空なる宮殿
ごうん、と鈍い音が身体の奥から響く。
気がつけば、ジェット・バレルの身体が、エレベーション・ドライバのシャフトから外に出ていた。
「う……」
わずかな吐き気。スフィアにいる限り、実際にこみ上げるものなどありはしないが、思わず口元を抑える。
「わっ! 大丈夫かい!?」
「ああ、いえ、少し気分が悪くなっただけで……すぐ治します、から」
情報渋滞による転送酔いだろうか、地上でポータルを利用するときは、こんなことはなかったのに。
頭を振って、無理矢理吐き気を押さえ込むと、周囲の光景が目に入った。
「あの、ここは……?」
「ここは上層区画のエントランスさ。『ペルソナクライン』内での呼び方だと、『シューニャ・ガーデン』だね」
地上とは、空間的に切り離されているのだろう。不自然なほどに広大な空間が、どこまでも続いていた。
ただし空は見えない。空の代わりにあるのは、無数のブロック状の構造物だ。
ランダムに積み上げられた幾何学的なオブジェが、何層にも積み重なっている。天井と地面、どちらも同じデザインだった。
まるで異形のビルの群れに、上下から推し挟まれているようだ。
「当たらずとも遠からずだね。あのうちの幾つかは本拠地として、中堅以上のアライアンスが使っているはずだよ」
アライアンスというのは、『ペルソナクライン』におけるアバターたちの共同体、いわゆるギルドやクランといったものに相当するシステムだ。
『ペルソナクライン』はゲームデザイン上、一対一の対戦を重視した設計になっているが、大人数での共同戦闘行為が不可能なわけではない。
そして多対多の戦闘を円滑に運営するべく、アバター同士が連帯することをサポートするためのシステムが、『アライアンス』というプレイヤー共同体だった。
ちなみに、陸朗はアライアンスには入っていない。彼が主な活動場所にしていた最下層にもいくつかアライアンスはあったが、彼は独り身を好んだ。
色々な理由はあったが──結局は、独り身のほうが身軽でいい、という判断からだった。
もちろん、アライアンスに関してうといというわけではない。
むしろその逆だ。群れないからこそ、敵となる『群れ』の動向については、常にアンテナを張り巡らせている。
そういう情報収集は、彼にとって日常だった。
(そういえば……)
『剣の魔女』がどこかのアライアンスに入っていた、という話は聞いたことがない。
アライアンスの話に限らず、パーソナルデータ──突き詰めれば『目撃情報』がほかの有名アバターに比べて圧倒的に少ないのは、彼女の大きな特徴だった。
そもそも『剣の魔女』は、かつてどこぞから流出した戦闘記録が仮想空間ネットワーク上で共有されたことにより、知名度が一気に広まったアバターだ。
ストレーガはもともとアバター・ランキングにおいてほとんどのパーソナルデータをマスクしていたので、リプレイ公開までほとんど都市伝説に近い扱いをされていた。
徹底して己の正体を隠すというのが、少なくとも一線にいた頃の魔女のやり方だった。
しかしランキング上位者というのは彼女のような特殊な例外を除き、自己顕示欲旺盛な傾向がある。
トーキョー・スフィア最大のアライアンスである『白銀騎士団』を率いるリーダー、『聖銀の女皇』など、自分たちの勢力を誇るかのような行動がとくに多いことで有名だ。
「アライアンスか……」
ふと、そう呟やいたストレーガの言葉には、どこか苦い雰囲気があった。
「誰かに合わせるのはどうも苦手でね。アライアンスもいい記憶があんまりないよ、おかげで今は無所属さ」
この言い方だと、彼女もかつてアライアンスに所属していたことがあるように聞こえる。
追放にでもあったのだろうか? だとしたら、きっと所属していたとき、他人の迷惑を顧みないわがまま放題をやらかしたに違いない。
「なんだい、その生ぬるい視線は?」
「いえ、別に」
それより──と言いかけて、ゆっくりとあたりを見回す。
初めて見る場所だが、想像とは少しばかり違っていた。もっと、上位ランカーがあちこちにたむろしているような、そんな空間を想像していたのだが、彼自身とストレーガ以外のアバターの姿は見当たらない。
しん、とまるで死んだように静まり返っている。
「静かですね」
