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ルリアーネ・バイロンは、魔道具作りをする変わり者の令嬢として有名だったらしい。
自分で有名なんて言いたくないでしょ? 自意識過剰じゃない? だから「らしい」と言っておく。家族から聞いたのよ。
バイロン伯爵領と王都で、男女年齢問わず声のサンプルを録音の魔道具を使って集め続けていたのだから、私はとても変わり者だろう。
これだけの数の人間がいるのだから、誰かエヴァンと同じ声の人がいないかと思ったのだ。
私はあらゆる人の声を集めて、再生してどれもエヴァンの声ではないと感じた。だから、集めた声を分析してエヴァンの声を作り出そうとしたのだ。
エヴァンが亡くなったのは、私も彼も十歳の時。
私は一年間落ち込んで、エヴァンの声を忘れかけていることに気づいて呆然とし、十一歳から魔道具に関する勉強を開始したのだ。
録音の魔道具でエヴァンの声を録音しておけば、こんなことはしなくて良かった。しかし、録音の魔道具は非常に高価で貴族ですらもほとんど持っていなかった。騎士団の取り調べで使うのがメインだったくらいだ。
我が家は少しばかり裕福な伯爵家だが、十一歳の私が「録音の魔道具買って」とねだっても買ってはもらえない。そんなお財布と子供に優しいお値段ではなかったのだ。
困った私はまず数年間魔道具の勉強をして、録音の魔道具を自作した。そしてそれを使って声のサンプルを集めて、エヴァンの声を再生できる魔道具を作ろうとしていた。
「令嬢なのに魔道具作り?」なんて嘲笑される方向で有名だったらしい。
しかし、そのおかげといってはなんだが第三王子であるアリスター殿下が病で声を失い、私が城にお呼ばれしたのだ。
そして、王妃様から直々に声の魔道具をアリスター殿下のために作ってほしいとお願いされたのだ。
病から回復したものの、声を失ってしまった五歳児。
たかが十八歳の伯爵令嬢である私に、命令ではなく丁寧に頭を下げて涙まで浮かべて頼んでくれる美貌の王妃様。
しかもお金に糸目はつけないときた。録音の魔道具だって自作のではなく、王家所有のものを使わせてもらえる。
これはもう協力するしかないではないか。
私はエヴァンが亡くなってから次の婚約も突っぱねて、ひたすら引きこもって魔道具をいじったり、急に出かけては声のサンプルを取りに行ったりという奇行をする令嬢だ。両親の甘さに付け込んではいたが、王妃様の役に立ったとなれば両親も安心するだろう。
そうやって打算もありつつ協力したのが──意外に最近だった、二カ月前までだ。引きこもっていると日付の感覚がなくなる。
アリスター殿下の声を再現した魔道具は完成したのだが、エヴァンのはまだ製作途中でできていない。
乗り心地のいい馬車に乗せられて二カ月ぶりの城に到着すると、以前も入ったことがある第三王子の部屋に通される。
五歳児の部屋なので、大人の部屋とは違う。
背の低いテーブルにイス、ぬいぐるみや絵本、遊具に小さな服と靴。
アリスター殿下が好きだと言い張るので、この部屋にだけ張られている赤い壁紙。目がちかちかする。
そして相変わらず、アリスター殿下はいい感じの石を集めるのがお好きなようだ。
テーブルの上には、綺麗な色だったり丸っこかったりする石が数個置かれている。
良かった。
私もここに到着するまでに、騎士たちの驚愕と冷たい視線をものともせずにいい感じの石と枝を拾ってきたのだ。
部屋の奥にいた子供がパタパタと走ってきて、私に勢いよく抱き着く。
「アリスター殿下。お元気でしたか?」
彼は私に抱き着いたまま見上げてきて、嬉しそうに笑いながらコクコクと頷く。
アリスター殿下の銀髪に紫の目は神秘的だ。特に、紫の目は子供特有できらきらと光り輝いている。全身で私に会えて嬉しいと言ってくれているのだ。
羨ましい。私の目の光が失われたのはいつからだろう。
というか、癒される。先ほどの金髪騎士の嫌な対応を忘れそうなくらい癒される。
「こちらを殿下に」
私はうやうやしく、いい感じの木の枝を捧げる。
殿下は気に入ったのか片手で受け取って撫でる。続けてポケットに忍ばせた石も取り出した。これも気に入ってもらえたようで、頷いて受け取ってもらえた。
五歳児への賄賂は、いい感じの石と枝。
「いかがでしょうか?」
殿下は、はにかむように笑って頷く。可愛い。
しかし、私が作った魔道具を彼は取り出さない。携帯している様子もない。せっかく、彼の好きな赤の塗装にしたのに。
私は自分の茶色の魔道具を取り出すと、指を滑らせてボタンを押す。
『殿下、お元気そうでなによりです。ところで、私の魔道具は気に入りませんでしたか?』
彼は声が出ないものの、私の言葉を理解はしている。
茶色の魔道具を見て唇をとんがらせると、後ろの侍女をパッと振り返った。
「殿下は魔道具の操作に手間取っていらっしゃって……癇癪を起して叩きつけてしまうこともあり……あ、壊れてはいないのです。城の魔道具係が直してくれています」
殿下付きの侍女であるメアリーさんが、少し申し訳なさそうにしながら前に進み出てくる。ひっつめ髪に眼鏡の四十代くらいの婦人で、ベテランの風格を漂わせている。
この人と面識はもちろんある。殿下が病気になって一番親身になって看病していたのがこのメアリーさんだと聞いている。以前は目の下に酷い隈を作っていたが、今はもうない。
「では、殿下はどのように普段から意思疎通を? 筆談ですか? 筆談や絵で会話できるなら魔道具は無理に使わずとも」
「いえ。殿下は字を書かれるのが病気の前から苦手でいらっしゃいましたので、筆談はしておられません」
なるほど。
書くのも苦手で、病気になって声まで出なくなったとなると……。皆で先回りして察して動いているのか。
殿下はメアリーさんに喋らせて自分は我関せずとばかりに、石や枝をテーブルに並べている。
周りが先々動くのならば、魔道具なんて使わないわけだ。あれを使うには文字も単語もたくさん覚えなければいけないし、操作に慣れるまで時間もかかる。
子供向けに文字盤を可愛く作ったつもりだったが、もっと簡単にしなければいけなかっただろうか。
スピード重視で作ってしまったから、もっと工夫が必要か。
ぬいぐるみに文字盤を埋め込んでみるとか?
