つながる明日
イケブクロ・シタデル攻防戦より数日経った日曜日。
陸朗は雪乃に呼び出され、学校近くにあるファミレスへとやって来ていた。
あの『領土戦』の日以来、彼女とは顔を合わせていなかった。
彼女がしばらく気持ちを整理する時間が欲しいといって、ペルソナクライン内に姿を見せなかったのだ。
学校では、元よりどちらかがたずねて行かなければ、接触すらまともにないような立場だ。
かといって、いちいち『掌装着型端末』でメールを送り合うような仲でもない。
もしかしたらこのまま疎遠になるかな、と思っていたところに──彼女から電話があった。
『あ、陸朗くん? 僕僕、僕だけど。百万円振り込んでくれない?』
「……何です、それ? ギャグっぽいけど」
『昔、俺俺詐欺っていう犯罪が流行ってたらしいんだよねー。一度やってみたかったんだ』
「クラスの友達にでもやってください、そーゆーのは」
『えー。だって僕にもイメージってもんがあるしー』
「俺には取りつくろわないんですか、イメージ?」
『うん。だってキミに隠しごとはしてないし。気楽に付き合えていいよね』
「……そういうのはいいですから。何の用です?」
『ああ、うん。ええとね、今からヒマ? ヒマならデートしようぜ。デートデート』
「は?」
『学校の近くのファミレスね。待ってるからさ、よろしくぅ!』
言いたいことだけ言って、彼女が電話を切ったのが一時間前。
行くか行くまいが悩んだが、行かないと明日学校で大変なことになりそうなので、結局来てしまったのだった。
もっとも、家にいてもやることがあったわけではない。
マンションに同居している、コンパで飲んだくれた二日酔いの姉の相手などしたくもなかったし、かといって部屋に引きこもったところで、パソコンすら立ち上げる気が起きない。
『ペルソナクライン』にしてもそうだ。
彼自身もまた、あの『領土戦』の日から一度もログインしていない。
なんとなく、あの戦いには彼も考えるところがあったからだ。
『欲』が、出てきたのだ。
あの戦いで自分の出した結果が、全て実力だったとは思っていない。類稀な幸運に恵まれた結果であることは、子供にだってわかる。
ただ、実感はあった。もう少し、もう少しだけ、上を目指せるという自信ができた。
だから──かつて諦めた道を、進んでみてもいいかもしれないと思った。
ストレーガが先に待つ道を、進んでみてもいいと思った。
思い起こせば、全ては彼女から始まっていた。
あの日、ダミー・アバターをまとった『剣の魔女』との出会いが、全ての始まりだった。
「陸朗くん! こっちこっち!」
ファミレスに入ると、奥にある窓際のボックス席から身を乗り出して騒ぐ雪乃の姿が目に入った。
周りの客の目が痛い。視線から逃げるように、ひょろ長い身体を縮こませながら歩く。
「会長! 子供じゃないんですから」
「僕はまだ子供だもーん。十五歳だぜ? まだ中学生なんだぜ?」
「開き直るな! ……って、あれ?」
ボックス席にいたのは、雪乃だけではなかった。彼女のほかに、見知った顔が二人。
「こんにちは、真壁くん」
「……こんにちは」
「あ、ど……どうも」
陸朗に挨拶の言葉をかけたのは、一人は眼鏡のボブカット、もう一人は小柄なゴスロリの少女。
眼鏡の少女のほうは、名前を知っている。彼女は山名さやか──『聖銀の女皇』だ。
しかし、今日のさやかは以前会ったときとは、あまりにも雰囲気が違った。
以前のような棘々しさが消え失せている。尊大さも、嫌味たらしいところもまったく感じられない。
たたずまいからして違うのだ。顔の造形は覚えているのに、記憶の中の彼女と結びつかなかった。
憑き物が落ちた──月並みな言葉だが、それ以上に今のさやかを表すのに、適当な言葉は存在しないだろう。
「何してんのさ? さやかのことじろじろ見て。ほら、座った座った」
「は、はぁ」
そう言ってポンポンとシートを叩く雪乃。促されるまま、陸朗は彼女の隣へと腰かける。ちょうどテーブルを挟んで右に雪乃と陸朗、左にさやかとゴスロリ少女が座る形だった。
三人の前には、空になりかけたコーヒーやカフェオレのカップが並んでいる。
待たせてしまったのかもしれない。もう少し早く出てくればよかったかと、少しだけ悪いという気分になった。
「で?」
「で、とは?」
「いや、なんなんですか、この集まり?」
「集まりっていうか……街で二人と会ったから。じゃあついでにキミも誘おうかって話になってね。そんだけ」
あっけらかんとした表情で言う雪乃。
「そ、そんだけって……ご迷惑だったんじゃないですか? その……山名さ」
「さやかでいいわよ、真壁くん」
かといって、いきなり呼び捨てにできるわけもなく。
そんなに器用ならば、社交的ならば、どんなによかったことか。
「……さやかさんと、ええと……」
ちらりとゴスロリ少女を見る。彼女の名前を知らなかったことを思い出した。
さやかの後輩らしき存在なのだろうが、そもそも会話をかわしたことがない。
「伊純、あなた陸朗くんに自己紹介したの?」
「……してませんね。しましょうか、先輩?」
「してちょうだい」
ぺこりと、伊純と呼ばれた少女が頭を下げた。
ゆるいウェーブのかかった長い髪が揺れる。フリル付きのリボンのためか、どうにも人形めいた雰囲気がある少女だった。
「長倉伊純。あなたには『太陽の騎士』の中の人の、さらに中の人……と言うと、わかりやすいと思う」
(それは、わかりやすいのか?)
