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アリスター殿下と遊んで、いや、九割遊んでいるが話し相手という立派な仕事を終えて部屋に戻る時は、必ずライライが送ってくれる。
ライライは最初の印象こそ偉そうな綺麗な男だったが、今では大変マメな男という評価である。
タイミングがたまたま良かっただけの事故のように決まった婚約者の私に対して、本当の婚約者であるかのような扱いだ。
恋愛小説では平気で婚約者をないがしろにする人物が出てくるが、本物の公爵家の令息というのはこのようにきちんと教育されているものなのか。
なんて恐ろしい。
こんなに顔のいい人から優しくされたら、絆される可能性が小指の爪くらいはあるではないか。ただのジェントルマンであるだけなのに。
私は何かもどうでもいいと思って、王命での婚約・結婚にも適当に頷いたのだ。
両親と兄は、引きこもりで永遠の穀潰し予定の私がまさか王妃様の推薦によりデッカー公爵家と縁をつなぐなんて思ってもみなかったのだろう。大いに喜んでいた。これまで迷惑しかかけていなかったが、少しは親孝行できただろうか。
兄なんて「妹よ。ずっとエヴァン、エヴァンって言ってるのかと思ってたぞ。まさかデッカー公爵家の令息と……うんぬんかんぬん」と会った時に言っていた。そして最後に「これで俺も肩の荷が下りた」とも呟いた。
気持ちは分かる。両親の方が兄より普通は先に死ぬから、兄は私の面倒を一生見なければいけないところだった。気が気ではなかっただろう。
これでいいのだ。
家族に心配をかけていたわけだし、その家族が喜んでいるんだし。貴族令嬢としてとりあえず婚約・結婚ということはクリアできそうだ。
これでいいのだ。だって、エヴァンはもういないんだから。
「今度の夜会?」
「王妃様に言われたんだ。婚約の周知のためにも、一度だけは参加しないといけないらしい」
「今って夜会のシーズンですか? もう肌寒いのに?」
「……そこは常識だろう。次の夜会で社交シーズンは終わりだ」
仕事終わりに私を部屋まで送りながら、ライライは私の常識のなさに天井を仰いでいる。
「夜会って出たことないんですよね。一回だけならいいんじゃないでしょうか。アリスター殿下は?」
「五歳児は夜会に出られない。というか、夜会に出たことがないのか? 一度も?」
「私の魔道具関連以外での引きこもり歴を舐めてはいけません。筋金入りです」
残念だ。アリスター殿下と一緒におしゃべりして夜会を乗り切ろうと思ったのに。普通の貴族なら五歳で夜会に出ないけれど、王族特別ルールはないだろうか。
「威張るところじゃないだろ。とりあえず、ドレスはもう間に合わないから……」
「適当なのを着ていきますよ。あ、夜会に出られるようなのは持っていないから買いに行かないといけないかもしれません。すみませんが、ドレスというものはどこに行けば買えますか? ほら、予約してないと追い出されるとか……」
「じゃあ、明後日デッカー公爵家がよく使っているところに行くぞ。休みだろ」
「……あ、王妃様に泣きついたら何とかなりませんかね」
「そこは平気で泣きつくのかよ……」
「たった一度の夜会のためにドレスを作るなんてもったいない。そういうことは本物の貴族の方々にお任せします。それに、一度作ると次もそのサイズでってなし崩しでまた夜会に参加させられそうなので」
「……まぁ、どうせオーダーは間に合わないから……。既製品をまず見たらどうだ。王妃様に借りを作るのも嫌じゃないか?」
「そうですね、分かりました。そうだ、ライライのことは夜会の時になんと呼べばいいでしょう。デッカー様? ライム様?」
「なんで変なとこで切って俺の名前が果物になるんだ」
「うっかり噛んでライミュントって呼ばれるのも嫌でしょう? ライムミントになるかもしれません」
「果物になったり、間違えたりするくらいなら殿下みたいにライライでいい。俺も反応しやすい」
「分かりました。では、今日もお疲れ様でした!」
私に与えられた部屋の前まで到着したので、手を上げてさっと別れる。
部屋に入って扉を閉めると、ややあってから去って行く足音が聞こえた。
扉に背を預けて、息を殺して足音が聞こえなくなるまで待つ。足音が完全に聞こえなくなると、ふぅと息を吐いて行儀は悪いが床に座り込んだ。
とくとくと心臓の音が聞こえて嫌になる。
ライライは最初の印象がマイナスすぎたせいか、今はどんな行動を取られても大して失望しない。むしろ、会話をしているとすぐに応答が返ってくるので楽しいとまで思ってしまう。
五歳児の殿下と魔道具で会話しすぎた弊害だろうか。でも、殿下は殿下で可愛い。
結婚までは優しくして、結婚したらもう王命は果たしたと女遊びをし始めるかもしれないし、冷遇を始めるかもしれない。
それならそれでいい。でも、もしそうする予定なら早めに言ってほしい。
上げておいて落とされるとキツイ。
それにしても、私はこのまま結婚してしまうのだろうか。
エヴァンの声も再現して、もう何の生きる目的もないのに。次は優雅でダラダラした奥様ライフでも送るのだろうか。
私、今は何のために生きてるんだろう。
エヴァンの声を再現したいと突っ走っている時は、将来のことなど考えなかった。
ねぇ、エヴァン。
