第14話:酒場
魔王は酒場に訪れていた。
酒場は商店の並ぶ通りと変わらぬ喧騒に包まれているが、それでいて煩いと感じない。街通りとはまた違った賑やかさがある。
フレイアースとの会話を終えた魔王は案内された宿に荷物を置いて、クリスティーナの帰りを待っていた。しかしいつまで経っても帰って来ないので、書置きだけ残して先に一人で酒場で一杯やろうと思ったのだ。
「はい、お待ちどうさん!」
人当たりの良さそうな酒場の主人がジョッキ一杯に注がれた酒と摘みをテーブルに並べる。
「注文は以上かい?」
「いや、連れが来てからまた注文するつもりだ」
「ははん。だからそんな軽めのものしか飲まないのね」
酒場の主人が鼻で笑うように言う。だが自然と不快感はない。
酒場の主人が言うのも無理がないことで、魔王の注文したものはアルコールのかなり低いものだ。客層からのんびり飲むより、豪快に飲む連中が集まるような酒場なのでそう思えてしまうだけなのかもしれないが。
「連れが来る前に出来上がってしまうわけにはいかないからな。・・・・・・それにしてもここは随分と賑やかだな。来る前はもっと静かなものだと思っていた」
「お客さんはヴァナディスに今日着たばかりなのかい? だったら無理もないな。俺もここに来る前はもっと堅ーイメージがあったよ。でもこの国は入国チェックが厳しいだけで、実際は他国から色んな連中が来てるから。ヴァナディス特有の店もあるけどよ、そればかりだとこの国に来た商人とか何とかは居づれーだろ? だからそーいった連中のためにウチみたいなのが認められてるってわけ」
「そうなのか」
「まー、出店のようにはいかねーからウチみたいのは少ねーけどな。とりあえず、連れが来たらまた呼んでくれ」
酒場の主人がそう言って他の注文を受けに行った。
魔王は摘みを口にしながらクリスティーナの到着を待つ。だが、ここでも中々現れない。待ち切れなくなった魔王はジョッキに手を伸ばす。
実はいうと魔王は教会堂を訪れる前からこの酒場に目をつけていた。以前の魔王は甘いカクテルでもすぐに酔い潰れる程酒が苦手だった。しかし現在の魔王の身体は以前と違う。そして人間クルスの記憶から、かなり酒が強いと魔王は知っている。だから早く酒が飲みたいと思っていた。この瞬間は、酒も飲めないことを恥じていた魔王にとって、とても喜ばしい時だった。
そんな魔王の頭に直接声が掛けられる。
『それにしても良かったのでしょうか』
セシリーが心話で話しかけてくる。ジョッキに伸ばした手をつい止めてしまう。
「(問題ないだろう。クリスティーナとて、この程度で怒ったりはしない)」
『そちらではなく・・・・・・』
「(・・・・・・お前はまだ、私の身体を破壊することに反対なのか?)」
セシリーはヴァナディスに訪れる前、魔王とクリスティーナの二人で出した答えにギリギリまで反対していた。他に方法がある筈です、と教会堂に入る直前まで訴え続けた。
セシリーの言い分は魔王にも解らないわけではない。セシリーは大戦後も単独で魔王を復活させる機会を窺っていた。約一年もの間、孤独に魔王を助け出すことだけを考えて生きてきた。魔王の身体を破壊することは、そんなセシリーの行動を裏切る行為である。それでも、魔王の身体の破壊以外良い方法が見つからないのも事実だ。魔王とて、自身の身体を破壊することを好き好んでいるわけではない。
「(私がやろうとしていることは、お前がやってきたことを無駄にする行為だということは分かっている)」
『そんなこと――わたくしは魔王様の側にいられればそれだけで・・・・・・』
「(だったら・・・・・・)」
『それでも、自分で自分を殺すようなことをしなくても良いではないですか』
「・・・・・・」
自分で自分を殺す。それは自殺に等しい愚かな行為。セシリーに言われて初めて魔王は気づいた。
――セシリーの言う通りだな。
“破壊”と“殺害”は同じ意味である。魔王の身体を破壊するということは、魔王自身を殺害するということなのだ。魂として他の肉体で生きていても、シフィア城の地下で封印されている身体もまた魔王だ。魂がないからといって別人にはなれない。魂のない身体でも、それはその者自身なのだ。
魔王は自身の身体をいつの間にか“物”として扱っていた。争乱の根源、といって取り除くことしか考えていなかった。それは魔王という存在そのものを否定することで、強いては自分自身で死ぬ宣言をしたも同然。
