掛けてくる。姿を見られただけで魔族と分ってしまうため、セシリーは現在魔王の影に隠れている。
「何故自分たちの国が占領されたのに、こうも落ち着けるのか私には理解できない」
『現状をはっきり認識していないのではないでしょうか』
「現状を認識していない・・・・・・?」
魔王はセシリーの言葉に訝しむ。
「いくら政治に疎い連中でもこの状況を見れば明白だろう」
『魔王様。人間とは弱い生き物なのです』
セシリーは諭すように言う。
『ですから、自分自身を守るために、現実から背けてしまうものなのです。実際に敵国に占領を受けてもリブラークの過去の行いから“きっと今回も他国のように大丈夫”と自分を納得させているのでしょう。でなければ、不安で潰れてしまいます』
「そういうものだろうか・・・・・・」
大戦時で魔王国は、一人の魔族が人間に殺されたのをきっかけに全員が立ち上がった。そのため、人間も最大戦力で挑まざる得なくなり、被害がより拡大していった。当時の魔族たちの行動が全て正しいと言うつもりはないが、現実逃避に明け暮れるこの国の民よりはまともだと魔王は思った。
『それに我々や軍の人間と違って戦うことに慣れていないと、やはりいざという時に動くのは難しいでしょう。戦いとは、平和に暮らす者にとっては恐怖そのものですから』
その通りだ、と魔王は思うが、どこか納得できない。崇める王を失ったかもしれないこの状況で、何の行動も起こさない人間たちがとても信じられない。
『・・・・・・魔王様。慌てる気持ちは解りますが今は冷静になってください。勝てる戦いも勝てなくなります』
「わかっている」
セシリーに指摘されて更に苛立ちが増す。セシリーは何も間違ったことは言っていない。魔王は自分の不甲斐無さから冷静さを失っていた。
魔王は未だに人間の身体のままだ。
そのことが、今の魔王の精神を大きく乱していた。魔王が肉体を奪った人間はどれだけ民衆に顔が知れているか判断できないため、現在頭をすっぽり隠す程深くコートに付いたフードを被っている。コソコソと人目をなるべく避けるようにして歩く姿は、とても魔王と呼ばれる者の動きではない。
暫く歩くと、人気のない小屋の前まで来た。汚れは目立ち、今にも崩れそうだ。既に使われなくなって数年経つだろう建物は、逃亡する身である魔王には打って付けの場所だった。
目的地に着いて魔王は入り口前で深呼吸する。相手に悟られないために自分自身を落ち着かせる。眉間に寄った皺を無理矢理直して建て付けの悪い戸を開いた。
「おかえりー、クルス」
入ると共に緩い挨拶を貰う。声の主はこちらに顔を向けることなく白い地図のようなものを床に広げ、それをジッと睨んでいる。この国の軍の緊急連絡回線らしいが繋がったところを一度も見ていない。何度も見た光景だけに魔王はついつい溜め息をつく。
「まだやっているのか。いい加減に諦めたらどうだ」
「そんなのわからないじゃない。文句言うなら黙っててくれる」
「食事を持ってきたのだが・・・・・・」
「もう! そういうことは早く言ってくれなくちゃ!」
広げた道具を片付け、やっと顔を上げる。そこには、魔王を今一番悩ませる顔があった。
肩に掛かる程の赤毛に、育ちの良さが伝わる白く綺麗な肌。魔王と同じコートを羽織っているが、その下には王族のみ着ることが許される装束を纏っている。魔王の仇敵クリスティーナ姫――魔王が封印されている内に女王となっている――だ。ちなみにクルスとは、魔王が奪った身体の持ち主の名である。
いつも通り平然を装ってクリスティーナに近づく。
「それで・・・・・・何か解ったのか、クリスティーナ?」
持ってきた食事を床に並べながら魔王は訊ねる。
「・・・・・・」
しかしクリスティーナからの返答はない。不機嫌を隠そうともせずに黙る。
