最下層の戦士
記憶が飛んでいた。
半ば反射的に『感覚変換』のダイレクト・フィードバックのレベルを落としながら、真壁陸朗は今、何をやっていたのだろうと考える。
ちらりと視線を動かせば、目に入ったのは対戦用にあつらえた自分の人型機動外骨格の手足だった。
それは仮想空間のシステムを通じ、五感を同化させることで人機一体となって動かす、全高にして約三・五メートルほどの鋼の巨人。
今、彼と繋がっているひょろ長い手足を持つこの機体は、『黒い銃神』と彼自身が名付けたものだ。
思い出してきた。
自分は今、対戦中だったのだ。『ペルソナクライン』──感覚同化型ヴァーチャル・リアリティ・アプリケーションの。
「くそっ!」
吠えるように吐き捨てながら、敵の姿を探す。
そうだ、完全に思い出した。とんでもない加速でぶっ飛んできた敵アバターの一撃を喰らって、意識を刈り取られたのだ。
思考内デスクトップのコンソール・パネルで『審判装置』へとアクセスし、タイムカウントを確認すると『69』と表示されていた。
さっき見た時はまだ『70』だったから、およそ一秒ほど昏倒していたことになる。
コンマ何秒の単位で攻守の入れ替わる、この『ペルソナクライン』においては、致命的と言っていい隙をさらしていたはずだ。
「それなのに、追撃しなかっただと? ナメられてるのかよ……ッ!」
アバターに装着された仮面の奥で、陸朗はギリッと唇を噛み締める。
だが今もって敵を捕捉できない自分の不甲斐なさを棚にあげてまで、相手の傲慢を責めることはできなかった。ナメられるだけの醜態はさらしているのだ。
『かつてイケブクロと呼ばれた廃虚』を模した対戦フィールドには、敵の気配はなく静まり返っている。音といえば時折建材の崩落が起こり、建物が倒壊して地鳴りを響かせるのみだ。
「どこ行きやがった?」
センサーの有効範囲ギリギリのところで、こちらの出方をうかかがっているのは間違いない。市販されているセンサー拡張プラグインなど、性能はどれもどっこいどっこいだ。
『ペルソナクライン』というアプリに習熟しているのならば、相手のセンサー範囲にアタリをつけるのは、不可能というほど難しいことではない。
それができるだけの技量を持つ相手であるのは認めるが、こうもナメてくれると腹が立つ。
あるいはそこまで計算の上で、対戦相手は彼を挑発しているのかもしれない。
「……こんな奴にバカにされてたまるか」
舌打ちをしながら、ごく自然に彼は思考内デスクトップにある、そのアプリケーションを起動した。自分自身で組み上げた、フィールド内にいる対戦相手の位置を特定するイリーガル・プログラムだ。
先述のセンサー拡張プラグインとはまったく性格が異なる。
『ペルソナクライン』というアプリケーションのセキュリティ・ホールを利用して、直接対戦相手の位置情報を取得する干渉プログラム──いわゆる『非公式』と呼ばれるものだ。
アバターの両腕で主武装であるロング・ライフルを構えながら、索敵プログラムが反応を返してくるのを待つ。時間にして一秒にも満たないような刹那の時だが、今の彼にはその数倍か数十倍の長さにも感じられた。
「来い、早く来い……来たっ!」
祈り、願う彼の目に映る『投影視覚』のレーダーに、対戦相手を示すシンボルが一際強く輝いた──彼の立つ、その真後ろに。
「なっ……あがぁッ!?」
咄嗟に身体を入れ替えたとき、敵はすでに手にした薙刀のような武器を振り上げていた。
武器を盾代わりにして、なんとか攻撃を受け止める。だが強烈な打ち込みに、ジェット・バレルの痩躯が大きく揺らいだ。
敵アバターはそのままグレイヴの刃を引っかけるようにして振り抜き、ライフルごと彼を廃屋へと吹き飛ばす。
「ぎっ!?」
身体ごと叩きつけられて、舌を噛んだ。突き抜けるような痛みを感じる。
すべての感覚が情報的に『変換』されているヴァーチャル・リアリティ空間──『思考空間』においては、痛みさえもフィードバックされる。もっともセイフティがあるので、実際に血が出るということはないが。
「危ねぇ……噛んだおかげで、また意識トバされずに済んだか」
