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仮面の魔女と黒い銃  作者: 桂樹緑
「かつて」と「今」
11/31

幼さゆえの過ち

「で、なんでラーメン屋なんですか?」

「好きだから」


 生徒会室を出た二人は、雪乃の「ちょっとお腹が空いたな」という一言で、軽く食事をしていくことになった。

 無論陸朗に拒否権らしきものはなく、有無を言わせずという感じで連れて来られただけであるのだが。

 赤いのれんのその店には、でかでかと『札幌ラーメンおろちょん』と書かれている。この屋号で博多ラーメンを出したら詐欺なので、札幌ラーメンの店なのだろう。


「しかし……意外だ」

「みんなそう言うんだよ。まいっちゃうよね」

「そりゃ言うでしょう。会長は『秋月』のお嬢様なんですし、そのイメージとかけ離れてますよ、こういう店」

「怖いなぁ、先入観ってのは」


 店先にいると、()()()()ダシと味噌、そして脂の香りが遠慮なく漂ってくる。好きな人間にはたまらない匂いだろう。

 そして陸朗もこういう脂っこい食べ物は嫌いではない。

 くううと、小さく腹の虫が鳴いた。


「あ」

「ふふっ、キミも準備出来てるみたいだし、入ろうか」


 小さく笑いながら、のれんをくぐる雪乃。彼女にわずかばかり遅れて、陸朗も店内に入る。

 狭くて小さい店だ。コの字型のカウンターに座れるのはせいぜい八人ほど。それ以外の席はなかった。

 奥にある厨房にいた、妙に筋肉質で体格のいい中年の店主が、見事なバリトンで「らっしゃい」と声を出す。

 うながされるように、壁に貼り付けられたメニューに目を向けた。

 種類は多くない。札幌ラーメンの味噌と醤油、あとは餃子と炒飯くらいだ。

 雪乃の隣に座りながらたずねる。


「どっちがオススメですか?」

「味噌だね。つーか僕は味噌しか食べない」

「じゃあ俺も味噌で」

「ん、あえて醤油にいくと思ったんだけどなぁ、キミの性格的に」

「食い物で冒険はしない主義なんで」


 奥にいる店主に注文を伝えてから、カウンターにある水差しの中身をコップに注ぐ。ほんのりとレモンの香りのする冷水を飲みながらコの字の向こうに目を向けると、先客がいることに気づいた。

 年齢は自分たちと同じくらいだろうか、女の子の二人連れ。

 眼鏡をかけたボブカットの少女と、陸朗の知識ではゴスとかロリとかしか表現のしようのない雰囲気の、ロングヘアの少女だ。

 着ている制服に見覚えがある。あのブレザーはたしか、要町のほうにある『青葉台付属女子』の制服だ。同級生か、クラスメートといったところか、何やら楽しげに言葉を交わしている。

