第13話:神(2)
門を潜ると、外見通りの石造りの街が広がっていた。
路肩に商店が並び、それを通行人が眺めたり商品を手に取ったりしている。子供たちが走り回る。商人たちが慌ただしく道を行き来している。外から見れば遺跡のように閑静としていた城砦も、人がいるだけで全く印象が違う。
どこの国とも変わらない人の溢れた雰囲気。そんな街並みを眺めている内に目的地に着いた。
他の建物と同じ石造りの儀式場。しかし、床から屋根、壁や窓に至るまで手の込んだ造りが施された建物は、それそのものが一つの作品に思えた。壁や窓には芸術的な絵が描かれ、床と天井には見たことのない文字や記号が目立たないように刻まれている。
ヴァナディス神殿国の中心部に建つ教会堂。
最初から開かれていた扉の奥に待ち人はいた。
「どうですかな。街の様子は」
出迎えたのは初老の男だ。派手とも地味とも言えない装束を纏っているが、慈悲深いオーラを全身から流すような不思議な感覚を受ける。その格好から目的の人物であると容易に分かった。
教会堂の中へ入ると、まるで友人と話すかのような態度でその男は言った。
「賑やかで楽しそうです。わたしの国と変わりません」
「そうでしょう。平和な国ならどこでも見れる光景ですが、残念なことに全ての国が平和ではないのが現実です。何故でしょう?」
「みんなが平和を望んでもそれが叶わないから」
「その通りです。平和を望む者がいると同時に戦争を望む者もいます。・・・・・・『ディオ・リナ』全員の信教が同じならどれだけ良いことか」
「それは難しいですね。誰もが同じ願いではいられない」
だから、戦いはなくならない。
『ディオ・リナ』を生きる者全てが平和を望んでも、その国、その人によって“平和”の形は違う。
自分と自分の周りの人間が幸せならそれで良いという者。自分の国が裕福であるためなら隣国が滅んでも良いという者。人間が無事に暮らせるならそれ以外の種族は絶滅しても良いという者。
先の大戦がそうであったように、必ずしも人々が口にする“平和”が共通しているとは限らない。それこそ、『ディオ・リナ』で暮らす者全てが同じ信教でもない限りは。
そうですね、と男は悲しそうに呟く。
「挨拶が遅れました。私はヴァナディス神殿国の大司祭ルクソースです。ようこそいらっしゃいました」
「シフィア――元シフィア王国の王クリスティーナです。突然の訪問をお許しください。こちらは――」
「魔王、ですね」
「!?」
魔王とクリスティーナは共に絶句する。それでもルクソースと名乗った大司祭を態度を崩さない。
「どうして・・・・・・」
「エストレイア様から伺っております。敵意は全くないと」
「・・・・・・それでも、こうしてあっさり入国させることに危険だと感じないのか?」
弱体化しているとはいえ、魔王は魔王国の王。どんな策略をめぐらせているか分かったものではない。エストレイアから話を聞いていたからといって、普通はあっさり入国させることはなってはならない。見えないところで何らかの対策を行っているだろうが、大司祭からは何かをしたという様子が見られない。
「神を信じるのがヴァナディスの教えですから」
嘘を付いているようには見えない。だからこそ、魔王が目の前の大司祭を怪訝に思う。
「こちらへ」
魔王の気持ちに気づかず、ルクソースは教会の奥へと歩き出す。促され、魔王とクリスティーナはその背を追う。
何の変哲もない壁でルクソースは立ち止まり、ほんの少し出っ張った壁のタイルを押す。すると、ルクソースが押したタイルの下の方に逆三角形状の光が浮かび上がり、壁が左右横に自動で開く。
現れたのは狭い部屋だ。二、三人くらい入れるのがやっとの空間。天井だけ少し高く、そこから太陽の光を直接浴びせているかのような光明が差している。
「入ってください」
ルクソースが道を空ける。