瓦礫から立ち上がり、コンソール・パネルで半分ほどになった残りライフ・ポイントの確認をしながら、小さく息を吐く。
自分は二発喰らっただけでフラフラしているというのに、目の前に悠然と立つ敵アバターは、息一つ切らしているように見えない。
長い角の生えた仮面にも、板バネを重ねたような形状の装甲にも、傷一つなかった。当たり前だ、ただの一回だって、こちらは有効打を当てられないのだから。ライフ・ポイントは百パーセントだ、一ミリも減っていない。
「くそっ……むかつく野郎だ」
一方的になぶられているようで、とても気分が悪い。
正直言って、これほどの相手と立ち合うのは初めてだった。これほど強いのに、名前が知られていないというのが信じられない。手玉に取られている自分でさえ、イケブクロ・エリアではそれなりに知られた存在であるというのに。
どこかうさん臭いと感じて、チートしてんじゃねーのかと言いかけるが、慌てて口をつぐむ。
自分の事を棚に上げすぎた。やましいのは自分であって、むしろ藪蛇になりかねない。
二連続でダウンを取られて、自覚以上に頭に血が上っているのだろう。汗をかかないアバターであるはずなのに、じっとりと背中が冷たいもので濡れていくような錯覚を覚えた。
「この程度か。『最下層』に強いアバターがいるっていうから、わざわざ会いに来たけど……思ったほどじゃあない、期待はずれだね。イリーガル・プログラム使ってバチバチやってると聞いたけど、大したことはないな」
「なっ!?」
間合いを取りながら息を整えていた陸朗に、手にしたグレイヴを突き付けながら、対戦相手であるアバター『山羊角』は落胆らしきため息をついた。
プライバシーを守るための標準装備である、アバターのボイスチェンジャーで加工された、男だか女だかわからない声がやけに腹立たしい。
タイミングが良すぎるほどの見透かしたような言葉に、怖気のような不快感が胸の奥にいっぱいになる。
「な、なんだよッ、お前はッ!?」
「どもるな、器が知れるよ」
「ぐッ……!」
見透かすような上から目線に圧倒された。
陸朗は動揺し、激昂しそうになる気持ちを抑えて、バックジャンプで一気に距離を取る。
こんな近い距離では、射撃タイプであるジェット・バレルは十分な能力を発揮出来ない。何はなくとも間合いだ。怒りは銃弾に込めて叩きつけてやればいい。
「このタイミングで間合いを取る……なるほど、そのくらいの冷静さはあるか」
「うるっ……せえよっ!」
装甲のハッチを開き、内蔵されたミサイルをばらまく。命中は期待していない。ただ敵の足を止めたかった。あの踏み込みは脅威だ。気づいた時にはもう、目の前にいるのだから。
弾幕が廃墟ごと敵の周囲を吹き飛ばす。粉塵が舞い上がり、煙幕となってベールのように視界を奪った。だが、これで終わりではない。ここからがむしろ本番、真骨頂。
向こうは見えないが、自分は見える。座標取得プログラム最大の恩恵は、この状態にあるのだ。
「そこっ!!」
ロング・ライフルを構え、煙幕の中に叩き込む。同時に新しいイリーガル・プログラム──弾道自動補正プログラムを起動して、念には念を入れる。
装甲に着弾した金属音、そして車輪の空転する甲高いスキール音が、煙幕の中で悲鳴のように響いた。数発攻撃を受けつつも、小刻みなストップ・アンド・ゴーで敵アバターが追撃をかわしているのが、レーダーの反応でわかる。
なるほど、と思った。あの音が敵の機動力の正体だ。踵部分に装着された車輪──グライド・スピナーと呼ばれている、地上滑走システム。
扱いが難しいこのシステムの使用者はそれほど多くないが、確かにあれを装備しているのなら、爆発的な機動力にも納得がいく。しかもスキール音の大きさを考えると、かなり大出力のタイプを装備しているのだろう。
「……この状況で直撃を避けるか普通!?」
仕留めきれなかったことに、苛立ちがさらに募る。視界を奪った上でなお、敵アバターに直撃を与えられなかったことはショックだった。
「だけど追い詰めちゃあいる! あっちとしては良くないカタチのはず……だったら!!」