「そりゃ、今日は貸し切りだから。人が少ないんだよ」
「貸し切り?」
誰がだろうか。
まさか、この『剣の魔女』がそんなことをするとは思えない。
もちろん彼女は仮にも現役最高ランクのアバターだ。しばらく身を隠していたとはいえ、本来の人脈は相当なものだろうし、その気になればどんなことでも実現してしまいそうなイメージはある。
だが、いくら型破りな彼女でも、ジェット・バレル一人を連れてくるためだけに上層区画を貸し切りにするなど、さすがにあり得ない。
「どういうことです? 誰がここを貸し切りに? 何のために?」
「えらくクエスチョンマークが多い台詞だね」
「はぐらかさずに」
「……今日はここでパーティがあるのさ。まったく、バトルロイヤル上等なこの場所で壮行会とは、思い上がりも甚だしいじゃないか。ねぇ?」
同意を求められても困る。
「話がまったく見えてこないんですけど」
「パーティがあるんだよって、言ったじゃない」
「いや、だから誰がパーティを開くんです?」
そう尋ねると、スモーク・クリアーの仮面の下で、キュインと小さな音がした。
ストレーガのアイ・カメラが、不愉快な表情を作るかのように、細められている。マシンが作る表情だというのに、何か口にしたくないことを、我慢しているということが、ありありとわかった。
わずかの後、渋々といった様子で彼女はこう答えた。
「……これからここで開かれるのはね、三大アライアンスの一つ、『白銀騎士団』のパーティだよ」
「はぁ、なるほど……って、はいぃぃ!?」
「変な声出さないでよ。パーティだよパーティ、そんな驚くことないでしょうが」
「いや、そこじゃないです! 『白銀騎士団』って!?」
「……イタバシ、ネリマ、ナカノ、シンジュクの四エリアを支配する、トーキョー・スフィア最大最強のアライアンスだよ。さすがに知らないとは思わないけど? 特にキミにとっては因縁もあるわけだしね」
なんでもないことのように言う、ストレーガ。だがその名前を聞いて、ジェット・バレルは心中穏やかではいられない。
先ほど彼女が言った『ジェット・バレルにとっての敵』という言葉。それが嘘偽りなく正しかったことを、否が応でも認識させられる。
そうか──この女は、この魔女は、そこまで知っていて自分に目を付けたのか。
最初の賭け試合から、すべてが彼女の計算ずく。今追い込まれつつあるこの状況は、彼女に手玉に取られた結果なのだとようやく理解ができた。
「……あんたは、『白銀騎士団』相手に何をやろうっていうんですか?」
絞り出すような声でたずねる。ようやく、聞きたかった質問に辿り着いた気がした。
巨大アライアンスが施設貸し切りで行うパーティ。それがこれから行われようとしている。そこに乗り込んだ、無関係で部外者で招かれざる客のストレーガ。この状況で何もしない──いや、何もしでかさないわけがない。
そして『統合転送機構』で彼女が漏らした、『敵』という一言。
これだけ揃えば、何が目的かなんて馬鹿でも分かる。
「ひどいなぁ、ジェット・バレル。僕がまるでよからぬことでも企んでるような口振りじゃないか、そりゃ」
いかにも心外です、と言わんばかりに肩をすくめる。
しかし彼女がどういう人間性の持ち主かは、だいぶ分かってきた。口で何と言おうと、微塵も信用できるものではない。
「……違うんですか?」
「あったりまえだろ。信用ないなぁ、僕」
「さっき下で言ってたことは?」
「……確かに、ここには僕の『敵』がいる。けど、それだけさ。闇討ちしようだなんて、考えちゃいないよ」
「なら、なんでここに?」
「決まってる。参加しに来たんだよ、パーティにね」
その台詞にはどこを切り取っても真実が含まれていない──そんな風にしか思えない、胡散臭い言葉だった。
「ああ、ちなみに……もう帰ろうと思っても、キミ一人じゃ帰れないからね」
「はえ?」
さすがに付き合いきれない、そう考えたのを見透かしたように、ストレーガが告げる。仮面の奥では、その口元が悪辣につり上がっているに違いない。
「僕のパートナー権限で入ってるんだ、出るときも僕が一緒じゃないと出られないよ。何のために認証があると思ってるのさ」
「何だとぅっ!?」
