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堕ちた魔王の理想郷  作者: 紅峰愁二
第1章:発端
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第9話:魔王国(3)

 魔王は自室へ駆け込んでから間を置かず魔術を展開する。右手を掲げ、魔王特有の歪んだ六芒星の魔法陣が完成する。そして、そこから闇色の閃光が放たれた。

 迷いはなかった。フェルミアを襲っている黒いコートの人物へ容赦なく殺傷力の高い攻撃を与える。

 黒衣の男は攻撃をまともに受け、魔術の奔流に呑み込まれる。部屋の壁を魔術が突き破り、自室を半壊させる。


「フェルミアっ!」

「フェルミア様っ!」


 魔王とセシリーが慌てて横たわるフェルミアに駆け寄る。出血が酷いが魔王たちを首だけ動かして見上げる。生きている、という安堵と同時に妙な気配が漂う。

 部屋の奥。魔王の攻撃で壁が崩れ、魔王城外の景色のみが見えるその場所で黒衣の男が佇んでいた。傷どころか服に汚れ一つ見当たらない。足が付く筈のない空の上で、まるでそこに見えない床があるかのようにこちらに歩いてくる。

 魔王はすぐに黒衣の男に飛び掛る。魔術で身体を強化し、黒衣の男に殴り掛かった。

 金属と金属がぶつかる音が響く。魔王は鋼鉄さえも切り裂く強度の爪で男の体を貫くつもりだった。しかしそれを見えない何かで防がれた。黒衣の男は爪を何かで防ぐ動作をしたまま静かに魔王を見上げる。魔王はその何かを掴み、それを魔法陣で包んでいく。あっという間に透明のそれに魔法陣が埋め尽くされ、途端にガラスが割れるような音が響いた。

 黒衣の男の武器が露になる。持っていたのは特殊な形をした武器だった。

 分類としてはおそらく短剣だろう。全長は五十センチ程度。その先端の刃が六つに分かれて扇状に広がっている。剣というよりは、柄のある鉤爪といったところか。

 その特殊な六爪剣をそれぞれ両手に持ち、魔王の爪を防いでいる。


「それで殺したのか? この国の魔族と攻めてきた人間の軍隊を!?」


 城内の魔族は、魔王が自室へ行く途中で見た者は全て殺されていた。その殺され方は、城門で見た人間のように身体がバラバラだったり、一本の剣で一刀両断されたように切り捨てられたりと、死体によってまちまちだった。統一性のなさに複数犯の可能性も考えていたが、この男の武器を見て同一犯だと判った。この武器なら出来ると解ってしまった。

 城内に人間がいないのは目の前の男が城門までに全滅させたからだろう。そして、城内の魔族もおそらく魔王が引き連れてきた者たちを除いて全員やられている。

 問い掛けに答えない男に魔王は苛立ちが隠せない。


「何が目的でここに来た!? どうしてこの国の住人を皆殺しにした!?」


 魔王の必死の言葉も男は何も感じていないように沈黙で答える。

 人間が魔王国を襲う理由は分かる。魔族が人間を嫌うように、人間は魔族を畏怖する。だが、目の前の黒衣の男は人間とも魔族とも言えない異様な気配を放っている。種族による偏見を除いても、現在の状況から黒衣の男の目的は分からなかった。