気持ちを切り替える。
避けられたのは仕方がない。そういう割り切りの速さは、彼が持っている長所のひとつだった。
「はぁっ!」
「そう来るよな!」
煙幕を突き破りながら、猛然と突進してくる敵アバター。
速度、そしてタイミング共に彼の予想通りだった。こう来ることは、わかっていた。ならば、やりようはある。
グライド・スピナーは『地上を滑走する』という性質上、その機動がほぼ平面に限定されるという弱点がある。相手の上下の機動に追従するのが難しいのだ。
不可能ではないだろうが、それはグライド・スピナーという機構が本来想定している動きではないため、どうしても無理がある。
陸朗は──ジェット・バレルは、そこを突いた。
「らぁーっ!!」
アバターの脚部に力を込めて、大地を蹴り上げる。同時に身体各所の姿勢制御用スラスターを点火。
ちょうど敵が水平に振り抜いた、グレイヴの上スレスレを飛び越える。
目の前には、滑走していく無防備なゴウト・ホーンの背中があった。
重なりあった装甲は背中にも及んでいるが正面ほどではない、撃ち抜ける。
逆さまになったままそう確信し、ライフルを抜き撃ちした──はずだった。
集中が意識を加速させ、『時間』を置き去りにする──無限に引き延ばされた刹那の瞬間。
身体はもどかしいくらいに遅くしか動かず、ただ精神だけが加速された時間の中で、それを見た。
グライド・スピナーで突っ込んできたゴウト・ホーンの身体が、突然斜めに倒れる。
バランスを崩したのではない、わざとだ。あれは倒したのだ。
事実そのまま地面に手を突くと、その腕を支点に百八十度ターンして、突っ込んできた勢いそのままに、戻って来た。
「甘いよ」
「な、なんっ……」
だ、と言い終えるよりも早く、懐に入り込んだゴウト・ホーンの肘打ちが、ジェット・バレルの胸板に突き刺さる。
「が……はっ!?」
衝撃で息が詰まる。加速されていた精神が我に返り、痛みと共にアバターと同期する。
ジェット・バレルの機体は、大きく後方に跳ね飛ばされていた。
決してペルソナアバターとしては重い方ではないジェット・バレルだが、同じくらいの体格相手にこれほどあっけなく吹き飛ばされはしない。
敵はグライド・スピナーの突進力を殺さず、そのままあの肘打ちに乗せていたのだ。容易くできることではない、だがそうでなければ説明のつかない威力だった。
廃墟をぶち壊し、再び瓦礫の中へと逆戻りしたジェット・バレルの受けたダメージは深刻だ。
大して強化もしていない胸部装甲は見る影もないほどに砕け散り、内部のプログラム・フレームが露わになっている。
コンソール・パネルに目を移せば、ライフ・ポイント残量だって五パーセントにも満たなかった。もしも肘ではなくあのグレイヴで貫かれていたら、今頃はとっくにゲームオーバーとなっていただろう。
「こいつ……!」
格が違う。
認めなくてはならなかった。このアバターは、凄まじく強い。これほどの相手がまったくの無名であるなんて、信じられなかった。
かといって、これから有名になる大型新人という感じもしない。場慣れしすぎているのだ。圧倒的なまでの対戦経験が、あのゴウト・ホーンというアバターの戦闘能力を支えていると直感した。
ペルソナアバターの性能差か? いや、それは違う。陸朗が作り上げたジェット・バレルのポテンシャルは低くない。総合性能でならば、ハイレベルでまとまっている自信がある。
それだけのアバターを構築する技術が、彼にはあった。
だが敵は、ジェット・バレルが戦法を確立する上で生まれた弱点──装甲の強度であったり、接近戦での立ち回りだったり──を、的確に突いてくる。
それは数多くのペルソナアバターと戦った経験がなければ到底なし得ない、老獪とさえ言える動きだ。
「ふん、そうか。正体を隠して正義の味方気取りってわけか。よくやるぜ」
きっとランキング上位の、どこぞの有名プレイヤーのダミー・アバターなのだろう。彼はそう結論づけた。
市販パーツを適当に組み合わせただけの野暮ったい外見は、油断を誘うための欺瞞にしかもはや思えない。