大戦で失った同胞たちと奪った人間たちのために生き残ると誓った魔王。そのために自身の本来の身体を破壊する道を選んだ。それがどれだけ矛盾した行動か、今更になって思い知る。それに気づいていたからこそ、セシリーは訴え続けた。
しかし魔王は思う。
それでも、と。
「(どれだけ自分を傷つけてでも、私にはやらねばならないことがある)」
自分が傷つけた者、今もそれで苦しんでいる者のために。
「(だから、傍で支えてほしい。我が使い魔よ・・・・・・)」
『魔王様・・・・・・』
自分勝手なことを言っていると魔王自身でも思う。こんなことを一方的に言っても、セシリーが納得できる筈がないということも解っている。だが、今の魔王にはこれ以上セシリーに伝えられる言葉が見つからない。
本来、使い魔の主従関係でならば、魔王がセシリーに命令して終わる。従者である使い魔が主に反論することは普通であれば有り得ないのだ。しかし魔王とセシリーは使い魔の契約を交わしているが、それには当てはまらない。理由としては、魔王自身がそういったことを嫌う性格であることと、魔王とセシリーは“普通”ではないからだ。
魔王とセシリーは運命共同体。使い魔、と一言で済ませられない強い繋がりを持っている。故に魔王はセシリーを縛りたくはない。常に一緒にいるのであれば、常に同じ考えの下で行動したい。
『・・・・・・』
返ってきたのは沈黙だった。セシリーも言葉を選んでいるのかもしれないが、いつまで経っても声を発することはなかった。
嫌な空気が漂う。沈黙が辛い。
早くクリスティーナが来ないものかと、魔王が思っていると――
「おにーさーん! 何一人でしんみりやってんのっ!」
「うおっ!? 何だ貴様!」
いきなり魔王に体当たりするような形で酒瓶を持った女が抱きついてきた。一人用の椅子に無理矢理尻を押し込んで魔王の横に座る。密着したことにより強調された胸が腕に当たるが、気になったのは一瞬だけ。それ以上に嗅ぎ慣れない香水と濃い酒の臭いが、魔王の鼻を刺激した。
「何だ貴様って、ディーさんに決まってるじゃないの! ディーさんのこと知らないのー?」
「知るか。離れろ酔っ払い!」
「きゃっははははっ! おにーさん照れてるー!」
ディーと名乗った女は豪快に笑う。
よく見ると酔っ払い女は意外にも若かった。年齢は二十代の中間程。栗色の長髪をポニーテールに纏め、耳には剣のような十字架を模倣した銀色のピアスをしている。容姿も整っていて、服装も派手でも地味でもないカジュアルな装いだ。しかし酒を直接嗅いでいると錯覚さられる口臭や酔って真っ赤になった顔が全てを台無しにしている。
一生懸命引き剥がそうとするが、ディーの力はこれもまた意外に強くて離れられない。
「ディーさんは名乗ったぞー? おにーさんのお名前はなんてーの?」
「酔っ払いに名乗る名などない!」
「なんだとー!? ディーさんの言うことがきけねーっての!?」
笑ったかと思えば次は怒り出した。
酔っ払いの扱いは慣れるものではない。どうしたものかと魔王が考えていると、ディーが片手で顎を掴んでくる。思いも寄らない行動に魔王はされるがままに口を開く。そしてディーはその口に持っていた酒を流し込んだ。
「うんんんんんんんん!」
酒瓶の口を口内に押し込まれているため喉に直接酒が流される。
喉が焼けるように熱い。息ができない。突然の出来事で魔王は抵抗すらままならない。
どれだけ飲んだのか、酒の流れが止まり酒瓶が口から離される。同時に息を吸い込む。しかし、いきなり大量に空気を吸い込んだせいで魔王は咽せる。そして次には視界が歪んだ。見えるもの全てがぼやけ、魔王自身も体のバランスを崩してテーブルに倒れ込む。
「な、何を飲ませ、たん、だ・・・・・・?」
うまく舌が回らない。人間クルスは記憶の通りであれば酒に強い方である。いきなり倒れる筈がない。
「ウォッカのストレートだよ?」
「?」
何を言われているか解らない魔王の頭に悲鳴のような声が上がる。
『アルコール度数九十パーセントを超えるお酒ですよ! それもストレートだなんて・・・・・・!』
やっと声を出してくれた喜びと、セシリーの慌てた様子から不安な気持ちと混ざり合う。酒の知識に疎い魔王には何が起こっているのかさっぱりついていけない。
「(そんなにきついのか? セシリーは飲めるか?)」
『最初の一杯からストレートなんてとても無理です』
セシリーは酒に強い方だ。樽一杯の酒を平気で飲み干すフェルミアに最後まで付き合える程に。そのセシリーが無理だと言った酒を魔王は瓶一杯飲み干した。そう思った途端、激しく嘔吐く。それなのに吐ける気がしない。とにかく悪い循環が魔王の身体に起こっている。
