第12話:入国
「剣の稽古をつけてほしい」
時は正午過ぎ。早めの昼食を取ってから、休憩しているクリスティーナに魔王は言った。
木にもたれながら水を飲んでいたクリスティーナが水筒から口を離す。
「突然ね。どうしたの?」
「今の私は魔術でも剣術でも中途半端だ。魔術は無理だが、剣術なら鍛えれば何とかなる。だから、稽古をつけてほしい」
これは以前から魔王が思っていたことだ。
魔王の剣術は素人そのもの。それに反して、魔王の今の身体の主である人間クルスは優れた二刀流剣術の持ち主だ。記憶越しだが、素人の魔王から見ても凄いの一言である。どれだけ素晴らしい剣の腕を持つ身体とその知識があろうとも、使いこなせなければ意味がない。
「ふーん。まあいいわよ。食後の運動ってやつね」
快くクリスティーナから了承を得る。
水筒を地面に置き、立ち上がりながら愛剣に手をかける。
「――それならば、わたくしにも稽古をつけてもらってもよろしいでしょうか」
魔王の影からセシリーが出てくる。セシリーはいつどこで人間に遭遇するか分からないため、常に魔王の影で生活している。現在は見渡しの良い平原で、人どころか動物すら見えない。
「わたくしも大戦から暫く剣を握っていませんので感を取り戻させてください」
「いいけど、剣は?」
クリスティーナの一言でセシリーは、しまった、という顔をする。
「そういえば持っていませんでした。大戦時に紛失してしまいましたので」
「それならわたしの使っていいわよ」
そういってクリスティーナは自分の剣をセシリーに手渡す。魔王はその行動に驚き、セシリーもクリスティーナと剣を交互に見ている。
「クリスティーナはどうするんだ? まさか素手でやるつもりか?」
「まさか。・・・・・・こうするだけよ」
クリスティーナは両掌を広げると、そこにシフィアの魔法陣が浮かび上がる。太陽と月が白く発光し、同色の物体が魔法陣から出てくる。
空中で静止したそれをクリスティーナは掴む。
掴んだのは白い剣だった。光で作られたかのような白一色で出来た剣。片手に一つずつ握り、それらしい構えを取る。
初めて見るクリスティーナの二刀流の構えに魔王は感心する。
「そんなことも出来るのか」
「剣なら魔術でいくらでも作れるわよ。普段の剣よりは劣るけどね。・・・・・・それじゃ――」
始めましょうか、というクリスティーナの言葉で稽古が始まった。
「はぁはぁ・・・・・・」
魔王は膝に手を置き、息をつく。嫌な汗が流れ、袖で拭う。しかしすぐに新しい汗によって顔が濡れる。
短時間による激しい動きで魔王の体は疲労を訴える。対して、クリスティーナは汗一つ流れることなく平然としている。
「はあっ!」
セシリーがクリスティーナの背後から素早い動きで攻める。だが、クリスティーナはひょいと体を横に動かしただけでそれを避ける。セシリーはそれでも体勢を整えて正面から斬りかかる。それをクリスティーナは片方の剣で軽々と受け流した――かと思えば、セシリーの体が宙に投げ出される。もう一方の剣で吹き飛ばされたのだと判った時には、セシリーは地面を転がっていた。
「剣が基礎に忠実過ぎる。それで行きたいならもっと速く動きなさい。だから攻撃が簡単に読まれるのよ」
「は、はい!」
「次!」
呼ばれているのが自分のことだと判り、魔王は駆ける。
右から上段に斬りかかる。同時に左の剣で横に一閃する。クリスティーナは顔色を変えることなく両の剣であっさり受け止める。そして鍔迫り合いになる。剣を押してもびくりともしない。そんな魔王の腹をクリスティーナは蹴り上げた。
「がっ・・・・・・!」
予想外の攻撃に魔王はよろめく。完全に体勢が崩れた魔王にクリスティーナが斬りかかる。ほんの一瞬の内に魔王の剣を弾き、喉元に切先を突きつけられる。
視界に入らないところで手から離れた剣が落ちる音を聞く。
「・・・・・・参った」