『ペルソナクライン』の上位ランカーが有名すぎるゆえ、アバターの外見を変更し、パーソナルデータを隠して戦うという話は、ごくまれにある。大抵の場合はいわゆる『初心者狩り』か、その『初心者狩り』に対する制裁目的だ。
このゴウト・ホーンの場合は口振りからして後者に近い。おそらく最初から自分を倒すことが目的で乱入してきたはずだった。
どこで自分は目をつけられたのか。この一種無法地帯と化しているバトルフィールドで、イリーガル・プログラムを行使する者はそれほど珍しくない。使用者の事情は様々にあるが、少なくとも自分だけが狙われる理由はないはずだった。
それでもなおピンポイントで『制裁』を加えに来たのは、それこそ正義感の権化のようなものなのか、あるいは単にどこかで──それこそ現実も含めて──買った恨みを自分が知らないだけなのか。判断はつかない。
彼のそんな困惑した様子が伝わったのだろう。ゴウト・ホーンは軽く肩をすくめると、自嘲するような口振りで言った。
「制裁だなんて、そんなつもりはないよ。姿を変えているのもこっちの都合だしね」
「人目につくと都合が悪いってわけか。どこぞ賞金首だったりしてな」
「……ふふ、僕の正体が気になるかい?」
「ならんと言えば嘘になるが……それがどうした?」
「いやなに、どうもキミはいまいちキリっとしてないからね。せっかくの対戦なのに、これじゃあ困る。ここはひとつ、やる気というやつを喚起させてみようかなと」
意図の読めない言葉だった。仮面の下で、怪訝そうな表情を浮かべている自分に気がつく。会話に引き込まれている──手玉に取られているようで、面白くない。
そういうジェット・バレルの心理さえも、ゴウト・ホーンは読み取っているような気がしてならなかった。
「ジェット・バレル、賭けをしようじゃないか」
「賭け?」
「この対戦、キミが勝ったらなんでもひとつだけ、僕はキミの言うことを聞いてあげよう。僕の正体を知りたければ聞くもよし、ゲーム内通貨が欲しければ、僕のできる範囲内で用立ててあげるよ。もっともキミが全力を出したとしても、僕を倒すことは難しいと思うけどね」
傲慢にして不遜な言葉。挑発的なことこの上ない物言い。そしてそこに虚勢はない。言葉には絶対の自信が満ち溢れている。そのくらいの実力差があると、全身で語っている。
そして、それが事実だと認めてしまっている自分に気がついて、ジェット・バレルは構えていたライフルをきつく握りしめた。
「……大きく出るな。ナメてるのか?」
「そう思うかい? けど、そんなつもりはないね。正当に評価をしているつもりだよ」
「言ってくれるぜ。絶対に負けないとでも言いたげだ。だからそんなことが言える。違うかよ?」
「否定はしない。キミにとっては、分の悪い賭けになるだろうね。だけど……僕の『正体』には、その賭けに乗るだけの価値があると自負している」
「そいつは……大した自信だ」
虚飾で自分を必要以上に大きく見せるタイプでないことは十分に察する。彼女がこうまで言うからには、正体とやらには相応の秘密と価値が隠されているのだろう。
興味をそそられた──そういう気持ちは、たしかに生まれた。
だが。
「……話が一方的すぎる。だいたい、てめぇが勝ったら俺はどうなるんだ? 賭けというからには、俺にもリスクはあるんだろう?」
「ああそうか、そうだねぇ」
かくん、と小首を傾げて考えるゴウト・ホーン。そのことを失念していた、とでも言いたげだ。
事実、彼女にとってはどうでもいいことなのだろう。必要なのは、ジェット・バレルに本気を出させること。目的はただそれだけなのだから、その結果については考えが及ばなかったに違い無い。
「ま、同じでいいかな。キミにも、僕の言うことをひとつだけ聞いてもらう。そんなところでどうかな?」
「……条件は同じってわけだ」
「そのあたりはね、公平のほうがキミのプライドも傷つかないだろう?」
「フッ……」
気遣い──というより、むしろ挑発と受け止めて、ジェット・バレルはその言葉を鼻で笑う。
「でもまぁ……いいぜ。乗ってやるよ、その賭け。悪いくせだな。あんたの正体を知りたいと思っちまった。けど、それは余録だ。ついでの理由だ」
