閑話:キース・グランファルド 後編
ミリアの気持ちは固まったようだ。一両日中に皆に話し、そして出発するとのことだ。彼女曰く、あの悪党の居場所はなんとなく理解している、とのこと。俺は、「そうか」、と一言だけ返して、笑ったものだ。
ミリアの心の問題が解決した。俺は次に向き合わなければならない問題に思いを馳せる。
他でもない。アスナ様だ。
方法は考えている。ただ、それには姫様の協力が必要だ。ミリアと話した一時間程後、俺は姫様の部屋を訪れた。
失礼にならないようにノックを三つ。扉の奥から、「誰?」、と声が聞こえた。
「姫様。キースです。お話が」
「キースね。いいわよ。入ってきて」
許可を得たので、扉を開ける。部屋着になった姫様がベッドの上で膝を抱えていた。その表情は芳しく無く、アスナ様のこと、ミリアのこと、様々な問題をひたすらに考えていたのであろうことが容易に想像できた。
「夜分遅くに申し訳ございません」
「いいわよ。アスナのこと、でしょ?」
姫様は聡明だ。弱冠十八歳とは思えない程に。魔王を倒すために旅をしていた時、何度姫様のお知恵に助けられたことかわからない。
「えぇ。それと、ミリアのことも」
「……そうね、ミリアもね……」
いささか豪気な性格をしてはいらっしゃるが、姫様に周囲の人間関係を深く観察して、十二分に気を遣う一面があることを俺は知っている。姫様にとって、アスナ様の現状、ミリアの現状、そしてゲルグの出奔。全てが頭を悩ませる種なのだろう。勿論、間違っても姫様があの悪党に対して、好意を抱くだとかそういうことはありえないとも理解している。
「ミリアについては、解決いたしました」
「え? それってどういう?」
「先程、ミリアが私の部屋にやってきまして、少しばかり話をしたのです。彼女は、ゲルグの後を追う、とそう言っていました」
「……そう。そっか、そうよね。ミリアなら、そうするでしょうね」
そのことも予想がついていたらしい。姫様の瞳に驚きの感情は見られなかった。
「一両日中に皆に話し、出奔する、と。ゲルグの居場所もなんとなくわかっていると話していました」
「あのクソ小悪党の居場所ぐらいなら、私だってわかるわよ」
「えぇ。私もなんとなく把握しております。恐らく……」
「今はヒスパニアに向かってるでしょうね。そこから北アルテリアに向かう。多分最終目的地は移民の国。アスナのお母様の無事を確認した上で、人種のるつぼになってるあの国に潜り込もうってハラでしょうね」
「えぇ」
「ナーシャがそう簡単には許さないだろうから、どう短く見積もってもヒスパニアで一ヶ月は足止めを食う筈。ミリアが間に合えば……。連れ戻せる、か……」
少しばかり驚く。姫様が奴を連れ戻す気でいたとは。予想外だった。
「その、連れ戻す、のですか?」
「……本当にそれで良いのか、迷ってるわ。確かにアイツを連れて行って何になるんだろう、って思う私がいるのも事実」
でも、と姫様が続ける。
「アイツはね、もうすっかりアタシ達の仲間になっちゃってるのよ。だから、今更一抜けなんてアタシが許してやるもんですか」
そうか。姫様にとっても、奴は重要な立ち位置となっていたのだな。改めて心中で感嘆のため息を吐く。もしも奴が、仮に悪意を持って我々に近づいて来ていたのなら、恐るべき手腕であると感心する他無いだろう。
「……ですが……」
「キース。アンタの意見はこの際無視させてもらうわ。ゲルグの意見を最大限尊重したいって気持ちは、アタシも分かってるつもりよ。でもね……。こんだけこのパーティーを掻き回されて、それで『あばよ』、なんてさ、ムシが良すぎると思わない?」
「……仰る通りです」