ぬいぐるみなら持ち歩いても可愛いし……それで慣れてもらって、年齢を重ねてから箱タイプにしてもらうのもいいかもしれない。
今よりも技術が進めばもっと軽量化できるかもしれないし。それはお城の魔道具係さんたちにお任せするけど。
頭の中で考えが忙しくぐるぐる回る。
ぐいっとドレスを引っ張られる。アリスター殿下が私のドレスの裾を引っ張って何か言いたげにしていた。
うん、これなら察して動くのも分かる。殿下に上目遣いをされると可愛さが加速している。
『どうしました? 殿下?』
私が魔道具に指を滑らせると、殿下はもう一度グイっとドレスを引っ張る。
『殿下? 分かりませんよ?』
殿下は私が察して動かないことにイラつき始めたようで、ドレスを引っ張るのとダンッと床を足で踏む動作まで加わった。
五歳だし、気持ちは分かる。
しかし、これまで私は殿下の側にいたわけではないので、殿下の言いたいことを察することなどできない。まぁ、何となく分かるけれども。
「殿下はルリアーネ様と久しぶりに会えたので遊んで欲しいみたいです」
やっぱりそうだよね。メアリーさんが殿下の行動を通訳してしまう。
殿下はメアリーさんの発言に乗っかるように強く頷いた。
『メアリーさん、ありがとうございます。でも、殿下が本当にそう思っていらっしゃるか私には分かりませんので』
「でも、殿下は頷いていらっしゃいますよ」
私は魔道具にしつこく指を滑らせた。
察して動く人間がいつもそばにいてくれるとは限らない。
殿下はとても可愛いし、察して動いてあげたい気持ちがよく分かる。病は殿下のせいじゃない。それに声を失ったことも不憫だが殿下の責任ではない。
でも、殿下の人生はきっとこれから長く続く。エヴァンと違って。
今はこれでいいかもしれないが、このままだと将来絶対に苦労する。
今日は公務でいらっしゃらないが、王妃様もそう考えて私を殿下の話し相手として呼んだのだろう。
殿下は両手で私のドレスを引っ張って、今度は扉の方に連れて行こうとする。
『殿下、私は殿下が何をしたいのか知りたいんです。分かるように紙に書いてもらえませんか?』
「ルリアーネ様、殿下は」
『私は殿下から聞きたいんです。それにそんなに引っ張られたら痛いです、殿下』
メアリーさんの通訳を魔道具で遮る。
殿下はぐいぐい私のドレスを引っ張り続けていたが、私が思うように動かないのでまた足をダンダンと踏み鳴らす。
「あの、ルリアーネ様」
殿下の様子を危惧したメアリーさんの弱った声を聞きながら、この人の声もあとでサンプルとしてもらおうかなと考える。
殿下はしばらくの間、私のドレスや手を引っ張り不満げな顔を見せ、足で床を踏み鳴らしていた。私が微笑んだまま動かないのを見ると、今度は床に転がってじたばたと暴れる。
銀髪の王子が海老反りをしているのだ。これはこれで大変見ごたえがある。
私が動じないでいると、殿下は最後にポロポロと涙をこぼした。
うん、五歳児は床を踏み鳴らしても、海老反りしても、鼻水垂らして泣き落としにかかっても可愛いわね。
メアリーさんはすぐに殿下に駆け寄ってハンカチを取り出すが、殿下は手で払いのけてしまう。
綺麗な五歳児の涙にも私が微笑んで特段の反応を見せないでいると、殿下は足を踏み鳴らしてから走って部屋を出て行ってしまった。
金髪騎士がすぐに殿下の後を追った。
あ、まだいたんだ。あの金髪騎士。