第15話:銀色の刃
魔王は頭を押さえながら、夜のヴァナディスの街を歩いていた。
同じ夜でも、宿を出た頃にはまだ露店などが並んでいたが、今は店どころか人通りも少ない。街の住民は皆、屋内で騒いでいるか寝ているかのどちらかだろう。魔王は酒場で大半を寝て過ごし、店主に迷惑がられたのでこうして外に出てきたのだ。
魔王は窓に映る自分を見る。火照った顔に、片手には酒瓶を持った姿は、酔っ払い以外の何者でもない。酒が飲めるようになって浮かれた結果がこれでは格好がつかない。魔王としては、クリスティーナとほんの少しでも酒を飲み交わせればそれで良かった。
元々、魔王には酔い潰れる程飲むつもりなど最初からない。ここは得体の知れないヴァナディスの本拠地。“魔王の身体を破壊する”という約束から友好を築いたとはいえ、何もかも信用するわけにはいかないのだ。
しかしクリスティーナは現れなかった。
『クリスティーナ姫はもう宿で休まているのでしょうか?』
「(・・・・・・かもしれんな。昨日は碌に眠っていないから疲れているのだろう)」
セシリーの疑問は有り得る話だった。魔王が酒場であっさり眠ってしまったのも、案外その影響なのかもしれない。
だが、と魔王は思う。
――疲れていたとはいえ、書き置きを無視するようなことはないと思うが・・・・・・気づかなかった可能性も否定できない。
考えてから魔王は、それこそ有り得ないと感じる。書き置きに気づかなくても、魔王がいないことはいくらなんでも疑問に思う筈だ。疲れていたから寝て待っていよう、と安易に出来ない場所だということは、クリスティーナも解っている。
先程あっさり酒場で寝てしまった自分を棚に上げて魔王は考える。未だにフレイアースと話している可能性やどこかですれ違いになったのかもしれないと、考えられる予想をしながらも、何故か納得出来ない。今更ながら妙な胸騒ぎを覚える。
道を曲がる。表通りからあまり目立たないところに出る。そこは人通りもなく、街灯も少ない。
魔王は宿へ向かって早足で進む。
すると、魔王のいる場所が変わった。それに気づいた魔王は足を止める。
日常から非日常へ。ありふれた街から戦場へ。
変わったのは、魔王の周囲の空気。
平穏な日常に似つかわしくない殺意が魔王を取り囲む。
『魔王様』
「(わかっている)」
不可視の殺意は複数の人の形となって魔王の前に現れた。通路を固められ、退路を断たれる。
それらは汚れのない純白のコートを纏っていた。フードを深く被っているため性別も顔も判らないが、こんな薄暗いところにまで目立つ白を纏った潔白な襲撃者に心当たりは一つしかなかった。
「・・・・・・ヴァナディスの刺客か?」
襲撃者は答えなかった。代わりに短剣を構えて応える。
魔王も手にしていた酒瓶をコートのポケットに捻じ込み、両手に剣を握る。
『どうされますか?』
「(正面突破しかないだろう。下がるわけにはいかない)」
『表通りに行けば、関係のない住民に被害が蒙ることになるからですね。それに・・・・・・』
「(あそこは広くて目立つ。標的になりやすい)」
広い場所は今の魔王には不向きだ。万が一魔術で遠距離から攻撃されれば、障害物の少ない表通りでは対処が出来ない。それならば、狭い道で斬り合っていた方がまだ有利だ。
本来、この場合は真っ先に人通りの多い場所に出るのが一番である。現在魔王を囲っているような襲撃者は目立ちたくない理由から、人目を避けた場所を選ぶ。それならば、人目の多い場所へ移ればいい。
しかし、ここはヴァナディス神殿国。フレイアースという実在する神を崇めた宗教国家だ。魔王を神の反逆者だと言えば、病的に信仰している国民は進んで協力するかもしれない。碌な戦い方も知らない住民を相手に、魔王は手を出すことは出来ない。そうなれば必然的に物量で押さえられる。戦いに巻き込みたくない気持ちと、そういった連中の出現する恐れから、敢えて表通りに出ない道を選んだ。
とはいえ、地理的にも不利な魔王は無垢な住民を盾にされなくても、追い込まれる可能性がある。襲撃者は、魔王を行き止まりの道へ誘導することも、仲間を先回りさせることも出来るのだ。ここは少しでも早くクリスティーナと合流するしかない。
それにしても、と魔王は思う。
――襲撃のタイミングがあまりにも早過ぎる。最初からこうするつもりだったのか・・・・・・?