「だからこれは……飽くまでアタシの計画。だからアンタは何も後ろめたい気持ちなんて抱かなくて良い。アンタはただただ真っ直ぐにアタシの騎士でありなさい」
これだ。これだから俺はこの若い王女に忠誠を誓ったのだ。
ブレない軸。勝ち気そうな瞳。周囲を確りと慮る思慮深さ。苛烈ではあるが、それ以上に優しい性根。十数年の勉学に裏付けられた豊富な知識。名君足り得る、その気迫と器。
姫様にそれらを見出した俺は、すぐさま姫様に対して騎士の誓いを立てた。
それでこそ、我が主。それでこそ、我が主君。俺の心の中は、誇らしい気持ちで一杯だ。
「で? アンタもなんかしら考えてきたんでしょ?」
「はい」
決行は明日。少しばかり打ち合わせをして、姫様の部屋を後にした。
次の日。姫様とミリアを伴って、アスナ様の部屋の前に来ていた。昨夜扉の前に置いた食事は手つかずのまま残っている。アスナ様の体調が心配だ。人間は、食事を摂らずに生きていけるようにはできていない。
姫様が、俺とミリアの顔を見回す。ミリアが小さく頷いた。俺もそれに倣う。
「財の精霊、メルクリウスに乞い願わん。我が行く手を阻む閉ざされた扉を開け放ちたもれ、解錠」
ガチャリ、と音が響き、扉の鍵が開く。姫様が俺に目配せをした。俺はもう一度小さく頷いて、扉をゆっくりと開けた。
むわ、と、すえた臭いが鼻をついた。一週間人間らしい生活をしていなければ、人間とはこのような臭いを放つものなのか、と少しばかり驚く。アリスタード王宮の地下牢で嗅いだ覚えのある臭い。だが、少し違う。もっと死臭に近い何かだ。
アスナ様がベッドの上でぼんやりと座っていた。「勇者」としての責務に爛々と輝いていた瞳は見る影もない。
「……なん、で? ……キース? エリナ? ミリア?」
アスナ様は一見して分かるほどにやつれていた。一週間でここまで人は変わってしまうものなのか、と思った。
だが、そのような思考も今は不要だ。俺は俺の役目を果たすのみだ。俺の役目? 決まっているではないか。奴に押し付けられた「大人」という役だ。
「アスナ様」
「……ん。なに? キース」
声がしゃがれていた。
「アスナ様は、どうされたいですか?」
「私?」
「はい」
「……どうしたいんだろ……。よく分からない」
「そうですか。ところで、ミリアから話があるそうです」
「ミリアから?」
俺はミリアのほうをちらりと振り返る。艶の失せた髪も少しばかり戻っている。昨日必死で手入れをしたのだろう。目の下のクマも大分マシだ。久々にゆっくりと眠れたのではないだろうか。
「アスナ様。私は彼を、ゲルグを追いかけます。言いたいこと、伝えたいことが沢山あるんです」
「おい、かける?」
「はい。少しばかり、皆様とお別れすることになります。どうかお許しください」
ミリアの言葉に、アスナ様の瞳に少しばかり光が戻った。
「わ、私も――」
「駄目よ」
姫様がアスナ様の目の前に躍り出て、ピシャリと言い放つ。
アスナ様は、きっと自身も付いていくと言い始めるだろう。その予想は姫様も俺も同じだった。だが、それを許すことはできない。
「なんで!? ミリアが行くなら私も行く!」
「アスナ……。別に行くなって言ってるわけじゃないの」
「え?」
ここからが、俺の年長者としての役割だ。
「アスナ様。行きたいですか?」
首をぶんぶんと縦に振る。さっきまでの憔悴っぷりが嘘のようだ。
「アスナ様がそれをお望みになるなら、俺はそれを応援します。好きなようになさってください。魔王がどうとか、勇者がどうとか、関係ございません。アスナ様。貴方はまだ十六歳。子供を甘やかし背中を押すのは、俺のような年長者の役割です」
俺の真面目な顔をしげしげと見つめたアスナ様が、プッ、と吹き出した。
「……ふふっ、ごめんなさい。キース、ゲルグみたいなこと言ってる」