またか、と魔王は心の中で頭を抱える。
「成果はあったのか、クリス」
「別に・・・・・・いつも通りよ」
返事はあったものの姫はご立腹のようだ。
「ねえ」
「なんだ?」
食事を口に含めながらクリスティーナは言う。行儀が悪いことこの上ないが敢えて何も口を出さない。
「何でいつもみたいにクリスって呼んでくれないの?」
クリスティーナは訊ねる。クリスティーナにとって当たり前の疑問に魔王は返答に困る。
クリスティーナと魔王が身体を奪った人間の関係は、幸か不幸か恋人だった。そして、お互いの立場柄、二人の時クルスはクリスティーナのことを“クリス”と呼ぶ。似た名前から話すようになり、次第にお互い魅かれるようにこっそりと付き合っていた。肉体を奪った魔王にはクルスの記憶がしっかりと受け継がれている。だから、二人の間で記憶が食い違うことない。魔王自身が意識しない限り・・・・・・。
「何か口調も少し普段と違うし」
「これが私の普通だ」
「嘘よ! 前はもっと砕けた話し方してたじゃない」
「ああ、随分と無理をしていたと自分でも思う」
「うそん!?」
突然の告白にクリスティーナは戸惑う。構わず魔王は続ける。
「私は農村の出身だ。だから上に行くためには他人より何倍も努力しなければならない」
「そ、そうね・・・・・・」
王制度を取り入れている国では何事も貴族が優先されるのは最早常識だ。シフィアも例外でなく、実力が重視されるようになったのは近年である。
「そこでまず意識したのが言葉遣いだ。いくら実力で上り詰めても若者口調では示しがつかない」
「・・・・・・その割には随分と偉そうな話し方ね」
「村の連中に騙されたんだ。からかわれたと言ってもいい。気づいた時にはこの口調で定着していた」
「不憫ね・・・・・・よく出世できたと褒めるべき?」
「運良く周りの人々に恵まれたからな。シフィアは貴族の中で平民を見下す連中は極一部だけだからよく助けられた」
「ふーん。そうなんだ」
あまり納得していない様子なので更に付け加える。
「クリスティーナと話す時は敢えて昔の口調に戻していた。自分としてはおかしくない常にか不安だったが、クリスティーナが砕けて話せていたと思っていたのなら大丈夫だったのだろう。この言葉遣いが不快ならいつもの口調に戻そう」
わざと諦めたような声と表情で言うと、姫はそれを首を大げさに振って否定する。
「い、いいよ! 話しやすい方で。・・・・・・そこまで嫌じゃないし」
「ありがとう。その言葉に甘えさせてもらう」
魔王が内心ホッとすると、
「話し方は解ったわ。それで、何でクリスって呼んでくれないの?」
再び難題が戻ってきて魔王は溜息をつきそうになるが、すんでのところで止める。
「お前は親しい者に全員クリスと呼ばせているな?」
敢えて強い口調で言うと、突然の態度にクリスティーナは戸惑う。
「呼ばせているってのは語弊があるけれど・・・・・・まあ、そうね」
「普段から様付けられることはあっても、呼び捨てでクリスティーナと呼ぶ者は両親だけだったのではないか?」
クリスティーナはその人柄から周囲の交流が身分階級問わず広い。クルスとの出会いもそんなクリスティーナだからこそあったと言っていい。中には年齢の近い同性などもいて、生前のクルスのように愛称で慕っていた。
「これは私個人の願望―――我が儘と言ってもいいが、クリスティーナの中でも特別の存在でありたいと思っている」
「うん・・・・・・」
「だから、誰もクリスティーナの名を愛称や敬称以外で呼ぶ者がいないのなら、私一人でそれを独占したい。だめだろうか・・・・・・?」
一瞬、クリスティーナは驚いた顔をするが、
「そ、そんなことない! 全然良いよ!」
魔王の言葉に興奮したように答える。クリスティーナは頬を染めながら、そっかそっか、と呟いていた。どうやらうまく誤魔化せたようだ。
