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新たな秩序

紫禁城の深宮。夜の帳が下り、蝋燭の灯りがゆらめく書斎で、溥儀は世界各国からの報告書を前に深く思索に耽っていた。孫文との会談を経て、彼はより果断な措置を講じる決意を固めた。彼の胸中には、未来を知る者だけが持つ焦燥と覚悟が渦巻いていた。


(朕が知っている未来では、日本はさらに大胆に、残忍に大陸に進出する。あの悲惨な歴史を、今回は絶対に繰り返させない。そのためには、今、その牙を抜かねばならない。だが、この衰弱した清の一国だけで戦うのは無謀だ... 国際社会、特に... 欧州の力を借りなければ)


「もはや穏便な手段だけでは限界がある」

翌朝、御前会議。溥儀は参集した閣僚たちを見渡し、凛とした声で宣言した。

「日本政府の行動は、国際法を蹂躙し、我国の主権を著しく侵害している。朕はここに、日本政府に対する経済制裁を発動することを宣言する。対日輸出の全面停止と、日本商品に対する関税の大幅引き上げを即時実施せよ」


場内は一瞬、水を打ったように静まり返った。老臣の一人が蒼い顔で慎重に口を開いた。

「陛下、それはあまりにも危険では...日本軍の即時の報復を招く恐れが... 我が軍の備えはまだ万全ではありません」

「朕はその危険を承知している」

溥儀の声は冷たく、しかし確固として響いた。

「しかし、今ここで屈すれば、将来さらに大きな代償を払うことになる。日本は我々の弱腰を見透かしているのだ。一歩も引いてはならない」


溥儀の決断は、迅速な外交工作と相まって、思いのほか早く国際社会の支持を得始めた。清朝の特使が欧州各国を駆け回り、日本の大陸進出が世界の貿易バランスを脅かすことを懸念させたのである。


ある朝、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世からの親書が届いた。溥儀はその内容を読み、思わず声を上げた。

「なんと...ヴィルヘルム皇帝が将校団の派遣を申し出ている。これこそが朕が待っていた契機だ!」


ドイツ皇帝の親書にはこう記されていた。

「『東洋の同盟国を支持する。貴殿の果断な措置は、『孫子』の教えそのものだ。我が国より将校団を派遣し、貴国の軍備強化を支援しよう。共に東洋の平和を守ろうではないか』」


