第七話:おっさんの身の丈には合わねぇが、それもまぁ、良くあることだよ
「さて、ゲルグさん。忍にとって最も大切な意識は何か分かりますか?」
ババァの修行開始の号令を経て、居住区域から歩いて数分。だだっ広い空間――ババァは鍛錬場と呼んでいるらしい――に俺達はやってきていた。
中央で俺とイズミが向き合う。ミリアとババァは端っこの方で様子を見ることに決めたようだ。
「『シノビ』ってのがなんなのかすら分からねぇんだから、分かるわけねぇだろ」
「あ~、そうですよねぇ。では質問を変えます。ゲルグさん。貴方がパーティーで戦う時、貴方にとって何が最も重要だと思いますか?」
俺が戦う時、重要なこと? んなもん考えたこともねぇ。
俺の役目、俺の役目……。数秒程考える。
「敵の攻撃を引き付けて、躱す。他の連中に攻撃が向かねぇように、敵の注意を俺に集める、ってとこかね」
「予想通りのお答えありがとうございます。間違いですよ」
間違いかよ。そんな楽しそうに、『間違いですよ』、とか言うんじゃねぇよ。傷つくだろうがよ。
「いいですか? 忍として最も重要なことは、死なないことです」
死なないこと? お前のクチから出た台詞とは思えねぇぞ。こいつは自分の命をクソとも思ってねぇ。死なない? お前さんは、死ぬことなんざ一切躊躇してねぇだろうがよ。
「正確には、理由なく死なない、ということです」
はぁ? 「理由なく」、ったあ、どういうこっちゃ? よく分からねぇ。つまりなんなんだよ。
「良いですか? 間諜が任務先で死ぬと、死体が残ります。死者は生者よりも雄弁です。その存在は主君の仇となる。主君に『死ね』と命ぜられるまで、忍は勝手に死ぬことは許されないのです」
あぁ、納得がいった。そういうことか。
「つまり、自分の命を最大限に有効に使え、と。そういうことか?」
イズミが、「このおっさん、ようやく理解したか、遅いなぁ」、みたいな顔で俺を見る。辞めろ。その顔。端的にイラつく。
「続けます。戦の場での忍の役割は、ゲルグさんと近いです。撹乱、陽動、偵察、暗殺、そして主力を損耗させないための捨て駒。それが忍です。しかし、捨て駒と言えど、死ぬことは許されません。なんでだか分かりますか?」
察しが悪いとよく言われる俺でも、それはなんとなく想像がつく。
「そいつが死んだら、主力が攻撃される。そういうことだな?」
イズミが、「今度はちゃんと理解したようだな、偉いぞ」、みたいな笑顔を俺に向ける。だからよ、その顔辞めろって。腹立つから。
「そうです。戦闘での忍の死。それは、主力への攻撃の集中に繋がります。やればできるじゃないですか」
「俺はお前さんのその得意げな顔をぶん殴ってやりたい気持ちで一杯だがな」
俺の憎しみに満ちた言葉はスルーされた。いや、本当にぶん殴ろうなんて思っちゃいねぇがな。
「その任から、忍はまず真っ先に自身の命を守る術を身につけます。まず基本の『空蝉の術』から覚えてもらいます」
「ウツセミノジュツ?」
「はい、ゲルグさん。先程私をぶん殴りたいとか言ってましたよね。やってみてください」
いや、確かにぶん殴ってやりたいとか言ったけどよ。女をぶん殴るとか、流石に躊躇するだろ。常識的に考えてよ。
「ちょっと抵抗あるんだが」
そんな俺を見て、イズミが笑う。
「躊躇するなんて可愛いところもあるじゃないですか。大丈夫ですよ。思いっきり殴ってください。勿論『やれるものなら』、ですが」
「あー、うん。わかった。当たっても文句言うなよ。いや、当たるとは思ってねぇがな」
こいつの優秀さは理解している。こちとら二十年近く盗人なんてやってる人間だ。その俺に気配を悟らせたことは一度もねぇ。チンケなおっさんのパンチなんて当たりゃしねぇだろうよ。だが、いざ「殴れ」、なんざ言われると躊躇するだろ。普通。
まぁ、良い。こいつを信じよう。俺は思っクソ右腕を振りかぶって、イズミに殴りかかった。
避けられるだろうな、と予想していた。振りかぶった拳によってバランスが崩れて、すっ転ぶのも覚悟していたもんだ。だが、右手に伝わってきたのは確かな手応え。
「って、ちょっ! おい! 避けろよ! バ――」
「後ろです」
どこから取り出したのか、冷たい刃の切っ先が俺の首を捉えていた。
は? 当たったよな? 頭が追いついてねぇ。俺は右手の拳、その先をよくよく見た。ついさっきまでイズミがいたその場所をだ。
イズミの上着だけが地面に落ちていた。
「これが空蝉の術です」
「いや、俺確かにお前をぶん殴ったよな?」
「ぶん殴ったように錯覚させたんですよ。やったことは簡単です。ヒットの瞬間に服を脱いで、速く動く。それだけです。今回私は、服を脱いでゲルグさんの股下をくぐり抜けて後ろに立ちました。言ってしまえばそれだけです。ですが、そこに至るまでのプロセスが重要です」
いや、今でも鮮明にイズミの顔面を右手が捉えた、その生々しい感触が残っている。確かに、俺は、イズミを殴った。何が起こった?
