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mind

作者: つな△まよ
掲載日:2025/11/21

『早く明日が来たらいいのに』

同じ日々を繰り返して、

望んだ明日は、今日も変わらない。


それでも、私は——


***


「いや、だからですね?」


静かな空間。

上司に電話で報告する同僚の声と、キーボードを弾く音だけが響いている。

外はもうすっかり暗くなっていて、

照明の光がやけに強く事務所内を照らしていた。


(目が疲れてきた)


デスクトップを見続けているのに加えて、照明の光まで気になってきてしまった。

私は引き出しから目薬を取り出して、手早く目にさした。


目の奥に染み渡る感覚に、少しだけ息をついた。


「はぁ……」


同僚の電話が終わったようだ。

同僚は深いため息をついて、イスにドサっと腰を下ろした。


「お疲れ様です」


「何て言われたんですか?」

私はキーボードを打つ手を緩めて、同僚に話しかけた。


「Aさんの件、今日中にって……」


「ほんとですか?

……もう、20時半回ってるんですけどね」


電話の内容から、何となく察しはついていたけど。

デスクトップには、既にその案件のファイルが開かれていた。


「私、半分やりますね」


「助かるよ……」


(今日も、日を跨ぎそう)


心の中で、ひとつため息をついた。


***


「はぁ」


吐いた息が白く溶けていく。

少し前までは暑いくらいだったのに、

いつの間にかコートとマフラーなしでは歩けないほどの季節に移り変わっていた。


無事に"今日中の業務"を終わらせて、帰路についていた私は、

ぼんやりといつもの道を歩いていた。


(明日も仕事か)


今日は木曜日。

まだ明日が残っている。


「……ふぅ」


土日に休めるだけマシと、自分を励ました。


指先と耳が冷えて、じんじんと痛む。

職場とはそんなに遠くないはずの家までが遠い。


——あと何年、こんな日々が続くんだろう。


毎日そんなことを考えるだけで、何も変わらない。

変える気力が残っていないと言い訳して、ずっと心の中で愚痴をこぼすだけ。


(でも、まだ何とかなってるから)


その間は大丈夫と、

今日も自分自身に言い聞かせた。


***


「えっ? これを、月曜までに……ですか?」


Webミーティング中。

上司の言葉に、私はついそう返してしまった。


画面越しの上司が一瞬黙った。

そして、小さくため息を吐いて、


『じゃないと間に合わないんだ』


『他のは後回しでいいから、優先してそれやって』

そう言い放った上司に、表情が固まるのを感じた。


(後回しでいいって……)


全然良くない。

昨日だって、Aさんの件優先して作業したから、遅れ気味なのに。


「……」


その言葉を、ぐっと飲み込んだ。


言っても何も変わらない。

言ったところで仕事が減るわけでもない。

むしろ余計に時間を消耗する。


(明日も、出ないと)


「優先して」というなら、

さっさとこの無駄な会議を終わらせてほしい。


そんな文句も表情には出さずに、

淡々と必要事項をメモ帳に打ち込んでいった。


***


「ただいま戻りました〜」


20時過ぎ。

営業周りから同僚が戻ってきた。


「お疲れ様です」

「お疲れ様ー」


事務所に残っているのは、私と所長。

同僚は「あれ、二人だけっすか?」と目を丸くした。


「はい。皆さん、帰られました」


カタカタとキーボードを弾きながら言葉を返す。

すると、ごそごそと、何やら袋の音が静かな部屋に響いた。


「所長、どぞ」


「おお……すまんな」


同僚が何かを所長に渡したようだ。

心なしか、所長の声がうれしそう。


「渡瀬さんも、はい」


いつの間にか近くに来ていた同僚。

気づいた時には、デスクの上にカサッと何かの袋が置かれていた。


「シュークリームですか?」


「そうそう!今くらいの時間、一番必要かと思ってさ」


「他の人の分も買ってきたんだけど、明日いる人で分けちゃおう」


そう言って笑った同僚に「ありがとうございます」とお礼を言って目を細めた。


(……うん。 私はまだ大丈夫)


周りに恵まれているんだから、

仕事が多いなんていうのは、きっと贅沢な悩みなんだ。


「いただきます」


袋を開けて、シュークリームを摘み上げる。

袋から少しだけ出して、ぱくり。


(おいしい)


目の前の仕事は減らない。

けど、胸の奥を燻っていた靄は少しだけ薄まった気がした。


***


「……え?」


「申し訳ない……」


土曜日の午後。

月曜日までにと言われた仕事を何とか終わらせて、溜まっている仕事を片付けていたとき。


所長から「月曜までの件、状況が変わった」と言われた。

事情を詳しく聞くと、所長が前段階の作業で取りこぼしをしてしまい、リスケしなければならなくなったのだと。


そうなってしまうと、私の作業は全部白紙になってしまうわけで——


(無駄に、仕事をしていたと……)


早く手をつけても、後々楽になる。

そんな作業であればよかった。

だけど、今回の作業は文字通り、白紙。

意味のない作業になってしまったのだ。


「……仕方ないですよ」


「こんなに抱えていたら、そういうこともありますよね」


無理矢理口元を上げて、所長を励ました。


(そう。あらかじめフォローできなかった、私も悪い)


自分には、そう言い聞かせた。

目の奥にじわりと滲む熱を誤魔化すように、

デスクトップに向き直って、再び業務へと意識を逸らした。


***



いつもより早く帰路に着いた。

それでも既に外は真っ暗で、

今日もこぼれる息が白く滲んだ。


「……」


足取りが、重い。

一歩、また一歩と進むたび、

ガチャンと錠を付けられたかのように、足裏が地面に張りついていく。


とうとう動けなくなって、その場に立ち尽くした。


「〜っ」


じわっと溢れ出した涙。

ツーッと頬を伝った水滴は、冷たい空気にさらされてヒヤリとした。


ポタリ、ポタリ。

一度こぼれてしまった涙は、止めどなく頬を濡らし続け、地面に吸い込まれていく。


(どうしてっ、どうしてこんな気持ちで……!)


「ふぅっ……うぅ……」


行き場のない怒りが悲しみになって、

やるせなくて。


——こんな職場、もう辞めたい。


そう思ったのは、何度目だろう。


だけど、行動してこなかったのは自分自身。

その事実に、また腹が立った。


「うっ……はぁっ」


息の苦しさに、前屈みになる。

胸の前で、ギュッと拳を握った。


もう、続けたくない。

こんな気持ちを繰り返したくない。


自分にこれ以上——失望したくない。


「ふぅっ……ふぅー……」


乱れた呼吸を整えて、そっと体を起こした。

そして、靴裏の端からゆっくりと剥がすように足を持ち上げて、再び静かに歩きだす。


「ひっく……ひっく……」


静まり返る住宅街に響く、情けない音。


明日に期待したって、何も変わらないことは分かってる。


それでも、私は——

明日こそはって、何度も思ってしまうんだ。


その言葉が、『まじない』ではなくて、

『呪い』だと分かっていても——。

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