第十七話
早朝、蒲原樹はいつものように倉庫からバージンベージュに塗装されたスーパーカブを外に出した。
薄茶のシートをグローブ越しに触れて頷く。
身体を締め付けて硬直させるような空気に、樹は鼻まで隠れるネックウォーマーを新たにつけた。
「おはよう樹くん」
隣の平屋に顔を向ける前に声をかけられ、目を丸くさせた。
柚野真白は肩から下に真っ直ぐ伸ばした茶髪を揺らし、漆黒の瞳に笑みを浮かべている。
「お、お、おはようございます」
躓きながら静かに挨拶を返す。
「ぐっと冷え込んできたね。明日か明後日ぐらいには雪が降るかも、そのネックウォーマー買ったの?」
「あ、友達に、選んでもらったのを、買いました」
「あぁ、この前の、あの子たちに選んでもらったんだ?」
樹は黙って首を横に振る。
「女の子だったりして」
「あ……女の子だけど、友達、です」
真白は面白がって微笑む。
「へぇーなんか青春って感じだ。いいなぁ、私中高と女子校だったから、羨ましいな……はぁ、いってらっしゃい」
勝手に落ち込んでいく真白は、寂し気に胸元で手を振る。戸惑う樹はそっと頷き、ジェットヘルメットをかぶる。
「行ってきます。柚野さんも、いってらっしゃい」
スーパーカブに跨り、セルスイッチを押してエンジンを始動させた。快調にエンジン音が響くことに安心する樹は、口元を綻ばせる。
「行ってきます」
手を振り返した樹は前を向きなおして、あぜ道から舗道へ走り出した。
昼休憩、樹は自販機で飲み物を選んでいた。
「あ、蒲原君、バイクの後ろいつの間にか変わってたね、もしかして誰か乗せたりするの?」
ポニーテールの平沢絵里は幼さが残る声で樹に声をかけて、隣の自販機に立ち止まる。
樹は首を横に振るが、温かいお茶を選んだ後、ハッと思い出す。
「後ろ、乗ってみる? 乗りたいって前、言ってた」
目を丸くさせた絵里は、困ったように笑みを浮かべて、
「いやいやあれはただの願望だから、大切なバイクなんでしょ。そんな簡単に乗せちゃダメだってば。ご、ごめん、私が軽率に言っちゃったから……」
申し訳なさそうに両手を胸の前で合わせて眉を下げる。
慌てて樹は否定し、祖父の善一が勝手にしたのだと説明した。
ホッと胸を撫で下ろす絵里は温かい蓋つきの缶タイプのココアを選んだ。
「そっかそっか……」
両手で抱きしめて、絵里は俯きながら呟き、樹よりも早く小走りで教室に戻っていく。
「なぁに青春してるんだ、どうしぃー」
ミラーレス一眼レフカメラを構えて、まるで恨み言のように現れた高橋道弘に、樹は驚いてお茶を落としてしまう。
すぐに拾い直した樹は道弘と一緒に廊下を歩く。
「平沢さん、一人でサッカーのマネージャーしてんだから大変だよ。強豪ってわけでもないけど、宮代が入って一気にレベルが上がったらしい。悔しいけどあいつスポーツ万能のイケメンだろ?」
樹は黙って頷く。
「宮代目当てに入った女子もいたけど、あいつホンット冷たい奴でサッカーになると厳しいから辞めたんだって。唯一残ったのが幼馴染の平沢さん。言い返せるのは平沢さんだけ、と……頑張るマネージャーを撮影して、コンテストに応募でもすっかな」
今まで撮影した写真データをカメラの画面で確認しながら、呆れるように道弘は零す。
樹は言葉が見つからず黙って前を向いて歩いた。
「あーそれでも、だ、宮代は良い奴だからな。馬鹿にせず応援してくれる」
「うん、雄大も道弘も、平沢さんもね」
静かに恥ずかしがることなく、樹はただ前を向いて呟く。
カメラから目線を外した道弘は、樹の横顔をジッと見た後、綻ばせる。
「同志、いや樹、お前が一番いい奴だぜ」
樹の背中にポンポン、と叩いて、教室に向かった。