第二十七話
パーティー用の七分袖の赤いドレスを装い、コートを羽織る。窓の外は澄んだ空気と無風の景色で、柚野真白は漆黒の瞳を憂い気味に伏せた。
肩より下まで真っ直ぐに伸ばした茶髪をアップヘアにして、ゴールドイヤリングとほんのり赤い口紅。
大きいサイズのスマホをブランド名が刺繍されたバッグに入れて、外に出る。
ホワイトソリッドペッパーという塗装が施された三ドアの外車のノブに手を伸ばす。新築の平屋を見上げていると、通知音がバッグから響く。
スマホを取り出してみると一件のメッセージ。
メッセージの内容に目を通しても大した情報ではなかった。真白はスマホをバッグに入れなおす。
運転席を開けようと再び手を伸ばしたのと同時に、別の手が真白を包み込んだ。
「え」
真白は思わず肩を一瞬震わした。恐る恐る横目で隣を覗いてみると、澄んだ茶色の瞳でどこまでも真っ直ぐに見つめてくる蒲原樹がいた。
「も、もうーだからびっくりするじゃない!」
胸を撫で下ろしながらも、すぐに湧き出る戸惑いと苛立ちを混ぜて声に出す。
髪を掻いて頷く樹は、
「パーティー、行くの?」
静かに訊ねる。
「この前言ったでしょ、父の会社のクリスマスパーティーに行くの。うんざりするぐらい退屈で、でも、両親と家族になれる唯一の時間だから、行かなきゃ」
使命感のように答え、真白は運転席のドアを開けた。運転席に乗り込んだところで、樹は真白を見下ろす形となる。
「いつまで繋いでるの?」
首を傾げる真白に、樹は身体を屈めて真白の肩に手を回すと、少し冷えた唇で赤い唇に触れた。
呆然となる真白は数秒ほどの口づけが終わってから、顔を真っ赤にさせた。安堵感と寂しさに潤む漆黒の瞳。どうにか堪えて、俯く。
「困らせないでよ……」
震える喉で呟いた。
「いってらっしゃい」
優しい樹の見送る言葉。動じない彼の年齢が分からなくなる。
「……いってきます」
お互いの指がほどけて、樹は二歩下がり、そっと閉まるドアと彼女の憂いな横顔を眺めた。
エンジンが静かにかかり、真白は横目で一瞬だけ樹を覗いてから、車を走らせる。
薄い空を染め始める紺。雲は少なく、思っていたよりも暖かい空気のなか、樹は倉庫にいた。
バージンベージュに塗装されたスーパーカブに素手で触れる。
所々土埃と飛び石で傷ついている。タンデムシートが装着されたスーパーカブに口角を上げた樹は何度か小さく頷く。
キーを差し込み、ONに捻る。微かな電子音と光ったメーターの表示はすぐに消え、Nだけが緑に点灯したまま。
セルスイッチを押せば、ご機嫌よくエンジンがかかる。
ブルブルと震えるメッキカバーが施されたマフラー。
丸目ヘッドライトは前方を眩しく照らす。
快調なエンジンに満足気な樹の耳に、遠くから響いてくる胸を昂らせる排気音が届く。あぜ道を越えて、グレーイッシュブルーメタリック4という塗装が施されたSR400が蒲原家の前にやってきた。
ブルースモークのフルフェイスヘルメットをかぶった細身の男性が跨っている。
樹は不思議そうに、降りてきた男性を眺めた。
フルフェイスを脱いだ彼は穏やかに微笑む望田貴信。
「やぁ、樹君。こんばんわ」
「……こんばんわ」
貴信は嬉しそうに、スーパーカブに目を向ける。
「君の愛車、素敵だね。とても大切にしてるのがよく分かる音がする。落ち着く存在感、バイクといえばやっぱりカブだ。他のバイクもいいけど、元祖だよね。君が選んだ子?」
樹は首を横に振る。
「父さんの、形見です」
その答えに眉を下げた貴信は目を伏せた。
「そっか、ごめん、軽率に訊いて……」
「いえ、あの、柚野さんなら出掛けてます」
「あぁ違う違う、今日は樹君に用事があってきたんだ」
微笑みを浮かべた貴信。
「クリスマスパーティーの会場まで一緒にツーリングしようと思ってね」
「え……?」
「案内するよ、ほらおじいちゃんに伝えておいで。急がないとお姫様が誰かにとられちゃうかもよ」
樹は茶色の瞳を大きくさせた。
パーティー会場として貸し切ったホテルで、謙遜した態度でイメージを固めていく父親と隣でお淑やかに対応する母親の背中を眺めながら、真白は上品さを意識して微笑む。
大勢の社員とその家族が集まるどこか落ち着きながらも賑やかなクリスマスパーティーを他人事のように見つめた。
真白の友人は様々な産地の赤ワインを飲み比べて、イケメンに声をかけて楽しんでいる。
「……あれ、望田くんはまだ来てないの?」
友人に声をかけると、
「そうみたいー遅れるって連絡入ってたよ。なんかバイクで来るってさ」
赤い顔でニコニコと答えた。
「もう酔ってる……確かにメールはもらったけど。挨拶するから、もし会ったら探してたって伝えてもらっていい?」
「わかったー。真白、素直に考えなよー」
友人なりの励ましに、肩をすくめる。
「ありがとう」
感謝を零して、真白は両親の背中を追いかけた。
「ほら、真白、この前言っていた縁談のご相手だ。挨拶しなさい」
真白の父親は急かすように手招く。両親の前にスーツを着た短髪の好青年という第一印象を与える男性がいた。
「初めまして、柚野真白と申します」
「こちらこそ、初めまして。鷹田圭助です。今回はご招待していただき、ありがとうございます。生憎わたくしの両親は海外にいまして、ご挨拶できずに申し訳ありません」