「ほう?」
では何が、そう言わんばかりのゴウト・ホーンに向き直る。
「決まってる。こうまでナメたこと言われてすごすご引き下がるようじゃあ……対戦やってる甲斐がないんだよ。てめぇの高い鼻っ柱、叩き折ってやる!」
「その意気だよ。それでこそ、僕が出向いた意味もある。しかし……」
手にしたグレイヴをくるりと回し、彼の眼前へと武器を突きつけるゴウト・ホーン。
「断言しよう、僕は強い」
「ああそうだろうな。だが、その上から目線がむかつくぜ」
「……目線の角度が、力の差だよ」
「ほざいてろッ!」
横っ飛びで移動しながらライフルを連射したのと、ゴウト・ホーンがグライド・スピナーを急発進させて突っ込んできたのは、ほぼ同時だった。
「今の打ち込みを避けた!?」
グレイヴの刃が空を斬り、ゴウト・ホーンが初めて驚いたような声を上げた。
たしかに打ち込みは速い。尋常じゃない速さだ。しかしいい加減、目も慣れた。読みが当たりさえすれば、ギリギリ反応できなくはない。
そもそも、さっき一度は避けたのだ。もう一度やれないわけがない。
「まさか、かわされるとはね」
「直線的なんだよ、グライド・スピナーは!」
「そうは言っても、なかなか反応がいいじゃないか。段違いだった、さっきまでとは! 見直したよ!」
「褒められても、嬉しかぁないッ!!」
残っているミサイルを全弾バラ撒いて、旋回中の相手の周囲を吹き飛ばす。
結局のところ、射撃型の要点はここにある。
逃げる空間を削り取られれば、あとは当たりに来るしかない──動いている標的を狙って当てるのではなく、標的に動いてもらって当たらせることこそが基本にして極意。
もっともこのゴウト・ホーンほどの強者であれば、追い詰めてもなお刹那のタイミングで避けてくるだろう。もう一押し、もう一押し何かで虚を突かなくては、尋常でない相手の人間性能を凌駕することは叶わない。
ゴウト・ホーンはひゅん、ひゅんと踊るように風を切りながら、グライド・スピナーを細かく加減速させてジェット・バレルの撃ち込む弾丸を避けていく。
「これは……精度もタイミングもさっきとは段違いだ。これがキミの本気か、ジェット・バレル!」
「さっきも本気のつもりだがな!」
「じゃあ潜在能力ってわけかな、けどもう一息が足りないね。どうしたんだい、僕に一発当てればいいんだよ? できるだろう、できるはずだ、ジェット・バレル!」
「ごちゃごちゃ……うるさいんだよ!!」
苛立ちまぎれの乱射。だがそんなものが当たるはずもない。
甲高い音を立てて地面を穿つ弾丸。ままならない状況に、心がざらつく。
あくまで冷静な相手、そして焦りを隠せない自分。ああそうか、実力の差というのはこういうときにも出てくるのかと、初めて知った。
強者は決して慌てない。どんなときでも冷静沈着なのだ。そしてそうでいられない者が、弱者の位置に立つことになる。
「だったら、あきらめるのかい? 弱者であることを肯定するかい?」
「それは……!」
言葉で答えるような話ではない。
引き金に力がこもる。そう、語るのは──銃であるべきだ。
まさしく銃弾こそが彼の言葉、『黒い銃身』が語るべき言葉。口ではなく銃口から、殺意という名の言葉をつむぐのだ。
集中せよ。引き金に、銃身に、弾頭に、知覚の糸を張り巡らすのだ──。
「くっ!?」
速射されたうちの一発を、ゴウト・ホーンが弾く。手にしたグレイヴでの防御をさせた”。わずかなりとも追い込んだ手応えに、胸が熱くなる。
だがその刹那の高揚を、無理やりに抑え込んだ。
そうだ、こんなものは当てたうちには入らない。もっとはっきりと、明確に、確実に──己の弾丸を叩き込む。それが矜持というものだ。
「やるね! この射撃精度、上位ランカーに混ざっても遜色ないよ!」
やけに嬉しそうな声のゴウト・ホーン。敵が強ければ強いほど生き甲斐を感じる、戦闘狂なのだろうか。
いや違う、言葉の響きでわかる。それは純粋な賞賛。まぎれもなくジェット・バレルの技量に刮目し、歓喜しているのだ。
(……試されてる?)