それならばクリスティーナを引き止め、魔王と離させたことにも納得がいく。それに最初から始末するつもりだったのならば、今夜襲うのが確かに一番だ。まだ魔王はヴァナディスのことを完全に解ったわけでもない上に、長旅で疲労が蓄積している。本当は寝込みを襲うべきだろうが、中々宿に戻らない魔王に痺れを切らしたのかもしれない。
一応、襲撃者がヴァナディスでない可能性も視野に入れて目的を確認する。
「(まずはクリスティーナと合流する。難しいだろうが教会堂までサポートを頼む)」
『畏まりました』
先程まで酔っていた筈なのに、自然と頭は冴えていた。不本意とはいえ、やはり魔王にとってこちらが日常らしい。
敵の数は五つ。正面に二人、背後に三人。
まず最初に、後ろの内の一人が動いた。無防備な背中を見せる魔王を後ろから串刺しにするつもりなのだろう。それを魔王は振り向くことなく横に体をずらすだけで躱す。逆に無防備な背中を見せた襲撃者の後ろを、魔王は正面にいた二人目掛けて蹴り飛ばす。
今のはまさにヴァナディスに来る前、魔王とセシリーがクリスティーナにやられた戦法だった。攻撃を予測し、尚且つそれを避けて相手の隙を作る。実際に正面の襲撃者たちは、突然飛んできた仲間の対処で隙が生まれた。やった方から見ると、やられた方はとても間抜けに感じられる。こんな醜態を一度でも晒したのかと思うと、頭痛がしてくる。
魔王は好機を逃す前に正面に駆ける。慌てて襲撃者たちは短剣を横に振るうも、魔王はこれも容易く躱す。代わりにお互いの剣を真横に振るったせいで、襲撃者たちは自分たちを斬りつける結果になった。
斬り合った襲撃者たちは苦しみ、動きが鈍る。その隙に魔王は襲撃者たちの間をすり抜けた。すぐに残りの襲撃者が追い掛けてくる。
魔王は慣れない道を通りながら、教会堂の方へ向かって走る。知らない道なので合っているのかさえ判らないが、背後数メートルの距離から追い掛けてくる襲撃者たちがいるため、止まるわけにはいかない。途中で待ち伏せしていた襲撃者と何人かすれ違ったものの、軽く受け流して難なく逃げ切る。昼間のクリスティーナと比べれば、襲撃者たちは雑魚だ。このまま行けば、うまく教会堂に着けるかもしれない。
だが、そんな都合の良いことなど訪れる筈がなかった。
「――行き止まり!?」
魔王が逃げ切った先には巨大な壁が立ちはだかっていた。魔王の身長の何倍もある壁はとても昇れる高さではない。
戻ろうとしたところで、今度は遠くから足音が聞こえた。数は最初より明らかに多い。足音だけですぐ近くまで襲撃者たちが迫ってきているのが判る。
魔王は咄嗟に積まれた木箱の物陰に隠れる。長年放置し続けたのか、汚れが酷く、臭いも最悪だ。それでも魔王は構わず息を殺して潜む。
やがて、足音が近くで止まる。
「行き止まりだぞ!」
「魔王はどこだ!?」
「さっきの道と逆方向だったか・・・・・・?」
「仕方がない。戻って仲間と合流しよう」
襲撃者たちが立ち去ろうとしている様子に、魔王は心から安堵する。
しかし、ここで足音も遠ざかって行く中、衝撃の音が響く。
それは、ビンが割れる音。
静寂とした場であるが故に、その音はより大きく響き渡る。
魔王はコートを見ると、戦闘中に解れたのかポケットが破れていた。そこに入れていた酒瓶が落ちて割れたのだ。ディーから貰った酒瓶は割れながらも地面を濡らしながら転がり、『ジン』というラベルが魔王を虚しく見つめる。
足音が戻ってくる。今度は先程と違い、余裕をもってゆっくりと歩いて。
待っていても、結果は良い方向へはいかない。それならば、と覚悟を決めて魔王は木箱の陰から飛び出た。
――追い詰められる前に斬る・・・・・・!
それでも、襲撃者へ飛び掛かる前にあっさり剣が手から弾かれる。剣は二本とも魔王から離れた場所に転がっていった。
「くっ・・・・・・」
「ここまでだ、魔王」
襲撃者たちの前には魔法陣が浮かんでいた。
黄色に輝く五芒星の魔法陣。煌々と発光したそれがヴァナディスの魔法陣なのだろう。
ヴァナディスの魔法陣を見ることも悪くないが、問題はそこではない。今まで追い掛けてくるだけで、碌に攻撃魔術を使わなかった襲撃者の対応が急に変わったことに、魔王は背筋が寒くなるのを覚える。
「今まで散々逃げてくれたな。ここなら、街に被害が及ぶことはあるまい」
襲撃者があっさり答えを聞かせてくれた。
魔王は切羽詰る。剣戟のみならば、魔王は負ける気がしなかった。だが、魔術を使われれば話は別だ。現在の狭い場所で避けることは疎か、魔王には魔術を防ぐ術すらないのだ。
魔術が使えない身体に、セシリーの補助も肉体の部分強化と、盾にするほど大きな魔力ではない。使っている剣も、クリスティーナのような魔術的に強化されたものでないため、弾くことも受け止めるも不可能だ。無理に受け止めれば、剣の方が折れる。そんな剣すらも、今は魔王から離れた地面に転がっている。
襲撃者の魔法陣の輝きが増す。
――ここまでなのか。ここで終わるのか・・・・・・!?
