第十話
大きいサイズのスマホから通知音が響いた。膨らんだエコバッグをキッチンに置いて、真白は急いでロックを解除。
父親から、思わず綻ぶ上品を意識していない表情でメッセージに目を通す。
喜びに満ち溢れた無邪気な笑顔は一瞬にして落ちていく。
「なにが小遣いよ……なんにも分かってない」
もう一つ、既読がついているメッセージを睨んだ。
「なんで返信ないのよ」
未だテーブルに置いたままのチューハイの空き缶をジッと眺めた。真白は唸り、思考を巡らせる。どうしようか、そのままの意味なのか、でもな、そんなことを繰り返し考えた。
一呼吸、真白はコートを羽織って家を出る。
最寄りの、大通りの交差点を右折したら見えるコンビニまで車を走らせた。
真白はドリンクコーナーに並ぶお酒の缶から梅酒を選んだ。
他にもハイボール、ビール、ワンカップの日本酒もカゴに入れて購入。黙々と、ただお淑やかに、真白は男性店員の視線など気にせずカード払い。
街灯がほとんどない乾いた田んぼに挟まれた舗道をライトで照らして進み、窪みがあるあぜ道を走って少し左に入れば家に到着する。
小さなリモコンで家の鍵を解除し、最新の液晶画面がついた冷蔵庫にお酒の缶を入れていく。
それからエコバッグに入っている夕食の材料を取り出す。
有名な産地のハイクラス牛ひき肉と牛脂、卵、玉ねぎ、牛乳、パン粉、自然由来の材料を使ったデミグラスソースの小瓶。
まずは手を洗って、まな板と万能包丁を用意してから玉ねぎの皮を剥く。慣れない手つきで包丁を扱い、ゆっくり、ゆっくりと細かく切る。頻繁に目が沁みる。
ざっくり捏ねて、手の平でべちゃつく塊肉の空気を抜く、少し歪な丸みを形成してから真ん中に窪みを作った。
タネを前に、眉を顰めて口角を下げる真白。
「はぁ」
溜息のすぐ、家中に甲高いインターフォンの音が響き渡った。
目を丸くさせた真白は、急いで手を洗いリビングに設置した機器から応答ボタンを押す。
「はい」
『あの……蒲原、樹です』
真白は一瞬表情筋をひくつかせた。首を控えめに振り、
「今開けるね」
玄関に向かう。
扉を開けると、学ランの上から防寒ジャケットを着こむ、短い黒髪に澄み切った茶色の瞳と堅い口元をした樹がいた。
真白の方がまだ樹を見下ろせる背。鼻から漏れる湯気と、赤い頬に、真白は部屋へ招く。
リビングのイスに座らせて、温かい緑茶を出す。
「それで、えーと、どうしたの?」
樹は真っ直ぐに真白を見つめ、黙り込んでいる。真白は待つ。
「……あの、お酒、ただ手伝いたいなって。別に、俺はお酒に興味ないけど、困ってるならと」
送ったはずの返信は、静かな声で返ってきた。
真白は以前の失礼な態度を思い出して、苦い表情を浮かべる。
「この前も言ったでしょ、あんな情けない姿を父に知られたら困るの。悪いけどもう飲まない、つもり」
冷蔵庫に入っている先程購入したお酒の缶が頭にちらつき、自信なく呟いた。
「あ」
樹の口から漏れた、あ、に目を丸くさせた真白だが、樹の顔はキッチンにあるタネに向いている。
「ごめんなさい、夕食を作ってる途中で」
お腹の虫が鳴る音が聴こえ、樹はお腹に手を添えた。頬を寒さではない熱さで赤くして俯く。
フライパンに油を引き、スマホで得た知識通りに窪んだ面を下に向けて中火で焼いていく。
焼き目をつけて、ひっくり返して、水を少し入れる。蓋をしてから弱火に。
それからまたひっくり返し、強火で水分を飛ばす。
焼きあがったハンバーグを平皿に盛り付け、冷蔵庫から取り出すカットサラダも添える。
小瓶に入ったデミグラスソースをかけて完成。
真白は自信なさげに、樹の前に完成したハンバーグを出す。
「いただきます」
樹は静かに、両手を合わせて呟く。
「……」
箸でハンバーグを真ん中から割くと、中心はまだ綺麗なピンク色で、樹は手を止めて数秒考え込む。
「ど、どうしたの?」
「え、あ……いえ」
何か言いたげで、口籠る樹に、真白の眉は大きく下がった。
「気になったことがあったら言って、その、困るでしょ」
樹は目を逸らしながら、黙って平皿の向きを変え、割いたハンバーグの中身を真白に見せる。
「う…………初めて作るんだから仕方ないじゃない。今までお弁当とか、大学の食堂ぐらいだったんだから、うぅ、焼きなおす」
真白は真っ赤な顔で平皿を掴もうとしたが、樹の手が真白の手首を掴んだ。
「レンジで、焼ける」
樹は電子レンジを借りて、ラップで包んだハンバーグを三十秒ほど加熱していく。
真白はテーブルに両腕をついて突っ伏す。
「父の、好物だから作ってみただけ」
目を細くする樹は内側で回っているハンバーグを眺めながら、
「俺も……ハンバーグ、好きです。母さんが作ってくれました」
独り言のように静かに喋る。
電子音が鳴り、電子レンジからハンバーグを取り出して平皿に戻す。箸で改めて割くと、真ん中まで火が通る。
テーブルに置いて、イスに腰掛けた樹。
「また君に、情けない姿見せた。はぁ、こんなんじゃ両親になんて言われるか」
項垂れる真白に樹は首を傾げる。
一口、もそもそと食べ始めた樹は、噛んで喉に通す度に頷く。
「A五等級の牛肉なんだから美味しいわよ、ソースも知り合いのレストランから買ったし」
「……なんで、ここに引っ越したの?」
味のことは何も言わず、樹は素朴な疑問を呟いた。
真白は突っ伏していた上体を起こして、肩を下げて息をつく。
「父の実家が山と田んぼばかりの場所にあって、そこの風景、特に冬は雪が降ると凄く綺麗だったの。後は色々期待を込めて、父の会社が持ってた売れない土地を貰った、感じかな」
頷いた樹はハンバーグを箸で細かく分けて食べる。黙々と、何も言わずに食べるので、真白は軽く樹を睨んだ。
「何か言ってよ」
樹は何かを言えず、漆黒の瞳に睨まれた目はキョロキョロと挙動不審になる。
真白は呆れてしまい、睨むのをやめた……――。