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『好きだよ ルリアーネ』
そう、こんな声だった。
十歳のエヴァンの、苦しんでいない時の声は。
私に八つ当たりをするやや甲高い叫ぶような声でも、熱に苦しんで掠れた声でも、亡くなる前の弱弱しい声でもない。
城から借りている録音の魔道具ではなく、自作の録音の魔道具に再現できた声を録音して二度と喪わないようにする。
殿下の部屋を辞してその夜にエヴァンの声は完全に再現できた。
そこから私はずっと、エヴァンの声を再生しては聞いてを繰り返している。
ねぇ、おかしくない?
エヴァンの声さえ再現できたら、エヴァンの声でもう一度『好きだよ ルリアーネ』と言ってもらえたら、私の心のどこかに空いた穴が埋まるんだと思ってた。
感動はした。鏡で見たら口角も上がっていて私は間違いなく笑っているはず。
でも、心のどこかの穴は場所さえ分からないし埋まらない。
別の言葉を声の魔道具に打ち込んでみる。魔道具からいくらエヴァンの声を流しても、最初の感動がただひたすら薄れていくだけに感じた。
『ルリアーネ 俺のカブトムシの方がでかいだろ? 俺の勝ち』
『ルリアーネの髪は綺麗だよな』
「エヴァンはカブトムシのことは言っても、殿下みたいに髪の毛のことは言わないか」
私の中のエヴァンは十歳で止まったまま。でも、私はもう十八歳になってしまった。何の特筆すべき点もない、つまんない十八歳に。
「夢にでもエヴァンが出てきてくれたらいいのにね」
意外にも、どれほど強く願ってもエヴァンが夢に出てきてくれたことは一度もない。さっさと出て来て喋ってくれれば、私は七年も魔道具に費やさなかった。
十八歳のエヴァンはどんな感じに成長していただろう。
病気になる前までは私とどちらが大きいカブトムシを採るか競争し、一緒に庭を走り回り、木にも登り、お菓子をどちらが多く食べるかで喧嘩したエヴァンはカッコいい令息になっていただろうか。
多分なってないだろうなぁ。それか猫かぶりがうまい令息になっていたかも。
『好きだよ ルリアーネ』
もう一度、私が最もエヴァンの声で聞きたかった言葉を流す。
夢に出て来てもくれないということは、エヴァンは私のことを許していないのかもしれない。そうとしか思えない。
婚約を解消しないとぐずった癖に、エヴァンの声を忘れた私を。そして、よりによってあの日に遅れた私を。
エヴァンが亡くなった日、私はいつもの時間よりもエヴァンのところに行くのが遅れた。
もうその頃には、エヴァンからは死の香りがハッキリと漂っていた。どんな香りかと問われたら説明しづらいが、一緒にいると疲れを感じるくらいには死の気配がしていた。
エヴァンはもう私に八つ当たりはしなかった。そんな元気もなく、私が部屋に入ると力を振り絞るように弱弱しく微笑むだけだった。
その日は、なんとなく気が向いただけだった。
いや、言い訳だ。正確に言えば花を摘みに行く気が向いて、エヴァンのところに行く気が向かないだけだった。
エヴァンが喜ぶだろうと幸運の四葉のクローバーを探して、やっと見つけて摘み取って気分が高揚したまま走って彼の元に向かった。
エヴァンの家の使用人たちは暗かったが、それは病を得てからはいつものことだった。
私はいつものように案内を追い越してエヴァンのところに向かい、もうこの世界にいない彼に対面したのだ。
床に落としてしまった四葉のクローバーは誰かが拾っただろうか。
いつも私が行く時間に訪ねていれば、エヴァンは生きていた。エヴァンにちゃんと挨拶できた。でも、私がよりによってその日に四葉のクローバーなんて探しに行ったから。私は間に合わなかった。
きっとエヴァンは分かっていたのだ。私が彼にあんまり会いたくなくなっていることを。だから私を待たずにさっさと行ってしまったのだ。
彼の声を再現して許してほしかった。
『別にお前のことなんて待ってねぇし。自意識過剰なんだよ』
『ルリアーネ ありがとう』
とでも言わせたかったかもしれない。
声の魔道具をいい加減にいじるのをやめる。
ずっと座りっぱなしだったイスから立ち上がると、途端にお腹がクゥと鳴った。
何にもしていなくても空腹になるものだ。
外の景色を確認すると夕焼け空だった。
私、朝ごはん食べたっけ? 昼ごはんは? というか今日って何日? 仕事ってあったっけ? カトリーヌさんが来たのっていつ? 今日? 昨日?