魔王は歯噛みしながら、これから来るであろう攻撃に目を閉じる。せめて足掻けるだけ足掻こう、と心の中で誓う。
『・・・・・・魔王様っ!』
セシリーが叫ぶ。
最後まで巻き込んで済まない、と思いながら魔王は攻撃の衝撃に構えた。
その直後、空気が攻撃魔術の衝撃で震える。目を閉じていても、刺すような閃光が魔王を襲う。しかし、いつまで経っても痛みを感じることはなかった。
どういうことだ、とおそるおそる目を開ける。
「・・・・・・な、なんだ・・・・・・?」
“それは”、いつの間にかそこにあった。
魔王と襲撃者の間に一本の剣が突き刺さっていた。剣、と表現するには不適切かもしれない。それには、掴む柄もなければ、鍔も付いていない。ただ銀色の刃がそこにあるだけだ。
クナイのような形状の傷一つない刃。人間一人分程の大きさの刃に、この場の全員が見惚れる。
その全身刃が魔王を守るように現れた。
魔王はわけが解らなかった。このようなものは、これまで見たことも聞いたこともない。襲撃者側も何が何だか解らず混乱しているようだ。
――これは一体何で、何の目的で現れたのか。
おそらく、この場にいる全員が思っていることだろう。
こちらの心情に応えるように銀色の刃が浮く。その切先が襲撃者の一人に向けられる。
そして、貫いた。
「あ・・・・・・」
心臓を貫かれた襲撃者は短い言葉を漏らして絶命した。
最初からそこに穴があったかのように開いた傷跡から血が流れる。それは刃で貫いたとは思えない鮮やかな切傷だった。死体が倒れ、その血で地面を少しずつ汚す。全員がそれを静かに眺めていた。
あまりにもあっさりした殺人。何もかもいきなり過ぎて、誰もが思考が追いつかない。
やがて、襲撃者の一人がぽつりと震えるように呟く。
「・・・・・・断罪の“銀”」
その言葉を聞いた瞬間、襲撃者たちから絶叫が上がる。
叫ぶ声を合図に銀色の刃は殺戮を開始する。
逃げる者の背中を、立ち向かう者の心臓を、許しを請う者の顔を――銀色の刃は容赦なく鮮やかに貫いた。一瞬で貫いた刃は返り血を浴びることなく、美しいままの銀色の光沢を放っている。大勢いた襲撃者は、たった一本の刃に誰も傷をつけることが出来ないまま死んでいった。
襲撃者が全滅すると、今度は魔王に切先が向けられる。今、目の前で起こった殺戮に魔王は足が竦む。
――ここで、死ぬのか・・・・・・。
死んだ襲撃者の一人が残した銀色の刃の名前は――断罪の銀。
その名前を思い出して、ついに来るべき日がきたのかもしれない、と魔王は思い始める。いくら魔王が本気で償うために何かしようと奮闘しても、結局認められるとは限らないのだ。だから、裁かれる日が償う前であっても不思議ではない。魔王の都合などお構いなしだ。都合が考慮されない程、魔王は人々に恨みを買っている。
鮮やか過ぎる殺戮を目の当たりにして、負の感情が渦巻く。
『魔王様っ! しっかりしてください!』
そんな魔王を正気に戻してくれたのはセシリーだった。活を入れるように叫んだセシリーの声に、自分がどれだけバカなことを考えていたのかを自覚させる。
返事代わりに魔王は転がっていた剣に飛びつき、素早く構える。
――断罪だろうが贖罪だろうが、ここで死ぬわけにはいかない!
『銀』はいつまで経っても動かなかった。それでも、魔王はいつでも動けるように神経を尖らせる。
そこで魔王はおかしなことに気づく。『銀』にとって魔王が武器を拾うのを待つ必要はない筈だ。あったところで魔王が勝てる可能性の方が低い。況してや、殺すつもりならば、最初に襲撃者からの攻撃を防ぐ必要すらない。
やがて、『銀』は切先を少し上げ、魔王の背後の壁に突貫する。先程までと違い、派手に激突した『銀』は壁を粉砕した。そして、舞い上がった砂埃から飛び抜け、『銀』は遥か上空へと消える。暫く消えた方角を眺め続けたが、戻ってくる様子はない。
――何だったのだ。
現れるのが突然ならば、消えるのも突然だった。
『銀』が砕いた壁を見ると、人影が映った。砂埃が晴れる。
そこにいたのは――