 こういうラーメン屋に来るタイプには見えない二人連れだが、そんなことを言ったら隣に座っている雪乃などなおさらだ。

 金髪碧眼の彼女こそ、こういう店には似合わない。

 そのツレである陸朗の心配など、それこそ余計なお世話というものだろう。


「どうかしたかい?」

「いえ、なんでもないです。それより……」

「ああ、そうだった。話をしないとね。とは言っても、声高に言うようなこっちゃないんだが……」

「そうなんですか?」

「当たり前だよ。僕にしてみれば、昔の恥をさらすようなものじゃないか」

「何をしでかしたんですか、一体?」

「しでかしたというか、してしまったというか……」


 この期に及んでも言葉を濁しているからには、相当のことなのだろう。

 しかし、そもそも説明する気はあると言っていたのだ。ここで誤魔化されるわけにはいかない。


「わ、わかってる。そんな怖い顔しないでよ。ほらラーメン来るよ、食べながら話そ?」

「……頼みますよ、本当に」


 念を押す。

 そう言っておかないと、またはぐらかされそうな気がした。




「学校でも言ったけど、結構こみ入った話でね。まず当時の状況を教えておくよ」


 小さな唇で黄色っぽい縮れ麺をもやしと一緒にすすりながら、雪乃は話を切り出した。

 いつの間にか、席は満席になっている。

 残りの席を埋めているのは全員サラリーマン風の男たち。

 常連客が多いのだろうか、明らかにラーメンを作るには過剰なほど筋肉質の店主と、ずいぶん会話が弾んでいる。

 雪乃はにわかに活況を呈した店内をはばかるような、少し抑えた声で話を続けた。


「それは、まだ僕が『僕』じゃなくて『私』だったころの話。秋月の跡取りじゃなくて、ただの末娘だったころの話だ」


 秋月家という存在は、陸朗たちが住むこの豊島区池袋界隈では非常に大きな影響力を持つ。

 いわゆる地元の名士というやつで、一族からは政治家、それも大臣経験者まで輩出していると、まだ子供である陸朗でも知っているくらいだ。

 雪乃自身はそれを鼻にかけるようなことはなかったが、客観的に見て彼女の能力は、秋月一族の跡取りとして、恥じることのないものがある。


「たしかに僕は今でこそ秋月の跡取り娘だ。家と、家に連なる人たちのために働く義務がある。けど、昔はそうじゃなかった」


 唇を湿らせるように、レンゲですくったスープを口の中へ。

 好物であるはずなのに、彼女の表情は、嫌いな野菜でも食べているかのように辛そうだ。


「二年と少し前……僕には年の離れた兄がいた。僕は父の後妻の子なんだけど、彼は前妻の忘れ形見。家中での扱い的に、僕は正直雲泥の差をつけられていた。けれども、兄は優しい人でね。そんなことは少しも気にした様子もなく、妹としてかわいがってくれたんだ」

「お兄さん……いたんですか」

「いたんですよ。でも、過去形さ」


 つまり、今はいないということだ。

 まさかと思い表情を曇らせると、雪乃は違う違うとばかりに、はたはたと手を振った。


「ああ、別に死んじゃったわけじゃない。今はどうしてるのか、知らないけど」

「ええと、それって……」

「そう。兄は逃げたんだよ。重圧に勝てなかったんだろうね、秋月の嫡男っていう責任のさ。今頃、どこで何をしてるやら」

「妙にさばけてますね」

「しょうがないじゃん。手紙の一つもよこさないんじゃ、心配するにも限度はある。それに……僕は兄の気持ちは分かるけど、兄の行動を認めることはできない」


 少しだけ厳しい口調の言葉だった。罪人を断ずるような、決然とした響きがある。別に自分が責められているわけでもないのに、思わず陸朗は息を呑む。


「な、なぜです?」

「だって考えてもみてよ。僕が僕として今日まで生きてきたのは、秋月という環境があればこそ。そしてそれは、家を支えてくれた人たちの努力のたまものだ。どんなに父が優れていたって、ひとりでできることなんて、たかが知れてる。秋月っていうのは、いわば父を代表とする共同体なんだ。だから僕は父だけに育てられたわけじゃないし、ましてや僕ひとりで育ったわけじゃない。僕はその共同体にこそ育てられた……そう思っている」

「だから……家のため、ですか」

「もちろん、好きで生まれた家ではないよ? でも、そこで育ったのならしょうがない。生まれた責任ってやつは、果たさなきゃいけないのさ。だから……僕は兄を認めることはできないんだ。兄の優しさも、その背負っていた責任も、すべて承知した上でね」


 普通の家に生まれたかった。彼女はそう思っているのだろう。

 だが、それは叶わない夢だ。生まれてしまったからには、切り離せない責任というものがある。

 雪乃は兄が逃げたことで、それを若い身空で思い知ってしまった。

 だからこそ誓ったのだ、兄のように逃げることはすまいと。秋月という名の意味と重さを受け止めて生きようと。

 その決意こそが、今の『秋月雪乃』を作っているのだ。


「……なんか、世界が違いすぎて共感はしにくいけど、会長の言ってることはわかります」

「うん……まぁ、結局僕は秋月という家を、自分から切り離せなかっただけなんだがね。幼すぎたとか、言い訳はいろいろあるにせよ、事実としてはそれだけだ……でも、だから」