「動きが単調で遅い。剣筋が正直すぎるし、何より集中力が足りてない。剣ばかりに意識を向けているから他の攻撃に反応できないのよ」
「く・・・・・・」
魔王は悔しさに歯噛みする。
クリスティーナの言うことは全てが的確だった。魔王には剣の戦いに必要なものがあらゆる面で足りていない。
剣の知識は基より魔王の持つ身体が憶えている。それを活かせるだけの術を持つ身体を魔王は使っている。
しかし、魔王はうまく扱えない。魔王自身今の戦い方が良かったとは思えない。それが解っている。解っているが、行動に繋がらない。どれだけ素晴らしい身体を使おうとも、それは人間クルスが磨いたものだ。完成されたものを受け継いだところで、今まで剣を握ったこともろくになかった魔王が、すぐに使いこなせるわけがない。
それに、魔王が身体を失う前の基本戦術は魔術を行使する前提のものだ。相手の気配、攻撃、防御・・・・・・全て魔術で察知し、対策を打ってきた。今に思えば依存に近かったのかもしれない。現に魔術を失った魔王は手加減して戦っているクリスティーナに手も足も出ない。
「セシリーは見てるだけだとそこまで問題ないわね。後はスピードと、基礎剣術を意識し過ぎなのを無くすること。基礎も大切だけどそれ以上に応用を利かせないと意味がないから」
「はい。わかりました」
「クルスは問題ありすぎ」
「返す言葉もないな」
クリスティーナの指摘に魔王は気まずさから項垂れる。
「あなた、攻撃する時に何考えてる?」
「? 当然当てることだが・・・・・・?」
何を言っているのだろう、魔王が首を傾げていると、クリスティーナが溜息をつく。
「どこにどう当てるとか考えてないでしょ」
「考えている。今は上段から斬りかかりながらもう一方の剣で攻撃――」
「その後は?」
「え」
「その後どうするか。具体的に考えてる?」
問われてから魔王は思い出す。
魔王は確かに具体的な攻撃方法が後にあったとは言えないが――
「だが、相手がどう動くか分からないのだから具体的な攻撃が思い浮かぶわけがないだろう?」
「相手の動きを予想するのは勿論だけど、相手を自分の思うように動かせるに誘導することを考えて攻撃しないと」
「そんなことができるのか? どうやって・・・・・・?」
「そうね・・・・・・もし、上段から思い切り斬りかかられたらクルスはどうする?」
突然の例題に魔王は考える。
そして導き出した答えを口にする。
「避ける、な」
「どっちに?」
「どっち? ・・・・・・右に避ける」
「ほら」
「何が、“ほら”なんだ?」
言っている意味が解らないという顔をする。
「まず、この攻撃の対処法としては避けるか受けるかね。これは誰でも分かることよ。だから避けるか受けるかの二択の行動に誘導することができる。そしてその後の行動が制限される。避けるなら右か左か後ろ――みたいに。そうやって自分のペースに相手を持っていく。攻撃はそういったこと全てを考えてやらないと」
「・・・・・・成程」
「当然、全てが予想通りとはいかないわ。でも考えなしの行き当たりばったりな攻撃より、思考しながら攻撃した方が良いに決まってる。今のクルスのように力が劣っているなら尚更。実力で勝てないなら、知恵で勝る戦いをしないと」
クリスティーナの解説で魔王は納得した。
魔王は強大な存在だ。今までの戦いでも敵の殆んどは一撃で葬ってきた。だから、そこまで具体的に攻撃方法について考えたことがなかった。
「その通りだな。とても勉強になった」
「そう? なら、もう一度いくわよ」
「やり方さえ分かればこちらのもの。次はさっきのようにはいかんぞ」
魔王の言葉にクリスティーナは不敵に微笑んだ。
クリスティーナから身体の動かし方や小手先のテクニックを軽く教わった。本当に、軽く。基よりそういった手法は人間クルスの記憶として魔王にも備わっている。それをどううまく引き出し、実戦で使用かは、今後の魔王次第だ。
