第八話:今の状況でどうこうするってのは、なんだ。違う気がするんだ
飯を食って腹もくちくなったので、ひとしきりイズミと明日からの予定を話してから、就寝することとなった。
明日からも引き続き「ウツセミノジュツ」とやらの訓練をするらしい。今日一日訓練して理解したが、相当高度な技術だ。
俺だって一端の小悪党だ。ウツセミノジュツがどんな技術をベースにして成り立っているのかは理解している。だが求められる練度が違いすぎる。
身体の動かし方。視線の動かし方。そして、その前のブラフ。何もかもが今まで俺が独学でこなしていたことの十数段上をいっている。おまけに厄介なのが、その動き方ってのが説明できねぇってところだ。
イズミは今日一日、言葉での説明はしなかった。「身体で覚えてください」、なんて言葉が蘇る。覚えられるかよ、なんてちょっと思いはしたが、俺がイズミにぶん殴られる合間に、「しょうがないですね」と、何度も見せてもらったその技術を目の当たりにして、納得した。
つまるところ、身体の動かし方も、視線の遣り方も、その前にどんな言葉で相手の注意を引くのかも、毎回違う。その時々によって、正解が変わってくるんだ。厭らしいことこの上ない。
ベッドに寝転んで、ため息を吐く。
最大リミットで三年。三年あっても身につく気がさっぱりしねぇ。ハードルが高すぎる。
今後の修行、訓練のことに思いを馳せていると、どうにも眠れないもんで、ベッドの上で寝返りを繰り返す。
「眠れませんか?」
不意にミリアの優しげな声が耳朶を打った。声の方向に視線を遣ると。少しばかり離れたベッドの上、布団から顔を出して俺を見ていた。
「なんか目が冴えちまってな」
「実は私もなんです。なんだか寝付けなくて」
お前さんも眠れねぇのかよ。イズミは……いびきかいて寝てやがる。ババァは……、あいつどっか行きやがったな。元気なババァだ。ったくよ。
「ちょっとお話でもしましょうか?」
ミリアの笑顔がやけに綺麗に見えるのはなんでだろうな。
理由はわかってる。俺のこと「愛してる」、なんて言った奴だ。小悪党にしちゃ大層な決意をしちまったもんで、すっかり忘れてたが、こうやって落ち着くとなんだ。変に意識しちまうな。
顔に血液が集まるのがわかる。おっさんの赤面なんて誰が得するんだよ、ってか? 俺だってそう思うよ、馬鹿野郎。ここが洞窟の中で、薄暗くて本当に良かったよ。恥ずかしすぎるだろ、常識的に考えて。
「何、考えてるんですか?」
「あぁ、いや……なんだ」
うん、今考えてることなんざ、そのまま言ったら滅茶苦茶笑われる。なんとか取り繕わねぇと。
だが、俺の頭はすっかり茹だっていて、冴えた答えなんざ出てきちゃくれない。
「もしかして……、意識してくださってます?」
「ば、ばばばばっ! お前!」
「ふふ、嬉しいです」
ふんわりと笑い声を上げるミリアがどうにも魅力的に見えた。
考えても見ろよ。ボン・キュッ・ボンでべっぴん。お人好し丸出しなその表情を抜かしゃ、どストライクの美人だぞ。ミリアが俺のことを好きだとか、未だに信じられねぇ。
だが、それ以上にあの時の言葉を心の底から信じちまってる。そんな俺もいる。
「本当は。あんなこと言うつもりじゃなかったんです」
「あん? どういう意味だよ」
「そのまんまです。約束したんですよ」
洞窟の中で薄暗くて分かりづらかったが、ミリアの顔が少しばかりバツが悪そうに歪んだ。
「約束、破っちゃいました。精霊メティアはお怒りになるでしょうか」
「約束ってなんだよ」
「秘密でーす」
バツが悪そうだったミリアの顔が、小憎たらしい笑顔になる。
「答え合わせはゲルグ。貴方の宿題です」
「宿題ってなんだよ。宿題って」
「それも教えません」
気になるだろうが。馬鹿。俺は、よっこらせ、と上体を起こして、後頭部をボリボリと掻く。
しかしなんだ。
ああやって直接的に、好き、なんざ言われるとよ。童貞としちゃありがたい限りなんだろうがよ。なんっつーか、うん。戸惑う。
いい歳こいたおっさんといえど、俺だって男だ。性欲だって人並みにあるし、ミリアみたいなべっぴんなら願ったり叶ったりだ。ミリアとそういう関係になった自分を想像すると、ちょっとばかし、「自分が真人間になったみたいに勘違いしちまうよなぁ」、なんて考えもするが、まぁそれを置いといたとしてもだ。
いいんじゃねぇのか? 修行は最大でも三年は続く。色々と溜まるだろ。
ニコニコと笑うミリアを見る。
女にあそこまで言わせたんだぞ? しかもべっぴんだ。ブサイクに言われても特段心は動かされねぇ。願い下げだ。だがミリアだぞ? 最高じゃねぇか。
アレだろ? ミリアが俺のことを好きってことは、あんなことや、そんなことをしても文句を言われねぇってことだろ? 金払わなくても、乳揉んだり、尻触ったりできるってことだろ?