 雪乃はそこで一度言葉を切った。

 これから口にする言葉に覚悟が要る。そんな面持ちだ。

 もちろん、先を急かすような真似はしない。

 彼女を見つめながら、話を続けるのをじっと待った。

 三十秒──あるいは一分か、それともそれ以上だろうか。

 雪乃が血を吐くように辛そうにしながら、言った。


「だから、僕は……『私』は、父や祖父の決めたことに逆らうことができなくて……たったひとりの友達とした約束を、破ったんだ。悪いのは、僕なんだよ」


 そのまま顔を伏せる雪乃。

 その白い拳は、何かをこらえるように小さく震えていた。




 兄がいなくなってから、自分を取り巻く環境は大きく変わってしまった──雪乃はそう言った。

 想像には難くない。

 跡取り息子が失踪したのだ、一大事どころの騒ぎではなかったろう。

 秋月という家、そして権力の屋台骨を揺るがすような事態だ。


「ま、その時から僕には、自由というものがなくなったのさ。完全にというわけじゃないが……かなりのレベルでね。たとえば、進学先も変えられてしまった」


 雪乃と陸朗の通う『竜胆館学院』は、この界隈ではかなりレベルの高い私立の進学校だ。卒業生からは国立大へ進学する者も少なくない。

 ちなみに陸朗の成績は上の下といったところ。

 がんばればもっと上を狙えるぞ、といつも教師に言われてしまうポジションだ。あいにく本人としてはそこそこ点が取れればいいので、がんばることはないのだが。

 そして雪乃は文句なくぶっちぎりで成績は学年トップである。テストも満点以外のほうが珍しいというレベルだ。

 教師生徒問わず、一目も二目も置かれているのは伊達ではない。


「別に無理してうちの学校に入ったとか、そういうわけではなくてね。学力的には余裕があったから、それは問題じゃなかった。問題なのは……」

「行くはずだった学校への進学を、取りやめたことですか?」


 そのとおり、と頷いた。


「もともと僕はね、青葉台付属女子に進学するつもりだったんだ。言質を取ってたわけじゃないけど、父もそれでいいと思っていたようだし」


 青葉台付属女子、と聞いて先ほどカウンターの向こうにいた二人連れを思い出す。あいにくと今は必要以上に筋肉質な店主の巨体に遮られて、その姿は見えない。


「こら、ちゃんと聞いてくれよ」

「あああ、すいませんちょっと……」


 あそこに青葉台の生徒がいたもんで、という言葉を言いかけて飲み込む。

 雪乃の目つきが「僕の話を聞け」と言っていた。


「まったく……内申書に落ち着きがないと書かれてるのは伊達じゃないね、キミ」

「……なんで俺の内申書の内容知ってるんだアンタ」

「こと学校について、僕が知らないことはあんまりないね」


 戦慄した。今さらだが、実はとてつもなくヤバイ人間が、学校中枢に食い込んでいるのではなかろうか。


「ちなみに、内申書見たのは昨日初めてさ。それにキミだけだよ?」

「なお悪いですよ、そりゃ。つーか、なんで俺だけ?」

「決まってる。知りたくなったからね、キミのこと。色々調べたよ……僕を助けてくれる人なのか、知りたかったんだ」


 そう言いながら、少し冷めてしまったラーメンの残りをすする雪乃。

 長い金髪は、ヘアゴムを使って首の後ろでまとめている。

 触れたら折れてしまいそうな首筋は、うっすらと汗ばむ肌が照明を反射して、妙に艶めかしかった。


「助ける……ですか」

「そう、僕には助けが必要だったんだ」


 ふぅ、と箸を置きながら、雪乃は小さく息を吐いた。


「さっき言ったよね、僕は約束を破ってしまったって。あれ、同じ学校に行こうねっていう、他愛のない話だったんだ」

「その、青葉台に……ですか」

「ああ。でも、その約束を果たすことはできなかった。そのこと自体はまぁ、仕方がないことなんだけど。そもそも、後で謝ればいいと思ってたくらいだし」


 たしかに、現実の事情というものは、しがない学生の身ではどうしようもないこともある。

 雪乃とて保護者のいる身だ、無理なことというのは厳然として存在する。


「けどね、その機会がこなかったんだよ」

「……どういうことです?」

「単純に忙しくなってね、僕はしばらく『ペルクラ』で遊ぶことを控えてた。実際のところは息抜きで遊ぶことくらい、父も大目に見てくれたとは思うけど、正直言ってそういう気分にはなれなかった。自分の中で、まだ気持ちの整理もついてなかったしね」