すぐにドイツからの軍事顧問団が北京に到着した。団長のフォン・ゼークト少将は厳格な軍人で、溥儀にぴんと背筋を伸ばして敬礼し、力強い口調で言った。

「陛下、我々は貴国の軍隊の近代化を全面的に支援します。ドイツ式の訓練と戦術を伝授し、世界に通用する強靭な軍隊を作り上げましょう」

溥儀は感激して答えた。

「この支援はまさに旱天の慈雨だ。朕は深く感謝する。共に新たな歴史を刻もう」


さらに驚くべきことに、まもなく両国は世界に向けて清独防衛同盟の成立を発表した。このニュースは世界中に衝撃を与えた。


ロイター通信は「眠れる獅子、目を覚ます」との見出しで報じた。

「清朝はもはや衰えた帝国ではない。ドイツとの同盟により、東アジアの勢力図は一変するだろう。日本の大陸進出は、強力な障壁に直面した」


北京の街角では、市井の人々がこのニュースに沸き立っていた。

「聞いたか?ドイツと手を組んだんだって!」

「洋式の軍隊ができるそうだぞ。これで少しは安心だな」

「さすがは陛下!どんどん強い国にしてくれる。満人だの漢人だのいう前に、清国人として誇りが持てる!」


市場の茶館では、人々が熱心に議論していた。

「この前、ドイツ人の将校を見かけたぞ。背が高くて、いかにも強そうだった。馬にも慣れてるみたいだ」

「うちの息子も新しい軍隊に入りたいって言ってる。給料もいいらしいし、国のためになるって。」

「これでようやく、日本に立ち向かえるかもしれんね。でも、戦争にならなければいいが」


東京では、大隈重信内閣が緊急会議を開催していた。焦りと困惑が渦巻く空気の中、外務大臣の加藤高明は現実的な見解を示した。

「もはや継戦は困難だ。清独同盟の成立は想定外だった。ドイツ海軍の東アジアへの派遣も噂されている。もはや軍事的解決は不可能だ。」


陸軍大臣の岡市之助は拳を振り上げて怒鳴った。

「屈することはできない!我が軍の威信が地に落ちる!たかが清とドイツに何ができる!」

しかし、元老の井上馨が静かに、しかし重みをもって口を開いた。

「諸君、冷静になれ。清独同盟の成立は、我が国の大陸政策の根本的な見直しを迫るものだ。現存する利権を守りつつ、時期を待つのが賢明である。『臥薪嘗胆』だ。」


北京の紫禁城では、歴史的な交渉が行われていた。日本の全権大使は、かつての威圧的な態度は影を潜め、恭順の意を示した。

「我国は、山東からの段階的な撤兵に応じます。経済制裁の解除を...」

溥儀は冷たく応じた。

「朕の要求はそれだけではない。下関条約の即時撤廃だ。半世紀にわたる不平等は、今日で終わりにする。」


(この条約がもたらした屈辱を、朕は忘れない。未来の知識がなければ、また同じ過ちを繰り返すところだった。台湾、澎湖諸島、巨額の賠償金... すべてがこの国を苦しめてきた。だが今は違う... ドイツという強力な味方がついた。ここで引くわけにはいかない)