「何故こんな、ものを・・・・・・?」
ディーに訊ねるとニタニタと魔王を見下ろして言った。
「んー? なんかね、おにーさん喧嘩して拗ねたような顔してたのね」
「喧嘩・・・・・・」
「だから、嫌なことがあったらね。飲んで忘れる! それで落ち着いたら仲直り!」
セシリーとの心話が読まれたのか、と魔王は咄嗟に考える。しかしすぐに考え直す。この酔っ払いにそれほど魔力は感じない。つまりそんな力量の持ち主でないということだ。酔っ払いにまで心配される程魔王は暗い顔をしていたらしい。
「これ、お友達の分。仲直りしたら一緒に飲んでね! ディーさんからのサービスサービス♪」
どこから持ち出したのか、再び別の酒瓶をテーブルの上に置く。
「それじゃあ、そろそろおにーさんのお名前教えてくれるー?」
今日会ったばかりの相手に何を拘っているのだろう、と魔王は心の中で苦笑しながら答える。
「クルスだ。とりあえず、感謝しておく」
「・・・・・・クルスくんね。憶えた憶えた。じゃあ、またねー!」
名乗るとディーは席を離れて行く。来るのも突然なら出て行くのも突然である。
ディーは離れたといっても店内の端を陣取った集団の元へ行っただけだ。ディーが行くと集団は笑顔で出迎える。どうやらあれがディーの仲間らしい。少しばかり羨ましいと感じてしまった。
「(・・・・・・宿に戻ってから一緒に飲もう)」
『仲直りのお酒ですか?』
からかうように笑った声のセシリーが言った。
「(そうだな。もう一度話し合おう。お互いが納得いくまで)」
『魔王様・・・・・・』
いつの間にか吐き気は失せていた。安心したからだろうか、代わりにドッと眠気が押し寄せる。
魔王はそのまま睡魔に身を任せた。
クリスティーナはフレイアースと二人きりで部屋にいた。大勢いた天使たちも退室し、ただでさえ広大な部屋が更に広くなった感じがする。
神と二人きりになったこの状況に、緊張するクリスティーナにフレイアースは笑い掛ける。
「ごめんなさいね、呼び止めたりして」
「いえ、そんなことありません」
態々人払いまでして何の話だろう、と思いながらクリスティーナはフレイアースの言葉を待つ。
「アナタは今後どうするか決めていますか?」
「え?」
「魔王の身体を破壊した後のことですよ」
突然の質問にクリスティーナは戸惑う。
魔王の身体を破壊した後は具体的に何をするかは決まっていない。目の前のことで必死になり、先のことを全く考えていないからというわけではない。クリスティーナと魔王には目標がある。
大戦の真実。その償い。
それが魔王と交わした約束。だが、漠然とし過ぎて具体的な計画に移れないのが現実だ。一年前の出来事であり、その傷跡も見える速さで消えていく。どこから手をつければいいのか判らないのだ。
「何も決まっていないのですか?」
「は、はい・・・・・・」
曖昧なことは言えず、クリスティーナは答えられない。
「何も決まっていないことは恥ずかしいことではありません。将来のことですから、安易な答えだけは出さないようにしてください」
「はあ」
フレイアースの意図が解らず、クリスティーナ混乱する。
「ですが、何かを成すためには安定した足場が必要になります」
「確かにそうですが――」
「ヴァナディス神殿国に籍を置く気はありませんか?」
「!?」
帰る国と家を失ったクリスティーナには、喉から手が出るほどの提案だった。
しかし嬉しいと同時に疑問が浮かび上がる。クリスティーナは国を追われた立場だ。公式発表をしているかどうかは別にして、リブラークは今もクリスティーナを追っているだろう。そんなクリスティーナを国として迎えるのは、下手をすれば戦争に繋がる。そのリスクを負ってまでクリスティーナにヴァナディスの国籍を与えるのは危険だ。
「そんなことをしたら・・・・・・」
「アナタが心配するようなことは何もありません。我々の国には領地を追い出された貴族や帰る国を失った農民など、様々な人を多く受け入れています。・・・・・・・勿論、条件付きですが」
「条件?」
「領地を追われた貴族には栄えて頃に活かした知識を、帰る国を失った農民にはその国独自の作物の作り方を。そしてアナタにはその剣と魔術の腕を――ヴァナディスのために使ってもらいます」
「? この国の兵士として働くということでしょうか?」
「いいえ。アナタにはヴァナディスを拠点とした『ディオ・リナ』の“勇者”になってほしいのです」
勇者。