ついでに、ミリアは神官を辞めてる。手を出す理由は無限に出てくるが、手を出さない理由はひとっつも思い浮かばねぇ。
夢にまで見た童貞卒業のチャンスなんじゃねぇのか? イズミとババァがいない時なんていくらでもあるだろ。そういうスリルも中々興奮するってぇ話も耳にする。
「何、考えてます?」
「い、いや……その、だな」
何考えてるかとか、聞くんじゃねぇ。馬鹿。俺の中で今、色んな感情がせめぎ合ってるんだよ。ちょっと待て。
据え膳食わぬはなんとやら、とも言うだろうがよ。何を俺はこんなに躊躇してる? あの時は咄嗟過ぎて、「お前は俺には眩しすぎる。ぶっちゃけ想像もつかねぇ」、とか言った。確かに言ったよ。
「やっぱり、ドギマギしてる。ふふ、そんな貴方を見るのはなんか新鮮です」
「お前なぁ……」
「私にも、可能性があるってことですよね?」
そりゃ可能性しかねぇだろ。こいつはなんだ。自分の容姿に無自覚過ぎる。お前を選ばねぇ男なんていねぇだろ。普通ならな。
――ありがとう。ゲルグ。優しいんだね。
だが、なんでだろうな。別にそういうんじゃねぇ。俺はロリコンじゃねぇ。だがよ。
――頑張った。撫でて。
なんでこんな時にあいつの顔が思い浮かぶ?
そういんじゃねぇだろうがよ。俺があいつに抱いている感情はよ。
「……いいんですよ。私の想いに対する答えなんて、今すぐ出してくださいなんて言いません」
返す言葉なんてねぇ。俺だって思うよ。ここまでお膳立てされておいて、結局なんもしねぇのかよ、ってよ。
だが、どうにも躊躇する。なんで俺が今こんなに躊躇してんのかは俺にもわからねぇ。
「……その、なんだ。悪い」
俺だって思う。ここまでお膳立てされておいて、なんだって行かねぇんだよってな。男なら行けよ、ってよ。
だがよ。今ここで、この状況でミリアとどうこうなったら、どうだ? 考えてみろ。
多分、俺はアスナに顔向けできねぇ。
そう思っちまったんだよ。理由は分からねぇ。
「別にお前のことが嫌いだとかそういうんじゃねぇ。お前はべっぴんだし、俺には勿体ねぇとも思ってる。お前の言葉に応えてやりてぇ気持ちも嘘じゃねぇ。だがよ……。今の状況でどうこうするってのは、なんだ。違う気がするんだ」
ミリアが困ったように笑う。
「謝らないでください。そういうところを含めて、私は貴方を――」
「お熱いですねぇ」
突如としてかけられた言葉に、俺もミリアも俊敏な動きで声の主を見遣る。
「アオハルですか? いじらしい感じですか? 良いですね。思わず身悶えそうになりましたよ。でも、片方がゲルグさんってところがなんとも締まらないですねぇ」
イズミが呆れたようにニヤニヤと笑いながら起き上がってこちらを見ていた。
可哀想に。薄暗い中でもはっきりわかるぐらいミリアが顔を真っ赤にしてアワアワしてやがる。俺? 俺だって年甲斐もなく赤面してんだろうよ。
「イズミ……。お前さん、起きてるんなら言えよ」
「私も最後までどうしようか悩んだんですがね。十代みたいな初々しいやり取りを聞いてたら、身体が痒くなって痒くなって」
「初々しいとか言うんじゃねぇ」
「いいですねぇ。なんですか? 遅れてやってきた青春ですか? ゲルグさん、やりますねぇ。こんな美人さんに『愛してる~』、とか、私だって言われたいもんですよ」
ニヤニヤしながら追い打ちかけてくるんじゃねぇよ。ほら、ミリアがもはや再起不能っぽいぞ。
「言っときますけどね。私、寝てても半分起きてるので、そういうやり取りは隠れてやってくださいね。いかがわしいことも隠れてやってください。流石に、ゲルグさんのそういうのしんどいです。おえっ」
おえっ、とか言うな。傷つくじゃねぇか。
「ミリアさ~ん。こんなトーヘンボクのどこが好きなんですかぁ? あ、『全部』、とか言うのはナシで。やめてくださいね。恥ずか死にます」
「……うぅ。イズミ様……意地悪言わないでください……」
落ち着け、ミリア。こいつはこういうやつだ。何を言っても無駄だ。
ってか、恥ずかしすぎる。イズミのやつ、最初っから起きてやがったな。あー、やべぇ。死ぬ。俺の黒歴史がまた一つ増えやがった。
「……寝る……」
「眠れなかったんじゃないですかぁ?」
「お前さんのお陰でぐっすり眠れそうだよ。馬鹿野郎」
「そうですか~。それは良かったですねぇ」
ニヤニヤすんのやめろ。クソッタレが。
「密室空間に、男と女。何も起こらないはずがなく……」
「あうう……イズミ様……。あんまりいじめないでください……」
だからやめろっつってんだろ。
イズミのからかう声を子守唄に、俺はじたばたしたくなる衝動を堪えながら布団の中にもぐりこんだ。