交渉は難航したが、清朝の強硬姿勢とドイツの後ろ盾により、日本はついに屈した。


条約撤廃による財政効果は絶大だった。財政大臣が飛び上がらんばかりの喜びで報告をした。

「陛下!賠償金の支払いが停止され、関税収入が三倍に膨れ上がりました!これでようやく本格的な改革に着手できます!」

溥儀は満足そうに頷いた。

「まずは民生の安定だ。農村の復興、教育の拡充に予算を振り向けよ。朕は紫禁城に閉じこもっているだけの皇帝ではいられない。民の支持なくして、国家の安定はない。」


市井では人々が歓喜した。

「聞いたか?賠償金がなくなったんだって!これで税金が減るかもしれんぞ!」

「小皇帝さま、本当にすごいわい!ドイツと組んで、日本を追い出したんだ。俺たちの声を聞いてくれてる!」

路上の物売りたちも噂話に花を咲かせた。

「ドイツの軍人がたくさん来てるらしいぞ。みんな背が高くて恰好いいんだ。新しい工場もできるって話だ。仕事が増えるかもしれん。」

「陛下がもっと若かったら、ドイツの王女様と結婚なんてこともあったかもしれんな。ははは!」


溥儀は蔡鍔が生前に育成した優秀な将校たちを紫禁城に集め、直接訓示した。

「諸君の任務は重大だ。各軍閥の動向を探り、朝廷への忠誠心を涵養すること。蔡鍔将軍の志を継いで、この国を一つにまとめてほしい」

若き将校の一人、李嵐が熱く応えた。

「陛下、必ずやお役に立ちます!ドイツで学んだ新しい戦術も活用し、軍閥の私兵を真の国軍へと変えてみせます!」


一方、地方の軍閥では複雑な反応が広がっていた。

「北京から若造が送り込まれてきたぞ」ある軍閥の幹部が嗤った。「皇帝の手先め。ドイツかぶれの小青二才が何できるというのだ」

「だが、連中はなかなかやり手だ」別の幹部が警戒した口調で言った。「ドイツ式の訓練を受けているらしい。兵士の間で人気が出ていると聞く。油断するな」


北方から馮国璋の捷報が届いた。

「陛下、モンゴルの叛徒を鎮定しました!ドイツから供与された新式銃器と、機動力を活かした戦術が功を奏しました!」

溥儀は感激の声で言った。

「よくやった!馮国璋よ、これで北辺の安定も確保された。朕は卿の働きを決して忘れない」

馮国璋は現地からの報告でこう付け加えた。

「陛下のご指導がなければ、この勝利はありえませんでした。ドイツからの新式兵器も大きな力になりました。兵士の士気も高いです」


ドイツ将校団の訓練は厳しかったが、成果は着実に現れていた。北京郊外の訓練場で、フォン・ゼークト少将が怒声を飛ばす。

「もっと速く!貴様たちは獅子の子だ!眠っている場合ではない!この訓練場が、清国の未来を決めるのだ!」

清朝の将兵たちは汗まみれになりながら、歯を食いしばって応えた。

「はい! 大清万歳!」


紫禁城内では、溥儀自ら主導する大改革が進んでいた。溥儀は宦官総管を呼びつけ、厳しい口調で言い渡した。

「不必要な人員は整理する。経費を節減せよ。この紫禁城も、新たな時代に合わせて変わらなければならない。朕は、贅沢三昧の殻に閉じこもった皇帝ではない」

「か、畏まりました」宦官総管は震えながら答えた。「でも陛下、これまでの慣例を破るのは...太后様や宗室の方々のご不興を...」

「慣例?」溥儀の声は鋭くなった。「朕は慣例に縛られて国を滅ぼすつもりはない。理解できなければ、朕が直接説明しよう」


宗人府の改革では、若き改革派官吏が熱意を込めて報告した。

「陛下、これで年間の経費を三割削減できます!不正も一掃しました!」

溥儀は満足そうに頷きながら、胸の内で独白する。

(この紫禁城も、いつまでも古い体制に縛られてはいられない。変わらなければ、滅びるだけだ。ドイツとの同盟を機に、すべてを新たにするのだ。朕は、未来を知る者として、この国を導いていく)


禁軍の近代化は着実に進んでいた。ドイツ人軍事顧問が溥儀に報告する。

「陛下、部隊の訓練は順調です。最新の戦術を習得しつつあります。まさに眠れる獅子が目を覚ましましたな。彼らは素晴らしい兵士になる素質を持っています」

溥儀は訓練場を視察し、泥だらけになりながら訓練する兵士たちに直接声をかけた。

「諸共、大清の未来を守るのは朕と諸君だ!ドイツの友軍と共に、新たな歴史を築くのだ!この国を、二度と誰にも辱めさせない!」

「陛下万歳!大清帝国万歳!」兵士たちの熱い歓声が訓練場に響き渡った。


これらの精鋭部隊が山東に派遣されると、市井では様々な声が上がった。

「強い軍隊が来たぞ!ドイツの武器を持っているんだ。みんな背筋が伸びてて、目つきが違う」

「これで日本軍も怖くないな。さっさと出て行ってくれればいいのに」

「でも、戦争にならなければいいがな。平和が一番だ。陛下はきっとうまくやってくれるさ」


夕暮れの紫禁城で、溥儀は一人、養心殿の窓辺に立ち、思索に耽る。窓の外からは、北京の街の活気ある音― 商人の呼び声、車輪の音、人々の笑い声が聞こえてくる。


(ようやく、ここまで来た。ドイツとの同盟で、世界は清を「目覚めた獅子」と認めた。日本を一時的に退け、不平等条約を撤廃した。しかしこれからが本当の戦いだ。国内の軍閥、虎視眈々と機会を狙う列強... 朕の改革は始まったばかりだ)


彼は窓の外の北京の街並みを見つめ、市井の人々の声が聞こえるような気がした。

「皇帝陛下のおかげで生活が楽になったよ。新しい工場で仕事も見つかった」

「ドイツと組んで、これからもっと良くなるだろう。子供を学校に行かせようと思う」

「陛下はまだお若いのに、よくここまで...西洋とも対等に渡り合えるなんて、昔は考えられなかった」


路地裏では子供たちが遊びながら歌っていた。

「目覚めた獅子、大清帝国~ドイツと手を組んで、強い国~ 日本もびっくり、世界も驚く~」


溥儀は拳を握りしめ、静かに誓う。

(朕はこの国を守る。二度と屈辱的な歴史を繰り返させない。ドイツとの同盟を足がかりに、世界の強国として認められる国を作るのだ。未来の知識を、この国のために使う。これが、朕に与えられた使命なのだから。)