「いえいえお忙しいなか来ていただいて、感謝しているのは我々の方です。真白、しばらく鷹田さんと交流してきなさい」
「はい……是非」
真白を置いて去っていく両親との僅かな時間を惜しむように目を細くさせた。
圭助は、口元を隠すように拳を添え、
「あの、柚野さん、少し二人で話せる場所に行きませんか? ここだと周りの目もありますので」
真白に提案する。
「はい、分かりました」
大人しく真白は会場から離れて、一階の大きな窓がある応接間へ。ホテルの従業員に許可をもらった圭助はソファに腰掛けた。
真白は頭を下げて、失礼します、と呟いてテーブルを挟んでソファに座る。
優しく落ち着いた眼差しで圭助は、真白を見つめた。
真白はただ圭助からの言葉を待つ。
「柚野さんはもしかして、誰かとお付き合い、されてますか?」
単刀直入だった。あまりにも直接過ぎて、真白は喉を詰まらせてしまう。
「オレ、町の水族館の運営を任されていまして、たまたま柚野さんをお見掛けしたんです。隣に、多分年下ですか、男の子が、しかも手を握っていたので……」
震える喉を隠すように呼吸をして、真白は笑顔で、
「……いえ、近所の子とちょっと遊びに」
答えた。
圭助は真っ暗な窓の外に顔を向ける。怒りではない落ち着いた表情のまま。
「もちろんオレはできるなら柚野さんとお付き合いして、結婚したいと思っています。でもそれは、柚野さんが心からそう望んでいるのが前提です。貴女はとても素敵だと思います。上品に装う瞳の奥に隠れた寂しさと儚げな雰囲気。幸せにしたい、オレは心から想っています。ですから、少しでも気がかりなことがあるなら踏み止まった方がいい」
口調も優しく、責めもしない、真白に委ねる。
「……私は、両親が決めた相手と」
真白はそう零しながら、大きな窓に顔を動かした。そこで一瞬にして言葉を奪われてしまう。
大きな窓の外側で、手を振る望田貴信と、年下で澄んだ茶色の瞳を潤ませている蒲原樹がいた。
「えっ?!」
驚いている真白をよそに立ち上がった圭助は、
「いくら寒さがマシでも、外は辛いし中に入ってもらいましょうか」
貴信と樹に窓越しに手招いた。
入口から応接間に通してもらった貴信はニコニコと圭助に挨拶をする。
後ろを大人しくついてきた樹に、真白は戸惑いながら肩に手を添えた。
「なんで、どうして……もしかして望田くんが連れてきたの?」
貴信は笑顔で頷く。
「樹くんもどうして? なんで……困らせるの?」
俯く真白の声は震えてしまう。
肩に添えられた片手を握り、そっと下ろす。
「奪いに、きました。柚野さんは……真白は、俺の大切な人です」
はっきりと、圭助に向かって言い放った。
にこやかな貴信と、思わず怯んだ圭助。
貴信は抱えていた余分な防寒ジャケットを真白の背中に羽織らせ、樹は真白の手をしっかり握りしめて、応接間から連れ去ってしまう。
残された圭助は肩をすくめた。
「貴信が気に入る子は、面白い奴ばかりで驚くなぁ」
「凄くいい子だよ、樹君は。ごめんね、君の恋路の邪魔をしてさ」
圭助は口角を下げて、腕を組んだ。
「本当だよ。こっちは緊張してたのに……昨日のメールで失恋とは、笑い話にもならない」
「まぁまぁ、圭助ならすぐに素敵な人と出会えるよ。なんならワイン飲みあさってる明るくて素敵な子がこの会場にいるから」
そんなことを言いながら、談笑する二人。
スーパーカブに二人。会場を抜け出して、ゆっくりと道路を走る。真白は樹にくっついて腰に、防寒グローブをはめた手を添えた。貴信が事前に渡していたジェットヘルメットをかぶり、真白は流されるまま。
家まで、カブは走る。
快調に、エンジン音をビルと道路の明かりが眩しい街に響かせて、走る。
市街地を抜けて、やがて大きな交差点を左折すると乾いた田んぼが続く信号のない舗道が続く。
真っ暗な道を照らすのは丸目ヘッドライトだけで、遠目にスイッチを入れ替えて、前方を煌々と照らす。
あぜ道に入り、二軒並ぶ平屋、少し左に逸れて、真白の家にカブを停めた。
四速からニュートラルにリターンさせて、サイドスタンドを立ててから真白を降ろす。
樹も降りて、ヘルメットを脱いだ。真白も脱ぎ、アップヘアからほどいた茶髪が揺れながら真っ直ぐに戻る。
「今頃、怒ってるかな」
「関係ないよ。そんなの」
「……そうは言うけど、実際あとで怒られるの。でもなんでか君が来てホッとしちゃったな。まだ一カ月も経ってないのに、変なの」
「変じゃない、日数なんて関係ない、俺は最初から真白のことが……好きになった。最初はこの気持ちが分からなかったけど、おじいちゃんが寂しそうって言ってたから、きっと俺と同じで空っぽなところに惹かれたんだ」
真白は珍しく口数が多い樹に口角を下げてしまう。
「なんか、失礼なこと言われてる気が」
「あ、ごめん、なんて伝えたらいいのかぐちゃぐちゃだから……俺、喋るの苦手。けど何度も、何度も何度も、誰かに引き離されても奪いに行く。真白が嫌だって言っても、一緒にいたい」
徐々に震えていく樹の声に、真白は無邪気に笑った。
「颯爽と現れて、かっこよく私を奪いにきたのに、最後がこれじゃ締まりないじゃない……もー、寒い」
樹は黙って、真白を抱きしめる。冷えた身体を温め合った……――。