教えられたのは、殆んど基本的な心構えや考え方が中心だった。それこそ剣術に限らず、生きていくことにまで応用できそうなことだ。・・・・・・勿論、使えればの話だ。
「早く宿で休みたい」
『頑張ってください。魔王様』
「・・・・・・お前は楽でいいな」
結果的に魔王は負けた。満身創痍だ。フェルミアにあったばかりの頃の修行を思い出しかけて頭を振る。
――あれに比べれば・・・・・・。
「ほら、見えたわよ。・・・・・・何て顔してるの?」
「いや、何でもない・・・・・・」
魔王は過去のトラウマに呑み込まれそうになっているところで、クリスティーナの指した方を見る。
魔王たちが立っている平原よりもずっと低い位置。その切れ目が境界線のように、自然に恵まれた平原から荒れた大地へと変わっている。そんな荒野の中心に聳え立つそれは、目的の“国”だった。
強固な壁に覆われ、その天辺は不規則にでこぼことしている。中には石造りの建造物が多く見られ、その中心には教会堂のような巨大な建造物が鎮座していた。更に、その教会堂から国の周りに囲まれた壁へ線となった石がいくつか繋がれていて、国自体がまるで一つの家のようだ。どれも歴史を感じさせるものばかりで、何から何まで儀式めいていると感じられた。
ヴァナディス神殿国。
その名前を知っていれば、確かにこれは“それらしく”見える。しかし、魔王には目の前の国が城塞としか思えない。
「胡散臭い国だな」
「わたしも初めて見るけど、何か近寄り難いわね」
魔王とクリスティーナが率直な感想を述べる。
見かけ通りヴァナディス神殿国は歴史が長い。だが、その割りに発展らしい姿が皆無だ。国よりは古い遺跡と呼んだ方がまだしっくりくる。
魔王たちは荒野の中で数少ない舗装された道を見つけてヴァナディスの門を目指す。
以前の魔王でも通れるくらい巨大な門と扉。国を囲む壁も大きければ、その入り口も強固だった。
門に辿り着くと門番の男が近づいてきた。兵というよりは修行僧といった感じの男があからさまに不審な目で魔王たちを睨むように見る。
「入国許可書はありますか?」
「ああ。これだ」
魔王たちはエストレイアに貰った入国許可書を門番に手渡した。門番は一通り目を通した後「少しそこで待っていてください」と言って門の奥へ消えた。不審な目は最後まで消えなかった。
――まあ、無理もないか。
このご時勢に若い男女がいきなり国に押しかけてくれば誰でも不思議に思う。商人でもなさそうな国籍不明の男女が、有力者や名のある組織からしか貰えない紹介状を携えてくれば尚更だ。
「渡しただけで何も言わなかったけど、大丈夫かな?」
「何とかなるだろう」
暫く待つと、門番が現れる。動きはゆっくりだが、何故か困惑しているような顔をしている。
「入国の許可が下りました。お二人はすぐに中央にある教会を訪れてください」
「すぐに? 何でまた」
「この国では外部の人間にガイドが一人ずつ付いてくるのか?」
魔王はほくそ笑む。
――その場合、監視という意味のガイドだろうがな。
門番は困った様子で魔王たちの質問に答える。
「その、私にもよく分からないのです。お二人の名前を聞いて大司祭がすぐに呼んでくるようにと・・・・・・」
「大司祭?」
「この国一番の権力者ね」
クリスティーナの名前がヴァナディスに知られていてもおかしくはない。寧ろ当然と言ってもいい。交流がなかったとはいえ、大戦で両親を失ったクリスティーナが王を引き継ぐのは誰でも解る。正式な発表がなくても。
それにしても、と魔王は思う。手回しがあまりにも良過ぎる。魔王たちが最初からここに来ることを、ヴァナディスには分かっていたということになる。
――まあ、それならそれで・・・・・・。
「都合が良いな」
「そうね。最初から会うつもりだったし」
「お二人は一体・・・・・・」
門番が驚いた顔をする。この国の住人といえど、魔王を倒したクリスティーナの顔までは知らないらしい。
「さて、案内してもらおうか。その大司祭とやらのところに」
魔王たちは門を潜った。