夜の帳が降りる中、紫禁城の灯りが一つ、また一つと灯っていく。新たな時代の幕開けを告げるように。世界が注目する中、目覚めた獅子はゆっくりと、しかし確実に歩みを進め始めた。その先には、より複雑な国際情勢と、国内の根深い問題という難関が待ち受けているのだが。


清独同盟の発表は、国際政治における静かなる地震だった。特に長年、中国大陸での既得権益を享受してきた列強諸国は、その影響力に対する深刻な脅威を感じていた。


ロンドン、外務省の一室。外務大臣のエドワード・グレイ卿は、中国駐在公使からの報告書を苛立たしげにテーブルに叩きつけた。

「清朝は、我々の手綱から滑り落ちた。ヴィルヘルム二世め、我々の裏庭でなんと姑息な真似を!」

イギリスにとって、清朝の衰退は自国の優位性を維持するための「所与の条件」だった。自由な貿易とアヘン戦争以来の経済的特権は、清朝の弱体化の上に成り立っていた。しかし、今やドイツという強力な第三者が軍事力を背景に介入し、清朝の皇帝が自ら「目覚めた獅子」として動き出した。

「卿、問題は日本です」首席事務官が口を開いた。「彼らの対応が弱腰すぎた。山東からの撤兵は、ドイツの圧力というより、清朝の経済制裁による国内の金融パニックを恐れた結果です。我が国は、彼らが清朝を抑えるための盾として機能することを期待していたのですが...」

グレイ卿は窓の外の曇り空を見つめた。「日本は一時的に退却したが、彼らの復讐心は消えていないだろう。我々が清独同盟に対抗するには、ロシアの動向を注視しつつ、清国への外交的な懐柔策と、海軍力による威嚇を同時に行う必要がある。特に、長江流域の利権だけは死守せねばならん。清朝の新政府が次に狙うのは、間違いなく『鉄道利権の回収』だ」


サンクトペテルブルク、冬宮殿。ニコライ二世は、清独同盟のニュースを比較的冷静に受け止めていた。彼にとって、日本の大陸進出の停滞は、日露戦争の屈辱に対する小さな復讐の機会に見えた。

「ドイツは東洋で火遊びを始めたな」外相が報告した。「しかし陛下、これは我が国にとって好機となり得ます。日本が清から手を引いたことで、満州の鉄道利権、特に東清鉄道への圧力が弱まる。ドイツの介入を理由に、我が国の南満州への影響力を再び強化することが可能です。」

ロシアは、日露戦争で失った南満州鉄道の権益を虎視眈々と狙っていた。清独同盟は、ドイツと清朝が日本を牽制しあう「緩衝材」として機能する可能性がある。ロシアの目標は一つ。清独の衝突を煽りつつ、満州における自国の地位を確立することだった。


ワシントンD.C.では、タフト大統領が事態を憂慮していた。アメリカは、列強による中国の分割を阻止するための「門戸開放原則」を掲げていたが、清独の軍事同盟は、この原則を脅かす新たな排他的勢力の台頭を意味した。

「ドイツが中国を独占するのを看過することはできない」国務長官が述べた。「清朝の経済制裁は成功したが、それは彼らのナショナリズムの表れだ。我々は清独同盟を非難しつつ、清朝に対し、アメリカの企業への平等な機会を確保するよう強く要求すべきだ。日本は一時的に排除されたが、今度はドイツの独占を許してはならない。」

アメリカの立場は複雑だった。清朝の主権回復の動きは原理的には支持しつつも、その背後にドイツの軍事力があることが懸念材料だった。


東京。下関条約の撤廃と山東撤兵という屈辱的な外交的敗北は、日本の政界と軍部に深い亀裂をもたらした。


首相官邸では、大隈重信首相が疲労困憊の表情を浮かべていた。

「世論は我々を弱腰だと批判している。陸軍の強硬派は、今にもクーデターを起こさんばかりの勢いだ」大隈は頭を抱えた。「しかし、加藤外務大臣の判断は正しかった。ドイツ海軍との衝突は、帝国海軍にとってあまりにもリスクが高すぎた。」

