第一話 冷たい銀の洗礼 ※挿絵あり
放課後の理科準備室のような、懐かしくも嫌な臭いがした。
しかし、意識を取り戻した朱音が目にしたのは、見慣れた理科室ではなく、薄暗い石造りの地下室だった。
「……う、あ……」
声が出ない。手足は冷たい銀の拘束具で固定され、身動き一つ取れなかった。
目の前には、濁った瞳をした老人が立っている。彼はまるで、新しい素材を吟味する職人のような手つきで、朱音の頬を撫でた。
「素晴らしい。異界の魂は、これほどまでに純粋か」
老錬金術師バルツァーは傍らの籠から、一匹の黒猫を抱き上げた。しなやかな筋肉を持つ、精悍な雄猫だ。猫は喉を鳴らして抵抗するが、バルツァーが呪文を唱えると、その体は淡い光の中に溶け始めていく。
「少女よ、嘆くことはない。お前は今から、この世界の誰よりも完成された存在になるのだ。雄と雌、人と獣。その全ての境界を溶かし、一つに結びつけてやろう」
「やめ……て……!」
朱音の悲鳴は、バルツァーが振り下ろした錬金薬の飛沫にかき消された。
熱い。体が内側から焼き切られるような熱痛が走る。
背中から生える尾、尖っていく耳、そして全身を駆け巡る「自分ではない誰か」の奔流。
黒猫の記憶が、本能が、朱音の脳内に流れ込む。
獲物を追う歓喜、夜を駆ける衝動、そして……雄としての荒々しい性。
それらが朱音の元々の意識と混ざり合い、ドロドロに溶けて再構築されていく。
どれほどの時間が経っただろうか。
痛みが引き、代わりにやってきたのは、研ぎ澄まされた五感と、奇妙な「違和感」だった。
「……あ、……ぁ」
拘束が解かれ、朱音は冷たい床に手をついた。
いや、手ではない。指先には鋭い爪があり、掌には肉球の感触がある。
全身を覆うのは、産毛のような柔らかな黒い毛。そして股の間には、本来の彼女にはあり得ない「雄」としての証と、元々の「雌」としての機能が、一つの肉体の中に矛盾なく共存していた。
「完璧だ。これぞ両性具有の獣人……神の領域に一歩近づいたぞ」
バルツァーの歓喜の声が遠くに聞こえる。
朱音は鏡を覗き込んだ。そこに映っていたのは、燃えるような琥珀色の瞳を持つ、妖艶で野性的な「何か」だった。
彼女は、あるいは「彼」は、喉の奥から小さく、猫のような唸り声を上げた。
それは絶望の叫びか、それとも新たな本能の目覚めか――。