眠れたかって? 眠れるわけねぇだろ。
「ゆうべはお楽しみでしたね」
目を覚まして一発目に掛けられたセリフはそれだった。イズミの第一声と、にんまりと笑うその表情に俺はげんなりとした顔をする。イズミは俺のベッドの横に立っていた。お前さん、俺が目を覚ますのじっと待ってたのか? 俺をからかうのに全力使ってんじゃねぇよ。
ババァはもう起きて、朝飯を作っているようだ。厨房の方から鼻歌が聞こえる。ミリアもいねぇ。ババァの手伝いでもしてるんだろうか。
「うるせぇよ……。朝っぱらから微妙な気分にさせるんじゃねぇ」
「照れてますねぇ? このこのー」
肘でつついてくるな。端的にイラつく。その顔もやめろ。今の俺にその顔は効く。
「でぇ? ミリアさんの愛の告白にどうお返事するつもりなんですか?」
「あぁ? お前さんには関係ねぇだろ」
「関係ないですけど……。滅茶苦茶面白いじゃないですかぁ」
馬鹿にしやがって……。馬に蹴られて死ねば良い。そうに決まってる。
「と、まぁ。冗談もほどほどにして。空蝉の術。三ヶ月でモノにしてもらいます。ゲルグさん」
「切り替えが早すぎてついていけねぇんだが」
「やだなぁ。時間は有限ですよ?」
そんなこと言うなら昨夜のお前さんの言動をちったぁ思い返してみろよ。
ベッドから立ち上がって伸びをする。
「三ヶ月で使えるようになる気がしねぇ」
「そりゃそうですよ。普通の忍は、アレを三年かけて覚えます」
「三年って、無理じゃねぇか?」
「その無理難題をこなしてこそ、じゃないんですか?」
まぁ、そうだな。っとーにこいつはシャンとしてる時と、ふざけてる時の落差が激しすぎて混乱する。
「スパルタで行きますよ。覚悟してくださいね」
「そりゃ怖ぇ。お手柔らかに頼まぁ」
「お手柔らかにできるはずがないでしょう。死ぬ気で頑張ってください」
あーやだやだ。これから襲い来るイズミのしごきを思い浮かると背筋が冷たくなる。
そんなことを話しながらベッドのある区画を出て、食卓のある居住区画の中央へ歩いて行く。
丁度朝飯ができた頃のようだ。ババァが得意げな顔で俺とイズミを見る。一方でミリアはせっせか配膳をしていた。
「ゲルグよ。ゆうべはお楽しみだったようだな」
「てめぇまでそういうことを言うんじゃねぇ。っていうか、ババァ。お前昨夜いなかったよな。なにを知ってる?」
「ふーっはっはっは。ここは余が作った洞窟だぞ。この洞窟の中で知らぬことなど無い」
「ミリアが皿を落としそうになってるから、それ以上言うんじゃねぇ」
つまりあれか。俺の躊躇やら、ミリアが許してくれそうやら、そういうの関係ないってことか。つまりだな、俺の禁欲生活が始まるってことだよ。
いや、五人で旅をしてた時も辛かったっちゃ辛かったさ。だがよ、横に手を出しても文句の言われねぇ女がいるんだぞ? 俺の決意は置いといてよ。辛さが段違いだろうが。
まぁ、良いっちゃ良いのか。変にムラっと来て、ミリアを襲っちまうとかそういう心配がねぇってのは。流石に見られてるってことを自覚した上で、手を出す程俺も馬鹿じゃない。
しかし、なんだ。このやり場のない憤りはどこにぶつけたら良い? むしゃくしゃしてきたな。
「っだー! 朝飯寄越せ! なんか色々考えてたら腹たってきた!」
どすんと食卓の椅子に腰掛ける。さっさと飯食って、今日の修行だよ。馬鹿野郎。動きまくって疲れりゃ、流石に一人でスる気も起きねぇだろ。
「ミリアよ。こやつはこういう男だ。端的に言うとヘタレだ。襲われる心配などない」
「いえ、あの。ジョーマ様……別にそういう心配は……」
ババァ、余計なコト言うんじゃねぇ。
「ゲルグさんはゲルグさんですからねぇ」
イズミ、ぶん殴るぞ。駄目だ。返り討ちにされる未来しか見えねぇ。
「いいから、飯食って、さっさと、始めんぞ! 時間は有限だろうがよ!」
「それ、私がさっき言った台詞です~」
イズミ。うるせぇよ。早く飯食え。
おっさんよ。残念だったな。
ミリアに手を出すことは、イズミさんとジョーマ様が許さないようです。
次の日自分のあれやこれやを詳細に解説されて笑いものにされたいなら止めませんが、常識的に考えていやですよねぇ。
他人のセッ○スを笑うな。
最大三年一緒にいても、どうにもできないですね。
可哀想に。ざまぁみろ。
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とーっても励みになります。ミトコンドリア!!
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