外務大臣の加藤高明は冷静だった。「清国の経済制裁は、我が国の対華貿易を完全に麻痺させた。特に、清国市場に依存する地方の生糸産業や製鉄業が崩壊寸前でした。あのままでは国内経済が持たず、軍事行動どころではなかった。今は『臥薪嘗胆』の時です。」

しかし、陸軍大臣の岡市之助は激昂していた。「国力の問題ではない!精神の問題だ!清国如きに屈したという汚名は、軍人の魂を深く傷つけた。我々は即座に大陸への影響力回復の計画を練るべきだ!」

この内閣の混乱を静観していたのが、元老たち、特に山縣有朋だった。山縣は軍の最高実力者として、事態の収拾に乗り出した。

「岡よ、落ち着け」山縣は冷淡な声で言った。「清独同盟は、国際的な現実だ。今、戦えば、我々はイギリスの支援すら失いかねない。大隈内閣は、外交的敗北の責任を取るべきだが、その後の政策は、より周到でなければならん。」

山縣の指示は明確だった。


· 内閣の総辞職: 大隈内閣は辞職し、一時的に世論の不満を鎮める。

· 清国への懐柔と情報収集: 新内閣は清国への強硬姿勢を隠し、経済協力の再開を打診しつつ、ドイツの軍事顧問団の実態と清国軍の再編状況を徹底的に探る。

· 対露連携の模索: 対清・対独の観点から、かつての敵国ロシアとの秘密裏の連携を模索する。

日本の大陸政策は、一時的な「停滞」ではなく、深い「戦略的転換」を迫られていた。


陸軍内部では、強硬派の若手将校、特に田中義一らが中心となり、清朝への「間接的な干渉」を画策し始めた。

「清国を正面から攻めるのは愚策だ」田中は秘密の会合で宣言した。「しかし、清国内部の不安定要素を利用しない手はない。袁世凱をはじめとする軍閥どもは、あの小皇帝の改革に必ず反発する。我々は彼らに資金と武器を供給し、清国内部から分裂を引き起こすのだ。ドイツの目が届きにくい、南方の軍閥を懐柔せよ」

清国の「目覚めた獅子」は、日本の政策を「直接的な軍事侵略」から「陰湿な内政干渉」へとシフトさせたのだった。


溥儀の迅速かつ果断な改革は、国外だけでなく、清国内部の権力構造にも激震をもたらしていた。特に北洋軍閥の総帥・袁世凱は、この若き皇帝の動きに最大の警戒を払っていた。


天津。袁世凱の豪華な私邸では、側近たちが朝廷からの通達に頭を悩ませていた。

「陛下は、将校団の派遣を通じて、我々軍閥の支配下にある軍隊への影響力を行使しようとしています」側近の一人が報告した。「特に、ドイツ式訓練を受けた若手将校の登用は、我々の旧知の部下を排除する意図が明白です」

袁世凱は静かに茶を飲みながら、冷徹な目をしていた。

「小皇帝は、過去の皇帝ではない。未来の知識を持つという噂は、どうやら事実のようだ。日本を退け、ドイツと同盟を結ぶとは...恐るべき手腕だ」

袁世凱は、溥儀を即座に敵に回すことは賢明ではないと判断した。理由は二つ。


· ドイツの軍事力: ドイツ製の最新兵器とフォン・ゼークト少将率いる軍事顧問団の訓練成果は、袁世凱の軍隊を凌駕する可能性があった。

· 民衆の支持: 溥儀の改革と反日姿勢は、清国内の漢民族の民衆から熱狂的な支持を集め始めていた。今、皇帝を討てば、彼は国賊となる。

「今は恭順の姿勢を見せろ」袁世凱は命じた。「朝廷からの将校を受け入れ、ドイツ式訓練を推奨せよ。ただし、精鋭部隊は北洋軍の中核に留めておけ。小皇帝が国内で足場を固めるのを待ってからでは遅い。我々は日本と秘密裏に接触し、皇帝の専制に対する『民主的な抵抗』という大義名分を準備せねばならん。」

