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「ルリアーネ・バイロン。今すぐ城まで我々と来てもらおう」
先触れなどなかった。
バイロン伯爵邸の私の部屋にノックだけはして入ってきた、長い金髪をなびかせた騎士がやや上擦った声でそう告げる。
彼の左斜め後ろには後輩騎士らしき若い男性。そして右斜め後ろに心配そうな私の母を配置している。
あんなに長い金髪で仕事の邪魔にならないのだろうかと聞きたいが、初対面なのでやめておく。
私は扉の前の騎士たちを一瞥すると、気にせずに作業を続ける。
『好きだよ ルリアーネ』
違う、こんな声じゃない。
彼の声はもっと──どうだったのだろうか。優しい? 高い? 低い? 落ち着いている?
目を瞑って何度やっても思い出せない。
机に向かう私と動揺している侍女しかいない部屋に、突然響いたやや幼い男の子の声。
声を発した覚えのない騎士たちは表情は険しいものの、きょろきょろと部屋を見回す。
「騎士団の方は、初対面の女性の部屋を物色する素敵なご趣味がおありですか?」
私がそう告げると、バツが悪そうに部屋を見回すのをやめる。
白い制服から判断するに彼らは花形と言われる近衛騎士だ。主に高位貴族の令息たちで構成され、王族の護衛がメインである。
本当に現場に出ているのか疑いたくなるような、どこにも汚れがない輝く白さ。彼らの仕事って実は突っ立っているだけなんじゃないだろうか。
私なら、あれを着たままトマトソースパスタは怖くて絶対に食べられない。彼らはランチに何を食べてからここにやって来たのだろう。まさか、食事の時に全部脱いで食べてる? いちいち着替えているとか? どうでもいいか、そんなこと。とにかく、白は汚れやすい。
私は作業を邪魔された腹いせにつまみをいじって声を低めに調節して、音声をまた流す。
『好きだよ ルリアーネ』
またも騎士たちは驚いている。先ほど言葉を発した先頭の騎士の声が部屋のどこかから聞こえたからである。
本人は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「私は知らぬうちに罪でも犯したのですか?」
近衛騎士がわざわざ私を迎えに来るなんて、一体何事だろうか。
城の誰かが私に用があるとすれば、王妃様だろうが……なぜわざわざ近衛騎士が物々しく迎えに来るの? 以前は文官のダンディな渋い声のおじ様が丁寧に迎えに来てくれたのに。あのおじ様、カッコよかった。
「いや、違う。ただ、あなたの開発した声に関する魔道具は新しい犯罪を生み出す可能性があるとされたため、あなたを急遽城で保護することにした。これは国王陛下の決定である」
『もったいぶらずに最初からそう言えばいいのに。いきなりついてこいと言われてついていくのは愚かよ』
私は目の前の茶色い箱に再び指を滑らせてボタンをペシペシといくつも押し、やがてそんな音声が流れた。またも先頭に立つ騎士の声で。
「その技術だ。あなたの開発したその声の魔道具を悪用すれば、王族の声でも再現が可能。録音の魔道具と一緒に使うことで、発言していないことでも発言したことになってしまう」
『左様ですね』
「わざわざ魔道具を使って、俺の声で会話をするのをやめてくれないか」
『あなたの声は音が取りやすかったのです』
私の目の前にある、小さな本くらいのサイズの箱が魔道具だ。私が開発した。名前はまだつけていない。
箱の蓋を開けると文字が書いてあるボタンがびっしり並んでいる。
もっと派手な色にしても良かったのだが、彼の好きだった落ち着いた茶色にした。汚れやすい白は論外だ。
そうそう、私の色彩センスは彼に言わせるとイマイチらしい。
でも、黄色のドレスにブルーのリボンって人生で一度くらいは合わせてみたくなるじゃない。合わせて着てみて、似合わないって初めて気づくのよ。
すっごい美人ならその色でも似合うかもしれないし、靴もブルーにしたら似合うかもしれないじゃない。
白く輝く騎士二人と、心配そうな母と侍女を置き去りに私は回想に浸りかける。
魔道具なんて作る性質じゃなかったのに。
バイロン伯爵家の令嬢ではあるが、お転婆で外で走り回る方が好きな子だった。そんな私に魔道具を開発させたのは紛れもなく彼だ。