魔王がクリスティーナに目だけで「大丈夫か?」と訊ねる。クリスティーナはなるようになれと言わんばかりの呆れた反応を返してきた。クリスティーナが先に進み、次に魔王が入る。それに止まることなくルクソースが続いた。魔王の危惧は杞憂に終わったが、まだ油断は出来ない。
ルクソースが今度は部屋側からタイルを押すと扉が閉まる。閉じると同時に軽い浮遊感を味わう。落ちている、と気づいた時には浮遊感は自然と消えていた。
「着きました」
「どこへ連れて行く気だ」
「この奥へ行けば分かります。・・・・・・今日は貴方方にとって記念になる日になるでしょう」
扉が開かれる。
扉を潜った先にあったのは広い空間だ。教会のように壁や天井、柱に至るまで細かな造りとなっている。
しかし、造りの種類が違う。教会が神に祈る場所だとすれば、ここは王を崇める場所だ。
広い空間の奥には玉座があった。そこへ続く壁には翼の生えた騎士たちが並んでいた。騎士に護られる王は魔王たちを見て微笑んだ。
騎士は天使。
王は神。
神は玉座から立ち上がる。
「ようこそ、我がヴァナディス神殿国へ。ワタクシの名はフレイアース。アナタ方の入国を歓迎します」
玉座の前で出迎えたのは二十代後半くらいの女性。身に纏っているのは、高価な布を使った衣装。同じ神でもエストレイアとは対照的に露出を許さない格好は、全身で潔癖症を表しているかのようだ。その衣装だけで軽く一般家庭の数ヶ月の生活分の費用がかかるだろう。
「神・・・・・・ですか?」
クリスティーナがおそるおそる訊ねると、フレイアースが頷く。
「その通りです。ワタクシは『ウィルフレド・イマ』を統べる神の一柱。エストレイアから話は聞いていませんか?」
「まったく・・・・・・」
「もう、あの子にも困ったものです」
呆れた顔で溜息をつく姿はまるで母親のようだ。
エストレイアと違い銀色の長髪だが、容姿はどことなく似ている。同じ神だからか、雰囲気もエストレイアと同じ感じだ。
「どうして神がこんなところにいる?」
「どうしてと言われても・・・・・・。管理すべき世界に拠点を置くことがそんなに不思議ですか? 我々は『ウィルフレド・イマ』から眺めるだけが仕事ではありません」
「はっ。自分のことをヴァナディスの連中に崇めさせてよく言う」
ヴァナディス神殿国は神を崇める宗教国家。目の前の実在する神を崇める信仰だ。本当にエストレイアから聞いていたような仕事なら態々そんなことをする必要はない。
魔王の言葉にフレイアースが不快な顔をする。
「ちょっと、クルス!」
「魔王、貴様・・・・・・フレイアース様を愚弄するのか!」
クリスティーナとルクソースが慌てて止めに入ると、フレイアースが片手を挙げて制す。
「そんなに神のことが憎いですか」
「憎む? 何の話をしているんだ。憎む必要がどこにある、傍観者。私はただ、神の力をもっと良い意味で『ディオ・リナ』の役に立てられないものかと嘆いていただけだ」
「まるで子供ですね」
「最近私も丸くなったらしい」
心底疲れた顔でフレイアースは魔王を見る。
「妻があれなら旦那も同じですか」
「なんだと?」
フレイアースの呟きに魔王は眉を顰める。
「フェルミアのことですよ。あの乱暴娘の」
「フェルミアに会ったことがあるのか!?」
魔王は驚きを隠せない。神に会ったことがあるなど、フェルミアの口から聞いたことがない。
「五十年程前でしょうか。一度この国を単身で襲撃してきました。当時の司祭たちを薙ぎ倒し、教会を半壊させ、更にワタクシの護衛の天使たちも全滅させられるという被害を受けました。死人が出なかったのが不思議なくらいです」
「何をやっているんだあいつは・・・・・・」
「それからワタクシに剣を突きつけて国を造るにあたり必要なことを訊いてきました。ワタクシがヴァナディスの創設者であることを知っていたようですね」
「・・・・・・」
魔王国の創設はフェルミアから始まった。フェルミアが建国する発端を作り、その立役者に魔王を選んだ。“国”というものすらロクに解っていなかった魔王を、影で支えたフェルミアは魔王国の裏の立役者だ。
