明かされない真意
トーキョー・スフィアの中核部に浮遊している上層区画は、陸朗にしてみれば近付きたくないし、近付いてはいけないし、近付くことは許されない、そんな場所だった。
理由はひとえに、彼が最下層の住人であるためだ。
名うて──イリーガル・プログラムの使い手としてはそう言ってもいい陸朗だが、それゆえに敵も少なくない。怨みを買っている自覚もある。正体を隠したストレーガと戦ったとき、狙われた理由をそこに求めたくらいには。
『ペルソナクライン』のゲームシステム上、フィールドの大部分に設定された『通常戦域』では、拒否設定にしておけば対戦モードに入ることがないので身の安全を確保できるが、上層区画ではそうはいかない。
上層区画での設定は『戦闘拒否不可能』、夜討ち朝駆け罪に問わずなバトルロイヤルモードの仕様になっている。
大前提として自分一人では入ることができないとはいえ、そんなところに陸朗──ジェット・バレルのような身の上でノコノコと姿をさらすのは、彼の感覚からすれば論外もいいところだった。
「気休めだけど、俺も会長みたいの被っておこう」
アイテムイベントリからポンチョ状の野戦コートをロードし、身にまとう。自分でカスタマイズしたアイテムなので、ちょっとした追加機能を付与してあるが、今は使用する必要はないのでそのまま羽織った。
そんなジェット・バレルの様子を、じっとストレーガが見つめていた。
「何か?」
「コートか……もったいないな、せっかく細身でカッコいいアバターなのに隠しちゃうのは」
面はゆい言葉だった。
「そんなこと言われても。『戦闘拒否不能戦域』を、何も対策しないで歩くってのは考えられないでしょ」
「警戒しすぎじゃない? 男らしくない、堂々としなよー?」
「……どのツラ下げてそれを言うんだあんたは……」
自分だってフードで正体を隠してるくせに、そんなことを言われる筋合いはない。
「冗談だってば。怒りっぽいね、キミは」
「誰のせいだと思ってるんだよ!?」
「あとで牛乳と煮干しを奢っちゃおう、うん」
「人の話を聞け!」
しかしさらっとスルーされてしまった。だいたいそんなもの奢ってもらっても困るのだが。
そうやってイライラしてるうちに、『統合転送機構』の中央部にあるポータルエレベーション・ドライバの前に到着していた。
「んじゃ行こうか? ドライバの使い方は知ってる?」
「そのくらいは。パスをロードしながら、ドア横のスキャナに掌合わせればいいんですよね?」
目の前にそびえる巨大な円柱を見上げながら答える。
縦方向の交通機関であるポータルエレベーション・ドライバを使うのは初めてだが、要するにこれはエレベーターのようなものだ。乗って、上に飛ばされて、上層区画に到着する。それだけの機構だ。
先にスキャナに触れた彼女に続いて、インベントリからさっき購入した切符をロードし、読み取り口へと重ね合わせる。すると円柱の一角が、空気の抜けるような音と共に開いた。
「そうそう。よし、乗るよ」
「……あの」
ストレーガがドアの中に煌めく光の奔流に身を委ねようとした瞬間、陸朗は──ジェット・バレルは、足を止める。
ここから先は、陸朗にとって初体験のエリアとなる。思うところがあった。
怖じ気づいたわけではない。だが、少しばかりは覚悟を決める必要がある。そのためには、こんな曖昧な気持ちでは無理だ。
「ん、なんだい?」
彼女が振り向くのを待つ。
そのまま行ってしまう素振りがあれば、掴んででも止めるつもりだったが、その必要はなかったようだ。
『魔女』はマントの裾を軽く翻しながら、彼の方へと向き直る。
「……やっぱり、よく分からないままってのは、性に合わないんですよ」
「どういうことかな?」
約束は約束、だが知るべきことは知っておきたい。そのくらいの権利は、主張しておきたい。出会ってからこっち、彼女には主導権を握られっぱなしだ。それが少しばかり、面白くなかった。
「俺みたいなのは、本来こんなところに近付く機会も必要もない。というか、近付きたくない。そのあたりは、会長も知ってるはずでしょう」
「うん、そうだね」
「じゃあなぜなんです? そういう俺の立場とかを無視してでも、連れて行きたい理由ってのは?」
「ふむ、つまり連れて行かれるにしても、納得しておきたいということかな? 気持ちは分かるけどね、理由を知ったら約束を反故にされそうだしねぇ」
見下されている、という感じではなかった。
どちらかというと自分の無茶が分かってて、不安になっているように見える。
「どんだけ無体なことさせるつもりですか、あんたは?」
「いや、そこまでの事態にはならないと思うけど……万が一はある、かも」
彼女はそう言って、ちらりとジェット・バレルの顔色をうかがう。
どうやら、確約しなければ話は進みそうにない。
彼女のような人間に目をつけられたのが運の尽きだったと諦め、ジェット・バレルは首を縦に動かした。
それを見ると、彼女はつるりとしたカウル状のペルソナに手をやり、困っているかのように、その表面に軽く爪を立てた。上手い説明を思いつかない、とでも言いたげな仕草だ。
「結局、どういう理由なんです?」
「……ま、大したこっちゃないんだ」
その声色は、わざとらしく軽薄を装っていて──ひどく信頼できないような台詞に思える。それでも陸朗は辛抱強く、彼女の次の言葉を待った。
そして。
「まずはキミにも、見てもらおうと思ってさ。僕の……『敵』ってやつをね」
「敵……?」
「そう、敵だ。そしてキミにとっても敵となる。いや……敵であった、そして今も敵である、と言うべきかな?」
「どういう意味……です?」
「……僕はキミを知っている。キミの人となりを調べたから、キミのことには相当詳しい。だから知っている、キミがどうしてあそこで、あの場所でくすぶっていたのかをね」
「……っ!?」
ジェット・バレルの仮面の下で、陸朗の顔が強ばる。
「話はそこまでだ。あとは……来ればわかるよ」
「……っ!!」
言うべき言葉が見当たらず、憎々しげにストレーガを見る。
だがもう、彼女はそれ以上言葉を重ねようとしなかった。静かに踵を返すと、エレベーション・ドライバのシャフトの中へと、身を躍らせる。
結局、望んだ答えを得られないまま、陸朗は彼女を追いかけるほかなかった。