昨日、ミリアにも同じようなことを言われたな。あの悪党みたいなこと、か。出会った当初であれば、不本意に感じたかもしれない。だが、俺はその言葉が中々どうして誇らしかった。
「でも、今すぐは駄目です。まずは、ご自身の体調を優先してください」
「私は大丈夫」
「いけません。そんなやつれた姿を奴に見せるおつもりですか? 鏡を見てください」
「え?」
示し合わせたように、ミリアが手鏡をアスナ様に差し出す。アスナ様の顔が少しばかり赤らんだ。
「……ん。わかった。言う通り。これじゃただ心配かけるだけ」
「ご理解が早くて助かります」
一週間飲まず食わずだったのだ。体調の回復には半月程、いやもっとかかるかもしれない。ミリアの体調も芳しくはなさそうだが、それでもアスナ様ほどではない。雲泥の差だ。少なくともミリアは食事は摂っていた。
「私は、ヨハンの船でヒスパニアに向かいます。恐らく彼もそこにいます。アスナ様は体調を万全にしてから、転移魔法でいらっしゃってください」
「ん。ミリア。分かった」
アスナ様の顔が変わる。アスナ様は気づいていないのだろう。きっと。
奴を追いかけると言った時。その時から、その表情が命を吹き返したことを。
ゲルグよ。貴様はどれだけ罪深い男なのだ。俺もここまでだとは思わなかったぞ。
ここまでこのパーティーが奴によって支えられていたとは、鈍感な俺は終ぞ気づかなかった。
一度は止めずに見送った。それは男としての矜持から、男の決断を妨げるものではないと考えたからだ。
だが、今は違う。戻ってこい。悪党。
貴様はこのパーティーに必要不可欠だ。それを貴様が一番わかって無くてどうする? 当の本人が一番理解していなくてどうする?
そんな大層な人間ではない、と貴様は言うだろうな。分不相応だ、とも言うだろう。だが、そんなこと知ったことか。貴様は自由だ。なら、俺も、俺達も自由にやらせてもらう。
「はーい! んじゃ、キースは出てって!」
姫様が手をパチンと叩いて、元気な声を出した。
「え? いや、はい。異論はありませんが、何故?」
「馬鹿ね。だから脳筋なのよ、アンタ。女の子には女の子同士の話があるの。男がいるのは無粋」
「そ、そういうものですか」
「そういうもんよ。さっ、分かったら出てった出てった」
姫様に追い出されるように部屋から出る。
俺の役目はこれで終いか。いや、まだ残っているな。ミリアの居場所を、アスナ様の居場所を、守る。その役目が。
フランチェスカ様にも、話しておかねばならぬな。しばらくメティアーナの拠点に留まり、ゲルグの件を何とかするために腐心する、と。
やれやれ、やるべきことばかりだ。とんだ貧乏くじを押し付けてくれたものだ。
なぁ、ゲルグよ。
その日の夕方。ミリアを見送るため、メティアーナの港に俺達は集まっていた。大きめのリュックを背負って、ミリアがニコリと笑った。
「ミリア。神官を辞めたからと言って、貴方のこれまでの献身が消えた訳ではありません。精霊メティアの加護が貴方をきっと護ることでしょう」
フランチェスカ様がそう言った。その後でその金色の瞳を潤ませて、ミリアに抱きついた。
「……無事でいてください。そして、ゲルグ様にキツいのを一発食らわせてあげてくださいね」
「フランチェスカ様……。お別れのときはいつもこんな感じですね」
ミリアが困ったように笑った。彼女に笑顔が戻ってよかった。本心からそう思う。
「当たり前じゃないですか。貴方は私の姉みたいな存在なのですから。いつだって、貴方を想っています」
「ありがとうございます。フランチェスカ様」
ひとしきり抱き合った後、フランチェスカ様がゆっくりとミリアから離れた。
「しばらく休養を取らせたら、アスナもそっちに向かわせるから。気をつけて」