ふと浮かんだ詮無い考え。だが一瞬のうちに、それを脳裏から追い出す。
試されていたらなんだと言うのだ。今ジェット・バレルは自分自身のために、プライドを賭けて戦っているのではなかったか。ならば邪念雑念に関わる余地など微塵もなし。
すべては集中力──射撃の精度はそれで決まる。相手の動きを読み、逃げ場をふさぎ、弾丸を当てにいく。技術を尽くすとは、まさにこのこと。
しかしそこまでしてなお、ゴウト・ホーンは鉄壁だ。手にしたグレイヴによって、弾丸をことごとく叩き落とすその技量はまさしく達人。レベルの違いが見て取れる。
「さあ、次はどこに撃ってくる? 僕の裏をかきたまえよ、ジェット・バレル!」
「言われなくて……もッ!?」
引き金がガチンと不吉な音を立てる。虚しささえ感じさせる金属音。弾切れだ。
ライフルの自動装填装置が起動して、アバターのアイテムインベントリから弾丸のデータをロードし始める。
「こんなときにっ!?」
「残弾も計算しとかなきゃダメさ。そして! そのミスは見逃さない!!」
弾丸をリロードするための待ち時間。その決定的な間隙に、猛然と間合いを詰めるゴウト・ホーン。爆発的な加速は、ジェット・バレルに対応することを許さなかった。
一呼吸──そう、一呼吸遅れている。リロードは間に合わない。
(何か、何かないか!?)
ギリギリの状況の中で、必死に考えを巡らせる。
この場に及んで、イリーガル・プログラムは使えない。今から起動したのでは、とうてい間に合わない。
これまでか──諦観が精神を支配しかけたその瞬間、閃くものがあった。
目に映っていたのは、ホロ・モニタの片隅にあった『ペルソナクライン』のデフォルトコマンドリスト。
検証している余裕はない。直感を信じて、そのコマンドを実行する。
「アーマー・パージッ!!」
「何ぃッ!?」
瞬間、ジェット・バレルの全身が爆裂した。装甲が吹き飛び、分解され、『情報デブリ』と化して発光しながら対戦フィールドの空間へと消滅する。
『アーマー・パージ』──チートでもなんでもない、単なる『ペルソナクライン』の基本ゲームシステム。彼はそれを利用した。
ペルソナアバターは、任意でその装甲を排除できる。アバターのパラメータには重量の項目も存在するため、『アーマー・パージ』は、それを瞬間的に軽量化するための最終手段として存在するシステムだ。
ペルソナアバターの重量は、搭載された『情報密度装甲』の強度に由来する。単純に、密度が高く装甲は強靱であるほど重量は重くなるのだ。
よって重装甲であればあるほどアーマー・パージの恩恵は大きいが、ジェット・バレルのように軽装甲の射撃型にとっては、わざわざ装甲を排除することに大したメリットはない。
だが十分だった。爆発して、光って消えるだけで十分だったのだ。
目の前で閃光が炸裂し、一瞬ではあってもゴウト・ホーンの動きが止まる。
たしかにわずかな、ごく短い時間のことであったかもしれない。しかしリロードの時間を稼ぎ、最後の一発を撃ち込む──ただそれだけのためには、ほんの刹那で事足りる。
「ぶち……当てるッ!!」
狙うはゴウト・ホーンの頭部──仮面だ。
