絡めとられた指
開けっ放しの入り口を挟んで、睨み合う陸朗と雪乃。
いや、睨んでいるのは陸朗だけで、雪乃はただ静かにその視線を受け止めているだけだ。余裕がある──場を支配しているのは、彼女。それが余計に陸朗の機嫌を損ねている。
「何がなんだかわからない……そう言いたげな顔だね」
「それは当たり前だ……でしょう」
「ああ、敬語はいらないよ。キミよりひとつ年上なだけだからね」
「そういうわけにも、いかないですよ」
「……そんなに大したもんじゃないんだけどなぁ、僕は。まぁかけなよ、お茶ぐらい出すからさ」
彼女はくすりと笑って手招きし、部屋のソファに座るようにうながすと、自分はティーセットの収められた食器棚のほうへと歩いていく。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「コ、コーヒーで」
「はいよー」
雪乃はうなずくと、棚に手を伸ばした。そこにあったのは私物だろうか、外国製らしきステンレスのコーヒー・パーコレーターだ。
同じ棚から品のいいデザインのカップを取り出し、コーヒーを注ぐ。ふわりと漂う香ばしい匂いのおかげか、少しだけ心が落ち着いた気がした。
「お待たせ」
コーヒーと小さなミルクピッチャー、そして砂糖壺をテーブルに置いた雪乃が、陸朗の向かいのソファに座った。一挙手一投足がいちいち優雅で品格がある。育ちの良さを感じさせる仕草だ。
陸朗は受け取ったコーヒーを喉の奥に流し込みながら、生徒会長の様子をうかがう。
ちょうど今、彼女は砂糖壺から角砂糖を取り出すところだった。数は三個。ミルクもたっぷり入れていた。意外に甘党らしい。
しかしもちろん、知りたいのはそんなことではない──ないのだが、彼女は素知らぬ顔でカップの中身を緩やかに傾け、その味と香りを堪能していた。
「さて……と。落ち着いたかい?」
「まぁ少しは」
「それはよかった。じゃあそろそろ……お話、しようか?」
すうっと、彼女の目が細まる。実に楽しそうだ。
しかし、それはいわば猫科の猛獣が獲物を前にしたときの『楽しさ』。
見られた当の陸朗自身は、『楽しい』という感情からかけ離れた状態だった。
「……それで、話っていうのは?」
「決まってるじゃない。まずは賭け金の回収さ」
「……っ!」
思い出したくないことを思い出して、思わず顔が引きつる。早速「来るんじゃなかった」と後悔し始めていた。
「まぁキミも頑張ったとは思うけどね。勝負は勝負、勝ちは勝ちだ。まさか……反古にはしないよね?」
「それは……」
一方的に煽られて乗せられた。そういう不公平感はあるにせよ、賭けをすると決めたのは陸朗自身だ。それをなかったことにするほど、彼は面の皮が厚くない。
「なぁに、心配はいらないよ。そんなに無体な要求をする気はないさ」
明るくほがらかなその言葉が、かえって白々しさを増している。
もっとも金銭面での心配をしているわけではない。彼女の家『秋月』は、陸朗でも知っているくらいの資産家だ。金に困っているはずなどなく、そういう心配の必要は皆無のはず。
しかしだからこそ、どういう要求をされるのか、気になって仕方がない。
「何が……目的ですか」
「んふふふふふ、気になるかい? 気になるよね? うんうん、そうこなくっちゃ」
「ふ、ふざけてるんですか?」
「半分ほどは」
瞬間的に、表情が固まったのがわかった。
会話のペースを完全に持っていかれている。非常にヤバイ流れであることを自覚できた。なのに、雪乃の言葉を遮ることができない。
「あっははは、そんなに怖い顔しないでよ。言ったろ、別に大それたことを要求するつもりはないって」
「……悪いけど、信用できません」
「だろうねぇ。ゲームからこっち、今ここに至るまで、さんざん僕はキミを虚仮にしてきたわけだしさ。だけど……おかげでキミを、見定めることができた」
そこで一旦言葉を切る。深い空の色をした瞳が、確信を込めて陸朗を見ていた。
その真っ直ぐな視線を、彼は受け止めることができずに顔を逸らしてしまう。
「目をそむけてもらっちゃ困る。ここからは、かなり真剣だ」
「え?」
「勝者の権利を行使するよ。覚悟はいいかい、陸朗くん」
「悪いといっても、聞かないでしょう? せめて、俺にできることにしてくれるといいんですけどね」
「そりゃもちろんだよ。キミにならできることさ。というか、できると思ったからこそ、こうして会う気になったんだ」
「……!」
「じゃ、心して聞いてくれるかい?」
くすりと笑うと向かい合わせに座ったソファから身を乗り出し、膝を詰めるようにして彼女は宣言する。
いいも悪いもない。陸朗はただ、次の言葉を待つしかできないのだ。
「この秋月雪乃が、真壁陸朗に求めることはたったひとつ」
ピアニストと見まごうような繊細で綺麗な指をくるりと回し、まっすぐ陸朗を指差す。
たっぷりと三秒タメを作ってから、最強と呼ばれる生徒会長は、その名に相応しい傲岸不遜な、一切の拒否を許さない決然たる態度で、陸朗にこう宣告した。
「僕のものになれ、真壁陸朗。僕には、キミが必要だ」
「へ……ええっ!?」
「いいね、その顔。混乱のきわみって感じだよ」
にいっと、生徒会長の口元が魔女のように吊り上がる。そっと、彼女の掌が陸朗のそれに重ね合わされ、その言葉を口にした。
「……感覚変換」
その瞬間、真下に向かって自分の中にある『何か』──魂とか、そういう不定形のものが引きずり出されるような、大きな力を感じた。
陸朗はこの感覚をよく知っている。スフィアへ『感覚変換』するときに感じる『引力』だ。
それはつまり、生徒会長による外部アクセスによって、自分の『掌装着型端末』が完全にその支配下に置かれたということだった。
同時にホロ・モニタ内で勝手にプログラム・ランチャーが起動し、システムが『ペルソナクライン』を起動させていた。もはや止めようはない。
視界はすでに現実から『思考空間』の映像へ変換され、世界が仮想現実へと切り替わっていた。
ほどなくペルソナアバターが展開され、スフィアへと突入することになる。
見れば、目の前にいる生徒会長も自分と同じようにスフィアへと引き込まれつつあった。いや、違う。彼女に同調する形で、陸朗こそが引きずられているのだ。
「な、なんで『同調変換』をっ!?」
「言葉で言っても、わかりにくいだろうからね。ちょっと付き合ってもらうよ、ジェット・バレル。イヤだと言っても、もう遅い」
愉快そうに、悪戯っぽく──アバターに、『剣の魔女』になりかけている雪乃は、微笑みを浮かべながら、そう言った。