第10話:魔王国(4)
クリスティーナは逆上せたエストレイアの看病をセシリーに任せて山の中を歩いていた。
冗談半分で言ってみたのだが、あっさり出歩く許可が出た。驚きつつも、その言葉に甘えさせてもらうことにした。エストレイア程ではないが、クリスティーナも身体が火照って風に当たりたかった。それに、今は一人で居たい気分だった。視界に入らないところから天使の監視が続いているが、今のクリスティーナには気にならない。
大戦の裏側。魔族側の事情。
魔王国が魔族を大陸中から集めて回っていることはシフィアでも知っていた。それはいつか人間と戦争するための準備だと、シフィアを含め近隣の国々では考えられていた。クリスティーナ自身その考えに疑いはなかったし、寧ろいつでも立ち向かえるように剣を磨いていた程だ。しかし、それは間違いだった。魔王国が魔族を集めていたのは、戦争の戦力を増幅させるためではなく、ただ住人を――仲間を増やしたかっただけだ。
特別なことではない。それを人間は検討違いしてしまった。だから、大戦は起きてしまった。要因はそれだけではないが、人間による魔族への偏見がより酷い戦争へと発展させてしまったことに間違いはない。
魔王が暴れたことによって多くの国で被害が出た。だが、その発端は愛する人々の死から始まった。何者かに妻を殺され、人間たちによって国民を皆殺しにされた。そんな魔王を一方的に非難する権利は誰にもない。
『――何の野望もない小娘が・・・・・・我が願いを阻むんじゃないっ!』
シフィア王城の決戦で魔王がクリスティーナに言った言葉。
この言葉はまさにその通りだった。魔王の全力の訴えをクリスティーナが一方的な理由で押し付けた。
魔王の願いは愛する者たちと平和に暮らすこと。
それの何がいけないことなのだろう。当たり前で、理想的な願い。それを人間が――クリスティーナが阻んだのだ。誰かの策略であったとしても、最後はクリスティーナ自身の手で終わらせたことだ。怨まれることはあっても、怨むことはあってはならない。
大戦時の魔王による襲撃で両親を失ったことも、封印中にリブラークに裏切られて国を奪われたことも、それで恋人のクルスが死んだことも。
全ての元凶は人間――クリスティーナなのだ。
「どうして、今まで気づかなかったんだろう・・・・・・」
クリスティーナはポツリと疑問を口にする。
本当に何故気づかなかったのだろう、とクリスティーナは思う。
魔族は邪悪な存在。そう幼少の頃から教育されていた。だから、国を守るため、そして魔族を倒すために剣や魔術を磨いてきた。そのことに少しも疑問を抱かなかった自分自身を今になって疑う。
魔族も人間も変わらない。それはエストレイアに視せられた魔王国の光景を見れば一目瞭然だ。魔族だって人間のように笑うのだ。大切な者のために毎日を一生懸命生きているのだ。それを邪悪な存在だとどうして言い切れるのだろうか。
「わたしは取り返しのつかないことをしたのね」
今更ながら痛感する。
魔王を倒した英雄ではない。魔族を追い立てた卑怯者だ。
クリスティーナは自分自身をそう思わざる得ない。
何が正しくて何が間違っているのか、解らない。これからどうやって償えば良いのかも。その答えが見つからないクリスティーナは山道を歩き続ける。
すると、見覚えのある場所に出た。最初に訪れた平地だ。いつの間にか戻ってきたらしい。あの時はまだ魔王を恋人のクルスと勘違いしていた。あれからそんなに長い時間経ったわけでもないのに、今は遠い昔のように感じられる。
何となく周囲を見渡すと、今度は見覚えのある背中を見つけた。
「・・・・・・クルス」
恋人の背中。否、恋人の姿をした魔王だ。横に積み上げられた木々に腰掛けながら月を眺めている。
今まさに考えていた人物の登場にクリスティーナは足が止まる。思考が止まり、動けなくなる。クリスティーナは魔王の背中を見つめ続けた。
「――いつまでそこにいるつもりだ」
こちらに振り返ることなく魔王は言う。誰に対しての言葉か分からないクリスティーナではなかった。どれだけ時間が経っただろうか。魔王に気づかれたらしい。
「話がある。こっちに来い」
誘われ、戸惑う。しかし、迷ってばかりもいられない。
クリスティーナは一歩を踏み出した。
セシリーは温泉で逆上せたエストレイアを看病していた。
体を冷やした方が良いとはいえ、流石に全裸にしたまま放置するのは心苦しかった。そう思ったセシリーは身体をよく拭いてからエストレイアに服だけ着せて頭を自分の膝の上に置き、背中の翼で器用に扇ぐ。幸いにもエストレイアの服は露出が多くて丁度良かった。
それにしても、とセシリーは思う。
堂々と温泉に入らせた時や今こうして看病していても、周囲を監視している天使は見ているだけで寄って来る様子がない。主が逆上せただけだとはいえ、倒れたのは事実だ。普通他人任せにするだろうか。況してや、セシリーは今日出会ったばかりの他人だ。それに種族柄馴れ合えるとは限らない。セシリー自身はエストレイアに対して多少疑惑はあっても不快な気持ちは抱いていないが、天使の立場としてはそう安易な考えは持っていない筈だ。