ペルソナアバターのシステム中枢であり、ここを破壊されればどんなアバターであろうとも一発でゲームオーバー。当たれば一発逆転もあり得る急所狙いというわけだ。
どうせ狙うなら貪欲に。だいたい、しくじったところで、失うものなど何もない。背中を見せずに倒れたのなら、男の面目は保たれる。
そんならしくない想いに高揚感さえ抱きながら、引き金を引いた。
「くっ!」
圧倒的強者であったゴウト・ホーンの声色に、焦りが混じっている。初めて聞くその声に、仮面の下で歓喜の笑みを浮かべる陸朗。
タイミングは完璧だ。必ず当たる。どんな相手であろうとも。そう確信する。
「直撃だッ!!」
引き金を引いた瞬間──時間が引き延ばされた感覚にとらわれる。静寂に満たされたその感覚の中で、スローモーションの動画を見るように、ゴウト・ホーンに向けたロング・ライフルの銃口から弾丸が発射されるのを、陸朗の目ははっきりと認識していた。
空を切り裂き、風を渦巻かせながらまっすぐ突き進む弾丸。吸い込まれるようにゴウト・ホーンの額の中央へと命中する。音は聞こえない。放射線状にひびが走っていく仮面だけが、着弾の実感だった。
「なっ……僕に当てただとっ!? しかもクリティカルしてるっ! まずい、ダミー・アバターが!」
ゴウト・ホーンの焦りの声。ボイス・チェンジャーが機能を失ったのか、それは今までのような性別不明の合成音声ではない。まぎれもなく女の──それも、自分と同年代の少女の声だ。
(女ぁっ!?)
ゴウト・ホーンの仮面から始まったひび割れは、今や全身に及んでいた。その正体を包み隠していたダミー・アバターが崩壊しつつあるのだ。
「ち……ダミー・アバターがもうもたないか」
バラバラと剥げ落ちる、ダミー・アバターの破片。その中から垣間見えるのは、宝石のように鮮やかな、オペラピンクに輝くドレスのような装甲だ。
見とれるようなその輝きに、思わず心を奪われる。一瞬生まれた意識の空隙を、ゴウト・ホーンは──いや、ゴウト・ホーンであった者は見逃さなかった。
「悪いけど、終わりにする!」
それまでとは段違いの加速。目にも止まらぬ速さで懐へと飛び込んで来た彼女が、手にした武器を振り上げる。
かつてグレイヴであったそれは、すでに形を変えていた。欺瞞と偽装から解き放たれたその姿は剣。七つの星が刻まれた、見事な大剣だ。
それが、自分に振り下ろされることを直感する。
(……やられるっ!)
そう思ったとき、身体が勝手に動いていた。悪あがきのように、ロング・ライフルを振り回すと、先端が彼女のひび割れた仮面を完全に砕く。
刹那。さあっと風に融けるように、美しい金髪のような放熱索が舞い広がる。
黄金の髪。オペラ色のドレス。そして七つ星の剣。
陸朗は、その姿を持つアバターのことを知っていた。
いや、『ペルソナクライン』のプレイヤーで、彼女のことを知らぬ者はひとりもいないだろう。
「お、お前は……っ!」
「今日はこれまで。また後でね、ジェット・バレル。キミこそ、僕が探し求めていた人だ」
「ス……『剣の魔女』ぁッ!?」
剣の魔女、ストレーガ。
それが彼女の本当の名前、本当の姿。
だがそれを陸朗が認識した瞬間、アバターは──ジェット・バレルは頭から真っ二つになっていた。
改訂版をこちらにも掲載です。