「えぇ、エリナ様。ありがとうございます」
「いいのよ。あのクソ小悪党に、言いたいこと全部言っちゃいなさい」
「はい」
「ヨハン! ミリアを頼むわね!」
「任せてください。海の上が僕の主戦場です」
ヨハンの言葉に姫様が満足気に笑う。
最後におずおずとミリアの前に出たのは、アスナ様だった。
「……えっと、ミリア……その」
「アスナ様」
ミリアがニッコリと笑う。
少しばかりはにかんだように笑うアスナ様。ニコニコと笑うミリア。一瞬だ。ほんの一瞬違和感を覚えた。表向きは微笑ましい光景にほかならないのだが、なにやら不穏な空気を感じたのは俺だけだろうか。二人の間に、バチバチと火花が散っているように見えた。俺だけなのだろうか。
「大丈夫ですよ。アスナ様が来るまで待ってますから」
何を待つというのだろう。
「ち、ちがっ! そういうことを言いたかったわけじゃなくて……」
俺にはわからなかった。だが、アスナ様には伝わっているらしい。姫様をちらりと見ると、なにやら得心したような、それでいて悔しそうな表情を浮かべている。一人だけ蚊帳の外に放り出されたようで、少しばかり疎外感を覚えた。
まぁ、良い。歳下の女性達には、彼女達の世界があるのだ。それを推し量ろうとは無粋極まりない。先程姫様に言われたばかりではないか。
「分かってます。ありがとうございます。十二分に気をつけます」
「ん。気をつけて。ゲルグによろしく伝えて」
「分かりました」
アスナ様とミリアが握手する。火花が散っているように見えたのは、気の所為だったのだろうか。
「では、ミリア。行って参ります」
ミリアがヨハンと一緒にタラップを渡る。今生の別れというわけではない。だが、それでもずっと一緒に旅をしてきた仲間だ。その一人がこうやってパーティーを離れるというのは、少しばかり考えさせられるものがある。
タラップが外される。出港だ。
「キース様!」
ミリアが、ゆっくりと進み始める船の甲板から声を張り上げて俺を見た。
「ありがとうございます!」
俺はその叫び声に、ただ右手を高く突き上げて応えた。
船はぐんぐんとスピードを上げて、遠ざかっていく。手を振るミリアの姿がどんどんと小さくなっていく。
「キース……。さっきの右手上げたの、キザっぽいわよ」
「なっ!?」
「あーあ。アタシの知ってるキースじゃなくなっちゃったみたい」
姫様が、悪戯っ子みたいな笑顔を浮かべてこちらを見る。
俺は変わったのだろう。だが、それを言うなら、姫様も、アスナ様も、ミリアも、皆変わった。
「……皆、成長したのです。きっと」
「そうね。そうかもね」
そして、それをもたらしたのは、悪党。他でもない貴様だ。
「さ、アスナ。戻ってご飯食べよ。そのボロボロになった身体、まずなんとかしなくちゃね」
「ん。頑張る」
姫様とアスナ様のそんなやり取りをぼんやりと見る。俺の頭の中の奴が、「やればできるじゃねぇか」、なんてニヤリと笑った気がした。少しばかり小さく笑う。
「やかましいわ。悪党」
脳筋騎士が成長して、空気の読める脳筋騎士にジョブチェンジしました。
キースの年齢は二十四歳。
この世界では歳上な方なのですが、現代世界に合わせて考えてみると、
まだ学生やっててもおかしくはない年齢なんですよね。
魔王討伐の時にこういう青臭いぶつかり合いとか、課題が出てこなかったのが不思議過ぎる……。
と言いつつ、魔王を倒す旅の間は、皆義務感や使命感、
そして次々と襲い来るトラブルのせいで、余裕が無かったのだろうな、と考えています。
これにて第四部完結です。
次話より第五部に突入します。
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ストックが無くなりつつあるので死にそうです。