 なるほど、道理だ。その頃はまだ雪乃の兄が失踪したばかりのはず。いかに彼女といえども、幼い時分では動揺していたのは想像に難くない。


「まぁ一月弱かな。気持ちを整理して、新しい境遇に納得するまでそのくらいかかって。それからようやく『ペルソナクライン』にアクセスした。そうしたら……」


 雪乃は一旦、そこで言葉を切った。表情には自重めいた笑みが浮かんでいる。

 そして一呼吸のあと、悲しそうな口振りで言った。


「僕は、裏切り者になってたんだ」




 言葉の意味を飲み込むのに、しばらく時間が必要だった。


「……事態が急変しすぎじゃないすか?」

「そう思うだろ? 僕もそう思う」


 軽口にも力がない。


「僕がいないあいだに、どんな葛藤があいつにあったのかは分からない。それを聞いても答えてくれなかったし。ただあいつは……『聖銀の女皇エンプレス・オブ・クローム』は、『異邦人の旅団(アウトランダーズ)』とはまったく違う組織を、その短期間に作り上げていた」

「それが『白銀騎士団(エンプレス・オーダー)』ってわけですか」

「そういうこと。そして騎士団と……いや、そのころのあいつと僕は馬が合わなくなってね。考え方の違いが浮き彫りになってきたというか……」


 全部は飲み干さない主義なのだろうか。

 彼女は丼に残ったラーメンスープを箸先でかき回しながら、かつてを思い出すように、ゆっくりと言葉を選びながら話し続けた。


「考え方の違いってのは、結構大きな要素でね。ぶっちゃけて言えば、僕は彼女よりも『ペルクラ』に対して真剣じゃなかったんだよ。今にしてみると、そう言うしかない」

「真剣……ですか。ゲームはゲームなりに真剣にやるっていうのは理解できますけど」

「そういうんじゃない。あいつはもっと切実だった」


 雪乃は静かに頭を振る。


「なぜなら……『ペルソナクライン』は、あいつにとって『全て』だったからね」


 『全て』。

 とても、とても重い言葉だ。軽々しく使っていいような言葉ではない。

 そして雪乃も、そのことはよく理解している。それが分からない彼女ではない。

 だがあえて、彼女はその言葉を使った。それだけの重さがある、ということだ。


「全て……と言われても。『廃人』ってやつですか?」


 オンラインゲーム黎明期より言われるようになった『廃人』という呼び名は、実生活を犠牲にしてまで、ゲームでの成果を求めるようなプレイヤーを指す。

 そのため、雪乃のようにゲーム内で突き抜けた実力を持っていても、実生活を犠牲にしていない者は、『廃人』とは呼ばれない。


「廃人とは少し違うね。あいつは実生活を犠牲にしてたわけじゃなく、実生活から逃避するために、ゲームの世界に没頭していただけだから」

「それって、つまり」

「……そう。報われない実生活からの逃避先が、『ペルソナクライン』だったのさ。()()()()()()()に没頭することで、実生活の辛さを忘れていた。無論よくある話だよ、この手のヴァーチャル・リアリティ・アプリケーションにのめり込む奴なんて、多かれ少なかれそういうところはあるはずだ。たとえばそう、キミもね。違うかい?」

「はいって素直にうなずきにくい質問、やめてほしいんですが」

「心当たりはあるか。あるだろうねぇ、僕にもある。あっちが世界の全てであれば、どんなに楽なことか」


 くくく、といつものように、他人を斜め上から見ているような笑みを浮かべる。少し、調子が戻って来たのだろうか。


「けどね、僕にしてもキミにしても、彼女……女皇に比べたら甘ったれてただけなんじゃないかな。そのくらい、彼女は現実に絶望してたよ」

「そんなにも、ですか?」

「まぁね。あんまり口にしたい言葉じゃないんだが……『家庭内暴力ドメスティック・バイオレンス』ってやつだ」


 急に空気が重くなった。聞かなければ良かったとさえ思う一言。

 正直ラーメン屋でする話ではない。

 だがもう聞いてしまった以上、後には退けない。自然と顔が引き締まった。


「僕もかなり後になってから知った事実なんだけど……両親が育児に興味のないタイプだったらしくてね。最初はいわゆる『育児放棄(ネグレクト)』、それでも彼女が健気に育つと、だんだんと手が出るようになったらしい」


 まるで我が事のように、辛そうに顔をしかめながら言う雪乃。


「そういう家庭環境だからね。人を信じられない彼女は、人見知りがそれはもう激しくて。学校でも仲のいい友達なんているはずがない。学校と家、たったふたつの狭い世界でなお安らげない彼女が、唯一安息を得られる空間が『ペルソナクライン』になったのは、納得してもらえるんじゃないかな」