袁世凱の戦略は「二枚舌」だった。表向きは皇帝に忠誠を誓いつつ、裏では日本と結び、皇帝の改革が成功する前に、その権力基盤を内部から崩壊させようと企てていた。


清国内の他の主要な軍閥も、それぞれの思惑で動いていた。


· 馮国璋(北洋直隷派): 溥儀のモンゴル平定の功績により、朝廷からの信頼を得た。彼は「皇帝の威光」を利用して北洋軍内部での地位を高めたいと考えており、比較的溥儀に協力的だった。

· 張作霖(奉天派): 彼はロシアの影と日本の工作に最も晒されている地域にいた。清独同盟の成立は、彼にとって日本の圧力が減る「朗報」だったが、同時に中央(北京)からの監視が強まる「脅威」でもあった。彼は満州での独自の支配体制を強化し、日露清の三国間の綱引きの中で生き残ろうとしていた。

· 南方の軍閥: 孫文の影響が強く、彼らの多くは清朝そのものの打倒と共和制の樹立を目指していた。溥儀がドイツと組んで中央集権化を進めることは、彼らにとって「満州人王朝の復活」と映り、断固として抵抗する姿勢を見せていた。

この軍閥の複雑な状況に対し、溥儀は蔡鍔が選抜し、密かに訓練を積ませた「若き将校団」を送り込んだ。彼らの任務は、軍閥の軍隊に浸透し、戦術指導と称して、兵士たちの意識を「軍閥の私兵」から「大清の国軍」へと変革することだった。

天津の袁世凱の軍営でも、ドイツ人顧問と清の将校が訓練を指導していた。

「貴様らの忠誠心は、誰に向けられている!」ドイツ人将校が叫ぶ。

「大清帝国皇帝陛下に!」兵士たちが応える。

これを聞いた袁世凱派の幹部は苦々しい顔をしたが、公然と異議を唱えることはできなかった。


溥儀の次の目標は、列強に貸与されている鉄道利権の回収だった。これは清朝の国土主権と財政再建の核心であり、実現すれば清国の国際的地位は決定的に向上する。


溥儀は、英、仏、露、米の各国公使を紫禁城に呼び、一堂に会した。

「諸君」溥儀は毅然とした態度で告げた。「清朝は、国土の発展のため、鉄道網の国家統一管理を決定した。これまでの利権貸与は、国権回復の観点から、適正な価格で買い戻したい。」

英公使は鼻で笑った。「陛下、これは半永久的な契約です。それを一方的に破棄することは、国際法上許されません。」

「では、その『国際法』とやらは、我が国に有利な条約を破棄させ、不平等な条約だけを維持させるためにあるのか?」溥儀は鋭く切り返した。「適正な価格での買い戻しを拒否されるならば、我が清国は、現在進行中の鉄道建設に必要な石炭と鉄鋼の供給を全面的に停止する。鉄道は動かせまい。」

これは、未来の知識に基づいた、清国の最大の弱点(資源供給)を逆手に取った脅迫だった。

この交渉の裏側には、ドイツとの秘密の取り決めがあった。ドイツは、この鉄道利権回収を全面的に外交支援する代わりに、清国北部の未開発の鉱山(特にタングステンとモリブデン)の開発権益を優先的に得ることになっていた。

(鉱山利権を与えることで、ドイツを清の運命共同体とする)溥儀はそう計算していた。(しかも、タングステンやモリブデンは、未来の戦争においてドイツの産業に必須の資源だ。彼らは容易に清朝を見捨てられなくなる)


· イギリスの譲歩: 長江流域の鉄道は、イギリスのインドへの影響力にも関わる重要拠点だった。ドイツの介入を最も恐れるイギリスは、全面対決を避けるため、利権回収に最も早く応じた。ただし、買い戻し価格を法外な額に吊り上げた。