突っ込みつつも、なんとなく、そうだろうという気はしていた。
彼女もまた、ペルソナクラインの中とはずいぶん印象が違う。外骨格状態のガウェインとは当然だが、あの中身の少女型アバターともまた違う雰囲気がある。
もしかしたら彼女も、あの戦いで何かが変わったのかもしれない。
「いやぁ……ペルクラでの付き合いは結構長いけど、ガウェインの中身も女の子ってのは、僕も知らなかったなぁ」
「私はプライベートでのあなたのこともよく知っている。先輩は、あなたのことばかり話すから。とくに小学校時代の話を」
「……さやか、あまり僕の個人情報を垂れ流さないでほしいんだけど」
「いいじゃない。微笑ましいエピソードばっかりよ? 徒競走のとき、並ぶ列を間違えて上級生に混ざって走ったとか、おまけにそれでぶっちぎりで一位取ったとか、理科の授業のときにどうやったのか毒ガス作ったとか、作文コンクールで賞を取ったとき、発表するのが恥ずかしくって全校生徒の目の前で走って逃げたとか……」
「……あんた昔っからそんなんだったんですか?」
「そんなのとはなんだー! そんなのとはー!」
彼女はべしっと一発陸朗の頭を殴ってから、じっとりとした視線をさやかへと向けた。
だが、さやかはくすくすと笑うばかりだ。本当に楽しそうに笑っている。
「真壁くんも大変でしょ? こんなのに目をつけられて」
「ええ、まぁ……大変か大変でないかと言えば、二百パーセントくらいは大変ですね」
「うわ、一ミリもフォローしてくれる気が存在しない!? ひどいよぉ、陸朗くーん!」
小動物のような目で、袖に雪乃がすがりつく。
うっとうしいなぁと思いつつも、陸朗は振り解くこともなく、そのままにさせていた。
別に……別に、嫌いではない。大変だったし、大変だが、嫌いではない。
けれども、面と向かって口に出して言うには恥ずかしすぎる台詞だ。
それに──口にせずとも、それを分かっている者は、この場にもう一人いるようだ。
じゃれつく雪乃の姿を、微笑みながら見つめる『聖銀の女皇』、山名さやか。
今にして思えば、彼女のこの微笑みを取り戻すことが、雪乃の──『剣の魔女』の願いだった。
彼女が取り戻したものの尊さが、今ならわかる。
もう、ここに二年前からのしがらみは何もない。
少しばかりはぎこちなさは残っているものの、彼女たちは誰にもはばかることなく、親友だった。
「……こういう日がまた来るとは、思ってなかったよ」
「私もよ、伊純は?」
「……先輩、私も思っていなかった」
一際強く魔女を憎んでいた『太陽の騎士』──伊純もうなずく。あまり表情を変えない彼女だが、そこから嘘偽りは感じられない。
「ま、それもこれも全部陸朗くんのおかげだけどね。僕一人じゃ、さやかたちを倒すことはできなかったし」
「そ、そんな。俺なんて大したことは……してないですよ」
「謙遜は無用よ。負けた私が馬鹿みたいじゃない。それともなに、私は大したことのない奴に負けたと言いたいの?」
「うっ……」
じろりと伊純に睨まれて、なにも言えなくなってしまう。
「そうだよー、謙遜はいらないって。キミは勝ったんだ、間違いなくね。もしかしたら今のキミって、タイマンならさやかたちよりも強いかもよ?」
「そ、そんなことあるわけ……」
「あら、言ってくれるじゃない、雪乃」
「ふふん、言うさ。僕が見つけた僕のパートナーだぜ? そのくらいはやってくれないと困る」
おそろしい無茶振りだった。
『領土戦』で戦った、二人の強さは身に染みている。
心の中の『二度と戦いたくないアバターリスト』に、最上位待遇でその名を刻んであるくらいだ。タイマンで勝負など、とてもとても勝てる気がしない。
「……次は負けない。必ず勝つ」
静かな口振りの中に、負けん気の強さを見せる伊純。
「か、勘弁して下さいよ。まともにやったら俺なんかが勝てるわけ……!」
弱気な台詞を吐く陸朗に、三人の少女の視線が集まる。
居心地がめちゃくちゃ悪い。真剣に、心の底から「来るんじゃなかった」と後悔しつつある。
「……これは」
「分からせる必要が」
「ありそうだよね」
顔を見合わせる三人。
三人は揃って、すっと『掌装着型端末』を付けた掌を出して、それを重ね合わせる。
「ほら、陸朗くんも早く!」
「は、早くって……なにする気です?」
「決まってるだろ、対戦だよ。タッグマッチだ。キミが僕のパートナーに相応しいってことを」
「私たちを倒す力を持つことを」
「あなた自身にわからせる!」
拒否はできそうにない。むしろ拒否する前に手を掴まれて、無理矢理彼女たちの掌の上に重ねられてしまう。三人分の体温が、端末越しに伝わってくる。
それを心地よく感じながら──陸朗は、自らの意識を仮想現実世界へと落とし込んでいく。
彼は今日もまた──『黒い銃身』だった。
完結です。
ご愛読ありがとうございました。