イズミが未だに混乱している俺を見て、肩を竦めながら地面に落ちていた上着を拾い上げる。
「もう一度やりましょうか」
「お、おう」
「さぁ、殴ってください。当たらないのは理解できましたよね? 遠慮は要らないです」
どういうカラクリでどうなった? 俺はイズミを注意深く観察しながら、また右腕を振りかぶる。
イズミの瞳がブレる。身体が一定の指向性を持ったように動く。注意深く見ていたからか、今度はなんとなく理解できた。いや、言葉にはできねぇ。だが、感覚でだけそれを理解した。
結果はさっきと同じだ。俺が殴ったのはイズミの上着。そして、後ろに立って、俺の背中をぽんと叩くイズミ。感覚で理解したとしても、右腕にはイズミに拳がぶち当たったような確かな感触が残っている。
いや、すげぇな、これ。
「そういうことか……。視線の動かし方、身体の動かし方、そんでもってその前の口上。全部が相手を錯覚させるように綿密に計算されてやがる」
ぶつぶつ呟きながら、後ろを振り返る。いや、恐ろしい技術だよ、ったく。理解してはいたが、騙される。人間ってもんをよく理解してやがる。シノビってやつはすげぇんだなぁ。そんな思いをもってでイズミの顔を見た。
イズミの顔が目に映る。なにやらイズミは珍妙な表情をしてやがった。
「なんだ? なんっつー顔してやがる」
「い、いえ。忍の者以外に、二度目でタネを見破られるのは初めてでしたので……」
「馬鹿にすんなよ。こっちだって伊達に二十年盗人なんざやってねぇ。人間をどう騙すか、どう錯覚させるか、どう油断させるか。そんなこと、さんざっぱら考えてきたって、そんだけだろうがよ」
「それが難しいんですがね……。魔女さんの見立てもあながち間違いではない、ということですか。俄然やる気が湧いてきました。ゲルグさん。貴方の認識を改めます。全力でいきます。付いてこれますね?」
興奮してるのか、イズミの顔がちょっとばかし紅潮する。
「おう。全部教えてくれんだろ? よろしく頼まぁ。イズミセンセ」
俺の言葉にイズミが不敵に笑った。
当然といえば当然なんだが、「ウツセミノジュツ」とやらを俺が一日でマスターできるはずもなく、その日はひたすらに視線の動かし方や、動き方、相手を油断させる方法を教えてもらいながら、イズミにぶん殴られるというものになった。
いや、女だからって甘く見てた。優秀も優秀だよ。一撃が重い。その細っこい腕からどうやってそんな力が出てくんのか理解できねぇ。
一時間かけてボコボコにされて、イズミがミリアを呼ぶ。ミリアが小走りで俺のところまできて治癒をかける。その繰り返しだ。
そして、今日一日で良く理解できたこともある。イズミは筋金入りのサディストだ。喜々として俺をぶん殴る。そんでもって、次の瞬間に出てくる言葉は、「それで終わりですかあ? ゲルグさん。さぁ、もっとですよ」、なんて言ってくる。ババァもそれなりにスパルタに物を教えてきやがる奴だったが、イズミはそれ以上だ。
ついでに、人間を動かすのも上手い。何を言えば、人間ってのが、男って生き物がやる気を出すのか、理解しつくしてやがる。
シノビなんて集団が末恐ろしくなってきたところで、ババァが一日の終わりを宣言した。居住区域に戻って、飯にするんだとよ。
疲れ切った身体をミリアの治癒で癒やして貰ってから狩りだ。
ババァが、「これも修行の内だ」、なんて言ったもんで、食糧の収集は全面的に俺の仕事になった。クソッタレが。
いやな、身体的には疲れなんて残ってねぇはずなんだがな。精神はそうもいかねぇ。イズミが数分おきに煽ってきやがるせいで、ズタボロになったメンタルを無視し、洞窟の中を駆け巡って獣を狩る。
なんで洞窟の中に獣がいるのかなんて気にするだけ無駄だ。ババァが上手いことやってんだろ。
おまけに、安全な区域を離れると、途端に魔物がうじゃうじゃ湧きやがる。必然的に俺は魔物から身を隠しながら、獣を狩ることになる。
一時間程かけて、俺は四人分の食料をかき集めるに至った。
居住区域に戻って、獲物をババァに見せる。