「(誤魔化すだけで一苦労だな)」
うまく困難を乗り越えた魔王はクリスティーナに聞こえないように呟く。
『ノリノリに見えたのはわたくしだけでしょうか?』
「(気のせいだろう)」
疲れた目でクリスティーナを見る。
「えへへ」
クリスティーナは満足以上の結果にうっとりした表情で食事を再開した。
ドッと押し寄せた疲労に押し潰されそうになりながら魔王も食事を始める。味気のない食事だが今は贅沢は言えない。クリスティーナの方は先程の魔王の言葉が余程嬉しかったのか、幸せそうに食事をしている。
とても国単位の組織に命を狙われている少女とは思えない。そもそもこの二人が一緒にいること自体が異例だった。
封印から魂だけ開放されたあの日。魔王はクリスティーナを殺す筈だった。しかし、魔王が封印の地を出た時にはシフィア軍は既に壊滅状態で、たった一人で出会うリブラーク軍を次々に切り捨ててクリスティーナを探した。封印以前だったら有り得ないことだったが、人間と成り果てた魔王の体力はあっという間に限界にまで陥った。そして、いつまでも沸き続けるリブラーク兵士から窮地を救ったのがクリスティーナだ。そのまま魔王を封印した桁外れの戦闘力でリブラーク兵を蹴散らし、城外へ脱出。現在に至る。
クリスティーナを殺すのは簡単だ。だが、今殺せば魔王の身体がリブラークの手に落ちてしまう。人間一人の力では国を相手にできないのは先日身を持って痛感した。魔王の身体を取り戻す条件は、封印の地に確実に行けることとクリスティーナの死亡だ。現在の魔王では後者は簡単でも前者が非常に困難である。だから、リブラークという国全体を揺るがくらいのことをしなければならない。そのために――
「ヴァナディス神殿国に助力を求めるのは本気なのか?」
クリスティーナに訊ねるとにやけ顔がなくなる。
「アスカンディナ地方で唯一中立を保っている国だからね」
ヴァナディス神殿国はどこの勢力にも味方しない中立国家だ。国同士の戦争の加担や魔族との対立など、争いごとには絶対に関わらない。先の大戦も例外でなく、アスカンディナ地方で唯一戦いに参加しなかった。その反面、飢餓や災害などの人為的でない事態には協力的な国である。
「一方的にやられたとはいえ戦争だぞ。シフィアに加担するとは思えない」
「わたしがヴァナディスに助力してもらうのは魔王の方よ」
「ッ!?」
意外な内容に魔王は驚きを隠せない。
「クルスの言った通り戦争でシフィアはリブラークに奪われた。ヴァナディスはきっとこれでは関与しないでしょうね。でも魔王は違う。魔王は今回のように争いの種となる。これなら動いてくれる筈よ」
「・・・・・・具体的にどうしてもらうつもりだ?」
「魔王の保護、もしくは破壊をしてもらう」
魔王は対応を迫られた。
クリスティーナの提案は大きな賭けだった。自分の身体と接触するチャンスであり、同時にヴァナディスが勝手に作業をやることになればもう終わりだ。この提案が通らなくても、チャンスを待たなければならない。人間の寿命が百年前後である以上のんびりしていられない。
「・・・・・・そうするしかないだろうな」
「なら決まりね。今晩村人が寝静まってからここを発つわ」
「わかった・・・・・・」
これで話は終わり、とクリスティーナは食器を片付け始める。
『これで宜しかったのですか?』
セシリーが心配するように声をかけてくる。
「(今はこれ以外ないだろう。近隣の国を挑発して戦争を誘うこともこの人間の身体を使えば可能だろうが、クリスティーナがそれを許す筈がない。ヴァナディスに着くまでに考える。お前も何か案を考えておいてくれ)」
『畏まりました』
――さて、まずは無事にシフィアを出れるかどうかだな。
魔王は国境付近の地図を広げた。