――信頼されているのでしょうか。
主であるエストレイアを任されるということはそう解釈する他ない。だが、信頼されるようなことをした覚えがないのも事実。
――魔王様の過去を天使の皆さんもご覧になったのでしょうか。
それならば少しは納得が出来る。自分の主の過去にはそれだけの動機があった。それでも、やはり足りないと思った。その足りない何かが今のセシリーには分からなかった。
暫くすると、エストレイアがぼんやりと目を開けた。
セシリーと目が合う。
「んにゃ~。おはよう。セシリーちゃん」
「おはようございます。時刻としては間違っていますが」
「細かいこと言わないの」
そういってエストレイアはセシリーの膝から起き上がった。
「あっ」
「ん?」
思わず出してしまった声にエストレイアは首を傾げる。
「どったの? 物寂しげな顔して」
「・・・・・・いえ。膝枕をするのが随分と懐かしかったもので」
「あーそういや、魔王くんと出会ったばかりの頃によくやってたもんね」
「そんな昔のことまで分かるのですか」
「まーね。・・・・・・それじゃセシリーちゃんのご希望に応えますかな」
エストレイアは再びセシリーの膝に頭を乗せて横になる。乱れた前髪をセシリーが手で整えるとエストレイアはくすぐったそうな顔をする。その姿は第三者から見れば、仲の良い姉妹と誤解するかもしれない。
「魔王様のこと・・・・・・どれだけご存知なのですか?」
「魔王くんのことなら何でも。ファンですから」
何気ないセシリーの質問にエストレイアは平然と答える。
「でも、“魔王”のことは正直あんまり分かんないなー」
エストレイアは変わらず喋り続ける。対してセシリーは表情が暗くなる。
「だからさ、セシリーちゃんの記憶をちょろっと見てみたいなーなんて思ってたりする」
「それは堅くお断りさせていただきます」
「だろうね。それとも話せない理由でもあるの?」
「自分の過去を覗かれても良いと言う人などいませんよ」
「そう言われると返す言葉がないなー」
からかうように笑うエストレイアにセシリーはどうしたものかと困惑する。エストレイアの言っている内容がどういった意味なのか解る故にセシリーは答えられない。
話を逸らすため、それよりも、と切り出す。
「どうして魔王様とクリスティーナ姫を今になって二人きりにしたのですか?」
「二人には一度お互いに本音で語り合ってもらうべきだと思ったから。魔王くんの正体をバラした手前で言うのもなんだけど、あの状態じゃ話にならないからね。冷静に考える時間を作る意味でもクリスちゃんには魔王くんの大戦時の過去を視てもらいたかった。その方が少しは魔王くんに対する認識も変わるだろうしね」
そこまで考えていたのか、とセシリーは心の中でこっそりと感心する。見た目や言動で甘く見てみたとセシリーは改めて思わされる。
「問題は魔王くんの方だけど・・・・・・そこんとこセシリーちゃんから見てどうよ?」
「魔王様なら大丈夫です」
セシリーははっきりと言い切った。
「魔王様はきっともう――クリスティーナ姫を許しています」
「・・・・・・意外。どうしてどう思うの?」
セシリーの迷いのない答えに今度はエストレイアが驚いた顔をする。
「魔王様は世界で一番お優しいお方ですから」
セシリーは魔王が魔王国を建国した根本的な理由を知っている。建国前からずっと側で仕えているのだから当然だ。
平和。
ただそれだけを望み、求めて魔王国を造った。魔族同士でいつまでも笑っていられる理想郷を描いて造られた魔王国。実際、魔王やフェルミアが望んだ国が出来上がり、日々善くなっていた。怨みや憎しみとは無縁の場所だと言っても過言ではない。そこを造り、そこで暮らした一人としてセシリーは自信を持って言い切れる。
何故なら、魔王国を造った王が何よりもそれを望むから。誰よりも優し過ぎる魔王は誰よりも怨みや憎しみとは無縁なのだ。辛い目に遭っても、愛する者を奪われても、魔王は憎しみ切れない。誰よりも優しい魔王の最大の長所であり、短所だ。戦争を起こした人間は赦せなくても、その戦いで同じように大切な者を失ったクリスティーナを許している。
それは決して同情ではない。魔王はクリスティーナを一人の人間として見ている。大戦当時から一年後の現在までクリスティーナは失ったことに負けず、今に至ることを魔王は解っている。未来のシフィアの王として育てられ、魔王を倒すほどの力を持っていても、所詮は十年とちょっとしか生きていない少女なのだ。苦労と苦悩なしに今日まで来れるわけがない。縋る相手を奪った魔王だからこそ、それを深く理解している。直接本人から聞いたわけではないが、それに気づけないセシリーではない。
「だから、大丈夫です」
魔王の使い魔は自信を持って言った。