婚約者に捨てられて喜んでいたら復縁をせがまれました
「お姉様、ごめんなさい……キリアン様を愛してしまったミシェルが悪いの……。だからキリアン様を責めないで……」
「ミシェル! 違う、俺が悪いんだ! 君の愛らしさに撃たれてしまった俺が全て悪い……!」
伯爵家の婚約者と、わざとらしく申し訳なさそうな顔をする腹違いの妹が目の前でイチャイチャしている。けれど全く腹は立たない。寧ろ感謝している。
「エリス、すまないが君との婚約は破棄させてほしい。俺はミシェルを愛してしまった」
「ミシェルのためにお姉様と別れるなんて……! そんなのお姉様が可哀想だわっ……!」
「しかしミシェル、俺は君のことを――」
「構いませんわ。どうぞお幸せに」
「「……え?」」
なぜか私の言葉に目を丸くするバカップルは、どうして婚約破棄を素直に受け入れるのか、とでも聞きたげだ。私としては理由は明白だったけれど、今は言わないでおくことにした。
「私はお二人の恋を心の底から応援いたします。ですから、どうかお気になさらないで?」
「あ、あぁ……ありがとう、エリス……?」
「とんでもございません。こちらこそありがとうございます」
「なぜ君が礼を言うんだ?」
「ふふっ、意味はありません」
にこやかに会話を交わして席を立つ瞬間、ミシェルの眉間にシワが寄るのが視界に映る。私の反応が気に入らないらしく、不服そうな視線が背中に突き刺さる。
しかしそんなことはどうでもいい、と私は穏やかに笑ってその場を離れた。足は軽く、無意識に鼻歌が漏れる。
その足で父の元へ向かい、自分の婚約を妹に譲った旨を報告した。父である侯爵は嘲笑するように鼻で笑い、嫌味を言いながらも受け入れる。母が亡くなってすぐに再婚した父に同情してもらえるなど、最初から思ってはいなかったのでダメージは全くない。
私は晴れて自由になった。気分は清々しく、心は澄み渡っている。
そして季節が一つ過ぎた頃、案の定キリアンが私を訪ねてきた。
「エリス! 俺とやり直してくれ!」
「まぁ、どうされたのですか、キリアン様? 貴方には可愛いミシェルがいますでしょう?」
「あんな女はダメだ! 強欲にも程がある!」
庭園でひとり紅茶を楽しむ私に、元婚約者であるキリアンは騒々しく愚痴をこぼした。
「いくら買ってやってもドレスや宝飾品を強請ってくるんだ! 断ったら、俺が侯爵家の姉妹の仲を引き裂いたと世間にバラしてやると遠回しに脅されるし、ろくな女じゃない! 結婚なんかしてしまったら、伯爵家の財産を全て使い果たすに決まってる!」
「あらまぁ。ミシェルったら、相変わらず甘え上手なのね」
「甘え上手なんて可愛らしいものじゃない! あれは悪魔だ! 侯爵家は一体どんな教育をしてきたんだ!」
口にしてから、君は分を弁えていたのにね! と付け足すキリアン。私に気を使う元婚約者があまりにも滑稽で、思わず笑みがこぼれる。
「ミシェルは昔から父に甘やかされていましたから、欲深い面もありますけれど、とてもいい子ですわ。私の近くにいる男性限定ですが」
「……どういう意味だ?」
「あの通り心根が幼く可愛いらしいミシェルは、他人の物が特に美しく映るようで、幼い頃からそれを手に入れることに必死になる節があるのです。姉である私に対しても、そういう面が見られました。お気に入りのドレスや髪飾りはもちろん、友人として仲良くしていた男性も皆、いつの間にかミシェルの隣に立っていました」
「まさか……君の物をなんでも欲しがるミシェルに、俺は騙されたのか……?」
ようやく気がついたキリアンは、クソ!! と悔しそうにティーテーブルを叩く。その拍子に紅茶が私のドレスに飛び散った。静かに睨むが、彼は自分の悲劇に酔いしれ気づかない。
そこで、もう一つ暴露をすることにした。
「いいじゃありませんか。数多の女性と関係を持つ貴方には、あの子はとてもお似合いですよ」
「――えっ?」
知られているはずがないと思っていたのか、キリアンは途端に青い顔をする。
「な、なんのことだ……?」
「とぼけなくても構いません、全て知っていますから」
まだ知らぬフリをしようとするキリアンに、私はハンカチで汚れた箇所を拭きながら告げる。
「貴方、私と婚約していたときから、少なくとも五人の令嬢と関係を持っていましたでしょう? それだけの令嬢と一夜だけでなく何夜も過ごしていたのですから、当然私の耳にも入りますわ」
そう、キリアンは浮気していたのだ。ミシェルと関係を持つずっと前から、数多の令嬢と浮名を流していた。その浮名が婚約者の耳に入らないなどと、様々な噂が飛び交う社交界では到底ありえない。そんなことも想定していなかったのか、とほとほと呆れてしまう。
どんな病気を持つかも分からない浮気者の婚約者といつか婚約破棄するため、私は長く情報を集めていたのだ。しかし、証拠を突き付ける前に、運がいいことにミシェルが一瞬で全てを解決してくれた。こればかりはミシェルに感謝せざるを得ない。
「キリアン様、女の口は軽いのですよ」
そう微笑んでみせると、キリアンは縋るように私の両肩を掴む。
「す、すまない! 君が聡明で美しいから、手を出してしまうのが惜しくて……間違えてしまったんだ!」
「まぁ……失礼ですよ、貴方の愛した令嬢方に」
「違う! 俺が愛しているのは君だけだ!」
自ら捨てた元婚約者にみっともなく弁明するキリアンは、ここが誰の家なのか忘れてしまったようだ。背後に立つ現婚約者の存在に、一切気づかない。
「キリアン様……どういうこと……?」
「ミ、ミシェル!?」
タイミング良く現れたミシェルに、私は「ご機嫌よう」と笑いかける。声が弾んでいることに気づかれたらしく、ミシェルの表情はみるみるうちに歪んでいった。けれど、怒りの矛先はまずキリアンに向かう。
「キリアン様!! 五人の令嬢と浮気ってどういうこと!?」
「し、知らない!! 俺は何も知らない!!」
「いいえ……今はそれより、病気の検査をしたことがあるかだけ教えて!! 早く!!」
「俺は何も知らないんだ!!」
「ちょっと!!」
激しい剣幕で問い詰める婚約者から、必死に逃げ惑うキリアン。広い庭園を何周も走る様は、無様で愉快だ。ミシェルは追いかけながら何度も同じ質問を投げかけ、最後には「お願いだから病気は持ってないと言って……!」と懇願するように告げていた。
お似合いな二人を横目に、私は紅茶を煽る。騒がしい背景音楽を聴きながら一息ついて見上げると、爽やかな青いキャンバスにふんわり白い雲が流れていた。
穏やかな気分で雲を眺め、私はハッキリと呟いた。
「あ〜……幸せだわぁ……」