 なるほど、帰結はわかった。彼女──『聖銀の女皇』がそのような過去を背負っているのならば、『ペルソナクライン』に固執するのは当然だ。

 けれども──ならばこそ、雪乃と仲違いした理由が分からない。


「親友だったんでしょう、会長とその……『聖銀の女皇』は」

「ゲームの中ではね。学校のほうでは、なかなかそう上手くいかなかったよ。何せ、最初はクロムのプレイヤーが()()()であるなんて、僕は知らなかったくらいだし。先に出会ったのは『ペルソナクライン』の中でのことだったのさ」

「上手くいかないって、なんでです? 現実(リアル)バレしたなら、普通に付き合えばいいじゃないですか」

「分別盛りの今ならともかく、あの頃はまだ子供だったからね、周りが。僕も子供なら突き抜けられたんだろうけど、当時の僕は今ほど責任を背負ってないとはいえ、やっぱり教育された()()()子供だった。だから理解しちゃってたんだよ。秋月雪乃という存在が、特定の一人と深く付き合うことの意味と、影響をさ」

「それは……」


 要するに子供社会では『依怙贔屓』と映ることを、当時の雪乃は恐れたのだ。

 そしておそらく彼女の推察は正しかったろう。人見知りするような、クラスメートと距離をおきがちな子供に雪乃が肩入れすれば、どんなことが起こるか。

 十中八九、いじめのターゲットになっていたことは間違いない。

 彼女はそれを恐れたからこそ、学校での親しい接触は避けていた、というわけだ。


「それ自体は正しい選択だったと思う。けど、そのせいであいつの世界はますます小さく、閉じていった。それだけが全てであるかのように……いや、さっきも言ったよね。まさしくあいつにとってはそれこそが、『ペルソナクライン』こそが全てだった」


 子供ゆえの純粋さ、そして視野狭窄。世界を縮める、ありとあらゆるものが折り重なっていき、当時の『聖銀の女皇』の世界を狭めていったのだ。


「けど、僕にはどうしようもなくてね。せいぜいその小さな世界にあって、『ペルソナクライン』であいつと共にいることで満足しちゃってたのさ。無知ってのは罪だよね、ホント……自分が間違ってたって気づけたのは、それからずっと後になっちゃうんだから」

「裏切り者になってたってのは、つまりそういうことですか」

「そういうことだね。僕が『ペルソナクライン』に繋がなかったあいだに、状況は悪化の一途を辿っていったわけさ。僕という支えがなくなったことで、彼女は不安に絡め取られ……まぁ、恐慌状態になったってとこかな。狭くなり続けていた彼女の『世界』は、僕なんていうたった一人がいなくなっただけで、儚く、脆く、そして弱く見えたんだろう。そして彼女はどうしたか?」


 そんなもの、答えは一つしかない。


「自分の世界を、守ろうとした……?」

「正解。あいつは彼女()()()()()決断力を発揮した。まさしく乾坤一擲だね。オール・オア・ナッシング、あいつの主観では全てをなくすかどうかの瀬戸際だったんだろう。あいつはあらゆる手段を使い、自分の『世界』を強化していった。その結晶が『白銀騎士団(エンプレス・オーダー)』だ。そして彼女は本当の女皇(エンプレス)となり、この世界を席巻する巨大アライアンスへと勢力を拡大してきたわけさ。その過程で生まれた、ありとあらゆるひずみと恨みを黙殺してね」


 最大規模のアライアンスという尊名と同じくらい、『白銀騎士団』の悪評は『ペルソナクライン』に鳴り響いている。

 手段を選ばないその拡張志向の理由が、たった一人のアバターの恐慌にあったと、雪乃は言った。


「しかし、それでよく騎士団の面子は女皇に従いますね?」

「ガウェインの奴は例外だと思うけど、勝ち続けるかぎり女皇から……そして騎士団というアライアンスから受ける恩恵は多い。ギブ・アンド・テイクが成立するのなら、多少の無茶は出来るものさ。無理を通せば通りが引っ込む、だ」


 実にバブリーな話だよ、と雪乃は冷ややかに笑う。

 そして文字通り、泡のような脆弱さを危惧したと、彼女は続けた。


「僕は『ペルソナクライン』に戻ってから、何度となくあいつに忠告した。そのやり方では、騎士団以外の全てが、お前たちの敵になるぞと。だが、あいつはもはや聞く耳を持たなかった。一度離れていった僕のことを、あいつは信用してくれなかった」