· ロシアの沈黙: ロシアは満州の東清鉄道利権の買い戻しについて、即座の返答を避けた。彼らは、日本の撤退により満州での優位性が回復しつつあると考え、清独同盟と日本との対立をさらに煽り、漁夫の利を得ようとしていた。

· フランスの協力: フランスは、清国南部のベトナムへの影響力を維持するため、清独同盟との衝突を避けたかった。彼らは比較的友好的に利権の一部を返還し、代わりに清国南部でのフランス資本による新たなインフラ整備プロジェクトへの参入を求めた。

交渉は泥沼化した。鉄道利権の回収は、溥儀の予想通り、国際的な「大博打」となったが、清独同盟という強力な盾のおかげで、清朝は初めて列強と対等に、あるいは優位に立てる外交戦を展開することができた。


溥儀の中央集権化とドイツ将校の進出に、ついに反発する軍閥が現れた。袁世凱の密かな支援を受けた安徽派の小軍閥、盧文忠が、清独同盟に対する「愛国的な抵抗」を掲げて反乱を起こした。


盧文忠は、彼の軍営に派遣されたドイツ人顧問を拘束し、清朝の「満人専制への回帰」と「外国勢力への売国」を非難する檄文を各地に送りつけた。

「陛下、盧文忠が反乱を起こしました!」閣僚たちが色を失って報告した。「彼の背後には、袁世凱の息のかかった者たちがいるとの情報も...」

紫禁城の御前会議は騒然とした。老臣たちは、軍閥間の内戦が再発し、再び列強の介入を招くことを恐れた。

「陛下、ここは穏便に、交渉で解決を...」老臣が口を開きかけたが、溥儀はそれを遮った。

「交渉など必要ない」溥儀は即座に決断した。「朕は、この反乱を待っていた。これは、清国の新たな軍隊の力を国内外に示す絶好の機会だ。」

彼は馮国璋に直ちに反乱鎮圧の総司令官を命じ、精鋭の禁軍近代化師団(ドイツ式訓練を受けた新式部隊)を派遣した。さらに、フォン・ゼークト少将も軍事顧問として出動を許可した。

袁世凱は、この動きに驚きつつも、内心ほくそ笑んでいた。

(小皇帝は、若いゆえに血気盛んだ。内戦で国力が疲弊すれば、最終的に漁夫の利を得るのは我々だ。盧文忠が禁軍を疲弊させることを期待する)


しかし、戦況は袁世凱の予想を遥かに裏切った。

盧文忠の軍は、旧式の武器と、伝統的な戦術に頼る寄せ集めの集団だった。これに対し、禁軍近代化師団は、ドイツの最新式モーゼル小銃、MG08重機関銃、そして洗練された砲兵部隊で武装していた。

フォン・ゼークト少将の指導のもと、師団は迅速な機動と集中砲火による「突破戦術」を展開した。

戦闘はわずか三日で終結した。盧文忠の軍は、禁軍の機関銃陣地を突破できず、大規模な損害を出し、司令官の盧文忠は捕縛された。

この圧倒的な勝利は、瞬く間に清国全土に伝播した。


· 軍閥への衝撃: 袁世凱の側近たちは青ざめた。「まさか、これほどまでに...」袁世凱自身も、溥儀の「本気」と、ドイツの軍事支援の質の高さを理解した。彼は直ちに盧文忠との関係を否定し、朝廷への忠誠を改めて誓う恭順の意を表明した。

