第3話「静かなる策略」
朝の宮廷は、昨夜の毒事件の余波でざわめいていた。
侍女たちは顔色を曇らせ、高官たちは表情を硬くする。だが、その騒ぎの中で一歩も動じない者がいた。リン家三女、ファユ・リン・シェン。
「また、誰も気づかないと思っているのね……」
彼女は小さく呟きながら、庭の薬草を観察する。昨夜の事件は成功こそ逃れたものの、犯人はまだ宮廷内で息を潜めている。
護衛のリーが傍らに来る。
「お嬢様、今朝、皇帝の側近が呼ばれています。毒の件で事情聴取だそうです」
ファユは柔らかく微笑む。
「いいわ、行きましょう。誰も私を警戒していないのだから、観察は容易よ」
聴取の場。側近は眉をひそめ、慌てた様子を隠そうと必死だ。侍医たちも慎重に顔を見合わせる。
ファユは小さく息を吸い、周囲の表情、手の微細な震え、匂い――すべてを観察した。
「……この方の左手に、昨夜の毒に関する痕跡があります。少量の混合毒が触れた跡です」
側近は一瞬、目を見開く。しかしファユは続けた。
「ですが、これは本人の手によるものではなく、誰かが巧妙に操作した痕跡です。真犯人は、宮廷内に隠れてまだ動いています」
侍医も高官も息をのむ。誰もが表向きは冷静を装うが、ファユの鋭い観察眼に誰も抗えない。
聴取後、ファユは庭に戻り、リーに囁く。
「今回の犯人は、恐らく貴族の一人……影の力を持つ者ね」
リーは眉をひそめる。
「お嬢様、危険では……?」
「危険ほど、面白いものはないわ」
ファユの瞳が少し輝いた。その表情は、無力な令嬢のものではなく、王宮の闇に潜む真実を追う者のものだった。
その夜、月光の下でファユは考える。
「宮廷では、誰もが顔には出さない本心を持っている。毒も策略も、見えないところで動くの……」
リーがそっと手を添える。
「お嬢様、こんな時でも冷静でいられるのですね……」
ファユは微笑み、軽く首を傾げる。
「冷静に見えるだけ。心の中では、少し楽しいのよ」
その微笑みの奥に、次の策略が芽生えていた。
誰も気づかない「無能令嬢」の裏で、王宮の毒謀を解き明かす日々は、まだ始まったばかりだった――。