その建国を一から始めるにあたり、フェルミアの行動は全てとまでいかなかったが、手際が良かった。それは過去に国を一から創設した人物から指導を受けたからだ。目の前の神によって。
――やりたいことのためなら神にさえ喧嘩を売る。・・・・・・何ともフェルミアらしいな。
合点がいって魔王は自然と綻ぶ。
「よく素直に教えたな」
「純粋に平和な国を造りたいという想いに、偽りはなかったようですから。それに、損害分の費用も置いていってくれたのでこちらとしては特別損はしていませんよ。寧ろ警備体制について改めて考えさせられたので良い勉強になりました」
「平和な国・・・・・・」
クリスティーナが魔王の横で静かに呟く。魔王自身もそんな昔から行動していたのかと感心している。
「フェルミアのことは懐かしいですが、そろそろ本題に入りませんか?」
本題。
魔王とクリスティーナがヴァナディスを訪れた理由。
魔王がクリスティーナの方を見ると、頷いて返してくる。そして魔王はフレイアースに言った。
「ヴァナディス神殿国に頼みたいことがある。私の――魔王の身体を破壊してほしい」
ヴァナディスに来る前に魔王とクリスティーナで考えたことだ。
魔王の身体は争乱の原因になる。封印された魔王の身体が存在する以上、今回のシフィアのような国がまた出てくる。魔王自身が身体を取り戻しても同じこと。再び魔王国のような悲劇を、魔王がいる場所で引き起こすだけだ。それならば、原因となる魔王の身体を破壊してしまえばいい。誰かが魔王の力を手に入れる前に。・・・・・・現在ここにいる魔王には何の価値もないのだから。
魔王の言葉にフレイアースは驚く顔を隠さない。周囲の天使たちからも息を呑む感じがする。
「意外です、ね。身体を取り戻すかと思っていたのですが」
「こちらの身体に慣れてしまったからな。あの図体では生活が難しい」
「ふふ。それがあなたの答えですか」
フレイアースが口元を手で隠す。魔王の答えが余程おかしかったのだろう。
「わかりました。あなた方の提案を受け入れます。――ヴァナディス神殿国は魔王の身体を破壊することに全力を尽くします」
「あっさり了解してくれたのは嬉しいが・・・・・・本当に良いのか?」
「勿論です。神の言葉に、偽りはありません」
自信を持ってフレイアースは言い放つ。その態度に魔王は少しだけ安堵した。
「しかし、その提案は簡単ではありません。問題は山積みです。問題を解決するにはやらねばならないことが沢山あります」
「そうだな。それにはまず――」
「ですから、話の続きは明日からとします。本日のアナタ方には旅の疲れを癒してもらいます。疲れた頭では出る案も出なくなりますからね。それに、ワタクシ自身にも考える時間をください。問題が問題だけに、慎重にならねばなりません」
魔王の言葉を遮り、フレイアースは言った。
フレイアースの言う通り、魔王たちは疲れていた。エストレイアとの出来事もあってあまり寝ていない上に、ヴァナディスに到着した足でここへ訪れている。大事な話だからこそ、万全の態勢で挑まなければならない。
「わかった。続きは明日にしよう」
「感謝します。宿に案内させましょう」
フレイアースがルクソースに指示を出す。この国の地名と宿名を告げていたようだが、ヴァナディスを今日初めて訪れた魔王には全く分からなかった。
ルクソースが律儀過ぎるお辞儀をフレイアースにしてから退室しようとする。その後ろを魔王とクリスティーナは続いた。
「クリスティーナ姫」
「は、はい。何でしょうか?」
いきなり呼び止められてクリスティーナは慌てて振り向く。
「少しだけ、二人きりで話がしたいのだけれど、よろしいでしょうか?」
チラッと魔王の方を向く。
「行ってこい。宿で待ってる」
「はい。わかりました」
クリスティーナは目だけで、わかったと告げてフレイアースに返事する。
魔王は先に宿に帰るために退室した。