「アイツがここに来た」

「アイツ?」


 やがて黒衣の男が静かに呟いた。


「でも、国中捜してもいなかった」

「人捜し? それならどうして殺して回る必要がある!?」

「向かってきたから」


 淡々と黒衣の男は言う。その声色に感情はない。

 男の態度で魔王の怒りが爆発した。


「そんな理由でっ!」


 魔王の声に合わせて黒衣の男を魔法陣が取り囲む。上下、前後左右と六つの魔法陣が男を拘束する檻となる。

 拘束されても黒衣の男は無表情を貫く。顔だけ動かして自分の状況を確かめている。

 魔王が男から離れる。


「滅びろ!」


 魔王が指を鳴らす。すると、魔法陣が黒衣の男に向かって移動――直撃する。

 途端、男を中心に閃光が炸裂する。そこで起こった爆発も、その衝撃も魔法陣の檻の中で暴れ回り、外には漏れない。爆発によって生まれた煙が充満して中が見えない。

 魔法陣を開放すると、陣内で溜まっていた煙が溢れ出した。爆発後特有の臭いが鼻を突く。一瞬で煙が散り、明けた場所には何も残らない。

 魔王が放った魔術は成功すれば、攻撃対象の肉体すら残らないものだ。だから、この光景は何も不思議はない。

 だが――


「・・・・・・逃げたか」


 魔王は歯噛みする。

 逃げ場のない檻の中で黒衣の男を死体も残らない灼熱の中で爆死させた。見た限り何も不思議はない。“見た限りは”。

 爆発後特有の臭いを嗅いで魔王は呻く。

 ――焼死体特有の肉が焼けた臭いがしない。

 一瞬で焼却した死体であっても、案外臭いは残ってしまうものだ。嫌な臭いであればある程に。

 だが、今はそれがない。

 理由は単純。そこにいないからだ。

 魔王はあの状況でどう逃げたのか興味があったが、今は置いておく。近くに気配がない以上、黒衣の男は少なくとも魔王国外の領域まで離れている。一旦の危機は去った。

 ――今はっ!

 魔王はフェルミアの元に戻る。

 フェルミアはセシリーによって止血を行われている最中だった。押さえられた白い布はすぐに血液を吸い、あっという間に真っ赤に染まる。それから再び新しい布へと交換していく。しかしそれもすぐに血で汚れる。

 魔王が交戦中ずっとその作業を繰り返していたのか、セシリーの隣には赤く濡れた布が散らばっている。作業を行っていたセシリー自身の服もフェルミアの血で濡れていた。


「・・・・・・魔王様」


 セシリーは一瞬驚いた顔をしてから、縋るような目で魔王を見上げてくる。近くに寄って初めてそこに魔王がいることに気づいたようだ。セシリーの顔には精神的な疲労が見て取れた。こんなにも弱々しいセシリーを見たのは魔王も初めてだ。


「フェルミアの容態は?」

「血が・・・・・・血が止まりません」


 涙声でセシリーが答える。

 新しい布を交換しようとしたところでその手を掴まれる。


「もう、いいから・・・・・・」

「ですが、フェルミア様! ここで止血をしなければっ!」

「良いのよ、セシリー。もう良いの・・・・・・」


 そういってフェルミアはセシリーから手を離した。掴んだ場所にはフェルミアの血がべっとりと付いていた。セシリーはフェルミアの言葉に抑えていた涙を流し、嗚咽を漏らさないように口元を押さえる。

 フェルミアがセシリーから魔王へと目を向ける。


「あなた・・・・・・やっと来て、くれた」

「ああ、私はここにいるぞ」


 魔王はフェルミアの手を握った。その瞬間全身がぞっとする。

 ――何だ、この冷たさ。

 生暖かい血に濡れながらも、握ったフェルミアの手は凍ったように冷たかった。


「もっと近くに、来て。ここからじゃ・・・・・・あなたの顔、遠くて見えない」

「え――」


 魔王とフェルミアの距離は体格の違いから、本来お互いの顔が二メートル程離れている。だが今は、寝ているフェルミアを覗き込むように魔王は屈んでいる。お互いの顔の距離は一メートルもない。決して遠くはない。

 魔王は震える手でフェルミアを抱きかかえた。手を握った時とは比べ物にならない冷たさに、思わず氷を抱いている錯覚に陥りそうになる。新しく身体から流れた血が熱く感じる程だ。それに、

 ――軽い。

 酔い潰れてベットに運んだ時よりも、体に乗せた時よりも、好き放題に引っ張り回そうとするのを止める時よりも。ずっと――。

 抱きかかえて初めて気づく。フェルミアが横たわっていた場所には赤い水溜りが出来ていた。身体よりも、自身の血を吸った服の方が重く感じる。服で吸い切れなかった血が背中に伝って今も水溜りにぽつぽつと落ちる。

 ――こんなに血を流したら、もう身体に何も残ってないじゃないか!