いつも、私に逃げ場所をくれてありがとう。
あなたがいない世界は、目の前のことをこなしていくだけでも、こんなにも怖い。
「疲れました……」
「買い物に付き合った男の方が疲れるだろ」
「でもライライは疲れてないじゃないですか」
二日後に公爵家がよくお使いになるという仕立て屋に行く前に、デッカー公爵邸に挨拶に寄った。婚約が調う際に両家の顔合わせもあったが、王妃様の手前誰も「反対!」なんて言えないだろう。私の家族は手放しで喜んでいたけれども。
王妃様のいらっしゃらないところで会っても、ローテーブルをひっくり返されることも、紅茶をかけられることもなく、公爵夫人に「あら、やっとデート?」なんて笑われながら普通に送り出されてしまった。あれは高位貴族のジョークか嫌味だろうか……理解不能だ。
その後は仕立て屋に行ってさらに疲れた。
既製品を見るだけなのにあんなにあるなんて。ドレスだけかと思ったら靴や装飾品も揃えなければならない。しかも、靴なんて幅が細くて踵が高くて凶器ばっかりだ。
現在は、仕立て屋で何とかドレス等を決めて疲れ果ててカフェに入ったところだ。
「俺は母親で慣れてるから。あの人、店に行っていろいろ見るのが好きなんだよ。騎士になる前は散々連れていかれた。それでここで休憩して帰るのが定番だったな」
公爵家の令息は女性のお買い物がどんなに長くても文句を言わないらしい。
今回あまりのドレスの量に辟易している私を見て、ライライがほとんど決めてくれたのだ。私は参加してもないのに夜会なんて二度と御免だの気分である。
私は深く深く息を吐きながら、果物の香りのする紅茶を飲んでケーキをつつく。
そんな私の様子を眺めてライライは笑っている。
「疲れすぎだろ」
「慣れないことは疲れます」
「アリスター殿下とあれだけカブトムシを探しても疲れてなかったのにな。俺の場合だと、魔道具の設計図を次から次へと見せられた気分なんだろうな」
ライライは一切疲労の色を見せずに優雅に紅茶を飲む。
「カブトムシは人間のロマンですよ」
ロマンを探して疲れるはずがないではないか。そこに木があれば登る前にカブトムシを探すべきだ。
ライライはぶふっと吹き出しかけた。
私はライライが吹き出しかけたことよりも、彼の後ろをカフェの給仕が青い顔で足早に通ったことが気になった。
このカフェは内装から判断して明らかに富裕層向けだ。給仕といえども足早にせかせか通り過ぎる姿は目立ったのだ。
私は目を細めながらライライの後ろを観察した。
給仕の次は、制服が違うおそらく責任者らしき立場の人が通り過ぎていく。こちらはせかせかしていないが、表情に焦りが浮かんでいた。
私は思わず身を乗り出して、植物や衝立で陰になって見えづらい周囲を見回す。
「どうかしたのか?」
「何かこのカフェで問題が起きたみたいです」
ライライも私に倣って周囲がよく見えるように体を動かした。
こういう場面で「気のせいだろ」とか開口一番否定してこないこの人は、なかなかノリがいい。
少し離れたテーブルの上に黒い大きめな紙の袋が置かれている。その袋を前に給仕とおそらく責任者が話し合っていた。
「忘れ物でしょうか?」
「貴重品なのかもしれない」
「現金とか? 金貨がいっぱい入っていたら焦りますね」
二人でコソコソ言っていると、責任者が申し訳なさそうにこちらにやって来た。
「デッカー様。申し訳ございません。本日、水漏れが見つかりまして。これから至急修理を手配する関係で大変申し訳ないのですが……もちろん本日のお代はいただきません」
ライライが了承すると、責任者や給仕は次々に他のテーブルの客たちにも声をかけて退店を促している。
「水漏れなら仕方ない。帰るか」
「見たことのある魔道具なら私が直せるかもしれません。ちょっと言うだけ言ってみます」
責任者は忙しそうなので、忘れ物らしい大きめな袋が置かれたテーブルの近くにいる給仕に声をかけた。
「あの、水漏れはもしかしたら私が応急処置くらいならできるかもしれません。酷いようでしたらまず見せていただいても?」
「あ、えっと、いえ、大丈夫です。すぐに修理が手配できるので本日は申し訳ありませんが……」
従業員の中でも若い給仕は青い顔のまま首を横に振った。なぜか彼の手まで震えている。
若いからハプニングに弱いのだろうか。
差し出がましいことを言ってしまったと思いながら、ライライのところに戻ろうとするとカチカチという硬質な音を耳が拾った。
魔道具作りではよく出る音だが、ここまで響くのも珍しい。
なんとなくその音に誘われて、音の出どころらしき大きな紙袋の中をのぞいた。
「あ、お客様!」
若い給仕が止めようとしたが、私は見てしまった。
袋には大きな箱が入っていた。
そして箱の上には時計が置かれており「針がウサギの絵の位置にきたら爆発する」と書かれていた。
現在、針はウサギの隣の隣に描かれたネコの絵の位置にあった。
私は思わず、若い給仕を見た。彼は真っ青な顔で首を横に振る。
どう見ても爆発を引き起こす魔道具だった。
カフェからは続々と客が退店しており、責任者は申し訳なさそうに謝って見送っている。彼もこの魔道具を見たはずなのに表情には微塵も焦りを出していない。
残っているのは私とライライ、そして従業員たちだけだった。
私は迷わず、紙袋を破いて中の魔道具を露出させた。