「勝手にログアウトすると、リログしたときここに出ちゃうよ。あとあと面倒なことになるから、あんま変なことはしないようにね」
上層区画のセキュリティは固い。
そういう点でも、『ペルソナクライン』の開発者が、この空間に対し特別な価値を付加しようと考えていることが分かる。
一通りゲームを遊んだユーザーが辿り着く、いわゆるエンド・コンテンツにおいてステータス的な活用ができるよう、最初から想定してあるのだろう。
事実、『ペルソナクライン』ではかなりの数の高ランク専用コンテンツが、この上層区画に用意されている。
初期はその権益を争って、大型アライアンス同士の争いが絶えなかった。
その結果、この場所はトップランカーを数多く抱えている、『白銀騎士団』ら大規模アライアンスによる共同支配が行われることとなったのだ。
陸朗のようないわば下々の者は、そういう上層区画の歩んできた経緯や実情などほとんど知らない。いや、知りたくもない、と言った方が正解か。
無論言うまでもなく、そこに渦巻く感情は『嫉妬』だ。
あいつらだけ上手くやりやがって──そんな風に皆、思っている。格差社会とそのひずみは、仮想空間世界の中にすら存在するのだ。
しかし本来なら、そんな『嫉妬』を一身に受ける存在である最高ランクのトッププレイヤーであるストレーガは、他人の負の情念など高らかに笑い飛ばすような、圧倒的に豪快な性格の持ち主だった。
もしかして、こうでないと『上』には行けないのではないか、と思わせるものがある。自分とはオーラのようなものが違うなぁ、などと陸朗は思ってしまうのだ。本人に言うと調子に乗りそうなので、口にすることはないが。
「どうかしたかい?」
「ああいえ、別に」
まじまじと見ていたせいで気づかれてしまった。慌てて顔を動かし、視線をよそへと向ける。
果ての分からない無機質な風景は、平衡感覚でも麻痺させる効果があるのだろうか。少し、頭がくらくらした。
「……で、どうよ、感想は? 初めてなんだよね?」
「ええまぁ、何というか……意外と殺風景なところですね。これって、処理を軽くするために?」
「いやぁ……設計者の趣味じゃないかな。地上はほら、バトル・フィールドの処理を重ねなければ、現実そっくりなわけだろ。それに比べると、こっちは完全な架空の施設だからね。現実味を出しても面白くないってとこじゃない?」
「なるほど」
死んだような雰囲気のビル街だが、言われてみれば神殿のような、そんなある種の神々しさを感じなくもない。
だとすれば、さしずめここは文字通りの『天上界』だろうか。
「それでも普段はもっと人がいるかな。でっかいアライアンスは、大抵交代で配下を駐屯させてるし。規模は様々だけどね」
「今日は『白銀騎士団』の貸し切りだからってことですか」
「いえす、ざっつらい。ただその分、騎士団連中の警戒は厳しくなってると思うよ」
「なぜです?」
「簡単だよ、テロるのに都合がいいからさ。いかに騎士団がでかくても、この上層区画すべてにくまなく警備を配置するのは不可能だ。普段なら大手アライアンス同士が互いに監視しあうことで、頭数と死角を補っている。けれども、それが今はいない。隙だらけさ」
「……大丈夫なんですか、それで?」
「だから言ったろ、思い上がってるってね。自分は何者にも傷つけられない、そう確信してるんだ。その名のごとく王様気取りなんだよ、『聖銀の女皇』は」
吐き捨てるような強い語勢に、隠しきれない嫌悪が滲んでいる。
傲慢、というならストレーガ自身も相当なものだが、それは棚に上げているようだ。
いや、あるいは同族嫌悪なのかもしれない。大組織の長である女皇に比べたら、取り巻きを持たない彼女は、さしずめ裸の王様といった感じだが。
「僕の裸がどうしたって?」
「うぇっ!?」
「キミ、時々考えてることがだだ洩れになってるから、気をつけた方がいいよ」
「は、はぁ」
別にやましいことを考えていたわけではないが、思わず恐縮してしまう。
「もっとも、年頃の男の子だもんね。興味があるのはしょうがないよ。僕もそういうの、理解がないわけじゃないし」
「いや、違くてですね……」
「隠さなくていいって。僕は全然気にしてないから」
ひどい誤解だった。
いかん、変な状態で投稿してた