このファランド王国では、現在魔道具の開発が盛んだ。
魔道具の開発者・技術者は大体男性なので、私のように女性、さらには貴族の令嬢が携わるのはとても珍しい。
貴族たちは少し前まで魔法が使えたのだが、度重なる近親婚のせいか、魔力はあるが魔法は使えないという人口が増えてきたのだ。そのため、魔法の代わりに盛んになってきたのが魔道具開発である。少し前といっても百年ほど前の話ね。
「あなたの魔道具があれば、裁判の結果をひっくり返すこともできてしまう。しかし、あなたの技術が王妃殿下と第三王子殿下を救ったことも事実。そのため、あなたの技術とあなた自身を城で保護することになった。その魔道具に関するすべての資料および物品はここから城に運ばれる」
金髪騎士が、私の浸る回想の膜を破るように話してくる。
この人、短い文章しか喋らないのかと思ったらこんなに長く喋るのね。
『保護よりも幽閉に近いみたい』
金髪の近衛騎士は不機嫌そうに息を吐いた。
さすが、高位貴族のご令息様は人を思うように動かすのに慣れていらっしゃる。私が思うように動かないから苛々しているのだろう。心の声を当てるならばきっと「さっさとしろ」だ。
「あなたの技術を狙う者たちに誘拐されて殺されるかもしれないのと、城で安全に保護。どちらがいいだろうか」
『最初のあなたの偉そうな態度が嫌だっただけ。ちゃんと分かっているわ』
というかそれ、ほとんど脅迫じゃない?
「あなたは口がきけるだろう。なぜ、その魔道具を通していちいち返事をする」
金髪騎士はさらに苛立った様子だ。
短気な男はモテないと思うんだけど、爵位と金があるならモテるのかしら。
『嫌いな人とは誰だって会話をしたくないでしょう。たとえば、最初から偉そうに命令してくる人とか。自分の口で言いたくないのよ。それにほら、この魔道具を通すとワンクッションおいて冷静になれるじゃない。苛立っている時は丁度いいのよ、入力している間に一旦冷静になって相手を殴らなくて済むから』
「それにしては、あなたの言葉には棘がある」
私はその言葉に反応せずに茶色い箱を閉じると、仕方ないといった動作で時間をかけて立ち上がって扉のところまで行く。
偉そうな金髪騎士はやたらと整った顔立ちをしていた。
「それで、私はどのくらいお城に厄介になるの?」
「……おそらく、長くなるだろう。何者かがあなたを狙っているという情報を騎士団で入手した。その脅威が去るまでは、第三王子殿下の話し相手として城に留まってもらうようになる」
牢に入れられたり、軟禁されたりという心配はなさそうだ。
「アリスター殿下はお元気ですか?」
「お元気だ。だが、あなたの魔道具を使うのに苦戦している。王妃殿下もあなたにぜひ来てほしいとおっしゃっているから、悪いようにはしない」
「あなたって、言葉が圧倒的に足りないって言われない? 最初っからそう言っていれば私も素直について行ったわ」
魔道具の資料の箱を運ぶ途中の後輩騎士は頷いているが、金髪騎士は皮肉げに笑って首をかしげた。
「あなたが必要以上に私を敵視したのでは?」
この人、苦手だ。
魔道具開発で引きこもっていたから、私の対人スキルは地に落ちたのかもしれない。それか、目の前の男が性格が悪いか。
この騎士は金髪に綺麗な青い目だ。
近くで見ると顔がいい、目の保養になりそうなくらい顔がいい。
近衛騎士は顔と爵位が採用基準とも聞くが本当なのだろう。
私は母と侍女に挨拶して、荷物は後で送ってもらうように頼んで騎士たちについて自分の家を出た。
馬車に乗るまでに春の柔らかい日光が降り注ぐ。この前まで寒い寒いと言っていたが、もう春なのか。
それにしても、おかしなことになった。私はただ、彼の声がもう一度聞きたかっただけなのに。
十歳の時に病で亡くなった婚約者エヴァンの声を。
お転婆な私を魔道具作りに走らせたのは、エヴァンだ。
私はこれから結婚もせずに引きこもって、両親と兄の脛を全力でかじって魔道具作りを続けていくとばかり思っていたのに。
どうして近衛騎士に張りつかれて城に向かう羽目になっているのか。
ねぇ、エヴァン。
もう一度、あなたの声が聞きたい。夢に出てきてくれないから魔道具まで作っちゃった。
それでも、私はあなたの声をきちんと思い出せない。