 目に見える形で命が抜けていく。その事実の魔王は戦慄する。

 そんな中でもフェルミアは微笑み、魔王を見る。


あったかい・・・・・・。あなたの手、すごく温かい」

「ああ」

「もう、あなたは魔王なんだから。すぐに泣いちゃ駄目だって・・・・・・昔から言ってるのに・・・・・・」


 いつの間にか流していた涙を拭こうとフェルミアの手が伸びる。

 しかし、届かない。真っ直ぐに伸ばせば届く距離にある魔王の顔でなく、虚空を掴み続ける。

 それを魔王は自分の顔に引き寄せる。


「フェルミア! 私は・・・・・・私はここにいるぞ!」

「わかってる・・・・・・わかってる」


 静かに、フェルミアは言う。


「ごめん、ね」

「何を謝っている?」

「あなたの、赤ちゃん・・・・・・産んで上げられなかった」

「・・・・・・っ!」


 魔王はその言葉に再び涙がこみ上げて来る。

 フェルミアは知っているのだ。もう子供が――自分が助からないことを。これだけの出血では生きている方がおかしいのだ。それをフェルミアも解っているのだろう。


「そんなことはない。まだ諦めるな! セシリー! 医者は――医者はいないのか!?」


 セシリーの反応は声にはならなかった。涙を流しながら首を横に振る。

 答えは魔王にも最初から分かっていた。部屋に入った時からそこに医師の死体を転がっているのを見たから。それでも訊ねずにはいられなかった。

 街の医師もいない。魔王と共に来た魔族の中にもいない。魔王やセシリー自身も医術の心得がない。

 ここには、ただフェルミアが死ぬという事実があるだけだ。頭では理解していても、言葉にするのが何よりも恐ろしかった。助ける方法は最早皆無。魔王はあらゆる魔術を習得しているが、属性の都合から神聖系のような治療が出来ない。使えるのは、ただ誰かを傷付け、殺す魔術のみだ。魔王は己の妻のが目の前で死に掛けているのに、何もしてやることも出来ない。

 フェルミアは全て解ってると言わんばかりに微笑みながら魔王の頬を撫でる。


「大丈夫。あたしがいなくなっても、あなたを支えてくれる人が沢山いるから」

「ああ」

「だから、もう泣かないで。笑って。最後にそんな湿っぽい顔はやだな」

「ああ・・・・・・!」


 魔王は笑った。フェルミアの最後の願いを叶えるために精一杯に笑顔を作る。

 しかし、それでも涙は止まらない。寧ろ多くなっていく。


「後のことは任せろ。全部うまくやってみせる」


 魔王は溢れる涙を誤魔化すために言葉を続ける。もう叶わない嘘を付き続ける。


「人間が何千、何万と攻めて来ようと絶対に民を守ってみせる」

「うん」

「魔族が平和で在り続ける未来を必ず作ってみせる」

「うん」

「私たちの理想は叶う。これから幸福な生活を送る魔族どんどんが増えていく。だから――」


 嗚咽でうまく言葉が出ない。言いたいことが山ほどある筈なのに、うまく出てこない。


「フェルミアもそこに・・・・・・」

「そこにいられないけれど。あたしの分まで幸せになって」


 魔王の言葉を遮ってフェルミアが告げる。


「幸せに・・・・・・みんなが平和に暮らす国を――理想を・・・・・・」


 言葉は続かなかった。

 フェルミアは静かに目を閉じ、魔王の頬に触れていた手が落ちる。止まらなかった血がもう流れない。魔王の腕の中には眠ったように動かないフェルミアがある。

 その事実に、魔王は――


「ああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 慟哭どうこくする。のどが張り裂けんばかりに絶叫する。

 そして、壁に刻まれたシフィアの紋章を睨む。

 ――シフィア――この国が、魔王国を・・・・・・フェルミアを殺した元凶!