ババァはそれを見て、「よい働きだ。褒めてやろう。さて、料理は余が作る」、なんて抜かしてから厨房に獲物を運んでいった。俺達はまだ料理の並べられていないテーブルを囲んで休憩中だ。
タバコを咥えて、一息つく。あ、やべ。この洞窟の中だと、タバコの供給がねぇ。いつもはテキトーにまとめ買いしてたんだがな。カバンの中には、一ヶ月分ぐらいの量しかねぇ。大事に吸わねぇとなぁ。
紫煙を吐く。
「いやー、ゲルグさん。タネを見破られた時はセンスがあるのかと思ったんですけどね。実際に動いてみると全然ですね」
「うるせぇよ」
タバコを咥えながら茶化してくるイズミを睨みつける。三十路前のおっさんに、あんま多くを求めるんじゃねぇよ。身体にガタがきはじめる歳だっての。
「でも、目は良いです。元々一朝一夕で身につけられるとも思っていません。焦らずゆっくり行きましょう」
「わーってるよ」
最長で三年。長いんだか短いんだか分からねぇ時間だ。だが、ここが踏ん張り時だってのは俺にだって理解できる。
イズミが、にやー、っと厭らしい笑い方をする。あー、こりゃ明日もしごかれるやつだな。
そんなイズミの顔にミリアがふんわりと笑いながら口を開いた。
「でも、イズミ様。すごいですね。シノビの技術、というのは」
「今ゲルグさんに教えているのはは、飽くまで対人間を想定した術です。魔物相手となると、また違った技術が必要になってきます。どちらも空蝉の術には違いないんですけどね」
なんだ? するってぇと、魔物相手でも騙したり、錯覚させたりできるってことか?
「魔物相手だと、その魔物の特性や、性質が大いに勘案されます。なので知識も非常に重要になってくるのです」
「魔物相手でもなんとかできんのか。そりゃすげぇな」
いや、魔物相手でも挑発みたいなのは、有効だったのは分かる。だが、魔物どもを騙したり、錯覚させたりするってのがどうにも想像できねぇ。
「知性の低すぎる魔物には効きません。知性というのは、それを有すること自体が弱点にもなりうるのですよ。ですが、魔物は基本的には高い知性を有しています。対策すれば、翻弄することも不可能ではありません」
へー、ふーん、ほー。そこまで考え抜かれてるってのか。すげぇな。シノビ。
「大陸の魔物については、私は門外漢です。きっと魔女さんがなんとかしてくれるのでしょう」
「そうだろうなぁ。あのババァは何でも知ってやがるからな」
「私も流石に初見の魔物相手に空蝉の術を成功させることはできません。前提となる知識があって初めて成り立つのですよ」
ミリアが感心したような表情を浮かべる。イズミがその顔を見て、少しばかり照れたように笑った。
「私は勇者様御一行のように、凄まじい力を有していません。弱き者の知恵というやつです」
そりゃ同意できる。アスナ達は、何も考えねぇでゴリ押ししても、普通に殺れるんだろう。あの連中が如何に規格外だってことを再認識する。
なんやかんや話していると、ババァが人数分の皿を持ってやってきた。
「夕飯だ。良く食べ、良く寝、良く学ぶ。ゲルグよ。それがこの洞窟の中でのそなたのすべきことだ。味わって食すが良い」
ババァの料理にしちゃいささか簡素ではあるが、それでも十二分に美味そうな料理の数々だ。その香りが鼻腔を刺激する。
疲れ果ててヘロヘロな身体だ。それがいっちゃんのスパイスになるのを俺は知っている。
「明日からも修行だ。英気を養うが良い」
「当たり前だ。言われなくても分かってる。おっさんの身の丈には合わねぇが、それもまぁ、良くあることだよ」
不敵な笑みをババァに向ける。それと同時に腹がなって、イズミとミリアが笑い声を上げたのはご愛嬌ってやつだ。
忍者と言ったらー!? 身代わりの術!!
え? NARUTO? 知りませんね。忍空の間違いじゃないですか?
勝身煙!! 勝身煙!!
というわけで、おっさん修行編です。
しばしの修行編です。
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とーっても励みになります。ナイアガラ!!
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眠くて死にそうです。