その単語を聞いてもピンとこない。魔王を封印した時にはそう呼ばれたこともあったが、あのような戦いが現在再び起こるとは思えないし、思いたくない。それもヴァナディスのではなく、『ディオ・リナ』という世界規模となれば想像がつかない。
「ワタクシはヴァナディスの指導者であり、『ディオ・リナ』を管理する神でもあります。その手伝いをしてほしいのです」
「その・・・・・・具体的にどのようなことを?」
「生態の乱れを正したり、危険区域の検査をしたり、大戦のような戦争を事前に回避するようにしたり――と、ようは『ディオ・リナ』にとって良くないものを防いだり、直したりすることですね」
「戦争を回避することが出来るんですか!?」
「なるべく起こさせないようにはしています。戦争は『ディオ・リナ』にとって痛手ですからね。そして起こってしまえばワタクシは手が出せません」
「どうしてですか?」
「それが神としてのルールだからです。しかし、アナタは違う」
フレイアースは真剣な顔でクリスティーナを見つめる。
「『ディオ・リナ』で生まれ、生活しているアナタは別です。戦争が起きても最小限に抑えることが出来ます」
「そんなことが・・・・・・本当に?」
「ええ。そういった気配のある国は監視していますから、いつでも分かります」
フレイアースの言うことが本当だとすれば、魔王との約束も叶うかもしれない。『ディオ・リナ』を管理しているフレイアースに大戦で知っていることを尋ね、今後同じようなことを繰り返さないために動くことが出来る。事前に戦争を止めることが出来るのなら、大戦のようなことを起こさないように出来るのなら、やるしかない。
「・・・・・・やります。やらせてください!」
「良い返事です。――では早速、仕事をお願いできますか」
「今からですか?」
「すぐに出来ることですから」
フレイアースがクリスティーナに微笑み掛ける。
「魔王を討伐してください」
「えっ・・・・・・」
クリスティーナは絶句する。
何を言われているのかすぐに解らなかった。
「・・・・・・何を、言って・・・・・・」
「魔王の身体を破壊することがアナタと、魔王自身のお願いですよね」
「そ、そうです! それがどうして・・・・・・!」
「身体とは何でしょう、クリスティーナ姫」
フレイアースが諭すように言う。
「身体はそれだけでは意味がありません。そこに魂がなければただの死体も同然です。現在の魔王は封印された状態とはいえ、まだ生きています。何故か? それは魂がまだ、身体と繋がっているからです。つまり、魔王の身体だけ破壊しても何も変わりません」
「しかし!」
「それだけではありません。・・・・・・例えば、魔王の身体を魔力ごと完全に消滅させたとしましょう。それでも、大戦時にシフィア王国を滅ぼしかけた魔王が魂だけでも生き残っていると人々が知れば、一体どうするでしょうか?」
「そ、それは・・・・・・」
「魔王は莫大な魔力の持ち主で有名ですが、同時にあらゆる魔術を持つ者として畏怖されています。その知識を巡って魔王の魂は強者によって奪い合いになるでしょう。今の魔王は弱体化していて、一般の傭兵でも倒すことが出来るのですから」
フレイアースの言っていることに何一つ反論できない。何故なら、フレイアースは何も間違ったことを言っていないのだから。
「――以上のことから、魔王がどれだけ危険か、賢いアナタなら解っていますよね」
「わ、わたしは・・・・・・」
震えた声で何か言おうとするが、言葉にならない。フレイアースを納得させる答えが見つからない。
「魔王も、あの大戦の犠牲者です! 大戦で彼も大切な人を失いました。それを二度と起こさないために、こうしてわたしと共にここに来ました!」
「それが魔王の意志であっても、世界の意思ではありません。その意志さえも魔王が自身の身体に戻るための計画と言い切れない保障はありますか?」
「・・・・・・っ」
クリスティーナは魔王と共にあることを誓った。
自分たちの罪の償いのために。
それなのに、フレイアースを説き伏せる方法がない。
クリスティーナと魔王に置かれた状況は最初から最悪だった。世界に訴えかけても、クリスティーナと魔王には世界中の人々を説得させる人望がない上に、それはとても現実的な案とは言えない。言葉で伝えられないのなら、行動で示すしかない。しかし、その行動の前に出された選択肢は、現実が残酷であると告げる。
「世界の敵を討ってください。我々の味方であるために、人類の敵にならないために――勇者よ」