 フェルミアをゆっくり下ろし、魔王は立ち上がる。隣には何やら決意したセシリーの姿が、部屋の入り口には駆け付けた魔族たちがいる。

 魔王は宣言する。


「全ての元凶はシフィア王国! 仇を討つため、死んだ者に報いるため――奴らを滅ぼすぞっ!」


 魔王の決断を否定する者は、この場にはいなかった。




「――その後はご存知の通り、シフィア王城で魔王くんはクリスちゃんに負けて封印される。以上が大戦での裏話ってやつね」


 何気なく言うエストレイアの言葉にクリスティーナはハッとなる。

 周囲を慌てて目だけで確認する。

 クリスティーナは温泉にかっていた。隣には、フェルミア様、と感傷にひたっているセシリーがいる。

 どうして自分がこんな状況なのか解らないクリスティーナは今まで経緯をよく思い出す。

 確かエストレイアに誘われて温泉に来て。それから・・・・・・。

 ――思い出せない。

 気づけば魔王の過去を視せられ、何事もなかったかのように三人で温泉に浸かっている。


「ん? どったのクリスちゃん?」

「何、今の・・・・・・?」

「へぇ、魔王くんの過去を視せられたことよりも先に、どうして温泉に入ってるか訊いてくるかと思ったけどそっち先訊くんだ」


 と、エストレイアは言ってくる。何もかも見透かしたような目でエストレイアはクリスティーナを見返す。


「一種の意識を誘導する魔術でしょ」


 それに反抗するかのように、やや棘のある言い方でクリスティーナは答える。解らないとはいえ、大体は予想のつく手法だ。

 クリスティーナの回答にエストレイアはニタニタと笑う。


「まあ、正解っちゃ正解だね。うん。良い答えだよ」

「何よ。あっさり当てられてひがんでるの?」

「いやいや。誘導したのは事実だけど、魔術じゃないんだなこれが」

「じゃあ何よ。催眠術とでも言うつもり?」

「んー、似たようなもんかな。やったのはね、あて特有の能力ってやつでね。何て説明すればいいかな・・・・・・」

「特殊能力?」

「そうそう、それ! さっき視せた魔王くんの過去の記憶もあての特殊能力」


 おどけた調子のエストレイアに対して、クリスティーナは冷静に彼女曰くの特殊能力を分析する。

 クリスティーナは魔王のことを知りたかった。そこをエストレイアに心理的に突かれた。クリスティーナの興味を誘い、精神に干渉。その後に温泉へと誘導し、魔王の過去を視せられた。

 だが、疑問がある。

 ――魔王の過去に詳し過ぎる。

 魔王を詳しく調べなければ、あそこまでエストレイアは知ることが出来なかった情報だ。偽りでないことはセシリーを見れば一目瞭然。それでも詳し過ぎる。当時あの現場に居なければ分からないことばかりだ。


「随分と詳しいですね。もう一度あの光景を見る日が来るとは思いませんでした」


 セシリーが静かに言う。若干挑発する目でエストレイアを見ている。それでもエストレイアは態度を改めることなく対応する。


「あての特殊能力の一つなんだけどね。他人の記憶を視たり視せたり出来るんだよ」

「他人の記憶を・・・・・・?」

「そうそう。あては“魔王”のことを個人的に調べててね。だから探らせてもらいました♪」

「まさか、魔王国の生き残りに逢ったことがあるんですか!?」


 セシリーが驚きで声を上げる。

 魔王国の生き残り。大戦時に魔王と共に行動していた数十名の魔族。現在の生死は不明で、辛うじて逃げ延びている者がいるとかいないとか・・・・・・。シフィアでも噂になっていた。


「いや。あてもそっちの方をまず捜したけど無理だった。生き証人が見つからないから代わりに眠っている人から拝借したのさ」

「それはもしかして・・・・・・」

「そう。封印されている魔王くんの身体」

「そんなことが出来るの?」

「記憶は魂に刻まれ、脳に記録として保存されている。封印越しでも問題ないさ。何せ、あては神だもん」


 自信気に小さな胸を張るエストレイア。

 とりあえず、とクリスティーナの方を見る。


「魔王くんの過去――大戦時の裏話の一部を見れた感想は?」

「感想って言ったって・・・・・・」


 不意の問い掛けにクリスティーナは戸惑う。クリスティーナとしても突然過ぎて気持ちの整理が出来ていないのだ。


「まあ、あてから見れば問題なしか、な。後は・・・・・・自分たちで話し合うと、良いよ」

「え、エストレイア?」


 表情を変えずに沈んでいくエストレイアにクリスティーナは慌ててその腕を掴む。体中が真っ赤だ。顔を覗き込むとエストレイアはぼうっとクリスティーナを見ている。いや、見えているかどうかさえ疑問だ。


「・・・・・・結構長い時間浸かっていましたからね」

「そういうことね」


 クリスティーナは呆れながら逆上のぼせたエストレイアをセシリーと共に温泉から引き上げた。

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