ぼんやりしつつ窓に近づく。
ぼーっと眺めていると、陽が地平線にだんだんと姿を隠していって部屋が真っ暗になった。
どうか、許してほしい。
婚約解消もせずに図々しく何度も会いに行きながら、最後の方は弱るエヴァンを見たくなくて会いにいきたくなかっただなんて。
言い訳して、まるでエヴァンのためとでもいうように四葉のクローバーを探して、あったことに安堵して会いに行った。
なんて嫌な女だろう。
途中で嫌になるくらいなら、さっさと婚約解消していれば良かったのに。
エヴァンの両親は私を責めなかった。むしろ、感謝された。
その感謝がむしろ私を追い詰めた。
「おい!」
部屋に一人でいたはずなのに、ぐいっと肩を引っ張られて簡単によろめいた。
「へ?」
「生きてるか? 生きてるな。大丈夫のようです」
暗い部屋に明かりが急について、眩しすぎて目を細める。
「お前、風呂入れよ。臭うぞ」
「あぁ、うん。忘れてました」
「忘れてたって……もう五日だぞ」
「五日? 何が五日ですか?」
「アリスター殿下のところから早退して五日だ!」
部屋に急に入ってきたのは、ライライとカトリーヌさんだった。
私の肩を引っ張ったのがライライである。そんな彼は少し臭そうに手でパタパタと扇いでいる。
「あれ、私、扉にカギかけて……」
「まったく……何回ノックして呼びかけても返事がないから、死んでるのかと思って蹴破った」
綺麗な顔だけれどもきちんとこの辺りは騎士なのか。
カトリーヌさんは私を確認すると安心したようで、扉を直すためにガチャガチャいじっている。さすが魔道具係だ。設計図さえくれたら私も直すけど。
というか、カトリーヌさんがいるなら蹴破る必要ないよね?
「あと、今日お前食事摂ってないだろ。朝・昼が外のワゴンにそのままだ」
「あぁ、それも忘れてました。でも昨日まで食べていたなら大丈夫でしょう。一日抜いたところで命に全く影響ないですから」
三食付きなので、食堂に食べに行ってもいいし、特別扱いとして部屋に運んでもらえる待遇になっていた。
食べる時間がもったいないし、食堂にまで行く時間ももったいないので、私は迷わず部屋で食事をすることを選択したのだ。
王宮使用人は困っただろう。朝食を下げてしまっていいのか分からなかっただろうから。
カトリーヌさんが扉を直して部屋に夕食の載ったワゴンを運び込んでくれる。
中身がトマトソースパスタだったから思わず笑った。
ライライの白い騎士服を見る。
この騎士服にこのソースがついたらその汚れは落ちるのだろうか。
私の不穏な視線を感じ取ったのか、先ほどまで臭うと文句をいいながらも側に立っていたライライはパッと離れた。
「ルリアーネさん、完成したの?」
カトリーヌさんは、机の上に何も散乱していない状態であるのを見て勘づいたらしく聞いてくる。
私は研究中にあちこち色んなものを広げて散らかすが、終わると片付けるのだ。
私の研究の進み具合は机の上を見れば分かる。
「しました」
「どう? 追い求めていたものができた心境は」
「なんか……もうどうでもいいかなって思いました」
私はエヴァンの声を追い求めて完成させたのだ。
十分、それで十分。
商品化や悪用されるとか、そんなことは本当にどうでもいい。この国の未来も、魔道具の未来も全部どうでも良かった。
だって、エヴァンはきっと私を許してくれない。