· 列強の認識: 列強の新聞は、この戦いを大きく報じた。

· ロイター通信:「清朝軍、三日で反乱軍を粉砕。これは、アジアにおける近代戦術の新しい夜明けである。清独同盟の軍事力は、もはや侮れない」

· ニューヨーク・タイムズ:「『眠れる獅子』は目覚め、その爪を研いでいる。東アジアの軍事バランスは完全にドイツと清朝側に傾いた」

溥儀は、捕らえた盧文忠を紫禁城の広場に連行させ、全軍の将校団を前に公開処刑した。

「国軍の忠誠心は、私兵の忠誠心ではない。国と国民に向けられるものだ」溥儀は冷徹に宣言した。「これに背く者は、誰であろうと容赦はしない。」

この処刑は、軍閥への明確な警告となった。袁世凱は一時的に力を削がれ、溥儀の中央集権化への抵抗は、しばらくの間鳴りを潜めることとなった。


反乱の鎮圧と鉄道利権交渉の進展により、清国の国際的地位と国内の求心力は劇的に向上した。


鉄道利権の大部分(イギリス、フランス、一部のロシア利権)の買い戻しに成功したことで、清朝の財政はさらに改善した。

「陛下!買い戻し資金は、関税収入と国内で発行した愛国債券で賄うことができました!」財政大臣が歓喜の報告をした。「利権が国営化されたことで、鉄道利益が全て国庫に入ります。これで年間予算は、従来の五倍に膨れ上がります!」

溥儀は、その潤沢な資金を未来への布石に投じた。


· 義務教育の拡充: 「未来の知識」の伝達者となる人材を育てるため、各地に公立の小学校、中学校を設立し始めた。教育はドイツ式の実用的な科学・技術教育に重点が置かれた。

· 産業の振興: ドイツからの技術供与を受け、北部に最新鋭の製鉄所と兵器工場を建設し始めた。これは軍備強化だけでなく、国内の雇用創出と産業近代化の礎となるものだった。

· 内務の刷新: 宗人府や内務府の改革をさらに徹底し、汚職を一掃。紫禁城の不要な経費を削減し、それを地方のインフラ整備に回すことで、地方官吏や民衆からの信頼を獲得していった。


日本の新内閣は、清国の軍事力のデモンストレーションと、国際的な孤立を前に、「忍耐」の外交政策を強いられた。彼らは、清国への経済協力の再開を打診し、表面的な友好関係を装いながら、裏では田中義一らの主導による南方軍閥への工作を密かに続けていた。

一方、ロシアは、日本への警戒を強めるとともに、清独同盟を牽制するため、イギリスに接近し始めた。アジアにおける勢力均衡を保つため、かつての敵国同士が手を組み始めるという、国際政治の奇妙なねじれが生じていた。


北京の街角では、人々の会話も、国の新たな状況を反映していた。

茶館では、年老いた学者と若い学生が熱心に議論していた。

「陛下は、真の『中興の祖』かもしれん」学者は感慨深げに言った。「我々の先祖が失った主権を、外交と軍事力で取り戻している。」

学生は目を輝かせた。「ドイツ語を学ぶ者が増えています。誰もが、新しい技術を学び、国に貢献したいと考えている。もう、外国人に頭を下げる時代は終わったのです!」

路上の物売りが、新しい新聞の号外を手に叫んでいた。

「号外!清独同盟、鉄道利権を全面回収!国民よ、歓喜せよ!」

子供たちは、ドイツ人将校の制服を真似た服を着て、木製のモーゼル銃のおもちゃで遊んでいた。

「私はフォン・ゼークト将軍だ!」

「私は皇帝陛下の禁軍だ!敵を倒す!」


溥儀は、夜の紫禁城、養心殿の窓から、北京の街の灯りを見つめていた。彼の表情は、もはや感傷的な皇帝のものではなく、冷徹な戦略家、国家の最高責任者のそれだった。

(これで第一段階は終了だ)彼は静かに独白した。(国内の軍閥は一時的に屈した。日本は動けない。列強は清朝を「対等な存在」として認め始めた。だが、時間は限られている。未来の大きな戦争が始まる前に、この国を真の近代国家へと変革しなければならない。朕の旅路は、まだまだ続く)


清朝は、歴史の表舞台に力強く復帰した。しかし、それは束の間の平和であり、国内外の権力者たちの複雑な思惑が絡み合う、新たな国際秩序の均衡点に立ったに過ぎなかった。溥儀の「未来の知識」を頼りにした、長く困難な戦いはまだ始まったばかりだった。

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