「だから『裏切り者』ですか」

「かわいさ余って憎さ百倍、よくある話ではあるさ。だけど、そこで引っ込むような僕じゃない。口で言ってわからないなら、叩いてでも教えてやれと母から秋月の流儀を学んだ身だ。僕は僕の全力で『白銀騎士団(エンプレス・オーダー)』に挑んだ。ただ、教えてやるためだけにね」

「……あの、まさか一人でですか?」

「うん。一人で」


 思わず頬が引きつる。

 どこまで真っ直ぐなんだ、この(ひと)は。バカ正直にもほどがある。


「アホか!? 『異邦人の旅団(アウトランダーズ)』はどうしたんですか!?」

「しょうがないだろ!? 僕がログインしなかったあいだに、当時の知り合いはみんな別のアライアンスを組んでたんだよ! 僕には味方がいなかったんだ!!」


 そんな寂しいことを全力で表明されても、陸朗だって正直困るのだが、事実であるならば責めてもしょうがない。


「……それにね、結構いい勝負には持ち込んだんだぜ? 何せ、あいつの懐まで飛び込んで斬り結んだんだからね。でもさすがに……女皇とガウェイン、二人を同時に相手にするのは無理だったよ」

「そりゃあ……そうでしょう」


 呆れるしかない。一人で戦いを挑んだ無謀さと、責任感の強さ、そして『いい勝負』にまで持ち込んでしまう、規格外の強さに。


「まぁいい勝負とは言っても負けは負け。結局、僕は組織としての『白銀騎士団』には勝てなかった。目的は、果たせなかったよ。僕はあいつを……女皇(クロム)を止めることはできず、二年を無駄に費やした。そしてそのあいだに、『白銀騎士団』はさらなる拡大を続けた」

「そして今に至るわけですか。正直、あのアライアンスは俺も好きじゃないですけど……それほどひどいんですか?」

「ひどいね。いや、状況は僕の想像を超えて悪化していると言っていい。今日現在、『領土戦(コンクエスト)』の対立状況は最悪だ。めちゃくちゃだよ、誰も彼もがいがみ合ってるくらいでさ。競い合うんじゃない、いかに相手を騙し、出し抜くかの勝負になってる。その分大手アライアンスの部下に対する締め付けは厳しくなり、恐怖政治すら横行してるくらいだ。『ペルソナクライン』全体のコミュニティは崩壊寸前と言ってもいい。皮肉なものだよね、スフィアの中で一番自由なのが、キミたちのような無法者の集まりである、このイケブクロ・エリアだっていうんだから」

「まとまりがないだけですよ、たぶん」

「けど、その混沌(カオス)こそが望ましい。僕はそれが欲しかった」


 そう言った雪乃の顔は、一人の少女ではなく──ペルソナクラインのプレイヤー、『剣の魔女(ストレーガ)』としてのものだった。


「だから僕は、キミという存在に目を付けた。とはいえ……キミのことを知ったのは、本当に偶然だったのだけどね。『鮮血猟犬(ブラッド・ハウンド)|』といったかな? 『領土戦(コンクエスト)』の前にイケブクロのまとめ役を暗殺するため、送り込まれた奴がいたんだが、そいつのターゲットの一人がキミだった」

「……礼を言うべきなんでしょうね。暗殺者の手から救ってくれたんでしょう?」

「大したこっちゃないよ。まさかウチの学校から『ペルクラ』やってる奴がいるとは思ってなかったから、単純に興味が湧いたのが助けた理由だしね」

「ということは、パートナーに選ぶのは、俺じゃなくても良かったと?」


 望んでなったパートナーではないが、誰でも良かったというのであれば、それはそれで面白くない。陸朗にだって少しばかりは、面子やプライドというものがある。


「正直なところ……キミでなきゃダメだったかと聞かれたら、答えはノーだと言わざるを得ないね。ただ二年の間で、僕の求める条件を満たしてくれたのは、キミだけだった」

「条件?」

「一つは、『白銀騎士団(エンプレス・オーダー)』におもねらない反骨心があること。二つ目は、無法地帯であるイケブクロ・エリアのアバターたちに、一定の影響力を持っていること。そして最後の三つ目は……」

「三つ目は?」

「強いってことだよ、僕を驚かせるほどね」

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