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「ルリアーネは自室に篭りっぱなしか」
室長シモンは、様子見から戻って来た部下であるカトリーヌに声をかける。
「えぇ、ですが食事はきちんと摂っておられます。空の食器が部屋の外に出されていました」
「本当に生きとるんか?」
「ノックしたら彼女の声で返事はありましたよ。明日も引き篭もると宣言されました」
二日前から、ルリアーネは第三王子の話し相手の仕事を休んで部屋に引き篭もっている。これまでになかった行動だ。
第三王子の護衛騎士たちによると、殿下に髪の毛がサラサラじゃないと言われてから様子がおかしくなったそうだ。五歳児は素直過ぎるとは思うが、相手はあのルリアーネである。
女性の命ともいえる髪の毛がサラサラじゃないと五歳児に言われただけで、拗ねて仕事を休むような繊細さなど持ち合わせていないはずだ。
彼女が没頭して気にするのは、亡くなった婚約者の声の再現のみだ。
「カトリーヌ、それは本当に生きておったと言えるのか?」
「私も熱中するとあのような感じになりますから。まだ篭って二日なのでドアは無理矢理開けませんでした。二日食べなくても死にませんからね、彼女の場合はしっかり食べておられて結構なことです。食べないと頭の働きが悪くなります。それに、研究のいいところで邪魔されたら怒りを買います」
「ルリアーネが殺されておって、中から誰かが声の魔道具を使って返事をしたという可能性も……」
「室長、なぜ急に犯罪臭を入れてくるんですか。それなら声の魔道具を使わずともルリアーネさんの声を録音しておけばできることです……あぁ、でも、そういう使い方もできますね。アリバイ工作というか……偽装工作というか……声だけではその場にいた証明にはならないけれども、魔道具から発したものだと証明もできない……容疑者が増えます」
「お前さんもしっかり考えとるじゃないか……」
「思いの外、声の魔道具にはさまざまな可能性があるなと思いまして」
カトリーヌはシモンの斜め前に位置する自身のデスクに座ると、事務仕事の時だけつけるメガネをかけて、つるの部分をいじる。
「正でも負でもどちらの方向性でも」
「じゃから心配しとるんじゃ。ほら、この設計図を見ろ。緊急音が出る機能付きの声の魔道具じゃ」
「これはまた……この部分に綺麗に入れ込んだのですか。他の回路に干渉しないので壊れることなく作動しますね。素晴らしい。しかもこのサイズでこの音量まで出せるのですか」
「王妃様は声の魔道具の緊急音だけじゃ不安だからと、殿下の他の持ち物にもその機能を入れられないかとのことだ」
「殿下が誘拐されて、声の魔道具を取り上げられたら終わりですからね」
「で、他の玩具に入れる用の設計図がこれじゃ。最初はブローチに入れようとしとったが無理だそうだから服に縫い付けるタイプもルリアーネは考えておる」
ルリアーネが急いで雑にではあるが描いた設計図を、シモンがカトリーヌに手渡す。
カトリーヌはメガネの位置を調節しつつ、設計図を見て感嘆の声を漏らした。
「天才ですね。自身が開発したとはいえ、既存の魔道具に新たな機能を入れるのも、魔道具ではないものに機能を付与するのも並大抵のことではありません。まぁ、王妃様は魔道具に疎いので好き勝手仰いますが……あ、失礼。悪口ではありません。ただまぁ、素人にあれもしろこれもしろと言われてすぐできるほど魔道具は簡単ではないので」
「お前さん、婚家から追い出される時もそんなこと言ったんじゃあるまいの? おおむね同意じゃが王妃様の前で言うなよ。まぁ、それで困ったことになっておる」
「ルリアーネさんが魔道具係に就職してくれないことですか?」
「それもじゃが、事態はもっと大ごとになった」
カトリーヌは設計図から顔を上げる。
もったいぶっていないでさっさと言えよと、彼女の眉間の皺が物語っている。
「ルリアーネに婚約打診が来ておるらしい。お前さんもよく知るムーア侯爵家から」
「……それは私の元嫁ぎ先ですが……現当主は亡くなった私の夫の従兄で、お子様はまだ十歳ほどだったかと……ルリアーネさんと八歳差は少し離れすぎているのでは」
追い出された婚家の名前が出て、カトリーヌの眉間の皺はさらに深く刻まれる。
「子供じゃない。ムーア侯爵の第二夫人としての打診じゃ。間違いなく、ルリアーネの魔道具作りの才能目当てじゃろう。あそこの夫人は臥せりがちじゃから、第二夫人が特例として認められる。よう考えとるわい」
「現当主は四十手前ですよ? 夫の従兄にはなかなか子供ができませんでしたから……あんまりです。それに私が追い出されてからは散財が激しく財政も傾いているはずです」
「じゃからこそ、ルリアーネの開発する魔道具のライセンス料目当てでもあるんじゃろ」
「なんて悪趣味な……しかし、バイロン伯爵家では断りにくいのではないですか? 介入されるのですか? まさか、第三王子殿下とルリアーネさんを婚約とか? 王族が相手なら迂闊に手出しできないでしょう」
「さすがに十二歳差は……一昔前ならよくあったんじゃが、今はうるさいじゃろうて」
この国は基本は一夫一婦制だが、病などの理由で仕事が行えない場合は第二夫人も特例として認められるのだ。特に王族と貴族の場合である。
「王妃様は、もうルリアーネの婚約者を王命で決めてしまわなければいけないのではないかと。ムーア侯爵家に続く家がないとも限らん」
「城での保護がむしろウワサを呼びましたかね」
「あぁ、そうじゃがこの才能じゃからな……儂もここまでとは予想しとらんで誤算じゃった。このままでは、ルリアーネはさまざまな魔道具を作り出す。そしてそれは悪用されかねん。魔道具作りが盛んな帝国に留学に出すか、王命で婚約者を決めてそのまま生きるか……」
「魔道具係に就職して城での保護を続けながら生涯独身ではいけないのですか?」
それはシモンも考えたことだった。
ルリアーネは婚約者を十歳の頃に亡くして、魔道具の道に進んだのだ。無理矢理誰かと結婚させてうまくいくはずがない。相手の男に愛人がいて、契約結婚でもルリアーネは魔道具研究さえできれば気にしないのかもしれないが、一歩間違えば魔道具でその家を吹き飛ばすことも可能だ。
「ルリアーネは声の再現にしか興味がない。それに、あの子はやろうと思えば……城中の魔道具に細工ができるじゃろうな。儂とお前さんの目をかいくぐって」
ルリアーネがそれをやるという確証はない。
やる可能性は限りなく低いが、能力的にはできるのだ。そんな人物を城中の魔道具を触れる役職につけてしまうという危険性。大広間のシャンデリアに爆発の装置だってルリアーネは組み込めるのだ、やろうと思えば、あるいは脅されるなどすれば。
「……悔しいですが、否定できません。私では、既存の魔道具に何か埋め込むのは一苦労ですから」
「じゃから金持ちで爵位のある、さらに言えば理解のある男を後ろ盾にして適当に結婚してずっと魔道具の研究をしとる方がいいんじゃないかと……儂は思うんじゃがな」
「残っていますか、そんな人。婚約解消してまでくっつけたらルリアーネさんは許さないでしょう」
「手近で一人知っとる。誰か他におれば王妃様に進言するから教えてくれ」
大切な人の死が、ルリアーネを魔道具の道に進ませた。そしてシモンさえも驚くような才を生み出しかけている。
しかし皮肉にも、開花した能力故に、ルリアーネは婚姻という手段で縛られようとしているのだ。




